【グレッグ・メロン①(Greg Mellon)】
徹夜で頑張って調査報告書の書き直しに取り掛かったものの、そう簡単に出来上がるようなものではない。
仮に俺の作業が出来上がったとしても、あとで法的な所はレベッカに確認してもらわなければならないし……そう言えば今日はそのレベッカが来ない。
彼女は週に3日しか来ない契約。
つまり今朝は彼女の美味しい朝食にはありつけない、仕方なしに俺はシリアルをボールに入れて牛乳を注いで食べた。
このような朝食は俺にとっていつも通りの朝食で、特に美味いとも不味いとも思わなかったが、今朝はいつもより更に味気ない。
早々に朝食を終え珈琲を淹れるが、まるで砂糖と塩を間違えたくらい不味くて直ぐに飲むのを止めた。
窓を開けて煙草に火をつけると、煙が何かを探し求めるようにユラユラと外に向かって行くのを不思議に思いながらいつまでも眺めていた。
徹夜が祟ったのかいつの間にか寝ていて、目が覚めた時には西の窓から見える空は血が噴き出した様に赤く染まっていた。
刑事時代は張り込みで何度も徹夜を経験したが、それほど苦にもならなかったのに今はなんだか風邪をひいたように怠い。
歳のせい?
いやいや、つい最近までバリバリの刑事だったのだから、そんなに早く歳を取るわけはない。
悪い奴ほど、日が暮れると活発に動く。
チャイナマフィアからリズを救い出す件は、折角いい作戦だと思っていたのに似たようなことをして銃で撃たれた事件が起きたため一旦お預け。
似たような事件が有ったのに、同じことをして同じ目に遭うなんて脳みそが足りないヤツのすること。
俺は学ぶ。
俺はもう刑事ではなく、俺の危機を守ってくれる相棒も居ない。
リズの件はまた考えるとして、俺は気になっていたグレッグ・メロンに会いに行くことにした。
レベッカを連れてダイアナの家に行く途中のファミレスで、気になる会話をしていた2人組のうちジルバラードの持ち主。
なにか重要なことを知っている可能性はある。
ヤツの住所は、ブルックリンのブラウンズビル。
ここはニューヨーク市の中でも、治安が悪いとされている地域。
いやな予感しかしねえが、聞いてしまった以上仕方がない。
俺がやらねば、誰がやる?
ムスタングに火をつけてイースト川を抜けてロングアイランド島のブルックリン区に入ってしばらくすると、地下鉄が地下から地上に飛び出して高架なった下を走り抜ける頃にはもう辺りは暗闇に覆われていた。
サラトガ駅のそばを抜けてグレッグ・メロンのアパートを目指す。
この地区は小さな戸建て住宅や、古いアパートが密集していて低所得者が多い。
ハーレムも昔はそうだったが、今は都市開発が進みそのような住宅は一掃されて治安も改善された。
一方通行の道の左右だけではなく、その隣にも車が並んで停められているため、車1台がようやく通れるくらいになっていた。
もちろん歩道に乗り上げて駐車している車もあるので、歩道だって狭くなっている。
そして歩道にはゴミや空き缶が散乱している。
グレッグ・メロンのアパートの前に、ヤツの車が止まっているのを確認して、俺も乱雑に並ぶ車の列に潜り込む。
「ようハンサム。いい女が居るんだったら紹介するぜ」
「安いドラッグは、いらないか?
「いいバイトがあるぜ」
窓越しに知らないヤツが馴れ馴れしく声を掛けて来る。
刑事になりたての頃の俺はイチイチその言葉を真に受けて捕まえようとして絡んでいたが、奴らは奴等で賢いから証拠になるようなものは何一つ持っちゃいない。
直接声を掛けて来る奴らにはその上に立つ小悪人が居て、そいつから声を掛けるように言われているだけ。
運よく声を掛けて来た奴の上に居る小悪人に辿り着いたとしても、その小悪人はまたその上には中悪人が居て、小悪人と中悪人とは携帯で繋がっているから直ぐに辿り着くことはできない。
実際に違法を示す証拠もないのに、労力と時間を費やす刑事はそうそう居ない。
だが正義感に燃えていた俺は、ソレも知らずに……もっとも30を超えた今ではそんな危険なことはしない。
ごくごく普通の常識人として、声を掛けて来る奴に手で愛想だけしてグレッグ・メロンのアパートに目を向けたままラジオをつけると、ザ・アニマルズの『朝日のあたる家』が流れていた。