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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
腹ペコ奥様へのおもてなしサンドイッチ
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1-4

「今日はまた一段と冷えるなあ」

 ゴミ袋を手にした膳子は、勝手口を開けると一気に外のゴミ箱まで駆け抜ける。

 勝手口と言ってもこの屋敷の規模になればたいそうご立派なもので、ドアノブなどはピカピカに磨かれた真鍮製だ。

 最初は素手で触れるのも怖かったほどだが慣れとは恐ろしいもので、今では指紋が残っても気にもならない。

 ゴミ箱の重い扉をしっかりと締めた膳子は、冷えた手をすりあわせて欠伸を噛み殺す。

 その手の先に、細い雨の雫が散った。3月も終わりなので雪にはならないだろうが、ミゾレのように冷たい雨である。

「ああ、やだやだ。寒いのやだやだ」

 腕をこすりつつ顔を上げれば、赤く曇った空の下、佇む洋館が見えた。



 大通りから外れた街の隅。長い坂道のちょうど上に、この美食倶楽部……と名乗る洋館はある。

 坂道を降りた先には、黒い固まりが広がっていた。

 昼間であれば、綺麗な青が見えただろう。この坂道の下は、海だ。

 この屋敷は海の見える高台に立っている。

 建物は海風に晒されていい感じにアクの落ちた赤レンガ造り。扉は重厚な一枚板、ドアノッカーは歴史を感じる錫の獅子。

 遠くから見れば、尖った屋根や装飾の施された小窓なども見えるはずだ。

 地上に置かれたレトロなおもちゃ箱。それがこの洋館のイメージだった。



 建物の隣には大きな桜の木が数本。まだつぼみは硬いが先がかすかに赤く、冷たい雨に濡れて揺れている。

 こんな海外風の建物の隣に桜の花が植えられている和洋折衷感が、いかにも日本の洋館らしかった。

(たしか……大正生まれだったかな)

 膳子は冷たい壁をなでて、ぼんやりと考える。それならばこの建物は軽く100歳を越えている。

 壁に触れた人間は数え切れないほどいたに違いない。そんな建物の中で自分が今、暮らしている……それは不思議なことだった。

(やっぱり昔の建物ってやつは壊れにくいのかねえ)

 見れば見るほど立派な建物だ。もともとは財閥の別荘だったものだ……と、噂に聞いたことがある。

 膳子の人生とは交わりようもない立派な屋敷だ。そんなこの場所に連れて来られた日のことは、今でもよく覚えている。

(……寒かったなあ、あの時)

 膳子はポケットに入っていたスマートフォンの画面をトン、と叩く。

 画面に写るのは、幼い少年二人と少女二人に囲まれた笑顔の膳子。

 膳子の顔のちょうど目の位置に、雨の予報マークが見えた。

(そうそう、あのときも、ずっと雨マークだったんだ)

 膳子がこの屋敷に連れてこられた日。それは三ヶ月前のクリスマスのころ。

 膳子が前の仕事を失った、その1時間後のことだった。

「三ヶ月……かあ。案外あっという間だったな」

「……膳ちゃん、膳ちゃん」

 ぼんやりと建物を見上げる膳子に、不意に声がかかる。

 振り返ると、冷える春風に晒されて、一人の老人が立っていた。

「ん?」

 それは腰などすっかり曲がった老人だ。コートやマフラー、ストールで全身くるまれ、まるで雪だるま。そんな恰好のまま彼は無邪気に手を振っている。

「こっちよぉ」

 顔を隠すマフラーをずらせば、出てきたのは優しそうな好々爺の顔だった。

 それをみて膳子は飛び上がる。

「小西のおじいちゃん! ダメだって。またこんな所で私を待ってたりしちゃ……夜はまだ寒いんだから。運転手さんは?」

「こっそり車から抜けてきちゃった。膳ちゃん今日もね、おいしかったよ。ありがとうね。御礼をいいたくってね」

 彼の名は小西典箭という……名字は平凡なくせに名前が大仰でバランスが悪い。だから膳子は彼の名を偽名だと、そう思っている。

  このレストランを訪れる人間は皆、偽名を使うことを許されているからである。

 分かることといえば、彼はどこかのお金持ち。

 年齢はもう80近いはずだ。

 すでに仕事は引退しているようで、あとは死ぬまでの暇つぶし。と、いつか彼は膳子に語ったことがある。

 彼は膳子のことを気に入っているようで、こうして裏道に潜んで会いに来る。

 そのたび、彼の運転手は真っ青な顔で老人の影を探し、膳子は肩身の狭い思いをすることになる。

「あ。そうだ、おじいちゃん、ちょっと待ってて」

 膳子は慌てて裏口から台所へ駆け戻る。机の上にあるものを手に握って取って返すと、小西はまだそこにいた。

 白くて柔らかいその手の上に、アルミホイルの固まりをそっと乗せる。

「これ内緒だかんね。エビフライをパンに挟んだの」

「エビフライのサンドイッチ!?」

 膳子の言葉に小西の目がぱあっと輝く。まるで子供のような素直な反応に膳子は思わず苦笑する。

「ちょっと衣剥げちゃった上に私の夜食で悪いけど、はんぶんこしよ」

 アルミホイルに巻いてあるのは、あたたかいサンドイッチだ。

 細かく切ったキャベツを辛子マヨネーズで和えて、支配人には内緒で揚げたエビフライと一緒にふわふわの食パンに挟み込んだ。

 サンドされたパンはラップにくるんで馴染ませる……ここまでが、仕事中の内緒の副業。

 支配人を見送った後、大急ぎで鉄のフライパンを温めて、パンの表面をしっかり焼いたら完成だ。

 ただ焼くだけではない。背徳なくらいたっぷりのバターを使って、しっかり両面を焼く。熱々のうちにホイルでくるりと巻けば、バター滴るエビフライサンドの完成だ。

 一口噛みしめればバターの甘い香りが広がる、贅沢な夜食である。

「おじいちゃん、エビフライ好きでしょ。今日エビフライだったのにグラタンになっちゃってごめんね。あったかいうちに、お夜食で食べて」

 小西はエビフライが好きだった。エビフライだけじゃ無くエビが大好物だ。大事そうに腕の中に抱え込み、彼は幸せそうに微笑む。

「……うれしい。膳ちゃんのご飯美味しいものね。きっと、いいお姉ちゃんだったんだろうねえ」

 お姉ちゃん。その響きに膳子の胸の奥が痛む。

 アイスピックで突かれているような、そんな痛みだ。お姉ちゃん。いいお姉ちゃん。口の中で繰り返す。

 その響きは昔に聞いた家族たちの声となる。泣きそうな弟の声がそれに重なる。切なさに足が冷たくなる。

「いい、お姉ちゃん……だったら良いんだけど……」

「支配人のあの子もねえ。言い方は厳しいけど、きっと膳ちゃんには感謝してると思うのよ」

 膳子の呟きは小西には聞こえなかったようだ。彼は目を細めて屋敷を見上げる。

 古くて大きいばかりのその建物は、薄曇りの中でそこに立っていた。

 膳子はふと、支配人の顔を思い浮かべる。

 感情という物を持ち合わせていなさそうな、あの男の顔。

「それに今日は膳ちゃんが入って三ヶ月記念でしょ。だからお祝いに声をかけたの」

 道の向こうで遠慮がちなクラクションが響く。小西はハッと顔を上げ、サンドイッチを胸にしっかり抱き直した。

「あらら呼び出されちゃったねえ。膳ちゃん、ありがとうねえ」

 小さく丸い手を振り振り、小西は裏道をひょっこりひょっこり、歩いていく。

 その曲がった背と子供みたいな無邪気な顔をみて、膳子は溜息を吐いた。

 数ヶ月前には、想像もできない自分がここにいた。

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