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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
泥棒騒ぎに膳子特製秋風カレー
19/34

3-3

 そして胡散臭い男といえば、もうひとり。


「まだ懲りずに働いているのか」

 もうすっかり聞き慣れた声を聞いて、膳子はため息をつく。

 店の営業が終わって支配人も去った23時過ぎ、秋風吹き付ける屋敷の裏側。

 ため息をごまかすように長い息を吐き、膳子はゴミ箱に全力の力でゴミ袋を投げ込む……そして満面の笑みで振り返った。


「おやおやお客様。今日もご来店かなわず残念です」


 いつの間にそこにいたものやら。

 膳子の背後に立っていたのは背の高いスーツの老人だ。春先には客として店に来た。

 夏には膳子に近づき、怪しげな忠告をした。

 そして秋、彼はまた膳子の前に顔を出す。

(今日でこの秋、三回目)

 笑顔を崩さないまま、膳子は目の前の老人を見つめる。

 この秋、最初に現れたのは雨の日だった。二度目は一週間前、霧の夜だ。

 今日は晴れた夜なので、彼の顔がはっきりと見える。

 相変わらず何を考えているのかわからない、薄暗い表情の老人だった。目元は暗く、顔のしわは深い。

 比較的整った顔だからこそ、その表情に凄みが出ている。

(人間やっぱり、性格が顔に出ちゃうんだろうな)

 膳子は腕を組み、男の顔を見る。

 頬は垂れているが、意地悪く口元はへの字に曲がっている。不機嫌というものを顔に塗りたくればこんな顔になるのだろう。

 常にとろとろの笑顔を浮かべる小西とは、まるで正反対の顔だった。

 そんな顔をする人間は、だいたいろくでもないと相場が決まっている。

「そこの支配人などといい子ぶっているが、とんだ盗人だ。屋敷ごと盗んだ男だぞ」

「……別に支配人が詐欺師でも、世界をまたにかける大泥棒でもなんだって別にいいんですよ。まあ連続殺人犯っていうのなら困りますけど」

 膳子はため息混じりに、そう返す。

 坂道のはるか向こうから波の音が聞こえた。今日は澄み切って静かな夜だ。秋は空気が綺麗で、いつもより余計に音が響く。

「ついでにいうとあなたがどちら様か、なんてことも全く興味ありません。ただ弟のことをまた口出しすれば、私、ここで悲鳴をあげます」

 男のそばに近づき、膳子はにっこりと笑顔を浮かべる。

 脅迫、怒声、どんとこいだ。残念ながら膳子の神経はそこまで脆くできていない。

「泥棒、と叫びましょうか。ここいらは閑静な住宅街なので、さぞ声はよく響くでしょうね」

「……あの男のことを疑うなら、隠し部屋を見るといい」

 しかし、男はやはり動じなかった。

 その顔には呆れ顔さえ浮かばない。彼は支配人よりももう少しレベルの高い面の皮である。

 彼はかつん、と杖を地面に叩きつけると歩きはじめ……そして一度だけ建物を見上げた。

 闇に包まれた横顔が、一瞬切なく揺れる。

 それは初めて彼の見せた……感情のゆらぎだ。

 膳子は思わず目をみひらいた。まるで男が泣いているように見えたのである。

 しかしそれは錯覚で、彼は再び重苦しい表情を取り戻す。 

 闇に溶けるようにゆっくりと坂道を降っていく男の背を、壁に持たれたまま膳子は見送る。

(ああ。結局深入りしないって決めたのに、売られた喧嘩は買っちゃうんだよなあ……)

 屋敷の壁は秋の空気を吸い込んだように冷たい。しかし煉瓦の特性なのか、冷たくてもどこか芯が暖かい。

 膳子よりずっと年上で、ずっとこの場所で世界を見続けてきた巨大な建築……膳子はその煉瓦にそっと頬をつける。

 屋敷は男のことを知っているのかもしれないが、当然のように答えを膳子に教えてはくれない。

「せっかくまっとうな職についたと思ったのに、仕事運がないねえ、私も」

 広く、清潔なキッチン。惜しみなくつかえる、いい食材。

 常に最新の調理道具に、膳子の料理を喜んでくれるお客様。ここはどう考えても最高の職場環境だ。

 嫌みな支配人と秘密の多い屋敷を差し引いても、この仕事を手放すのは惜しかった。

 深入りしなければ、平和に働き続けることができるに違いない。

 支配人にも言われたとおり、聞かない、問わない、探らない。

 ……しかし。

(何も知らないまま、何かを失うの、二度と嫌なんだよなあ……)

 膳子は自分の手を見つめ、目を細めた。

 これまであきらめてきたものは、全部この手の隙間からこぼれていった。

 仕方ないことだ……と、何度ごまかし笑ったことだろう。

 そのあきらめの笑いは、膳子の中に薄暗く積もり続けている。

(あきらめたくは、ないんだよなあ……)

 膳子はだらしなく崩れかかった体を、思い切りのばす。煉瓦にあたった秋風が、まるで泣くような声をあげた。秋は風さえ寂しくなる季節である。

(……だって、仕方ないよなあ)

 この建物を、きっと伯爵様は見上げただろう。小西のおじいちゃんも見てきた。支配人も……そして三條も。

 新参者の膳子でさえ、たった10ヶ月でこの建物のことが大好きになっている。

 大好きなものに危機があるなら、救わなければならない……そうだ。母もそうだった。と膳子は思い出した。

 倫理観の薄い母ではあったが、子供たちのピンチには箒をひっさげて立ち上がるような筋の通った所もあった。

 惚れた男に食らいつく、あきらめの悪さも彼女の美点だ。

 我慢しないことを学びなさい、と彼女は幼い膳子に囁いた。おそらく、それが彼女の教育のすべてだ。

(母さんの娘だもんなあ)

 膳子は、冷たい手を握りしめ、よし。と、腹の底に力を入れた。

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