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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
泥棒騒ぎに膳子特製秋風カレー
20/34

3-4

「では、膳」

「ええ、戸締まり用心、火の始末。お任せください。もう慣れたもんですよ」


 謎の男に三度目の襲撃を受けて10日後、その23時。

 膳子は平然とした顔で支配人を見送っていた。

 いつものように支配人を見送った膳子は、部屋に戻るふりをして足を止める。

 地面はふかふかの絨毯だ。足音を忍ばせるまでもないが、念には念を入れて静かに玄関まで戻った。

 冷たい扉に耳を押し当てても、もう何の音も聞こえない。聞こえるのは振動するような置き時計の音だけだ。

 支配人は徒歩でどこかに帰ったのか、それとも車でも使ったのか……気配はもうない。

 それを見届けると膳子は自室に戻り、念の為に鍵をかける。もう一度耳を澄ませ、誰もいないことを確認し、そしてようやく長い息を吐いた。

 

「……よっと」


 膳子は、そっと机の引き出しを開ける。

 アンティークな机の引き出しの底には、密かに薄い板敷きがある。それを取り払うと下に白い封筒が隠されていた。

 机の中に隠しスペースがあると、教えてくれたのは三條だ。立ち去る前に彼女はいたずらっぽい笑顔で言ったのだ。

(……この屋敷はあっちこっちに隠し扉やスペースがあって、まるでからくり仕立てみたい……って本当、変な家)

 膳子は秘密の隠しスペースから封筒を取り出す。

 それは三條から預かった件の手紙のかたまりだ。

 ここに隠しておこう。と思ったのは、夏の終りに泥棒未遂を受けた夜のことだった。

 自分の命より先に手紙のことを心配したあの時から、膳子の気持ちは決まっていたのかもしれない。

「やるなら徹底的にやるからね」

 膳子はそっと便箋を引き出しひっくり返し、光にかざしてじっくり見つめる。

(二重になってるわけでもないし、暗号でもなさそう。火炙りは……最後にしておくほうがいいか)

 探偵小説などでよくありがちなトラップ的な手紙ではなさそうだ。ただの白くてきれいな便箋。紙質はいい。

 この紙質とこそ泥は、どうにも結びつかない。

(……なーんか、ここの線が気になるんだよね)

 便箋の内容ははんこで押したように同じ文面だ。

 ただ便箋の右や左、上に下。それぞれ不定期に黒い線が染み付いている。インクがあたった、というような一本線の時もあれば数本、交差して描かれていることもある。

 その線を指でなぞり、膳子は首をかしげた。

 同じ形ならともかく、手紙ごとに形が異なるのも不思議だった。

 何度見ても、謎は解けない。支配人に直接聞いてもはぐらかされるか、クビになるか二択だろう。まだその危険をおかすには早すぎる。

(……あとは)

 膳子は足を使って足元のかごを引き寄せた。

 支配人が見れば怒号が飛んでくるところだが、今この部屋には膳子しかいない。

 ここは膳子のためにあてがわれた8畳ほどの洋室だ。壁の設えやカーテンなども洒落たもの。

「よいしょっと」

 しかし膳子は気にもせず、カゴの中に入っていたスナック菓子とジュースを、洒落たテーブルに引っ張り上げた。

 真っ白な机にケバケバしいスナック菓子の袋は何ともアンバランスだが、誰も咎めない。23時から朝までは膳子だけの時間である。

(伯爵家は戦前まで伯爵の位を継いでいて……)

 膳子は輪ゴムで止めたスナック菓子の袋を全開にして、机の上に広げる。

 23時に摂るドロドロに甘いコーヒー牛乳に、スナック菓子。それは立ち仕事をする人間だけに許された贅沢だ、と膳子は思っている。

 湿気ったスナック菓子を口に放り込んだあと、棚から取り出したのは、一冊のノートと週刊誌の束だ。

 手書き文字をなぞり、膳子は眉を寄せる。

「五条灘瑞路……医者で、研究者で……生涯独身を貫いて……本邦でも指折りの、お金持ち。愛称は伯爵様」

 椅子に深く腰を沈めたまま、膳子はノートに書かれた文字を読み上げる。

 それはここ一週間の間に膳子が密かに調べた、この家の持ち主の経歴である。

 調査は難航すると思い込んでいたが、やってみると想像以上に簡単だ。

 伯爵様の本名など、屋敷名で検索してやればすぐ割り出せる。名前がわかればいくらでも調べようがあった。

 インターネットで裏をつかめない時には、図書館にも足を運んだ。

 図書館というのは有り難い存在だ。黄色くなった昔の週刊誌、雑誌、新聞、何もかも残っている。

 また、個人情報の観点が低かった時代のおかげで、伯爵様に関する様々な情報があっという間に集まった。

「あちこちに、彼の寄贈した建物が残され……多くが重要文化財」

 五条灘家といえば、家系図をたどると平安時代にまでたどり着くというご立派なご家系であるらしい。もちろん太平洋戦争後に伯爵という身分は泡と消えたが、家には土地や財産が山のように残された。

 しかし彼は、驚くほどあっさりと家督を弟に譲り渡したという。

 そして自分は医者として、研究者として生きることを決意した。

(美形なのに謙虚な男ってのは、腹黒いって相場が決まってるもんだけど……)

 膳子は週刊誌のコピーを見つめる。そこに載っているのは、社交界の貴公子と見出しのついた古い写真だ。モノクロだがそれはこの屋敷で撮られたもの。

 背の高い……顔の小さな青年が置き時計の前でポーズを決めている。

 それは廊下で毎日時刻を告げてくれる、例の置き時計だ。

「伯爵様は穏やかで、優しく、紳士的で、スマート……貴公子、ねえ」

 雑誌の記事はべた褒めだ。確かに伯爵様は二枚目俳優のように整った顔をしていた。

 ただ立っているだけで、妙に様になる。その顔に意地悪なところはなく、それが膳子にとってはむず痒い。

「……ん? あれ、こんなとこに扉なんてあったっけ……?」

 週刊誌のコピーを閉じようとした膳子だが、見慣れぬものを見て再びそれを凝視する。

 それは大時計の隣。廊下の壁だ。写真ではそこに小さなドアノブがついている。

 そっと冷たい廊下に出て時計の隣を覗き込むが、今はそんなもの、影も形も見えない。

(……迷路屋敷だって、お爺ちゃんも言ってたもんなあ)

 部屋に戻ると、温められた部屋のおかげで鼻先がじんわりと暖く、膳子は三回くしゃみをした。

(この部屋にも伯爵様はいたのかな)

 膳子はぼうっと、天井を見上げる。大正時代から立つこの屋敷は、五条灘の家族が実際に寝起きしていた場所であるという。

 ほんの百年前までここを伯爵と呼ばれる人々が行き来していた。

 二年前までは、この社交界の貴公子がたしかにここにいた……そう思うと不思議な気持ちになる。

 そんな屋敷に今は家庭料理の香りが漂い、貴族とは縁もゆかりもない膳子が暮らしているのだ。

 もし幽霊などというものが存在すれば、怒るか、笑うか。

(美形だけど、変わり者。支配人によく似てる)

 五条灘は多くのお嬢様との噂があったが、それは成就せず、生涯独身を貫き……一昨年、97歳でその生涯を閉じた。

 これが膳子の知りうる情報の限界だ。

 もちろん、支配人の名前はどこを探しても載っていない。

 しかしこんな屋敷に一人で暮らすのは無理があるので、かつて三條が言っていたとおり、ここには数名の使用人がいたはずだ。その中に、支配人もいたのだろう。

(あんな性格で……執事ねえ……)

 天井を見上げて膳子は思う。どう考えても口うるさくダメだしをする支配人の姿しか浮かんでこない。

 変わり者の若様と呼ばれた伯爵様はほとんどの資産を弟に譲り、彼の財産として最後に残ったのは、この屋敷のみ。

  

「……ああ、こういう時、小西のおじいちゃんが来てくれたらなあ」


 膳子は天を仰いで、おもわずつぶやく。

(小西のおじいちゃん、ガードが甘そうだからおじいちゃんが来てくれたら聞き出せそうなのになあ)

 最近は小西は店で見かけることがあっても、キッチンまでは来てくれない。

 テイクアウトのサンドイッチを運ぶのは支配人の仕事で、膳子は遠巻きに小西の丸い背中を見るだけだ。

 あの布袋様のようにふくよかなおじいさんは伯爵家とのつながりも深い。

 いくらでも情報を抜き出せそうなものだが、近づけないので膳子はそれ以上の情報を入手できない。

 膳子は壁をなで、ため息をつく。そしてスナック菓子の匂いが漂う机に顔を突っ伏した。

「いっつもここで、どん詰まり……」

 三條が現れるまではこの屋敷について調べるなど、微塵も考えたことがなかった。

 支配人の謎は気にかかっても、膳子にだって探られたくない過去がある。

 近づけば覗かれる。探れば探られる。

 ヤブにいる蛇をあえて突く必要はない……膳子は元来、慎重な性格だ。

 膳子を動かしたのは三條の熱い手のひらだ。

 あの老女のどこにそんな力があったのかと思うほど、しっかりと握りしめてきたあの手。必ず守ってと、彼女は言った。膳子だってできることなら、ここでずっと働きたい。働くためには守るしかない。守るには、事情を知らなくてはならない。

(……先にその宝ってのを見つけて支配人に報告して売るなりなんなりすれば、もう危険もないんだろうけど)

 深夜、この部屋を出て屋敷中を探索するのは可能だ。

 カメラもなければ、盗聴器もなさそうである。風呂上がりに全裸で歩いたことだってある。カメラがついているなら、支配人から文句の一つも出ているはずだ。

 キッチン、トイレ、風呂。ホールにロビー。屋敷を行き来することについては、支配人に咎められていない。

 ただ、不用意にあちこちの部屋を開けようとすると……派手なベルが鳴り響く。そしてすぐに支配人が飛んでくる。

 鍵をこじ開けたわけではない。ノブを回しただけで、である。

 おかげで屋敷の謎は謎のまま。膳子は週刊誌レベル以上のことを、知ることができない。

 今日も収穫なし。と膳子はチップスを2、3枚口に放り込む。

 深夜に食べるスナック菓子ほど、心地のいい罪悪感はない。

「寝るかあ」

 と、と伸びをしたその瞬間。

 膳子のベッドの上、スマホから呑気な音楽が流れ始めた。


「あれ。おばさん?」


「膳ちゃん。ごめんね、こんな夜遅くに」

 慌ててスマホを掴んで画面を見れば、そこには叔母の名前が刻まれている。急いで受信ボタンを押せば、電話の向こうから小さな声が聞こえた。

 それは母の妹であり、弟の養い親。

 叔母の細い声を聞いた途端、膳子の背に冷たいものが流れる。

 深夜に近い時間にかかる電話は、不穏だ。

「……晴に、なにか?」

 見上げた時計に浮かぶ時刻は23時45分。

 こんな深夜、電話をかける用事があるとすれば……それは弟のことに違いない。

 10も年下の弟、末晴と最後にあったのは2週間前だ。その時、彼に変わりはなかった。ただ寂しそうに膳子を見つめていた。その目を思い出す。

 膳子はスマホを強く握りしめ、立ち上がる。

「晴に何かあったんですか」

「あの、末晴くん、そっちにいってない?」

 叔母の声が震え、膳子の背に冷たい汗が流れる。

「いないんですか!?」

「学校で……なにか……問題があったみたいで。帰ってこないから探したらね、庭に座り込んでて……話しかけたら、出て行っちゃって……」

 叔母の声はおろおろと、小さい。彼女は破天荒な母の妹とは思えないほど小心者の人だった。

 夫に対する引け目なのか、弟の話となると声が小さくなっていく。

「捜してるんだけど、見つからなくて、それで」

「どこに……」

 膳子が前のめりになって叫びかけたその時……玄関からカタン、と小さな音が聞こえた。

 この屋敷は不思議なもので、どの部屋にいても玄関のノッカーの音がよく聞こえる。

 カン、カンと硬質の音、これは客が来たときの合図。こんな時間に訪れる客は、招かざる客か……可能性としてはあと一人。

「あ、おばさん……あとで、あとでかけなおします!」

 まだなにか言いかけている叔母の言葉を遮って、電話を切る。スマホをポケットにねじ込んで玄関まで一足とび。震える指で玄関の鍵を外し、思い切り開けば冷たい風とともに……。


「晴!」


「お姉ちゃん」


 秋風の吹く真っ暗な玄関の前、真っ青な顔の弟が立っていた。

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