表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
腹ペコ奥様へのおもてなしサンドイッチ
9/34

1-9

「それ、持って帰っていいよ」

 一つ、二つ。大きなサンドイッチをぺろりと食べた彼女を見て、膳子は笑う。自分用に作っておいたサンドイッチをアルミホイルに包み、彼女の小さな手に乗せた。

「え。でも」

「旦那さん、途中で帰っちゃったでしょ。それ一緒に食べて」

 戸惑うように、彼女は膳子の顔を見つめる。よく見れば化粧もどこか慣れていない感じがある。

 幼いその顔を見て、膳子はなんとなく妹を思い出していた。

 膳子の前では元気のいい妹が、もしこんな顔をしていたらと思うと、切ない。

「お腹いっぱいになったら、幸せになったでしょ」

 膳子は温かいアルミホイルに手を載せたまま、笑う。

 自分の立場に疑問を抱くときもある。過去を思い出し虚しく思うときもある。しかし料理をしている間は全て忘れることができる。

 確かに、誰かの腹を満たすのは幸せなことだった。

「なんで、私に、そんな」

「私も、いっぱい弟妹がいるの。妹のこと、思い出しちゃった」

 膳子は彼女の細い指を見つめてつぶやく。妹にも弟にも会いたい。

 昔は家に帰れば、すぐにでも会えた。今は会えない。丸い食卓を囲んでいた小さな影を、毎日今でも思い出す。

「お姉ちゃん……?」

「そう。お姉ちゃん」

「……いい、お姉ちゃんで、いいな」

 彼女は小さく呟いて、少し悔しがるような顔をした。

「それで今度は家でも旦那さんに作ってあげて。きっと喜ぶから」

「いいの……?」

「でもお店にも来て。店が潰れちゃ困りますので」

「……うん」

 幼い顔で彼女は照れて、そして笑う。

「またくるわ。あと……」

 彼女はなにか言いたげに、口を開きかけ……ピンクの唇をキュッと結ぶ。小さく首を振り、サンドイッチを抱きしめた。

「あ、ありが……とう」

 彼女は初めてみせる可愛い笑顔で、膳子を見上げる。そして去っていく背をみつめ、膳子は長い息をついた。

 ……今日はなんとも、長い一日である。

「おじいちゃんも、おいしい?」

「おいしい!」

 小西はまだ、幸せそうにサンドイッチにかぶりついていた。口の周りをビーフシチューとケチャップまみれにして、彼は笑う。

「……おじいちゃんもさ。死んでもいいなんて言っちゃ駄目だよ。だってたこ焼きじゃないものそれ。ちゃんと来ないと、エビ入りのたこ焼きつくらないからね」

「そうねえ。僕、奥さんにも会いたいけど、膳ちゃんにももっともっと会いたいもの。このお屋敷にもまたきたいし」

 口いっぱいにサンドイッチをほおばって、小西はしみじみとつぶやく。

「年を取ったらどんどんやりたいことがなくなって、小さくなって、そうして死んじゃうんだと思ってたのね。なのに、全然だめ。歳を取るごとに、どんどん我儘になっていくの」

「おじいちゃん、このお屋敷に昔から遊びにきてたの?」

 膳子もパンにかぶりつき、尋ねる。

 小西がこの屋敷を見る目は、誰より優しいのだ。

「そうよ。お店自体はここ三ヶ月だけどね。その前はずっとここはお屋敷で、大昔にはここに伯爵様が住んでいたの。もちろん、伯爵っていう身分は遠い昔になくなっちゃったけど、みんな伯爵様って呼んでたのよ」

 彼はキッチンの壁を見る。キッチンの水回りこそ改装されているが、壁や床は昔のままだと聞いたことがある。

 古い、古い建物だ。小西は昔からこの場所を知っているのだろう。

「僕のお家と関係があったからよく遊びに来ていたのだけど、そりゃ優しくていい伯爵様でねえ。よく舶来物のお菓子や文房具をくれたの」

 膳子はその伯爵様を知らない。そもそも支配人の過去も、この建物の由来もしらないのだ。

 すべてを知っていると思われる小西は、不意に口を滑らせた。

「ここの支配人は、その伯爵様に拾われて」

「……子爵様、それ以上は個人情報ですので」

 ふ。と、扉が音もなく開く。いつからそこにいたのか、支配人の細長い影が滑り込む。

 その声をきいて、小西は照れるように笑った。

「……うちもね、随分大昔は子爵のお家だったんだって。でも、そんな呼び方をするのは、もうこの人だけになっちゃったねえ」

 小西が丸い顔で支配人を見る。彼は困ったように小西にコートを羽織らせた。

「子爵様、運転手が泣きそうな顔で、あちらに」

「もう。仕方ないねえ。じゃあね、またね……膳ちゃん、支配人」

 頬を膨らませ、小西は丸椅子から飛び降りる。そしていつものように手をふって、勝手口から出て行くのだ。

「待っておじいちゃん……」

 追いかけようとする膳子の手を、支配人がつかんで止めた。

「膳」

「だって、おじいちゃん、病院がどうこうって……」

「心配なんてしなくても、あの人はまた来ますよ」

「へ?」

 支配人は扉を閉めながら、ため息混じりに言った。

「正確には、来週には来ます」

 支配人はいつも通りに涼しい顔。ただ眉間に疲れがかすかに見える。

「ただの人間ドッグです。毎年この季節に受けるようですが、毎回入る前にあんな風に大騒ぎして。数十年、ずっと同じ事の繰り返しです。今年もきっと大丈夫」

「はあ……?」

「でも、たこ焼きはいいですね。エビ入りはどうかとおもいますが……でも縁日メニューか……焼きそば、たこ焼き、あと、あのウインナーを衣に包んで揚げた……」

 支配人はぶつぶつと何事かつぶやいて、ポケットから小さなメモ帳を取り出す。細かな文字が刻まれたそのメモ帳に、彼はさらに何か書き足していく。

「アメリカンドッグ? あとはべっこう飴とか……季節外れですが、面白いですね」

「支配人」

 つぶやきながらも手にはステッキ、そして鞄。帰る準備を整える支配人を眺めながら膳子は思わずそのコートの端っこをつかんでいた。

 振り返る支配人の顔は、相変わらず端正だ。

 マダムたちを見つめるときのような色気は見せない。支配人が膳子に向ける顔は、いつも素の表情だ。

「なんでこんなお店しようと思ったんです?」

「恩人の遺志のようなものです」

「その……伯爵様っていう……」

「さあ、どうでしょう?」

 口元だけで笑って、彼はごまかす。近づけるように見せかけて、彼はけしてあと一歩を許さない。

 ロビーに出た彼を追いかけて、膳子は彼の顔を見上げた。

「……支配人」

 支配人は深く帽子をかぶり、ステッキをくるりとまわす。

「なんですか」

 口にしかけた言葉を飲み込んで、膳子は別の言葉を口にした。

「本名をお伺いしても?」

「帰ります」

 膳子の戯れを見事に無視して、彼はまっすぐ扉に向かった。

 豪奢な飾りの一枚扉が重々しく開かれる。

 扉の上に取り付けられた真鍮の鈴が、涼やかな音を立てる。

 扉の向こうから光が漏れる。ワインレッド色の絨毯に、外と中の光が共鳴する。

「戸締まりをしっかりして、明日は4組のお客様ですよ」

「はいっ」

「おつかれさま、膳」

 そして支配人の大きな手が、膳子の頭をなでる。

「膳。ほら、桜が咲き始めました……いい季節だ」

 彼は玄関先で、眩しそうに目を細めた。その視線の先は、洋館の隣に立つ桜の木。最近の温かい風に誘われて、1つ2つ、花が咲き始めている。

 遠く、海からは汽笛が聞こえる。

 支配人が扉を閉めれば、後は置き時計の刻む音だけが残される。

 おそらく、支配人が若い頃からずっと時を刻み続けた時計の音。

 壁に背中をおしつけて、膳子はその音に耳を傾ける。

 ……伯爵様という人も、きっとこの音を聞いたに違いない。

 時をこえて、自分がこの音をこの場所で聞いているのは、不思議なことだった。


「さて。明日も頑張りますかあ」

 骨董品のような室内を見上げて、膳子は深呼吸を一回。そして大きく伸びをする。

 ノスタルジックな気持ちに襲われたのはたぶん、この建物が見せた幻影だろう。

 明日からはまた、いつもの忙しい毎日がはじまる。

 しかし今日は昨日よりも、ほんの少しだけ心地よく一日を終えられそうだ。と、膳子は眠気のあくびをかみ殺した。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ