Karte.tutorial(9.5)「みなさん、はじめまして」
神代は終わった。
人の栄華は巻き戻り、
精霊は世壊樹の虚へ下された。
しかし、世界はまた廻っていく。
聖女の願いからも外れ、空想は現実にまみれていく。
始まりは、聖歴1854年。
ある異空では『近世』と呼ばれた、世界が繋がりゆく時代……。
○
南エウル大陸、ベルアーデ帝国。
潤沢な鉱物資源によって一個の傭兵団から成り上がったこの国は、『黒金の国』と渾名される軍事大国だ。
大陸中西部の国々へ影響を及ぼしながら、帝国軍は世の安寧のため日夜奔走している。
一方。人々の平和のため、軍では手が届きづらいクエストを請け負う者たちがいた。
主に民間から人材を募った、国家直属の傭兵団とでもいうべき準正規軍。
それが、帝国騎士団だ。
帝都ベルロンド……歯車とゼンマイが色とりどりに回る機械仕掛けの街を、少し遠くに見やった街道にて。
「みなさん、はじめまして」
廻る、真白。
夕焼けから黄昏へと移ろいゆく、幻想的なる混沌の時頃だった。アスファルトで舗装された路に点々と歯車駆動の機工ガス灯が点いていき、そこに立つ彼女の影を長くする。
「ベルアーデ帝国騎士団第七隊、顧問白魔法師のイエと申します」
ーー レベル2 白魔法師 イエ ーー
毛先を切り揃えた桜色のロングヘアー。黒曜石を思わせる深い瞳。極東ニフ国の民と見える乙女だ。
回復魔法学はもとより医学や薬学にも通じる万能ヒーラーの証、白魔法師のローブを纏っている。
無表情な相貌には一見すると冷たさがあるが、その実、ふわりと花咲くような仕草に温かさを見せている。
「ネコ探しからチート処理まで、第七隊は公序良俗に反しないクエストならなんでも引き受けます。他で断られたお困りごと、解決策がわからないお悩みごと、お気軽にご相談ください……けふ」
と、そこまで淀み無くカンペを読み上げたところで、
「あぅえぅいぅ……息継ぎ、息継ぎを忘れて最後まで読んでしまいました……喉が、気管支が、肺が……げふげふん、っ、あううう……」
そこまで長文でもなかったのだが、膝から崩れ落ちて酸欠に震えた。
……彼女を撮っていた画面端に青年の手が見切れ、水筒が手渡された。
「ありがとうございますハルトさん、ごきゅごきゅごきゅ……はい、なんでしょう? ……あっ、ごめんなさい」
ぽへー……と一息ついていたイエは、画面越しに急かされてまた立ち上がった。
「今回、私たちは街道に現れた野生のリトルリトルと相対しています。帝都ベルロンドが近いこともあり迅速に対処しなければいけません」
ーールルェー
と。唸るような吼えるような咳き込むような、くぐもった鳴き声のほうをイエは手のひらで示した。
そちらへ画面がスライドしていけば、
ーールルゥゥゥゥエェェェェィ……
……全長8メートル以上はある魔物が、街道の上でぼんやりしていた。
タコの下半身、翼の生えた女の上半身、水かきまみれで全貌の掴みきれない頭部。ダンジョンに潜むボスモンスターと言っても通じるだろうおぞましき異形だ。
「ここまででぃ! 偽狂獣リトルリトル!」
その足元で、黄金の戦士が無駄にカッコつける。
いわゆる縦ロールなセミショートのブロンドヘアー。風になびいたその巻き髪の奥にハーフエルフの尖った耳が覗く。
長身のスレンダーボディに、これまた黄金色を基調としたバトルドレスを纏って。
ダイヤ色のシャベルを担いだ、絶世の美姫である。
「こいつを倒せば世界は救われるのだわ……いくぜぃおまえたちっっっっ……」
「いや、なんだよこの茶番!」
この茶番に堪えきれず、画面を撮っていた青年騎士ハルトはツッコんでしまった。
短めの灰色の髪。エウル人の面立ちから逸脱しない、どこにでもいるような青年だ。
白金色のごく軽いプロテクターと、『白』のゼノ文字があしらわれた記章から、騎士団員であることがわかる。
ーー 録画中 ーー
ーー REC● REC● REC● ーー
ーー シネミラージュレコーダー・マックス・ベータ 接続中 ーー
ーー フレームレート 8FPS ーー
ーー ブースト ーー
ーー フレームレート 16FPS ーー
ハルトが構えた砲のような魔導装置、活動写幻を撮影するためのカメラには手乗りサイズの妖精が搭乗していた。ラバースーツを纏ったボディに品種名と型番が刻まれし、擬似精霊……通称妖精……愛称フェアリーである。
「世界平和もなにも、リトルリトルはデカくて気持ち悪いだけで何もしない魔物だろ。好物のイホン貝で釣ってさっさと海へ帰してやろうぜ。……イエ」
「はいハルトさん、どうぞ。《インベントリ》」
イエが虚空に開いた収納魔法、暗澹と渦巻く次元の狭間からアイテムが投げ渡された。鱗の生えた本の形をした二枚貝、その網袋いっぱいの徳用パックだ。
ーールルゥェェイ
たちまち、嬉しそうに震えたリトルリトルがのっそりと動きだす。その威容に似合わない秒速30センチほどのマイペースで。
リトルリトルは種族『ソレ』系の魔物と酷似しているが、実は『深淵』系の大人しい魔物だ。隠しステータス『SP』へ攻撃してくることもなく、そのおぞましい姿は外敵から身を守るためのカモフラージュであるという。
そして大半の時を寝て過ごしているところ、たまに寝ぼけてとんでもない内地まで上陸してしまうのだという。
「しーっ……! ちょっとちょっと二人とも、台本どおりやってくれんと困るけえ!」
ハルトの足元からピョイと跳ねたちっちゃい影が、イホン貝を没収。リトルリトルを再び止まらせた。
「魔物に慣れてない一般の皆さんにはデカくて気持ち悪いだけで害アリでしょ。何もしてこんのも言わんかったらわからんわい……!」
「マリーの大ヤラセじゃないかよ……!」
赤銅色のラバーメイド……つまりゴム製メイド服を着た、幼女である。
いやパッと見は幼女だが。赤髪を貴婦人風のブレイドに編み上げた、出るところは出ているトランジスタグラマーな淑女である。
ーー レベル19 魔導技師 マリー・ベル ーー
そのミニマムボディと褐色の肌は、職工種族ドワーフの特徴だ。
『ガガガ』
ーー レベル26 妖精機シュネーヴィ ーー
彼女の手になる全長約2.5メートルの鉄巨人……ホワイトブリムを冠した鋼のメイドメカ、シュネーヴィが魔導機関によるエーテルスチームを蒸かす。
カノジョからエーテルを供給してもらっていたカメラを、ハルトは剛腕の上へいったん返却した。
「ほーっはっはっはっは、様式美というのだわ兄弟」
「おまえなあシェリス……」
「まあ聞くのだわ」
ーー レベル50 魔法戦士 シェリザベート・ハーフェン・ベルアーデ ーー
高笑いとともに歩み寄ってきたシェリスが、地に刺したシャベルへ頤を乗せてみせる。
「こういうのは最初の掴みが肝心なんでぃ。ものすごい敵にものすごいヤツらが立ち向かってよ、結末やいかにっ……ってとこで終わりゃ、気になった客がジャンジャンバリバリ大入りってぇ寸法なのだわ」
「少なくとも広報用の活動写幻のノリじゃないし、それで客が来るとしたら俺たちの頭が気になったからだよ……」
「んでもおまえ、こっから海まで徒歩で何日かかると思ってんでぃ……? マジでこいつを誘導してくのは辛いのだわー」
「知るか! 依頼取ってきたのはおまえだろ!」
「もうええわ。おおきに、ありゃあとやしたー」
「よくないわ! エルフ弁でごまかそうとすな!」
「ほははははは」
敢えて撮影していなかったが、街道にはまだちらほらと帝都への旅を急ぐ者たちがあって。徒歩の者も、機工車を漕いでいる者も、魔導馬車を引いている者も、皆一様に生暖かい目で四人を見ては通過していった。
ーールルゥ……
「ここが痛いのですか? ……あ、お待ちください、これは……《ヒーリング》」
一方、イエはリトルリトルのタコ足の合間へしゃがみこみ。滑る粘液も撥水エンチャント加工のローブのおかげでなんのその、自然治癒力を高める回復魔法を当てていた。
「おーい、そこ。また人の話を聞かずに何やってるんだ」
「ハルトさんハルトさん、こちらです。何か刺さっているみたいなのですが、手伝っていただけないでしょう、か……んんん~~にゅう~~~~……!」
「はいはい待て待て」
撮影方針を議論しはじめたシェリスとマリーを置いて。力みすぎて奇っ怪なモデル立ちのようになったイエのもとへハルトは向かうと、なるほどタコ足の合間に刺さった像のようなものを一緒に引いてやって……、
「よっと」
「あうっ」
あっさりと抜けたそれとともに、勢い余って『く』の字に吹っ飛びかけた彼女をキャッチ。
「なんだこれ」
「なんでしょう」
二人の手が握り合ったそのアイテムは、
ウサギの形をした木彫り像だった。
ーーチ、チ、チ、チ、チ
「「う」」
「「う」」
からかうような耳鳴りに二人とも、いや離れているシェリスもマリーも顔をしかめて。
と同時に、一つのイメージがハルトの意識によぎった。
それは極光の中の笑み……、
日食のように薄く笑う口元。
途端、
「「「「え」」」」
ーールッ
第七隊とリトルリトルは、地面をすり抜けて落下しはじめた。
「なあああああ!?」
地面の向こう側、それはもちろん地中であるはずである。しかしそこには何もなかった。
こんな何もない街道に地下空間があるはずもなく、
ウサギ像の目が赤々と輝くとともに、満ち満ちていた『地中』という概念そのものが消失していったのだ。
ただただ黒々と塗り潰された、何も無いという存在へ……『無』へと墜ちていく。
「最悪だ! なんでこんなとこにっ……チートアイテムじゃないかよ!」
ーー レベル523 ロップ・ドロップ・イヤー ーー
ーー 警告! 警告! ーー
ーー チートを検出! ーー
ーー チート! チート! チート! ーー
それは『救えざるもの(チート)』。世の理を変質させる歪みそのもの。
万物の最大レベルキャップである99を超え、逸脱し、道理を無視する力を得るに至ったバケモノだ。
「おいマリー、地面の中身はどこ行ったんでぃ? ベルアーデの地下にゃこんな大空洞が広がってたのだわ?」
「そんなわけないでしょ! 概念消失型のチートだわわわわっ……地面の中が消えたんじゃなくて、わしらから『地面』って概念が消えたんじゃあねえ!」
「解説してる場合かーーーー!」
そう、ほとんどのチートは世界そのものは歪めない。あくまでも人や物を汚染し……救えざる力を持たせ……ゆえにこそ、世界そのものを汚すよりもとめどない悪夢を吐き出すのだ。
「皆さん……! 大丈夫ですか……!」
「ほははははイエ子がいちばん大丈夫じゃねぃのだわ」
「イエちゃん回りすぎ回りすぎ!」
なぜかダブルラリアットのポーズで横回転……ではなく縦回転していたイエ。とうに制御を失っているらしい。
「ああもうおまえはぁ!」
「いつも恐れ入ります……!」
「ホントになぁ!」
ハルトは身を捩り、彼女を抱き留めた。
しかしその拍子に、ハルトの手にあったウサギ像が虚空へすっぽ抜けた。
(しまっ……!?)
あのチートアイテムの破壊を優先するべきだったか。しかし体が動いてしまったのだ、頭より心が働いてしまったのだから仕方ない。
ーー レベルダウン! ーー
ーー 白魔法師 イエ レベル1 ーー
ーー 《クラフトウィッチ》 ーー
だが。だからこそ、捨てる『光』があれば拾う『闇』もあるのだ。
「ーー……見ていられないわね」
イエのローブの胸元から闇色クリスタルのタリスマンが溢れ出ていた、
イエの内からタリスマンへと経験値が捧げられていた、
そしてタリスマンから、混沌なる闇が飛び出していた。
長すぎる髪と大いなる存在感を有した、少女の形の『闇』が。
光がまったく無い……あるいは光の影にできた漆黒ではなく。
それはやはり、黄昏か暁のような闇だった。
「お姉さん」
「アリステラ……!?」
アリステラ。たった四人しかいない第七隊の五人目にして、自称……精霊、あるいは『勇者』。
彼女は眼を開け、ウサギ像へ手を伸ばした。
ーーチッ、チッ、チッ、チッ、チッ、
たったそれだけで……チートウサギ像『ロップ・ドロップ・イヤー』は霧散したのだ。
薄く笑うように鳴り響きながら。『光』と『闇』のエーテルへと分解されていった。
闇色少女へ、『闇』だけが吸い込まれていった……。
直後、
「「「「え」」」」
ーールッ
第七隊とリトルリトルは、地面の中にいた。
(い、息、っ、土、っ、目が、っ、息、息ぃぃ……!)
型を取られたように埋まり、指一本動かせない。まばたきや呼吸一つで、目へと口へと土がなだれこんでくる。
「むぅーっ、むぅーっ、むっ、ぅ……」
抱き留めたままのイエの感触だけは伝わってきたが、やはり肺活量も最弱乙女なので酸欠になっていって……、
(こ……こんなところで終わってたまるかぁッッ……!)
ーー シークレットモード ーー
ーー レベル■■■ ■■■■■■■■ ハルト ーー
ーー ■■■スキル 《■■■■■■■■》 ーー
ーー ■■■! ■■■! ■■■! ーー
青年騎士は、空の右手に陽光のような輝きを迸らせて……、
「《 》」
しかし、その力よりも先に大いなる響きが降った。
瞬間、
見渡すかぎりの地中が崩壊した。
地中を構成するあらゆる物質が、エーテルレベルにまで一気に分解されたのだ。
『土』も。『水』も。『風』も。『火』も。かすかな『闇』を伴いながら彼方へと降っていった。
その中心なる虚空には、小さな小さな特異点が渦巻いていた。
『光』をも呑み込んで廻るソレが、闇属性の司る次元と重力により……あくまでもこの世の理に則った演算により、地中を崩壊せしめたのだ。
高次元の要素であるエーテルの演算と再構成により、願いを形となす方法……それは神代から世にありふれた『魔法』に他ならない。
しかしてこれは。エーテルの表音文字である『X言語』でも発音できない、人の身には認識できない、ただただ魂こそが理解してしまう御名。
「精霊魔法、ですっ……!?」
精霊魔法。属性の統括者そのものを一端ながらも降誕させる、劣化の無い力そのもの。魔法の一つの極地。
その中でも闇属性のそれは、この『星』の名を冠していた。
「あとはなんとかできるわね」
恐るべきことに、ついに特異点が消え失せるまでハルトたちには一切の被害が及ばず。誰もが地の底に尻餅を付いたものだが、その魔法の行使者だけが得物とともに降り立った。
ーー レベル99 御旗の槍 ーー
御旗……いや旗地をなびかせる槍を携えた、旅人の服姿の少女が。
「おやすみなさい」
長すぎる闇色の髪に秘されたその後ろ姿は、瞬く間に闇そのものへと戻っていった。
そして霧散とともに、イエの守護精霊はタリスマンへ還っていったのだった。
後には、土まみれになりながらも五体無事な第七隊と巨大魔物だけが残された。
……直下100メートル以上の縦穴が穿たれた街道の底に、取り残された。
「う~~ん~~……と、とりあえず出ましょっか! わしのシュネーヴィならこがーな穴ぐらいひとっ飛びじゃて!」
『プシュルー!』
「いや、うん、俺たちはそれでいいとしてもコイツは?」
ーールルェー……
「このまま埋めてやりゃクエストクリアだろぃ」
「ダメです……! あんまりなのです、なんとか出してあげましょう……!」
まあ。なんとかして出してあげたら……出してあげたからには、討伐ルートではなく捕獲からの送迎ルートになるのは目に見えていたのだが。
「えっと。……以上、顧問白魔法師のイエからお送りいたしました。第七隊へのご依頼をお待ちしております」
「もういいってそれは」
これがベルアーデ帝国騎士団第七隊。
依頼も、命も、そしていつかはきっと世界だって、『できる』こと全てで救ってみせるはぐれ騎士隊の日常だった。
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