#3-皇立金持ちボンボン校
トリップして降り立った土地。
皇帝レグィクレクト・ヴリアルハイトが統治するこの国は、実力が物言う社会である。
過程は無意味、結果が全て。
この評価方式において最も成果を上げやすい分野はといえば、戦闘力ーー俗称「武力」に他ならない。
なにせ発揮できる場が多いのだ。
世を脅かす魔物の討伐。皇帝に歯向かう分子の殲滅。
武力で解決できる事象に対して、文字通り武力で解決すればそれ相応の褒美が貰えるという、単純明快な仕組みである。
だからこそ。一般的な家庭の人間は子を成した際、まず武力を育てる事に力を入れる。
物は試しとは、これ程に適切な言葉はないだろう。
実を結べば良し。結ばなければ別の道を。
歳の若いうち、特に成長期が終わりを迎える18の頃の近くは、見極めの時期として重要視すべきである、というのが昨今の常識となっている。
では、魔術は。
陣を描き、魔力を流し、行使する。
その総称である魔術には殺傷能力のある効果を発現するものも多く存在し、当然、武力足り得る力である。
が、習得しようとする者は少ない。
ひとえに、時間が掛かり過ぎたせいである。
複雑な紋様をした魔法陣を、一ヶ所違わず記憶し、描く。この最初の工程が、実力社会で暮らす人間にとって馴染みやすいものではなかった。
「一度描きあげてしまえば」とは良く言われるものの、陣が崩れた際には描きなおさなければならず、終わりという終わりがない。
不安定な記憶術を使うぐらいならば、一頭でも多くの魔物を別の手段を用いて倒し、着実に成果を積み上げた方が良い。または他の、武力ではない分野で功績を立てるため、専門能力を研磨した方が良い。
物事の比較をする際に使われるお決まりのフレーズとして、「魔術を習うよりは」という言葉が定着している程である。
そんな常識が蔓延る中、しかし魔術は廃れない。
なぜか、なんて言うまでもないだろう。単純な話。なお魔術を学ぶ者達がいたからである。
ーー“富裕層”が、魔術を生かし続けていたからである。
彼らは言った。
「時間の浪費だと忌避されるならば、向き合う事こそ真なる余裕の証である」と。
故に皇立魔術学園ジニシス。
その生徒は、「平民が挫折する魔術を学ぶ、他とは違う特別な人間」だと自負する貴族の集まりでーー。
「リジア?聞いた事のない家名ね」
「もしかして……平民?」
ーーああ。彼女はこれから、平民というだけで見下される学生生活を送るのだろう。
家名と身分。転校生に対して何よりも先に上がった反応が、セリア・リジアの未来を物語っていた。
ひとりになった彼女と手を差し伸べる俺。仲間外れ仲間という境遇が、躓きながらも支え合う、俺達の未来を物語っていた。
はずだった。
「リジアさん、お隣よろしくねー!」
「はい、よろしくお願いします」
「そんでこれはー次の講義のノート!貸したげるー」
「わあ!ありがとうございます、助かります」
「その代わりさあ」
「え?」
「……」
「……」
「セリアちゃんって呼んでもいーい?」
「勿論です!」
転校初日。
セリアちゃんは、俺よりクラスに馴染んでいた。