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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
クリスマスミートボールと最後の真実
33/34

4-9

「ぜ、膳子さん! 僕! は! 後ろから追いかけるだけ、で……いいって!」

「ああ、ごめんごめん。ほんっとごめん」

「何も! しなくて、いいって!」

「急に予定変えちゃってごめんって」

「そんなこといって、反省してないじゃないですかあ」

 暗い迷路を抜け出す間、膳子の後ろに響いていたのは久保田の泣き声である。



「じぜ……事前にきちんと……せつ、説明していただかないと」

 彼はしっかりと膳子の手を握りしめたまま、小さく震えていた。

 久保田の性格上、きっと後でこのことを悔やむのだろうな。と膳子は考えて苦笑する。

「ごめんね」

 だから膳子は彼の言葉に反論せず、久保田の湿った手を握りしめたまま謝った。

 ……久保田をこの暗がりに送り込んだのは、膳子の作戦である。

 作戦は単純だ。久保田を先に入り込ませ、暗がりに身を潜めて男たちをやり過ごし、犯人の後ろから静かに追ってもらう。

 膳子では無理な仕事だ。支配人でも無理だろう。

 しかし、久保田ならできるのではないか、そう思った。

「あんな、あんな……あんなこと……絶対」

「あー。そうね……でもさ、久保田さんの特性を活かせるかなって」

「……特性?」

 暗がりにもすっかり目が慣れたおかげで、ぐちゃぐちゃに泣いている久保田の顔がよく見える。

 三條のお嬢様にバレたら叱られるな。と膳子は肩をすくめた。

「気配の薄いところ」

「膳子さん!」

 さすがは執事だ、と膳子は感心する。

 当初の計画では少し距離をあけて、男たちを捕捉してもらうだけでよかった。最後の仕上げに彼を参加させるつもりは毛頭なかった。

 しかし最終地点。

 久保田はまるで泥棒の5人目であるような顔で男たちの後ろをピッタリと付けていた。しかも男たちはそれに微塵も気づいていないときた。

 それが見えた瞬間、膳子の中に計画変更のアラートが響いたのである。

 『押して』と膳子の送ったメッセージを見ても、久保田は案外躊躇をしなかった。

 そして見事に、膳子の願い以上の働きをしてくれた。

「いやほんと、肝が据わってるし迷いもないし、実際は喧嘩向いてるんじゃない? 久保田さん」

 また久保田が何か叫びそうな瞬間、迷路は終了。

 淡い光の扉を開けると、まばゆいほどの光量が膳子の目を刺す。

 光の向こう、見えていたのは珍しく走り寄ってくる支配人と……あと一人、体格のいい男の姿だった。

 


「ちゃんと仕事についたんだな」

 真っ白な光の中、懐かしい声が聞こえる。それを聞いて、膳子は目をこすり、にんまりと笑った。

「ええ、こんな大きな店の専属シェフですよ。すごくないですか? 鬼瓦警部補」 

 膳子の姿を見つめて目を細めるのは、その名前の通り鬼瓦によく似た男だった。

 彼は古いトレンチコートの裾をはためかせ、膳子の前に立つ。

 警察を目指したガキの時から、これが勝負服だよ……と彼がいつか語った言葉を思い出す。

 彼は後ろに立つ男に何かささやく。ほんの1分もしない間に複数の男たちが現れる。皆、ただのスーツ姿だが動きが機敏だ。彼らは久保田の説明を受けると、頷いて扉の向こうに消えていく。

 それを見送り、鬼瓦は膳子の手に角のとがった名刺を押しつけた。

「一つ訂正させてくれ。もう、警部だ」

「おめでとうございます」

「あれから何年経ったと思ってる」

 ふと見れば、支配人も小西もそこにいる。客のにぎやかさは相変わらずなので、ホールの客は何も気づいていないのだろう。

 お客は皆、まだ楽しんでいる。それが分かって膳子はほっと息を吐いた。

「……警部補……じゃない、警部。どこまで聞きました?」

 こわごわと鬼瓦を見上げれば、彼は渋い顔をして膳子をみる。 

「シェフの仕事にしちゃ荒っぽい仕事をしてる、と聞いたくらいだ……おい、まさか怪我なんてさせてないだろうな」

「正当防衛ですよ」

 膳子の言葉に、彼は子供のような顔で笑った。

「良い顔になったな、おまえ。あのころに比べて。まあ性格は相変わらずだが」

 彼との出会いはもう数年も前。たった一度だけ。

 膳子が働いていた風営法違反のマンションに、警察が突撃してきたのは早朝のことだ。

 ちょうどそれは朝食の直前だった。目の前に突き出された黒革の手帖を見て、「ああ本当に警察は朝に来るんだな」と案外冷静に思ったのを覚えている。

「お前との出会いは、いきなりの罵声だったからな」

 鬼瓦警部の苦笑を見て、膳子の中に記憶が一気に蘇った。

 膳子は彼らに向かって怒鳴ったのだ。せめて朝食が終わるまで待ってくれと。

 もちろん、そんな要求が通ることはなく、全員そろってお縄になった。

 そして。狭い取調室でふてくされる膳子を見つめて、「ちゃんとしたところで働きなさい」そう言いながら泣いた男がいた。

 ……それが、彼だった。

「不安そうにしてただろう、あのとき」

 鬼瓦は膳子の頭を乱雑に撫で、涙もろい目に薄い滴を浮かべる。

「そんなこと」

「大人をなめるんじゃない」

 そして笑うのだ。

「本当に、いい顔になった」

 数年前のあのときも、こんな冷えた日だった。と、膳子はふと思い出した。



「あんな腕っぷしがいいとは聞いてませんし、警察と仲がいいとも聞いてません」

 つん。と甘苦い香りが鼻を突き、膳子は思わず苦笑を漏らす。

「オオゴトにしないようにしてくれて、ありがとうございます。支配人」

「それは子爵様の手配と、あなた懇意の警部さんの働きです……が」

 支配人は珍しく、戸惑うような顔を見せていた。

 いつも血色の悪い手は少し赤く染まっていた。強く拳を握りしめていたのか、白い皮膚に赤い跡が残っている。

「腕っ節はいいですよ。弟妹4人と風来坊みたいな母を抱えてたんで、この腕で」

「もうちょっと膳のことを調べておけばよかった」

「じゃあ雇わなかったです?」

「雇いましたよ、もう少し早く」

 支配人は肩をすくめ、そして膳子の頭をむちゃくちゃに撫でる。

「シェフを探して無駄に悩んでいた時間が、今から思うともったいない」

「で?……あいつら、なんて?」

 膳子は目を細めて、今はもう誰もいない迷路の入り口を睨む。

 迷路の中から男たちが4人、引っ張り出されたのは先ほどのことだ。

 彼らは体格のいいスーツに腕を捕まれて、顔面蒼白のまま迷宮から引きずり出された。

 膳子の顔を見て悲鳴を上げたが、睨むとおとなしくなる。

 そうして彼らは追い立てられるように、台所の裏口から消えていったのだ。

 鬼瓦の恐ろしい顔を前にすれば、昨日の暴行軟禁についても口を割るだろう。

 一仕事を終え、膳子は腕を伸ばす。

「あとは、手紙を出した犯人を……あいつらが知っていれば大団円ですが」

「あの人達は家に届いた手紙をコピーしてたみたいです」

 しかし支配人の言葉は残念なものだ。眉を寄せ、彼は一枚の紙を膳子に見せた。

 それは例の便箋……のコピー。ふれなくても分かる。色あせたそれは、四人組の一人が持っていたものだという。

「その一人、というのが政治家の息子さんですよ」

 支配人の言葉に膳子の記憶が揺さぶられた。春先にニュースで見た……それは政治家の汚職事件。

「ああ。汚職で」

 そして、夏には新聞で読んだ記憶がある。

「……一家離散した」

 汚職がばれて、一家離散した政治家。

 どんな家族でもバラバラになるのは寂しい……ニュースを聞いたとき、たしか膳子はそんなことを思った。

 今も、そう思っている。

「また、バラバラになっちゃうんだ」

「やる気があれば、戻りますよ。家族がそう望むなら」

 彼らの去った裏口を見つめ、膳子がため息を漏らせば、支配人が珍しく優しい声を上げる。

 ここは一応の解決だ。しかし、まだ解決しない問題がある。

「ただ残念なお知らせが。あのお坊ちゃんたちは、手紙の差出人を知らないとのことです」

 膳子と支配人は手紙に書かれたナンバーを見て、二人同時に顔を上げる。

「13番じゃ……ない」

 支配人は慌てたようにリストを見返し、眉を寄せる。

「23番。僕がすでに回収済みの手紙です。まだ見つかってないのは13番……」

「……支配人。じゃあ13番は」


「私が持っている」


 静かな風が吹いたのは、そのとき。

 きっと、名は体を表すのだ。膳子が料理を得意とするように。末晴が晴れ男のように。

「……静路さま」

 支配人の声が、静かな廊下に広がった。

「かしこまるな、お前にそう呼ばれると虫酸が走る」

 そして、床を杖で叩く音が響く。

 いつそこにいたのか。

 五条灘静路がそこにいた。



「13番」

 懐から彼が取り出したのは、白い便箋である。

 静路は開け放たれた迷路の扉を横目で見たあと、膳子を睨んだ。

「馬鹿は多く見てきたが、この娘ほど馬鹿な人間は初めてみた」

「膳は、馬鹿じゃないですよ」

 支配人は静路から手紙を受け取ると、ほほえむ。

「ただ突飛なだけです」

「静ちゃん。久しぶり!」

 二人の間にぴょん。と顔を出したのは小西だ。彼は顔を輝かせて静路を見上げる。

 静路は小西が苦手なのか顔を濁らせ、だれかを探すようにきょろきょろ首を動かす。

 ……きっと、昔から小西がくれば兄の背に隠れて過ごしていたのだろう。懐かしい屋敷の中では、古い癖がでる。 

「子爵様。ご挨拶は後に回して、まずはお仕事です。パズルの続きを」

「僕ねえ、実は昔からパズル得意なんだあ」

 13番の手紙を掴んで、小西がスキップするように台所へ駆けだした。

 キッチンの広いテーブルの上は、すっかり紙まみれになっていた。それは件の便箋だ。机に載りきらないものは、床にも広がっている。

 踏まないように気をつけて、膳子はそれをみた。真っ白で、インクの色は美しい黒。

 最後の一枚、13番を握ったまま、小西は床を、机を、あちこち見て回る。

 手紙の位置を入れ替え、首を傾げ、右に左に。 

(犯人が……送った) 

 膳子は真っ白な手紙をじっと見つめた。

 伯爵様の死後、関係者に一斉発送された謎の手紙だ。ほとんどの人間が相手にもしなかった。本気にしたのはごく少数だけ。それでも支配人はこの2年、この悪意に散々振り回された。

(悪意を持って送った?)

 心の奥に潜んでいた、もやもやとした気持ちに気づき膳子は首をかしげる。

 それは手紙を手に入れてから、ずっと膳子の中にあった。 

 しかしそれを気のせいだろうと、押し隠してきた。『こんな手紙を送る人間は、悪意を持っているはずだ』、その思い込みが、膳子のもやもやに蓋をしてきた。

(本当に、これは悪意のある行動?)

 膳子はテーブルの上の一枚を見た。

 不穏なことが書かれているというのに、嫌な空気は一つもない。タイプライターで打ち込まれたような画一的な文字は、なぜか温かみを感じる。

 手紙に触れた時に感じる違和感の原因を、膳子は初めて理解した。

 この手紙には、悪意がなさすぎる。

「伯爵様がパズル大好きで、よく作ってくれてたの。なんで思い出さなかったんだろう。なんかねえ、懐かしかったんだあ。小さい時、よく伯爵様と遊んでたから」

 小西はあちこちに手紙を動かし、線と線を結ぶ。

「……あ、とけた」

 やがて満足したように、彼は最後の一枚を床に置く。

 黒い線がくねくねと結ばれる。100枚の便箋、その空白に書かれた線が繋がり繋がり……それは一つの言葉に見えた。

「……文字?」

 静路が小西の体を押しのけ、それをのぞき込む。

「文字に見えるな」

「だ……?」

「みぎ……した」

 線をつなげただけの文字は、ガタガタ揺れて難解だ。支配人と静路と膳子、三人で顔をつきあわせ、眉を寄せる。

「たな……」


「わかった! 台所、右下。三つ目の棚!」


 飛び上がったのは、小西だった。

 彼はふくふくとした体に似合わない俊敏さで手紙をかき分けると、台所の棚を覗く。

「ここ!」

「おじいちゃん、ここ?」

 木でできた、重厚な棚。それはいつも膳子が料理をするときに、足下にあった棚である。

 据え付けの棚だが、がたついていて引っ張っても押しても開かない。間違えて開きかけ、舌打ちを打ったことは数え切れない。

「ここに宝が?」

「子爵様の解いた謎が正しくあっているとすれば」 

 支配人は静かに、そう呟いた。

 四人はまるで恐ろしいものを見るように、その茶色い扉を見つめる。

 支配人は眉を寄せ、指をぎゅっと握りしめている。

 そもそも最初から彼の目的は、手紙を出した犯人探しであり宝探しでも泥棒探しでもない。

 しかし、宝とやらを見つけることができれば、これまで謎に包まれていた差出人の意図が見えるはず。膳子はそう思い、つばを飲み込んだ。

 ……支配人にしては随分遠回りな道のりだったに違いない。

「もし、ここにあるとすれば、灯台下暗しですね。でもここ、がたついて開かなくて」

「開く」

 とん、と膳子の肩を静路が叩いた。

 彼は杖を手放すと、よろよろと床に座る。

 彼の人生で床に座り込むことなど、ほとんど経験がないはずだ。彼はそういうことを嫌う性格をしている。

 が、普段の生活を忘れたように、とりつかれたように、彼は扉に手を伸ばす。

「少し特殊な扉なんだこれは」

 彼は棚の扉に手を掛ける。動かないそれを、右に押す、左に押す。上に持ち上げ、そして……。

「何で、忘れていたんだ。私は」

 かたん。と軽い音を立てて、扉がはずれた。

「ここは、兄と私の宝物入れだ」

 冷たい空気が膳子の足を撫でる。棚の奥に詰まっていた数年分の風が流れたせいだろう。

 正確には、おおよそ3年ぶんの冷たい空気。

「これは」

 支配人がおそるおそる棚の奥に手を入れて、何か乾いたものを引き出した。

 茶色の紙に厳重にくるまれていたのは、すっかりさびてしまった古い包丁だ。

 その上には、真っ白な封筒が一枚、置かれていた。

「……手紙……」

 乾いた音とともに開かれた手紙には、美しい黒の文字が揺れている。

 柔らかく、流暢で、優しい文字。

 手紙の間から一枚、写真が滑り落ちる。

 ところどころが破れ、表面がこすれ、黄色く染まった写真だ。

「これって」

 膳子はそっとそれを手に取り、光にかざす。

 聞かなくても分かる。映っているのは、この屋敷だった。

 屋敷の前に立つのは、まだ若い伯爵様……その隣には幼い少年。

「馬鹿な人だ」

 ぽつりと、支配人がつぶやいた。

「これって……」

 幼いが端正な顔立ちの少年は、負けん気の強い顔でカメラを睨んでいた。

「うわあ。懐かしいなあ。これ山田だ。ここに来た日でしょ?」

 膳子から手紙を取り上げ、小西が叫ぶ。

 その声に、支配人の肩が揺れた。

「伯爵様が橋の下で子供を拾ってきたって、いきなり言って小さい子を連れてきてねえ……そうそう。静ちゃんに法律のこととか丸投げで、それで静ちゃん怒って。だからうちで一週間、山田を預かったんだよね。そしたら山田ったら子猫みたい暴れて。で、窓ガラス割って、深夜に伯爵様がその割れた窓から侵入してきて大騒ぎになって」

 昨日のことを思い出すように、小西がからからと笑う。しかし支配人はそんな言葉も聞こえていないように、手紙を凝視している。

「兄は昔からそういう人です、子爵様。あのときも私はあれこれ走り回って山田を引き取る方法を探って……山田といえば人の気も知らずに反抗的で」

 静路はため息をついて、写真を撫でる。

「でも、兄は言ったんだ」

 はらりと、支配人の手から手紙が落ちる。

 手紙の真ん中には"どうだい、飽きる暇もないだろう?”と楽しそうな文字が揺れている。

「……家族になる日に、人は写真を撮るべきだと」

 支配人は手紙が落ちたことにも気づかない顔で、震える指で、写真を掴む。

 若々しい伯爵様が屋敷を前に笑っている。これ以上ない笑顔で。

 隣に立つ少年は、伯爵様につかず離れず。背筋ばかりのばして、まっすぐ顔をあげて。

 思えば、支配人と出会ったのは、冷え切った雨の日だった。

 雨に濡れて、泥水を浴びてなお、膳子は顔を上げ続けた。

 幼い支配人は写真の中、同じ顔をしてそこに立っている。

「馬鹿な人です」

 その少年の顔の上に、一粒、支配人の涙が落ちた。

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