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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
クリスマスミートボールと最後の真実
29/34

4-5

 膳子が美食倶楽部に入って初めて作った料理はオムライスだった。

 流行りのふわふわタイプではない。

 しっかり火を通した薄焼き卵にチキンライスをくるりと巻いて、濃厚な赤いケチャップをかけたもの。付け合せはたしか柴漬けだった。

 ジノリの透き通るような白い皿にオムライスを乗せる時、ひっくり返りそうになったことを覚えている。



「蒔絵の器、信楽、相馬に瀬戸焼の皿まで……まあまたよく集めたものですね」

 食器棚を開き、膳子は長い溜息をつく。

 盗まれたり荒らされているのではないかと心配していたが、食器棚は時の流れを止めたように静まり返っていた。

 艶めかしい青色の釉薬が輝く焼き物や、ボーンチャイナ。この店の食器棚は息を呑むくらいいつでも美しい。

 泥棒はここには興味がなかったのだろう。手前の一枚だけ乱雑に横に避けられているが、傷一つない。それをみて膳子はほっと息を吐く。

 それを見て、支配人が少しだけ微笑んだ。

「食器は伯爵様の趣味ですよ」

 食後のお茶のセットはウェッジウッド、お菓子が乗るのはジノリの白。そしてドリンクが注がれるバカラのグラス。

 初めてみた時は度肝が抜かれた。大事に使われてきたものだと気づいた時には嬉しくなった。大事にされた食器はよく分かる。手に馴染むのだ。

 食器の目利きは、母が膳子に仕込んだ技の一つだった。学んで損をすることはない……特に料理に関わる物事については。そう言っていた母には、やはり先見の明があったのだろう。

 おかげで、ハッタリをかますいい武器となった。

「食器には詳しいんですよね、膳」

「高級料亭で働いてましたから」

 キッチンの片付けを終えて、最後の水拭きをする。ぎゅっと雑巾を絞り、膳子は長い長い溜息をついた。

「……っていうのは、まあ、嘘です」

「知ってます」

 勇気を振り絞ったその一言は、あっけなく支配人の声によって振り払われた。

 驚いて顔を上げれば目の下にクマを作ったまま、支配人は口ひげを呑気に触っている。

「あなたの年齢から逆算して、過去の仕事事情などを突き合わせれば、すぐわかりますよ。高校を3年の冬に中退と聞いていましたが……修行を積んで店を任されるなんて、計算が合わない」

「なんで、言わなかったんですか」

「聞いてほしくなさそうだったので」

 支配人は呑気にキッチンを眺めて、満足そうに頷いた。

「膳。コンロも綺麗に磨けましたし……これなら今から動けば間に合いますね」

 時刻は7時前。支配人の言う通り、今から料理を仕込めば、昼からの開店には充分に間に合う。

 しかし支配人の不意な言葉に動揺した膳子はボウルを派手に落とし、床で頭を抱える。

 寝ぼけヅラの久保田が慌ててキッチンを覗き込むが、支配人は憎たらしい程平然と「膳が落としただけです」などとうそぶいた。

「……じゃあ、なんで雇ったんですか。経験もなければ経歴も怪しそうな人間を」

「それは追々に」

 ふふん、と鼻で笑う支配人はこれまでの調子を取り戻したようだ。

 膳子は仕方なくボウルをきれいに洗い、肩を鳴らす。ここ一年、張り付いていた肩の重さがすっかりなくなっていた。 

 さり気なくついた嘘が、ずっと重荷になっていたのだ。

「……ここでバレてよかったですよ。嘘っていうのはどうも、自分には合わないようで」

「ところで膳はなぜ高校を辞めたんですか? 高校3年なんて、卒業まで後少しじゃないですか」

「あーそれは、まあ……追々に」

 意趣返しのように言い放つが、支配人は眉を一度動かしただけだ。

 彼はぽん、と膳子の肩をたたいた。

「では。料理は任せます。僕は久保田くんと、ホールの用意を」

「……支配人」

 膳子はノートをはらりと開く。そこには、ここ一週間で練りに練ったメニューが書き込まれている。

 筑前煮、鮭南蛮、味噌汁に……卵焼き、ハンバーグ。美食倶楽部を代表するようなコース仕立てでシャレにシャレた……。

 しかし膳子はノートを乱雑に掴み、思い切って破り捨てた。

「料理はコースをやめます」

「え?」

「席に固定じゃ泥棒側も動きづらいでしょう」

 太いマジックの蓋を口でくわえて、開ける。そして真っ白なノートに書き込んだのは……。

「ホールの机も椅子も全部取り払って、ビュッフェスタイルにしましょう」

 ノートに大きな鉄板の絵を描く。アツアツにした鉄板には野菜のバーベキューを。

 パエリア用の巨大な鍋もあったはずだ。それにはたっぷりのチャーハンを作ろう。

 寸胴鍋にはホワイトシチュー。大きな皿には、ソーセージソテーと、卵焼き。

 ……そして、真っ白なグラタン皿をいくつも用意して、そこに載せるのは……。


「メインは、クリスマスミートボール!」


 ミートボール。と書いた文字の上をペン先で、どん。と叩く。

「むかーし、絵本で読んだことがあるんですけど」

「膳が絵本」

「弟にですよ」

 膳子はキッチンを右へ、左へ。行き来する。冷蔵庫、食材庫。覗き込めば求めている食材は全部そこにあった。

「大きなミートボールをいくつも作ります。その中のいくつかにマークつきのおもちゃを入れておくんです。ハートとかスペードとか……それはプレゼントのマークなんです」

 状況が読み込めず立ち尽くす支配人を無視して、膳子は両手いっぱいに食材を抱え込んだ。

「そのプレゼントは部屋のどこかに隠された、同じマーク入りの箱に入ってます」

 冷蔵庫から取り出したのは、ひき肉、玉ねぎ、パン粉。卵に牛乳。

 そして、巨大な人参をひとつ。

「とはいえ、衛生的なものもありますしおもちゃを買いに行く時間もないので、中に入れるのは型取りした人参にしましょう」

 昔弟妹に弁当を作る際、いろいろな形で野菜をくり抜いたものだ。そうすると、野菜が嫌いな弟妹たちも喜んで食べた。

「型取り?」

「抜き型で形をくり抜くんですよ」

 膳子が棚から出したのは、花形、スペード、クローバー、ダイヤにハート。犬に猫の型抜き用の型だ。弟妹が幼い頃、これでたくさんの野菜をくり抜いた。

 家から飛び出す時、服も雑誌も全て捨ててきたのに、これだけは何故かずっと持ち歩いていた。

「まあ、そこで見ててください」

 輪切りにした人参をそれでくり抜き、湯で軽く湯がく。

 膳子は玉ねぎをザクザクと刻み、たっぷりのバターで炒めた。くったりと、茶色に染まって甘い香りが漂うまで。

「支配人はプレゼントの用意お願いします。大したものじゃなくていいです。コインチョコとか、何なら店の割引チケットでも。で、廊下や机の下やあちこちに隠します。で、自由にみなさんに移動していただく……全員が席に座りっぱなしだと犯人も動きにくいでしょう?」

「それだけスキがあれば、犯人も自ずと動く」

 ひき肉、すりおろした人参、炒めた玉ねぎ、卵にパン粉、混ぜてこねて、丸くする。その中に、そっと埋めるのは先程の型取り人参だ。形を壊さないように、そうっと。

 形を整え軽く揚げ……ドミグラスソースの中でしばらく煮込めば完成だ。

 茶色に染まる玉ねぎを見つめて、膳子はにんまりと笑う。

 大きな大きなミートボール。割った中から出てくる、様々な形の人参のくり抜き……きっと、みんな驚くはずだ。

「膳は悪巧みだけは天下一品ですね」

「味も最高ですよ。一回素揚げして、濃厚なデミグラスに絡めてますから。まあルーは市販のやつですけど」

「安上がりで、目立って、味もよし……理想的な料理です」

 膳子のノートを見て、支配人が薄く笑う。それはすっかりレストランの支配人としての顔だ。

「……そういえば支配人ってレストラン経営なんて初めてでしょう? 手紙の事件があって、店をやろうって思いつくのは簡単ですけど……どうやって店を始めたんです?」

「それはもう、毎日必死に勉強しましたよ。シェフは雇うにしても、ここの支配人を他人に任せるわけにはいきませんから。資格も取りましたし。僕は膳と違って勤勉なもので」

 喋りながらも膳子は大量の卵を大きなボウルに割り入れて、ウインナーには切れ込みを。

 時計を見上げれば、時は一刻一刻すぎていく。フルスロットルで動かないと間に合わない。

「それで身寄りのない私を雇うってなかなかの根性ですね」

「でもあなたはシェフでしょう?」

 に、と支配人は笑う。その一言に膳子の背筋が伸びた。

 憎らしいことだが支配人のこの言葉だけで、膳子の背はいつだってまっすぐ伸びてしまうのである。

「さて……お客様がいらっしゃるまで、あと5時間」

 支配人は腕時計を見つめ、襟を正す。

 久保田を呼び、あれこれと指示を出しながら、彼は不安そうに屋敷の天井を見上げる。

「計画はギリギリで変わりましたが、うまくいくかどうか」

「成功します」

 膳子は卵を混ぜながら、言い返す。

 ……きっと、この屋敷は危険なものの勝手を許さない。

 それは、ここに染み付いた伯爵様の気配がそうさせる。

「私の勘、結構当たるんです」

 焼き始めたウインナーが、膳子の言葉を肯定するようにパン。と激しく弾けた。

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