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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
クリスマスミートボールと最後の真実
27/34

4-3

「よかったぁああ」

「膳ちゃあん」


 扉が開いた瞬間、膳子の耳に突き刺さったのはそんな叫び声の二重奏である。

 


「うわっ眩し!」

 目を焼くような眩しさに膳子は思わず顔をかばう。

 ホールの電飾はコウコウと輝き、地面や壁に乱反射している。そして白い光が膳子の目を突き刺したのだ。

 薄暗い金庫室から出てきてすぐの目には拷問すぎる。

「お爺ちゃん!?……に……えっと」

 扉の前に立つ福福しい影は、小西だ。

 そして、その隣。もう一つ、背の高いその影は……。


「お久しぶりでございます、久保田でございます!」


 しゃきん、と音がしそうな勢いで、体を90度に曲げたのは黒いスーツをまとった男。

「みなさま、ご無事でなによりでございます!」

 爆音のような声も、その姿勢も覚えている……三條の執事である。

「膳ちゃん、膳ちゃん、怪我ない? 大丈夫だった? ひどいねえ、誰が閉じ込めたんだろうね、おじいちゃんがね、きっと犯人を見つけてあげるからね」

 小西が金庫室に駆け込み、膳子の手を握った。

 冬の温度を吸い込んだように冷たい手だ。

 唐突なる救出劇に膳子は言葉を失った。その横で珍しく顔を真っ青にした支配人が飛び起きる。

「子爵様!?」

 小西はよほど急いでここまで来たのだろう。寝間着の上にガウン、さらにその上にコート、マフラーをぐるぐる巻き。という恰好で、靴さえ履いていない。

 それを見て、支配人が頭を抱える。

「朝で良いと……メールには書かせていただきましたが……」

「何言ってるの駄目に決まってるじゃない!」

 まるで聞かん坊の子供を叱りつけるように、小西の目がきりりと上がる。

「メール見てね、すぐに運転手を起こして飛んできたの。そしたらこの人が、玄関の前でウロウロしてて」

 小西が指差したのは、相変わらず90度に腰を曲げ続けている久保田だ。

 彼の後ろには巨大なスーツケースが転がっている。おそらく焦って落としたのだろう。まだコロコロと、キャスターが回っていた。

「お屋敷の玄関は開いてるし、声をかけても誰もいないし、窓は壊れてるし……だからこの人と一緒に勝手に上がらせて貰ったんだけど……」

 小西が太い眉をぎゅっと下げ、久保田は泣きそうな顔で膳子をみる。

「ぶ、不作法かとは思ったのですが、私がここに付いたとき、なにか……妙な方々がお屋敷から飛び出されて……もしや泥棒かと……そ、そうしたら、金庫の前に血、血が……」

 彼はふるえる指で地面を指さす。

 白い床には、派手に血が飛び散っていた。

 駆け込んでこれを最初に目にすれば、膳子でも焦るに違いない。

「も、もし死体になってたら、どうしようって、わ……私、こわくて」

「それでここの扉、無理矢理こじ開けたんですか? 扉の暗証番号は子爵様にまだお伝えしていなかったはず……」

 支配人が金庫の隣に立つ。その扉には、模様のような凹凸があり彼がそれに触れると、小さな音を立てて蓋が開いた。

 中にあるのは、いかにも電子的なキーボードだ。

 故障していないか何度も確認し、支配人は首をかしげる。

「たしか、5分くらい前に扉のキーが解除されるような音がしましたが……子爵様や久保田くんが開けられたのではなく?」

「いえ……扉、もう開いてましたけど……?」

「……っ! そういえば店は!?」

 ぽかんと目を丸める久保田を押しのけ、支配人は一気に駆け出す。彼はホールの真ん中で足を止め、ぐるりと見渡す。

「膳、ホールは?」

 支配人に言われるまでもない。膳子も立ち上がり、ホールに置かれた椅子と机を一つずつ触れて、軽く動かし、覗き込む。

 テーブルセットは全部で10。

 椅子も机も盗まれず壊されていないことに、ひとまずは安堵する。

「……一部倒れてますが、概ね無事です」

 金庫室に近い机だけが一つ、横倒しになっていた。そのせいで、上に乗せておいたフォークなどのカトラリーが地面に落ちている……犯人がぶつかったのか、わざと落としたか。

 そして床に落ちたテーブルクロスが踏みつけられ、黒い足跡が残っている。

(やっぱり犯人は素人か……)

 白いテーブルクロスに残る足跡を見て、膳子は目を細めた。

 今どき、ズブの素人でもこんな失態はおかさない。

 なにもかもが複雑怪奇で、喉の奥に引っかかりを覚える。それは夏、三條から屋敷で起こっている事件を聞いて以来、ずっと続いている違和感である。

 ……忍び込んできた犯人は明らかな素人。

 しかし裏で手紙を送った犯人は、慎重かつ大胆。

(どっちの犯人像も、違和感があるんだよなあ)

「膳、邪魔です」

 室内を見て呻く膳子を支配人が押しのける。

 彼は乱れた髪を直すことも忘れてあちこち飛び回り、確認していた。壊れていないか、なくなっていないか。

 それは執事として当然の心配だろう。

 しかしそれよりも……。

(すっかり美食倶楽部の支配人の顔、なんだよなあ)

 吹き出しそうになる顔を叩き、膳子は眉をきゅっと上げる。

「膳、音響室は?」

「鍵、閉まってますから大丈夫です」

「キッチンは……」

 支配人は年齢を思わせない俊敏さで、キッチンに駆け込んでいく。

「支配人」

 ……目的を達したら店、閉めるって言ったくせに。

 追いかけながら膳子は思わず漏れそうな言葉を必死に飲み込んだ。



「膳……」

 キッチンにたどり着いた膳子は、小さく息を呑んだ。

 たった数時間前、このキッチンには美味しい香りの筑前煮と、混ぜご飯のための焼き鮭、ハンバーグだねが用意してあったはずである。

 それが今、大半がひっくり返された姿でそこにある。

 コンロに足をかけて上の棚を覗こうとしたのか、コンロの上の鍋は床に落ちて筑前煮が飛散。

 机の下にある床下収納庫を秘密の扉とでも勘違いしたのか、机は蹴り飛ばされ、上に乗っていたハンバーグだね入りのボウルは哀れな姿で床に転がっている。

「……食事を床に落とすなんて許せない」

 無残に床に落ちた料理を見つめて、膳子はぎりりと歯を食いしばった。

「犯人が見つかったら、一人頭三発殴ります。ハンバーグと、焼き鮭と、筑前煮の分です」

「うち一発は僕に譲ってください……で、膳、食材は?」

 膳子は冷蔵庫を覗き、床下の収納庫の扉を開く。

 幸いなことに肉に野菜、乾物などは荒らされていなかった。

「大丈夫です。床に落とされた分は少し買い足さないとですが……その前に掃除して、片付けしないとキッチンが使い物にならないですね」

「ひどい……泥棒が入ったの?」

 おずおず、と小西が膳子に声をかける。久保田はキッチンの惨状をみて、しゅんと肩を落とした。

「お屋敷から飛び出してきた人が犯人だったんでしょうか……私が捕まえておけばよかったですね」

 散らかったキッチンは、人を暗い気持ちにさせるのだ。

 小西も久保田も寂しい顔で、その惨状を見つめる……そしてもう一人、支配人も。

「……彼らは目的を達したんでしょうか」

 あちこちを探っていた支配人がようやく足を止め、長い溜息をついた。

「それとも見つからず逃げた? どっちにしても、あれだけ大胆なことをして……もう一度来てくれるかどうか」

 膳子は金庫室に閉じ込められていた時刻を逆算し、唸る。

 時刻はまだ明け方にもなっていない。だというのに、犯人は久保田が来る前に逃げ出している。

 目的のものを見つけて逃げ出したか、彼らの中でなにか不測の事態が起きたかだ。

 支配人は細い肩をすとんと落とし、力なく椅子にへたりこむ。

「1年にわたって罠を仕掛けて……こんな茶番劇まで用意して。犯人を待ち受けていたというのに」

「支配人」

 膳子は拳を握りしめた。支配人の落胆が膳子に伝わる。

 彼は伯爵様の死後、犯人逮捕にすべてをかけてきたのだ。

 手紙をばらまいた犯人を見つけ出すのは困難だ。だがこれを信じて泥棒に入り込むバカがいれば、黒幕の姿がわかるかもしれない。

 それは細い細い、頼りない蜘蛛の糸レベルの繋がりだ。しかし、それが唯一の繋がりでもある。

 その繋がりはいま、ここで断ち切れた。

「どうしちゃったの。二人とも……泥棒さん、逃がしたのが悔しいの?」

 小西が気遣うように支配人と膳子の顔を覗き込む。

「でもまた来るんじゃない?」

 のんきな小西の声に、支配人と膳子、二人が同時に顔をあげた。

「おじいちゃん?」

「ここのお屋敷ってね、いーっぱい、隠し扉があるじゃない? それね、開け方にこつがあるのね。一生懸命開けようとした跡はあったけど……今調べたら一個も開いてなくってね」

 小西は相変わらず布袋様のような笑みを浮かべ、膳子たちを廊下に誘い出した。

「昔ね、伯爵様は言ってたの」

 彼は何もない壁を撫でる。

 赤色の壁紙が貼られたなんてことない、壁だ。しかし足元には幾度も蹴ったような跡が残っている。壁には爪を立てたような跡も。

「ここをね……」

 小西は地面に座り込み、壁を三度、叩く。

 ……何もない壁がカタリと動き、まるで魔法のように薄い扉が出現した。

「開きそうで開かない扉、よそからは見えない扉。どれも魅力的でしょう?」

 小西は満足そうに胸を張り、にまりと微笑む。

「すごく魅力的だから、開けそこなった泥棒はきっと二度来るよって」

 支配人は小西を押し退け、扉の向こうをのぞき込んだ。

 そこは真っ暗で……狭い部屋である。

 カビの香りと、埃のにおい。数年分の年月が閉じ込められたにおいだ。

 膳子はくらくらする頭を押さえる。どうにも金持ちの考えることはよくわからない。

「……こんな部屋がまだいっぱいあるってこと?」

「そうよ。ここはハズレの部屋って呼んでたの。ほら、どん詰まりで何もないでしょ。でもほかの部屋に繋がる部屋とか、暖炉から奥にいける部屋なんかもあってね。昔はねえ、クリスマスとか誕生日にね、色んな部屋にお菓子を隠して、みんなで探検ごっこをしたんだよ」

「子爵様。それは本当ですか」

 支配人の白い額にほどけた前髪がはらりと落ちる。

 恰好を気遣う彼にしては珍しい。

「お前だってお部屋いっぱいあるのはよく知ってるでしょ? 一緒に探検したじゃない」

「泥棒は二度来る、のほうです」

 しかし支配人の目はらんらんと輝いて、まるで獣のようだ。

 ……まだ、彼の目はあきらめていない。

「そうねえ……」

 小西はきょろきょろとあたりを探ると、廊下の一角で足を止める。

「久保田くん、これなんだとおもう?」

「テープ……にみえます」

「推理小説でありがちだよね。テープとか髪の毛とめておいて、誰かが開けないか確認するの。犯人のマーキング」

 小西の横に並んで腰を落とせば、彼の言う通り、壁には不自然な位置にテープが貼られている。

 他の場所より、ここが一番足跡の数が多い。

「ここにも隠し扉があるって、なんで泥棒さんわかったんだろうね」

 ……開けようとしたが、開かなかった。テープに触れ、膳子は支配人を見上げる。

「膳」

 支配人の視線が交錯し、やがて同時に頷いた。

「……もう一回、来る」

 同時に言葉を放ち、膳子は勢いよく立ち上がる。

「ぜんっぜん、終わってないですよ、支配人」

「片付けをして、料理の準備です。間に合いますね、膳」

「了解です……が、支配人。腹が減っては戦はできぬです」

 ぴん、と手を挙げ膳子は支配人を見た。怒りと焦りと全てがごちゃまぜとなって、最後に襲ってきたのは空腹である。

 同じく空腹だったと思われる支配人も、その感覚を思い出したように忌々しく呻く。

「膳、何か作りなさい」

「無理だって言ってるでしょ。この惨状で。ああ、そうだ夜鳴きそばかってきます」

「よなき……?」

 時計はカチコチ音を立てて進む。すでに時刻は4時半だ。のんびりしていると、昼の用意に間に合わない。

 膳子は皆の回答を待たず、屋敷を飛び出す。真冬の痛いくらいの風が膳子の顔を殴りつけ、体の芯が一気に冷えた。

 冬の空気は特別だ。空気や風が容赦なく人の体に突き刺さる。この時刻は海の方から風が吹き上げ、潮っ気の混じった空気が余計に冷たい。

 しかし気にせず、膳子は駆ける、駆ける。

 振り返れば赤レンガの建物は、いつものようにそこにあった。

 12月の明け方。まだ光もない闇に照らされたその中では、支配人が血を流しているしキッチンはぐちゃぐちゃ。ホールだって荒らされた。

 それでも、勝てる。膳子はなぜかそんな気がする。


「大丈夫、守ってあげるから」


 膳子が駆け出したのは坂の下、公園のそば。

 公園入口の隅っこに今時珍しいリヤカー式の屋台を見つけて、膳子は全速力ですがりつく。

「よかった! 間に合った」

 表に釣った赤ちょうちんはもう光が落ちているが、油の染みた暖簾の向こうにはまだオレンジ色の照明が灯っている。

 使い込まれた寸胴鍋には煮詰まった黒い色が揺れ、隣の大きな鍋には濁った湯がグツグツと沸いていた。

 黄色の中華麺がザルに打ち上げられ、冬の空気に揺れている。いち、に、さん……と残りの麺の数を数えて膳子はにまりと笑う。


「おじさん、夜鳴きそば、4つ!」


 脂っこい湯気の向こう、馴染みのおじさんが歯欠けの笑顔を見せてくれた。


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