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ロビーの古い置き時計が、かーん。と、高い音を立てた。
18時25分。
アンティークな置き時計が時を告げると、周囲の空気は一変する。
重厚な木の扉が静かに開き、扉に付けられた真鍮の鈴からは清らかな音。
ワインレッド色の絨毯に人の影が伸びて、シャンデリアの光がモザイク状に地面を照らしだす。
「ようこそ、いらっしゃいませ」
シャンデリアの灯りに照らされて、一人の男が扉の横に立った。
その長身の体には、皺一つない細身の黒スーツ。
ぴんと反り返った黒革のドレスシューズ。手には真っ白なナプキンを捧げ持ち、彼は完璧な角度でお辞儀をする。
仰々しく開かれた扉の向こうから足音と、楽しそうなささやき声……お客様の来店だ。
「やあ、支配人」
「今日もよろしくね」
でっぷりと太った男は笑顔で男を見上げ、隣の女性は淡く微笑んで頭を下げる。
「今日も時間ぴったりだ」
「本当に生真面目なこと」
口々にそういいながら入ってくるお客様の目元には艶やかな仮面がかけられ、表情は掴めない。しかしその口元は期待に満ち溢れ、緩みきって見える。
「ようこそ、皆様」
そう言って出迎える彼の……支配人の前に、客の影が重なった。
「おや……はじめてのご来店ですね」
一人の客を見つけて、彼は微笑む。声は心地よいテノールである。
彼の髪は白髪の混じったグレーカラーだが、年齢の割に顔は整っていた。
年を感じさせない体のラインも、体に合わせて作られたオーダースーツも、日本人離れした足の長さも完璧だ。
「ようこそ、マダム」
その声を受けたご婦人が、うっとりと口元をシルクのハンカチーフで隠す。
「失礼、コートをこちらへ」
支配人は肉付きのいいマダムの手のひらをそっと支えながら、器用にコートを回収した。
囁くような声の低さも完璧なら、客との距離も適切。
心地いい程度に近く、不快になる前に音もなく離れる。
……恐ろしいのはこれが全て計算された動き、ということである。
全員のコートをクロークに片付けると、彼は改めて扉の前に真っ直ぐに立った。
「皆様、足下にお気をつけて」
そして彼は細長い体を綺麗に曲げて、客に深々とお辞儀をしてみせる。
それは、席に着く前のちょっとしたパフォーマンス。
「みなさま。ようこそ、美食倶楽部へ」
彼はそう言って、レストランにつながる扉を開いた。
よく磨かれたテーブルの上には、銀のフォークに銀のナイフ、真っ白な皿の前には完璧な折り目のナプキン。
そんなテーブルの前には、柔らかいビロードの椅子。
天井にはアンティークな模様が刻まれて、吊り下がるシャンデリアにはクリスタルの輝き。
そして店の奥の壁には、青錆色の巨大な丸い金庫扉。
やがて静かなクラシックが流れ始める。
レストラン、美食倶楽部。
これがはじまりの音である。