Karte.1-1「アトリイエにようこそ」
【ハルト】……ベルアーデ帝国騎士団第七隊所属の青年騎士。18歳。
【イエ】……極東ニフ国の乙女で、大体いつもレベル1の白魔法師。16歳。
○
北エウル大陸……ブライティナ連合国。
この魔法大国の郊外に、ムウ修道会の本部兼学院はある。
ヒーラーたちの登竜門から、また一人、若き白魔法師が誕生した。
「…………」
岬に続く街道へと、学院の通用門を押し開ける。
毛先を切り揃えた桜色のロングヘアー。
黒曜色の無表情な眼差し。
齢15歳。極東ニフ国の乙女は、真新しくて真っ白なローブを整えた。
ーー「おめでとう、あなたはこれで白魔法師です。その白法衣は花ではなく、汚濁を疾く視る証だということ……ゆめゆめ忘れませんように」
「…………」
教えの師でもあった師長からの言葉が、学術書の詰まった高壁よりも重厚に思い返される。
ーー「このまま修道会に勤めるも良し、独立するも良し。明日までに答えを聞かせてください」
「…………」
フードは、今は被らない。それは命へ向き合う際に、救いたいものをよく視るためのものなれば。
そう。内心ではいくらウキウキと心躍っていても、浮かれたりしてはいけないのだ。
「…………バンザイ、です」
しかし、まあ……体を伸ばしながら、故郷の『喜び』のポーズを潜めるくらいはいいだろう。
ーーブッブゥゥゥゥゥゥ!!
「あっ」
……浮かれるあまり、道の真ん中でやらなければもっとよかった。
乙女は、魔導馬車に撥ねられた。
真白の新星が、岬を越えて大海原へと墜ちていった……。
○
ーー聞こえる?
ーー今、あなたの意識に直接話しかけている……
ーー……わけないでしょう。
ーーとにかく、あなたが眼を開けないと始まらないわよ。
ーー起きなさい。
「ーーふ、ぁ」
乙女は目覚めた。
塩水に湿った砂を散らしながら、瞬く間に跳ね起きた。
「ここ、は……」
そこは静謐なる岸辺だった。
異様に霧深く、黄昏とも暁ともつかない薄闇が天地に立ち込めている。
そのせいで、砂浜から続く枯れた大地は先まで見通せなかった。
「ーー極端ね。寝起きの良いこと」
「……クリスタル」
闇色の輝きが。灯台がごとく、浜の境界に聳えていた。
クリスタルが声を発していたのだ。
「体は治しておいたわ。骨折、内出血、その他の不調は無い? 私のこともその眼で見えているわね?」
冷厳なる口調はともかく、声の感じは乙女と同年代ほどの少女のようだ。
「はあ。おかげさまで……?」
「それはなにより」
そういえば。魔導馬車に撥ねられたうえに海へ落ちたはずだが、立ち上がった乙女は傷一つ無かった。
「じゃあ基本から確認していきましょう。足を交互に動かして移動、強く動かせばダッシュができるわ」
「……喋るクリスタルさんに教えていただかなくても大丈夫です」
「たしかに私は歩くことすらままならない身よ。……けれども、この島から脱出したいのなら面倒でも話を聞くことね」
どこへ歩きだそうかとグルグル回っていた乙女は、クリスタルへ振り向いた。
「続けて……ください」
「調べたいものがあるのなら、近づいて手を伸ばしなさい。そうすれば答えは得られるわ」
……乙女は歩いた。
「……明日までに、師長へ進路希望を提出しないといけないのです。もし騙されているのならとても困るのですが、あなたは魔物か何かですか?」
「まさか」
まるで抱擁されるように静謐な、輝きへ。
「私は、ただの勇者よ」
「はあ」
ちょうど剥がれ落ちそうになっていた魔石の先触れへ、手を伸ばした。
「ユウシャって、なんですか?」
輝きが、深く、深く、繋がっていった……。
○
数ヶ月後……。
○
南エウル大陸、ベルアーデ帝国。
潤沢な鉱物資源によって一個の傭兵団から成り上がったこの国は、『黒金の国』と渾名される軍事大国だ。
大陸中西部の国々へ影響を及ぼしながら、帝国軍は世の安寧のため日夜奔走している。
一方。人々の平和のため、軍では手が届きづらいクエストを請け負う者たちがいた。
主に民間から人材を募った、国家直属の傭兵団とでもいうべき準正規軍。
それが、帝国騎士団だ。
「ーー開店は明日なんだろ? 気難しいヤツだったらどうするかな……」
帝都ベルロンド。歯車とゼンマイが色とりどりに回る機械仕掛けの街を、青年は朝も早くから下町へ向かっていた。
短めの灰色の髪。エウル人の面立ちから逸脱しない、どこにでもいるような青年だ。
白金色のごく軽いプロテクターと、『鐘と盾』の意匠があしらわれた記章から、騎士団員であることがわかる。
『てやんでぃ、引き受けたからにゃ文句言うなぃ。こんな外遊に出てなけりゃあ頼んでねぃのだわ』
「さっきまで忘れてたくせに」
青年の傍らには、手乗りサイズの妖精が浮遊していた。ラバースーツを纏ったボディに品種名と型番が刻まれている。
この擬似精霊……通称妖精……愛称フェアリーが若き女声を発していたのだが、それは彼女自身が喋っているのではなく念話通信だった。
『気張ってつかあさい! ちぃと前に引っ越してきたばっかの子ぉみたいだし、あること無いこと聞きつける前に契約しちゃいましょ?』
「そういうことするから街の噂になるんだろ」
切り替わった声はもっと幼い女声であり、いわゆるドワーフ弁が混じっていた。
『まあまあ、向こうにとっても悪くない取引になるはずよ。いま追加の注文メモも送ったけん追加してつかあさい』
「ん……受け取った」
ーー 新着Fメール 1件! ーー
フェアリーが吹き出しと合成音声で伝える。青年が念じるだけで、歩みに追従して虚空にウインドウが現れた。
強調表示された新着Fメールを開くと、ウエストポーチから取り出した注文書に文面を転記した。
『んじゃ、頼むぜぃ! ほはははははは!』
『第七隊の宣伝もよろしくね!』
「はいはい……もう切るぞ。また連絡する」
そうして通信を切り、人造の羽根持つフェアリーをホルスターの中へ戻したのだ。
「さて、と」
足を止めたそこは、グレートベルアーデ城(正式名)の聳える高台からもっとも遠いダウンタウン。
帝都を囲む防壁に沿って、数世代前の鉄筋建築が並んでいて。
「こんなアトリエ、いつの間に……」
数ある空き地の一つに、木造の可愛らしいアトリエ(工房)が収まっていたのだ。
一本の低木を思わせるそこには、『Ateliier』と看板が架かっていた。
「……『i』が一個多いぞ。アトリイエ?」
花を包んだローブ、なるシンボルが看板に添えられている。
つまり……白魔法師の魔術工房という意味だ。
飾り窓の曇りの向こう、霧がかったように人の気配があった。
「じゃ……邪魔するぞー……」
青年は恐る恐る、ドアを引き開けた。
……薬草の匂いが清涼感たっぷりに鼻先をかすめる。
そこは一間だけのささやかなアトリエだった。
並ぶは、薬品棚、魔術書架、錬金釜。
住まいを兼ねているらしく、奥にはベッドやクローゼットがひっそりと置かれていた。
「ーーいらっしゃいませ。アトリイエにようこそ」
「え……あ……?」
そしてアトリエの中心には、真白の彼女が立っていたのだ。
毛先を切り揃えた桜色のロングヘアー。
黒曜色の無表情な眼差し。
年の頃は青年と同じか少し下ぐらいか。極東ニフ国の民と見える乙女だ。
回復魔法学はもとより医学や薬学にも通じるハイクラスヒーラーの証、白魔法師のローブを纏っている。
ーー レベル1 白魔法師 ???? ーー
青年のフェアリーが顔を覗かせ、乙女の頭上に情報を表示した。
(……レ、レベル1ぃ? そんなバカな……)
「……? あの……」
「あ、ああ、わるい。開店は明日だって聞いーー」
「あっ」
「あっ?」
妙にギクシャクした一歩目で、乙女は蹴躓いた。
ーーブォンッ
大きな袖の中から、隠しきれなかったソレがすっぽ抜けた。
棒だ。
やたらめったら荘厳で、かつ、宝飾品の類いではなく実戦向きな設計の……、
ーー レベル99 祕退ヘルクラヴス ーー
(レ、レベル99ぅぅ!?)
……つまり、究極の棍棒だった。
「けざぉゅぶッッッッ」
青年の胸に、祕退ヘルクラヴスがクリティカルヒット。
ドアも窓も破裂させるほどの、衝撃波。
戸口から飛び出た青年はなおも宙を突き抜け、通りの反対側の売り地へ。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そして廃屋十数軒を倒壊させながら、巨大なクレーターを穿ったのだった。
しかも棍棒の特殊効果か、そこかしこから色とりどりの魔石が突き出してきて。
「ヒ……《ヒーリング》……!!」
ズザァァと滑り込んできた乙女が両手を重ね、回復魔法を発したのだった……。
(1話につき4部分構成の短編連作です)
(毎週月曜日、18時頃に更新中です)
(1話完結の翌週……つまり5週間に1回、次話の準備期間として更新にお休みを頂きます。よろしくお願いいたします)