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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
クリスマスミートボールと最後の真実
30/34

4-6

「う……わ。エグいくらい人がいる」

「膳、言い方」

 膳子が思わずそう漏らしたのも致し方ないことである。

 時計が11時30分を回る頃、いつもは静かな屋敷の前が人々のざわめく声で満ち溢れていた。

 そっと扉の隙間から覗いてみれば、酸っぱいような冬の日差しの中、何十人もの人が列をなしているのだ。

 老若男女、恰好もバラバラ。しかし彼ら彼女たちは楽しそうにスマホを背景に写真を撮り、建物を見上げ……皆、揃って笑顔だ。

「支配人……」

 膳子は扉を薄く開けたまま、支配人を見た。

「大成功ですね」

 彼はニヤケ笑いをこらえるような、複雑な表情で唇をかみしめていた。

 

 

「久保田にお任せください!」

 客の姿を見て、大声をあげたのは久保田である。

 すっかり洋服を整え、髪を固めた彼はまるでホテルのドアマンだ。目をキラキラと輝かせて腕を叩く。

「お嬢様のお屋敷で、お客様の対応は慣れております! まずは皆さんに並んでいただきますね」

 胸を張る久保田は、今朝までのショボクレた犬のような雰囲気からは程遠い。

 彼は意気揚々と飛び出すなり、よく通る声を張り上げる。まるで牧羊犬が羊を整列させるように、黒山の人だかりはあっという間にきれいな列に生まれ変わった。

「膳、料理の支度は?」

「間に合いました。デザートとかは今からですけど」

 作る料理を頭の中で整理しながら膳子は答える。

 スイーツコーナーに並べるのはプリンと、寒天ゼリーだ。

 デザートのメインはクレープ。あったかいクレープは何枚も重ねておいて、横にホイップクリームやフルーツ缶、こしあんにカスタードなども置いておく。

 こうして客に好き勝手包んでもらうのだ。言ってしまえば手抜きだが、これが弟妹たちにはひどく受けた。きっと、客にも受けるだろう。

「取り急ぎ、作ってきますのでお客様はおまかせします。怪しい人がいたら呼んでください」

「結構……あーちょっとお待ちなさい、せっかくだからあなたもお出迎えを」

 立ち上がった膳子の腕を、支配人がぐっと掴む。膳子が着ているのは、すっかりよれよれになったコック服だ。この騒ぎでへたれて、とてもじゃないが人前には立てない。

「コック服、新しいのおろしてくる方がいいです?」

「着替えましょう。もっと、違うものに」

 服をつまみ上げて首を傾げれば、支配人が無理やり膳子を引っ張った。

 ……引っ張り込まれたのは、クロークスペース。ホテルではないのでそこまで本格的なものではないが、コートやかばんを預かる小ぶりなスペースだ。

 着替えもできるように、カーテンが垂らされた小さな試着室も用意されている。

「支配人?」

「今日はこちらを……三條様から一式が届いてます。久保田君が持ってきてくれました」

 そういって支配人が棚から下ろしたのは、上品な焦げ茶色の箱だ。金の縁取りで飾りが描かれたそれは、まるで羽根のように軽い。

「まったく。三條のお嬢様は変なところで勘がいい。今日の計画を、知っていたようだ」

 恐る恐る覗き込めば、海のような色合いの薄い紙……薄葉紙に包まれたシルクの布地が見える。

 箱に収められているのは薄葉紙と同じ、目にも鮮やかな青色のドレスだった。

 おっかなびっくり広げてみれば、すとんとしたシンプルなデザインで、足元まで隠れる。上品で落ち着いた……そして、とんでもない値段がつきそうな、一品。

 シックなグレーのハイヒールまでセットになっていた。

 胸元で合わせてみれば、膳子の腰のラインと足首のラインにぴったりと沿う。

 それを見て支配人が目を細めた。

「あなたへの、贈り物だと」

「……なんでサイズがわかるんですか」

「あの人は洋服のブランドを手掛けてますから」

 膳子はその言葉に三條の細い指を思い出した。彼女は「手が自分の目である」と膳子に語った。たしかに、あの夏の夕暮れ、三條の手は膳子の体に、顔に、触れた。

「お金持ちって……暇なんですかね」

「余裕があると言いなさい」

 膳子は長い溜息をつく。

「こんないい服、もったいないですよ。もっと……こう、特別な時においておかないと」

「今以上に特別な日はありますか?」

 支配人は膳子の背を試着室に押し込んだ。そうなってしまえば、狭い試着室に存在するのはドレスとハイヒールと膳子だけだ。

 がっくりと肩を落とし、渋々膳子はコック服を脱ぎ捨てる。汗を拭い、恐る恐るドレスに足を入れ……腕を通せば。

「うわ。つるつるする」

「もう少し女性らしい感想を、膳」

「だってつるつるするんですよ……こんなドレスとか縁なかったですし」

 何年かぶりに履いたハイヒールは、低めのヒールだというのに膳子の体をぐんと上に引き上げる。

 足先がきゅっと詰まり、体は不安定。しかしそのせいで姿勢がするりと伸びる。ハイヒールは勝負靴だとよくいったものである。

「こ……転けそう」

「膳ちゃん、こっちこっち」

 カーテンをめくると、小西の丸い手が膳子を掴んだ。

 今日はよく掴まれる日だと膳子は苦笑する。

「おじいちゃん? パズル飽きちゃった?」

「途中休憩だよ。何をする時にも休憩を楽しまなきゃ」

 彼は膳子を椅子に座らせると、いつも持ち歩いている大きなカバンを手元に引き寄せ、中から輝くような箱を取り出す。

 それはまるで玉手箱だ。しかし蓋を開けても煙も出なければ、ましてや老けたりなんてしやしない。

「ずっとね、一回、膳ちゃんにお化粧してみたかったんだあ」

 彼が取り出したのは、メイク道具一式だった。

 真っ白に輝くパウダー、色鮮やかなアイシャドウ、パステルカラーのかわいい箱に入った、まばゆいそんな塊は、徹夜明けの膳子の目に突き刺さる。

 サンドイッチを掴むのが似合う丸い指が、器用にブラシを操りふんわりと色を付けていく。まるで魔法のようだ。

 膳子は唖然としたまま、小西の顔を覗き込んだ。

「おじいちゃん、これ、おじいちゃんの……?」

「僕の家業、化粧品もつくるんだよ。きっかけはね、僕が奥さんの使う化粧品を作ってみたくって……ほら、昔からものづくりは好きだったし」

「子爵様のメーカー、結構大手ですよ」

 驚く膳子をみて、おかしそうに支配人が肩を揺らした。

「おじいちゃんの仕事って……」

 もっと危ない商売かと。と言いかけた言葉を膳子はぐっと飲み込む。小西の商売は出会った時からずっと不明瞭だ。不明瞭すぎて、ダークなイメージを持っていた。

「もっとスリルあふれる……お仕事かと」

 膳子の言いたいことに気づいたように、支配人が横から口を挟んだ。

「人はその一面だけじゃないんですよ。あなただって普段は勇ましいですが、金庫に入った時には随分困った顔をしてたじゃないですか」

「はーい、こっち向いてね膳ちゃん」

 立ち上がろうとした膳子の肩を、小西がぐっと掴む。小西がブラシを持ってニコニコ微笑むものだから、膳子は諦めて目を閉じる。

「すぐだよ。僕、慣れてるからね」

 まるで子猫のしっぽのような柔らかいなにかが膳子の顔を撫でた。小西の指が優しく肌の上を踊る。甘い香り、スパイシーな香り。様々な匂いと細かい粉が舞い散って、膳子は思わずくしゃみをしそうになる。

「いーって顔しないの、膳ちゃん」

「歯を食いしばらないように、膳」

 同時に注意を受けて、膳子は肩をすぼませた。

(ああ、この匂い)

 化粧の香りは別れた母を思い出す。母の使っていた化粧品はもっと安物の香りがしたが、人工物めいた百合の香りが湿るように夜の静寂に広がるのは、嫌いではなかった。

(懐かしい、匂いだ)

 いつもだらしない恰好の母だったが、時々は、甘い香りの化粧を嗜んだ。薄暗い部屋の中でだんだんと美しい顔が出来上がっていく。

 素材がいいからよ。と母はいつもそう言っていた。

 素材に手をかけ、色を付けて一つの食事が生まれる……化粧も料理も、根本は同じなのかもしれない。

 楽しくなるために母は化粧をした。

 喜ばせるために膳子は料理を作る。

「そういえば、クリスマスミートボールの別名、化粧前のサンタっていう別名があるんです」

 ふと、膳子はなにかの料理本で見かけた言葉を思い出す。

 クリスマスミートボールの話が載っていた本だったはずだ。

 クリスマスに子どもたちを楽しませる魔法の料理。今日、膳子が作ったその料理は、大きな器の中で出番を待っている。

「なぜ、そんな妙な名前が?」

「地味なミートボールの中を開けるとプレゼントっていうのが……」 

「意外性」

 支配人が何気なくつぶやくが、その言葉は膳子のどこかに引っかかりを残す。

「化粧品を使い慣れているおじいちゃん、弱気の支配人……私が化粧をする……」

 膳子は口の中で呟くが、小西の手が口紅を塗り始めたのでその声は途切れてしまった。

 今日は意外なことばかりだ。様々な意外性が、この屋敷の中で渦巻いている。

 それならば。

「案外、犯人も意外な人なのかも」

「はい、完成!」

 膳子の思いつきの言葉は、やはり誰にも聞こえかった。その前に、小西が嬉しそうな声を上げたのだ。

「わあ。膳ちゃん。かわいいねえ。やっぱりオレンジが似合うね」

「……ほう。馬子にも衣装」

 支配人が失礼なことをいいながら向けてきたのは大きな姿見だ。

 それを見て、膳子は目を丸める。

 疲れ果ててショボクレていた目元は薄いピンクに包まれ、頬は水彩画のように柔らかく染まっている。オレンジに近い淡い色の口紅に、ぴんと伸びたまつげ。

 ……まるで、母の生き写しだ。

 髪の毛がぴんぴん短いのは隠しようがないが、真っ青なドレスをまとった膳子は、驚くほど母に似ている。

 薄暗いアパートの一室で、弟妹に囲まれてはしゃぎながら化粧をする母は、化粧が終わるといつも姿見を見つめて微笑んでいた。

(なるほど)

 膳子のぎこちない笑顔はやがて、苦笑に変わる。

(親子だわ)

「膳子さん、すごい。女の人みたいです」

「26年間、ずっと女だったけどね、私」

 いつの間にか部屋に戻ってきていた久保田が恥ずかしそうに顔を覆うのを見て、膳子の肩の力が抜けた。

「膳、化粧とドレスが崩れる前にお客様のご案内と様子見を、そのあとはコック服に着替えていいですから」

 そんな膳子に、支配人が手を差し出す。

「手を貸してあげます」

「そんなにドレス、崩しそうですか? 私のこと信用できません?」

「料理の腕についてはともかく、ドレスの取り扱いについては、全く信用してません」

「じゃあ待っててください。キッチンに出しっぱなしにしてるクリームだけ、冷やしてきます」

 外は久保田が奮闘したおかげで、客の混乱は少しばかり落ち着いたようだ。時計を見上げれば、開店まであと少しだ。

 それを見て、膳子は急いでキッチンに駆け戻る。

「膳、ヒールで走ると転びますよ」

「なめないでください、体幹トレーニングはばっちりですよ」

 玄関から聞こえる雑踏から遠ざかり、廊下を抜け、キッチンの扉へ。

 あと一歩、踏み込もうとしたその足が、柔らかい絨毯の隙間に引っかかり、ぐにゃりと揺れた。

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