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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
クリスマスミートボールと最後の真実
28/34

4-4

 脂っこい湯気を上げる丼が四つ。

 それが猫足の洒落たテーブル、そして少しの染みも許されない真っ白なテーブルクロスの上に乗る。

 今後一生、こんな風景を見ることはないな。と膳子は苦笑した。



「膳……普段から、こういった食事を?」

 支配人が未知と遭遇したような声で、呻く。

 テーブルの上に置かれているのは、黒いスープがたっぷり注がれたラーメンである。

 丼に描かれた赤い中華模様はこすれて半分くらい消えている。

 丼の中には硬めの細麺に、油の浮いた醤油のスープ。切り損なって連結したネギに、分厚いメンマ。

 そして向こうが透けて見えるくらいの、チャーシューがぷかりと浮かんでいる。

 丼を持ち上げると、表面の油が虹色の輪っかになって揺らめいた。

 ……明け方に食べるには、最高すぎるラーメンだ。

「文句言う前にまず食べてください」

 膳子はラーメンを引き寄せながら支配人を睨む。

「奢りですからね。心して食べてください」

「すごいねえ。おじいちゃん、ラーメンってはじめてよ」

「私もです!」

(……セレブ共め)

 舌打ちの代わりに勢いよく割箸を割れば、残りの三人もおっかなびっくり箸を手に取るのだ。

「昔、職場の近くに小汚いラーメン屋がありまして。そこの店主が店が潰れて夜鳴きそばはじめたんです。ここで会ったのは偶然ですけどね」

 つんと鼻を抜ける甘い醤油の香りは、数年前の夏の夜を思い出す。

 風営法違反のマンション一室。そのマンションの下に入っていたのがこの店だ。

 うるさいほどのラジオの音と、効きすぎたエアコンの風、通り抜けていく車のライトがラーメン表面の油に反射していた。

「冷める前にどーぞ」

 割り箸にがっと麺を挟んで、一気にすする。

 膳子はこれまで、ラーメンは太麺派だ。腹持ちがよく、歯ごたえのある麺が一番いい。その頑固なまでの主張は、ここのラーメンに出会って大きくゆらいだ。

(うん、やっぱり深夜のほうがスープが濃くて美味しい)

 つるりとした麺に、濃厚なスープ。ちょっと体に悪そうなくらいのくどい味。

「おいしい!」

 小西と久保田が満面の笑みを浮かべ、麺を噛みしめる。その隣で支配人は複雑怪奇な顔をして、呻く。

「なるほど……油を多めにして……冷めにくくして」

 いいわけをするようにつぶやいて、そのくせ、手は止まっていない。

「スープの味をじゃましないように、チャーシューはあえて薄く……なるほど、考えられている」

 それは「おいしい」の証だ。それを見て、膳子はにんまりと笑ってしまう。

 部屋はあちこちボロボロで、犯人も取り逃した。

 外は寒くて体は痛む。眠っていないので、目だってしょぼしょぼだ。

 ……しかし、真冬のこの空気の中で食べる夜鳴きそばの味を忘れることはないだろう。と膳子は思う。

 秋に食べたカレーと同じだ。

 遅い時間に食べる食事は、記憶の深いところに残り続ける。

「この丼はどうするんですか?」

「明日にでも返します。はじめての客なら使い捨ての器ですけど、私は顔なじみなので丼をしばらく借りても文句は言われません」

「……なるほど、だから割れにくい、量産型の皿……」

「支配人はもう少し下界のお勉強をなさったほうが良いんじゃないですかね」

「……ああ。でもほんと、携帯電話に気づいてよかった。二人とも助けられたし、こんなおいしいお夜食食べれるなんて」

 体に悪そうなスープを小西はごくごくと飲み干した。

 相変わらず彼はどこにいても何をしていてもマイペースだ。それが金持ちの秘訣かもしれない、と膳子はメンマを噛み締めながら思った。

「ごちそうさま。膳ちゃん」

 小西が満足そうに笑うのをみて、膳子は首を傾げる。

「ところでおじいちゃん……最近は日が変わる前に寝ちゃうからお店にも来られないって、そう聞いてたけど……」

 最近小西はお見限りだ。その理由として支配人は『子爵さまは最近すっかり夜ふかしできなくなって……』などと言っていた。

 しかし今日は深夜のメールにすぐに気がついた、不思議なことである。

 そう言えば、彼はぷ。と唇を尖らせた。

「最近はね、お店終わった後に膳ちゃんに近づかないでって、口を酸っぱくていわれてるでしょ……この子に」

 ちらり、と恨みがましげな目で、小西は支配人をみる。

 支配人は気づかない顔をして、メンマに夢中である。

「そしたらね、お夜食を食べないでしょ。すると夜中にねえ、ひもじくって目が覚めちゃうの。夜遅くにお台所にいくと怒られちゃうし、でもおなかが空くと寂しくって仕方なくってね。そうすると思い出すのよ。ここの伯爵様のこと。伯爵様もねおなかが空くと寂しくって仕方なくなるんだって」

 まるで小西の言葉に同意するように、ぎしりと家鳴りがする。

「……そんなとき、伯爵様は本を読むって言ってた。それを思い出して、伯爵様の形見分けで貰った本を読んでいて」

「だからメールに気づいた、と」

「まあ結果的に、僕の采配がよかったというわけでしょう」

 支配人のさめた声が響き、膳子は肩をすくめる。落ち込んで見えたのは一瞬で、すっかりいつもの支配人だ。


「あのう……すみません。ずっと私、話が見えないんですが」


 濡れた子犬のような声をあげたのは久保田である。

 顔中を疑問符まみれにして、彼は困ったように首をかしげた。

「できれば、この久保田にも分かるように説明をいただけると……」

「それはこっちもだよ、久保田さん」

 ラーメンを丁寧に一本ずつ噛みしめる久保田を見て、膳子は笑う。

 彼の立場からすれば、何がどうなっているのか分からない事だらけだろう。膳子と支配人はあちこち走り回り、気づけば椅子に座らされてラーメンを食べている。

 執事という特性なのか、癖なのか、久保田の気配は驚くほど薄い。すっかり忘れていた、と言いかけたセリフを膳子はギリギリのところで飲み込んだ。

「久保田さん、お嬢様は?」

「解雇……されて……」

「解雇!?」

「あちらでは……私の仕事はあまりないようで……」

 黒目がちな目にぷくりと涙が浮かぶ。まるで母犬を失った子犬だ。彼はごしごしと目を拭うと、内ポケットから一枚の封筒を取り出す。

 支配人がそれを受け取り、慎重に中をのぞき込む…… シルクのようなその便せんには濃紺色の流ちょうな文字がちらりと見えた。

 久保田の言い様だとまるで打ち捨てられたように聞こえるが、便箋に書かれた文字は真摯で長い。

 捨てられたのではなく、手放したのだ。と膳子は思う。それは三條にとってどれくらい勇気を必要としたか、あの老女の手を膳子は思い出すのだ。

「紹介状だと……ここで雇っていただきなさいと」

「しかし、レストランは……」

「猫の手も借りたいんでしょう、支配人」

 言いよどむ支配人に口を挟めば、彼は渋い顔をして膳子をにらむ。やがて、「まずはトライアルで」と、苦々しくつぶやくのだ。

「トライアル初日がめちゃくちゃ忙しい上に徹夜明けなんて、かわいそうだけどね」

 膳子は汁まで飲みきったラーメン鉢を端に寄せて、久保田を見つめる。

「で、こっちの事情だけど……」

 さらりと語って聞かせたのは屋敷の秘密に、謎の手紙。支配人と膳子の計画。

 久保田は顔を青くして赤くして、目を丸くする。

 育ちがいいのか、三條の教育がいいのか。真っ白なテーブルクロスのように恐ろしく純真な男だった。

「あ、あぶないじゃないですか」

「でもキッチン、こんなことされたら、やっつけなきゃ気が済まないでしょ」

 膳子はうん、と伸びをする。ラーメンで胃が暖まり、話が終われば気が緩む。おそってきた眠気に、遠慮ないあくびを漏らせば支配人が眉を寄せた。

「膳、はしたない……ところで久保田君、解雇はいいとして、なんでこんな深夜に?」

「先程日本についたもので……あの、時間の感覚がちょっと……まだ22時くらいかと……」

「こっちは朝刊がもう届く時間ですよ」

 支配人の言葉に重なるように、どこかで音がする。その乾いた音に膳子の目が一気にさめた。

 それはいつも朝6時に投げ込まれる……新聞の音。

「うわ……めちゃくちゃ健康的な朝が来てるじゃないですか」

 玄関をそっとあけると、少しだけ空気が明るい。

 冬なので早朝、とまではいかないが空気に薄く青いものが混じりはじめ、空には鳥が飛ぶ。

 屋敷前の地面には、各社の新聞が束のようにつみあがっていた。

「……犯人が見つかれば雑誌も新聞も不要ですね」

 気づけば支配人が無表情で新聞を持ち上げる。

 まだ乾かないインクの香りが、膳子の鼻を刺激した。

「新聞や雑誌がやけに届くこと、不思議に思ってましたけど、まさかこれで犯人探しをしてたんですね。こんな所にヒントがあると思ったんです? 今や世界はインターネットですよ。新聞も雑誌も情報、古いでしょう?」

 膳子はなんとなく一部の新聞を持ち上げ、適当に開く……そこにあるものを見つけ、膳子の指が不意にとまった。

「ん?……」

 手から新聞が滑り落ち、冬の風に舞い上がる。しかし膳子は気にせず、真ん中の一枚を掴んで支配人の顔面に開いてみせた。

「膳?」

「支配人、これ」

 ぐしゃりと掴んだそこに載っているのは、パズルコーナーだ。なんてことはない、休日の時間つぶしのために設けられた遊びのコーナー。

 クロスワードパズルではない。ちょっと変わったパズルだ。散らばった線と線をつなげると、一枚の絵になる……。

「膳、全部出してください」

「はいっ」

 膳子は飛ぶように支配人の隠し部屋に飛び込むと、掴んだのは便箋の束だ。

 三條のもとに届いたもの、三條が集めたもの、支配人が集めたもの……その数、99枚。

 三條から最初の数枚を預かって以来、膳子はそれになんども触れた、なんどもひっくり返して眺め、いつかはあぶり出しでもしてみるしかないか。とまで考えていた便箋。

 文面も書かれた地図も全部同じ。唯一、異なっているのは……。

(……それが、ずっと、気にかかってたんだ)

 膳子は便箋の隅に触れる。そこには、不思議な線がある。


「これ、パズルだよ」


「子爵様?」

 便箋をのぞき込むなり、そう言い放ったのは小西である。

 彼は丸い指で便箋の端を優しく撫でる。

 そしてにこりと、膳子と支配人をみるのである。

「これってパズルだよねえ。僕の家に来たとき、変な線があるなあと思ってたけど……他にもあるなら、きっとパズルだよ。ここ、つなげていくの。僕得意なんだあ」

「お嬢様も……ずっとこの線を気にされてましたが……」

「なんでこんな簡単なことに……気づかなかったのか……」

 久保田も唸り、支配人が歯ぎしりする。それにかまわず小西は楽しそうに便箋を並べ始める。

 新聞のものは小さいが、便箋のパズルを解くには少々骨が折れそうだ。

「子爵様、お願いできますか」

「これ解けたら、また膳ちゃんに会いに閉店後、お店にいってもいい?」

「……もちろん」 

 支配人の背は、知らないうちにまっすぐにのびていた。

 跳ねていた髪の毛は綺麗に整い、いつものような意地の悪い顔が膳子を見つめてにやりと笑う。

「膳。どうです、新聞もときには役に立つ」

「さすが年の功ですね」

 だから膳子もいつものように嫌みで返す。

 屋敷はぼろぼろ、キッチンはずたずた。しかし、日常が確かに、二人の間に降ってきた。

 同時に、カーンと置き時計がいつもの朝のチャイムを鳴らす。それを聞くと膳子の背が自然にのびる。

 今日はいつもの土曜日ではない。

 ……いよいよ決戦の日なのである。

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