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ようこそ、美食倶楽部へ

 事件はようやく解決……しかしその実感もないままに、膳子は仕事に忙殺されることになる。

 そうこうする間に、12月も暮れ始め、世間ではクリスマスだ。

 そして美食倶楽部にはもっと違う意味があった。

 それは、この世でもっともいたずら好きの伯爵様……彼の三回忌である。



「あのお坊ちゃん達、結構な窃盗団だったようですね。うちの店では大失敗こいてましたけど、犯罪歴はそこそこで、あちこちで盗んでたって。ここの手紙も親から盗んで謎の解明に勤しんでいたらしいです。例の琴原の奥様。彼女の悪いお姉さんと繋がって、ここから手紙を盗むよう指示したのも彼らだそうです」

 膳子はそう言いながら、台所の小窓からホールを見つめる。

「真相を知って、今頃怒り狂ってるじゃないですかね、あいつら」

 結局、あの人騒がせな手紙事件は、亡くなった伯爵様による自作自演だった。

 いつから用意していたのか、彼は100通にも及ぶ手紙にパズルの秘密を仕込んであちこちに送付した。

 目的はただ一つ。

 ここの執事たる山田。つまり支配人を飽きさせないため。

(まあ、伯爵様の読みは大当たりってところかな)

 膳子は小窓の隣に立つ支配人を見上げて思う。

 支配人の性格上、伯爵様が亡くなればこの屋敷を手放しひっそり隠居などをするはずだ。

 幸せな隠居ではない。悲しみの隠居だ、静かに沈めば沈むほど、彼は抜け殻になっていく。

 飽きる暇を与えなければいい。それが伯爵様の残した、支配人へのプレゼントだった。

「いい気味です。伯爵様は死んでなお、名を残しましたね」

 そんな小粋なプレゼントを受けた支配人は、漆黒のスーツ姿ですまし顔だ。

「膳。泥棒逮捕協力で、感謝状を頂けるそうです。良かったですね。表彰式にはちゃんとドレスを着て出てくださいね」

「でも叱られるのとセットですし、私、警察とあんまり相性良くないんですよね」

 二週間前、一粒の涙を見せた支配人はすっかり以前の雰囲気に戻ってしまっていた。

 あの事件のあと、膳子は詳しい話を聞く前に接客へとかり出されてしまったのである。

 あとに残された支配人と小西、静路の間でどんな話し合いになったのか、それは分からない。

 ただ膳子の知らない間に『クリスマスの日に伯爵様の三回忌を行う』という話ができあがっていた。

 それは湿っぽい三回忌ではない。

 いつもの美食倶楽部の食事を振る舞い、常連客も呼ぶ賑やかな三回忌。

 そして。

 膳子は支配人の見えないところで、拳を握りしめた。

(……たぶん、これが最後だ)

 手紙の謎はとけて、秘密も見つかり、犯人も捕まった。

 もう支配人が店を続ける意味はなく、きっと静路もそれは望まないだろう。

 つまり、この三回忌は閉店直前のパーティでもある。

「支配人……」

 小窓に頬をつけたまま、膳子は口を開きかける。

「なにか?」

 膳子は温かい台所を見つめ、首を振った。

「……いえ、なんでもないです」

 台所は暖かくも美味しい湯気に包まれている。

 今日は明け方から時間をかけて、様々な料理を作ったのだ。カレーもサンドイッチも、ナポリタンも筑前煮も、エビグラタンも。

 支配人の命じるまま、台所のコンロはフル回転だ。食材を余すことなく使うように、支配人は膳子にそう命じた。

(店を閉めるから、か)

 空っぽになった冷蔵庫の中身を思い、膳子はまた口の奥を噛む。そうしなければ、寂しさが口からあふれそうだった。

 寂しい。と、初めて素直に膳子は思う。 

 ずっと意地を張っていた。

 この店で働くのは、ただ金を貯めるのが目的だ。と思うようにしていた。

 しかしもうずっと前から、この屋敷が好きなのだ。美食倶楽部が好きなのだ。美味しいと笑ってくれる客も……嫌みのすぎる支配人のことも。

 そう思ったところで、どうしようもないのだが。

「そういえば……届きました」

 膳子の気持ちなど一ミリも気づかない顔で、支配人が小さな箱を小窓に差し込んだ。

 中を開けると……桐の箱に収まった包丁が一本。

 それは戸棚で見つかったさびまみれの包丁だ、と膳子は気が付く。

 包んでいた布を取り払うと、すっかり綺麗になった包丁が顔を出した。

「僕の知り合いに有名な画家の女性がいましてね」

「その人が? これを?」

「いえ、包丁は別のところで研ぎ直しを頼みました。画家の先生に頼んだのは、もう一つのほうですよ」

 包丁の入った箱の上に乗せられた封筒を引き出してみて、膳子は目を丸くした。

「……写真……と絵」

「先生のお弟子さんが修復師として活躍されてましてね。写真の修復を。修復師のお仕事の範疇からは外れてますが、お願いをしたところ、快く引き受けてくれました」

 黄ばんで汚れかすれていた写真は、すっかり元通り……とまではいかないものの、随分綺麗に修正されている。

 そして、それよりも目を引くのが、一枚の絵だ。

「さらにそれを元にした絵まで付けてくれました。もちろん、師匠の手も入っているでしょうが……どうです、見事でしょう」

 絵は、写真を元に描かれている。煉瓦づくりの美しい建物、優しい顔の伯爵様……その隣で目を尖らせる、少年。

 目つきも、服の皺も、影さえも、生き生きと光が満ちあふれている。

 写真がここによみがえった……全ての色彩が詰まっている。

「……僕は親を知らないんですよ」

 支配人が目を細めた。

「ある日、比喩でもなんでもなく……橋の下に捨てられていたようです。そして、伯爵様に拾われた」

 彼は壁をなでる。床を見つめる。屋敷のすべてに、思い出が染み付いているのだろう。

「屋敷に連れて行かれて、最初に食べたのがカレーです。伯爵様がこの包丁で作りました。それが、まずかった……ひどく、まずくて」

 目の皺を深くして彼は笑う。

「でも彼が好きなのはカレーに、ハンバーグに、ドリアに、筑前煮。伯爵様が作るとまずいので、僕が料理を」

「支配人が料理を?」

「ええ、しかし、まあ、師匠が師匠なので、出来は良くない」

 支配人が顎でしゃくった先にあるのは、小さな鍋だ。

 その中にはどろどろになった黒いカレーが沈んでいる。

 ルーはいれすぎ、野菜は煮詰めすぎ、玉ねぎは焦げ、冷えたマグマみたいに固まったカレーである。

「うわ……これ? 小西のおじいちゃんが作ったのかと思ってました」

 膳子の知らない間に、コンロにかかっていた鍋だ。小西のいたずらとばかり思っていた。あとで叱りつけようと思っていたのだが……。

「焦げてますし、水は少ないし、支配人、なんでこんな無惨な……」

「だから、店を出すなら伯爵様の好きな美味しい家庭料理……美食を出す、そんな店にしよう。犯罪予告の手紙を見たとき、そう思ったんですよ。伯爵様と僕で、敵に立ち向かう。それには伯爵様の好物だった料理を出す店がふさわしい」

 支配人は姿勢も崩さず膳子の顔をのぞき込む。

「しかしこれは全部、料理下手な伯爵様の仕込みだった。僕は結局踊らされていたわけです」

 絵の中の伯爵様はにこやかだ。春のひなたがほほえめば、こんな顔になるに違いない。

 支配人はその顔に、そっと指を乗せる。

「自分が死ねば僕が抜け殻になるんじゃないか。だから、暇を与えないように、ゲームを残していった……なんて見くびりもいいところです」

 支配人はもう涙を流さない。

「おかげで2年、楽しめましたけどね」

 そんな楽しかった2年が終わる。その裏を読んで、膳子のほうが泣きそうになった。



 夕暮れが過ぎると、店の賑わいはますます増すことになる。

「山田。知り合いを皆連れてきたわ。膳子さんのお料理が楽しみで、機内食は全部お断りしたの。おかげでお腹がぺこぺこだわ」

 そういいながら店に入ってきたのは、三條の声だ。

 その声を聞きつけて、まるで子犬のように久保田がホールの奥から駆けてくる。

「お嬢様……?」

 すでに目に涙を浮かべた久保田は三條の足下に滑り込むと、彼女の手をしっかりと握りしめる。

「お嬢様あ!」

「まあよく聞こえる耳だこと。ねえ、久保田、ここの方にご迷惑をおかけしてない?」

「お嬢様!」

「お嬢様、じゃわからないわ、久保田」

 にこにことほほえむ三條の後ろからは、黒服の男たちが続々と来店する。どれもこれも見たことがある……主にテレビで。

 彼らは親しい顔で支配人の肩をたたくとにやにやと、顔をのぞき込む。


「来てやったぞ大五郎」

「おい、大五郎、なんだか楽しい事をしていたらしいじゃないか」

「話を聞かせろよ大五郎」

「伯爵様の葬式のあとから、遠慮しやがって、水くさい」

 

 一斉にそんな言葉をかけられて、支配人は珍しいくらい渋い顔をした。


「大五郎、もっとお客様が来ますよ。準備は抜かり無くね」

「はいはい」

「大五郎。返事は一度ですよ」

 三條にまでその名前で呼ばれ、辟易と首を落とす支配人を見て、膳子は開けた口を閉め忘れたまま。

「え、まって、情報が多すぎる。だい……なんですって?」

「名前のことは忘れてください、膳。それより仕事ですよ、早く支度を」

 しかし膳子と目があった瞬間、彼はいつもの恰好に戻った。

 背をのばし、長い足で床を蹴る。

 そんな支配人を太ったマダムが捕まえる。

「ねえ支配人。年明けに予約をしたいんだけど……」

「申し訳ありません。現在、店の予約は受け付けておりません」

(やっぱり……)

 遠ざかっていく支配人の声を聞いて、残されたのは膳子の気持ちだけだ。

「ぜ~んちゃん」

 そんな膳子を、小西の丸い手が引っ張った。漆黒の喪服をまとう小西の姿は珍しい。しかしこの姿を見るのも最後だと思うと胸が苦しくなる。

「膳ちゃん。あとでねえ。あったかいサンドイッチ、食べたいなあ。久保田くんが送ってくれるから、ずーっと遅くなっても怒られる心配ないんだよ」

「お嬢様。そうなんです。今後、子爵様のお家で雇って頂けることになって……」

「まあ。うらやましいわ。子爵様のおうちは広いし、ゲームが沢山あるのよ」

 わくわくと声を張り上げる小西に、当然のような顔で次の転職先を告げる久保田。

 その声も空気も全てが虚しい。それは指の先から少しずつこぼれていく砂に似ている。

(みんな、離れていく)

 10年近く前に味わった思いだ。

 母も弟妹もみんなみんな離れていく。

 嫌だと言っても、駄々をこねても、誰も聞いてくれない。

 膳子から皆、離れていく。

 そして膳子は一人ぼっちになる。

 二度と味わいたくなかった離別の味が、喉の奥からじりじり迫ってくる。


「あ、でもお嬢様。子爵様のお屋敷勤めは春までの間ですけど。春になったらこの店に戻るので……」


「え?」

 久保田の声に膳子の心音が、一度跳ねた。

「久保田さん、春って……」

「膳。料理はできてますか、そろそろテーブルの支度をしなくては……」

 そんな膳子の腕を引いたのは支配人だ。

「外にもお客様がお待ちです。困りましたね、まだ開店の時間じゃないというのに……」

 彼は手にはメニュー表とトレーを持って、忙しそうにテーブルを整える。

「クリスマスは開店を一時間早めるべきでしたか? ほら、膳もテーブルクロスを整えて……ああ、膳」

 唖然と固まったままの膳子の体を下から上まで眺めて、彼はいたずらっぽく笑う。

「膳。やっぱり感謝状は貰ってきてください。ちゃんとドレスを着て、テレビも来るらしいので、そこで店の宣伝を」

「は?」

 ちん。とコップのふれあう音がする。テーブルの上には美しい什器の数々。綺麗なこの皿は膳子特製の料理を待っている。

 それを見つめて目を細め、支配人はにやりと笑う。

「店は来年の春にリニューアルします。せっかくなので、金庫にも机をおいて予約制に……あとキッチンも大きくしましょう。部屋もいくつか改装し、個室がほしいですね。あと、膳の隣の部屋にあなたの弟の部屋も」

「……え?」

 支配人の目線の向こう、そこには弟の姿があった。弟の友人たちも一緒だ。その後ろに、少し緊張した顔の叔母夫婦。

 弟は照れるように、誇らしそうに、小さく膳子に向かって手を振った。

「ああ、いらっしゃいましたか。今日は食事会にお招きしてます。あの弟さん、大学生になったら引き取るんでしょう? 違ってました?」

「い……え、引き取る予定ですが、店? リニューアル?」

「そして膳、あなたはリニューアル期間、僕の知り合いの店を回って、マナー講習をしてもらいます。この店を続けるための条件で、静路様がケチをつけてきましてね。ここのシェフがあまりにもがさつだと」

 いつもより口数の多い支配人は、足も止めない。

「そうだ。いただいた絵は玄関に飾りましょう。綺麗な額縁が必要ですね、早速手配を」

 テーブルを直し、マダムたちに頭を下げ、華麗にターンして、重いカーテンを開く。

 さっと滑り込んできたのは、屋敷を彩るライトアップだ。

 窓の外、光に包まれて客は列をなしている。

「支配人」

「それと、研ぎ直した包丁は、膳、あなたのものです。今夜はそれで夜食をつくりなさい」

 彼の目が細くなり、口がかすかにほほえみの形となる。

「……文句でも?」

「文句というか……あの……今後は大五郎さんって呼んでも?」

「支配人、でしょう」

 頭をこづかれたおかげで、情けない顔を見られずにすんだ。泣きだす直前の、そんな顔を。

 膳子は顔をうつむけ、テーブルクロスを直す。そして自分の手を見つめる。

 ……ここから落ちそうになっていたものは、再び膳子の手に戻ってきたのだ。


「すごく立派なお店ね……お料理も美味しいんでしょう?」

「もちろん」


 ふと気づけば店内には客であふれている。琴原夫妻も膳子を見つけて小さく頭を下げる。

 そんな人混みの中、支配人は背の高い女性に捕まって、胡散臭い笑みを浮かべていた。

「料理をふるうのはうちの自慢のシェフですよ」

「あったかい味がするんじゃない?」

 背の高い女はそう、言った。 

 それは柔らかく……懐かしい声だ。

 思わず膳子は顔をあげる。止め損なった涙が一粒だけ、床に散る。

 その音が聞こえたのか、どうか。

 女は一度だけ横目でこちらを見た。

 それは、青のドレスの似合う……膳子によく似た女。

 彼女は膳子と同じ顔で笑っている。


「私と私の家族が育てた味だもの」


「待って、支配人。今の人」

「あとにしなさい」

 走り出そうとした膳子の腕を支配人が掴む。

「膳。まだお客様が外に。まずは、お出迎えを」

 大きな手に捕まれて、膳子は廊下を引きずり出される。古時計がちょうど刻んだのは、18時25分。

 アンティークな時計の鐘の音は、高く高く、一度だけ。

 その音を待ちかねていたように、支配人が重い扉をぐっと押した。

 冷たい風、人々の明るい声に、うれしそうな笑顔。

 膳子も胸を張り、拳を握りしめた。


「ようこそ、美食倶楽部へ」 


 レストラン美食倶楽部。

 これが始まりの音になる。

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