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美食倶楽部へようこそ  作者: みお(miobott)
たこ焼き、綿あめ、りんご飴。お嬢様と夏の秘密と宝物
10/34

2-1

 夏の強烈な日差しが、膳子の顔をじりりと焼いた。

(あっつ……確か、今日……気温、34度超えるって……)

 顔を上げれば、そこにあるのは雲一つない、きれいな青空だ。

 7月終わりに遅い梅雨明けを迎え、今はお盆直前の8月のはじまり。今となれば梅雨の頃は鬱陶しかった雨雲が恋しい。

 盆を超えると少しだけ涼しくなるはずなので、この地獄は後少しの我慢だ……と、分かっていても、体が限界を叫んでいる。

 真っ白な太陽光から逃れるように、膳子は木の陰に逃げ込む。足を止めると、途端に首筋や額に汗が滲み出してだらだらと流れて落ちた。息を吸い込めば喉に生ぬるい空気が滑り込んでくる。

(店だけじゃなくって、公園もあっついわ)

 膳子の勤める美食倶楽部は現在、空調が故障してまるで蒸し風呂になっていた。

 店も地獄だが外も地獄。

 暑さに飽き飽きとしたように、膳子は日差しをにらみつけた。

「あーもう、無理」

 思わず漏れた言葉は、蝉の声と小さな子供の声でかき消される。


 店から徒歩10分ほどの場所にあるこの公園は春は梅に桜、夏は蓮。秋には銀杏と季節ごとの風景が楽しめる。 

 熱中注意報も出ているほどだというのに、若いカップルや親子連れに学生などが、思い思いに過ごしていた。

 そんな客を狙ってか、路上には『ベビーカステラ』『たこ焼き』『かき氷』と書かれたワゴン車がわんさと止まって通りすがる人に声をかけている。

 通りすがる予定だった膳子だが、ふらふらとベビーカステラのワゴンの扉をたたき、一番小さなサイズの袋を手に入れた。

 甘い香りに、紙袋越しにもわかる湿った暖かさが懐かしい。

(……これ、弟が好きだったんだよな)

 膳子は木陰のベンチに逃げ込むと、頼りない感触のベビーカステラをつまんで、持ち上げる。

 一番年長の弟は、ベビーカステラが大好きだった。

 年齢は弟妹の中で一番上だったくせに、一番泣き虫で一番気が弱く、そして一番やさしい弟。

 彼は膳子が買ってあげたベビーカステラの袋を、いつまでも大事に取っていたものだ。それを引っ越しの時に無くしたといって、いつまでも泣いていた……。

 口に含むと、ぱすぱすと乾いた食感でざらりとした甘い味が喉の奥にまで広がる。

 このわざとらしい味が、弟は好きだった。

(ああ、やっぱり面会の後は、気分が落ちるな……)

 膳子はため息を漏らす。店に戻れないのは、この気分のせいだ。鉛を飲み込んだような顔で店に戻れば、カンのいい支配人に何を勘ぐられるか分かったものではない。

(月に一回の、面会日……は、夕方まで街に出て気分転換するべきかな)

 もう一つ、ベビーカステラを摘んで眺めて噛み締めて、膳子は先程までの風景を反芻する。


 その場所は電車で数駅離れた、叔母の家。

 古臭い香りのする畳の部屋、淡い光の当たるその一角。そこで今年15歳になる弟は背を丸めるように座っていた。

 数年前、膳子たちの母が行方不明となり、4人居た弟妹のうち3名までは父親が引き取ってくれた。

 残されたのは一人の弟だけ。彼は叔母に引き取られることになる。

 幸い、叔母夫婦は丁寧に弟を育ててくれているようだ。しかしその分、甥っ子に対する遠慮は見える。その遠慮が弟の多感な精神を蝕んでいるようだった。

 あの子の大事なものを、間違って捨ててしまったの……と、心底後悔するように叔母が懺悔したのは、今日の面会前のこと。 

 叔母の実子たちも、年の離れた従兄弟にどう声をかけたらいいのか分からないように、弟を遠巻きに見つめていた。

 その視線の中、弟は体をぎゅっと縮こまらせて、喉の奥をつまらせるように言ったのだ。

(……宝物、無くなっちゃった……なんて)

 10年前の夏祭り、膳子が彼に買ってやった小さな玩具がある。当時、テレビでやっていた戦隊ヒーローの変身ベルトだ。弟はそれをいたく気に入っていた。

 さすがに身につけることは卒業したが大事に大事に取っていた。

 そんな宝物を詰めていたダンボールを、叔母がうっかり廃品回収に出してしまった……。

 叔母に悪気はなく、弟にも落ち度はない。悪役のいない事件ほど苦しいものはない。

 またいつでも買ってあげると約束したが、弟は無言だ。蝉の声とどこかから流れてくるラジオの音だけが響いていた。

 やがて麦茶に入った氷が溶けて、机の上をコップがつるりと滑ったことを膳子は覚えている。

 それを戸惑うように受け止めて、さりげなく叔母は席を外してくれた。

 二人きりになっても、弟は口を閉ざしたまま。長らくの無言のあと、弟は絞り出すように言った。

 ……またお姉ちゃんと一緒に暮らしたい。お姉ちゃんのご飯を食べたい。


(姉ちゃんだって、そうだよ)

 しかし、叔母夫婦の手前、膳子がそれを口にするわけにはいかない。叔母夫婦はいい人だ。 

 甥っ子を差別もせずに育ててくれる。虐めでもあれば無理やり弟を奪って逃げるところだが、親切にしてくれている手前それはできない。

 一緒に暮らす……その夢が叶うのは、弟が大学に入ってからだ。それまで膳子が彼を引き取ることなどできないのだ。

(あと三年、ここまで我慢したんだから)

 膳子はベビーカステラを飲み込む。

 ざらざらと、わざとらしい甘味料が喉を滑って落ちていく。それは弟と過ごした夏の記憶と同じ味。

(あと三年かあ……)

 月に一度の水曜日。それは膳子の弟である庖川末晴と面会できる貴重な一日。

 そして膳子の心がぐっと落ち込む一日でもある。

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