#1-最後の二文で事が足りていたりする
昨今の異世界系物語といえば、死亡後の転生が主流である。
轢かれ、刺され、巻き込まれ。元住んでいた世界で突発的に命を落とし、異なる世界で別人として、新たな人生を歩み出すーーこの一連の流れが、冒頭に組み込まれているものである。
なんて素晴らしい導入なんだろうか。
具体的にどこが素晴らしいのかと問われれば、悩みになんだ末に「好きだから好き」「良いから良い」と、IQ3の賢者のような回答を出し続けてきた程度には、自分好みの展開である。きっと同じ思考を持つ同類も多い事だろう。
けれど一点。常に定まらない問いの答えではあるが、その回答候補群から一部分だけを抜粋して、今回ばかりはひとつ、理由として挙げさせて頂きたい。
“区切りの良さ”ーーこれである。
死とは、最も単純で明快な区切りだ。
読み手に対する転換の伝えやすさは勿論、物語の中の人物、主人公の立場となると、区切りはより顕著に現れる。
吹っ切れて好き放題するのも、長く後悔を引き摺るのも、夢だと思い込み謳歌するのも、誰かに成り切り右往左往するのも。全て一度、人生の終わりという区切りを迎えているからこそ、容易に執ることの出来る行動である。大きな境目を飛び越えた、次へと進んだ一歩なのである。
だから、つまり。
つまり何を言いたいかというと。
「あれ。今日は徒歩?」
「……寝坊して転送時間内に乗り遅れた」
「あっはは!どんまい」
「もしかして、あの方……噂の?」
「え、うそ、ほんと?」
「皇家に並び立つとされる御家の、あの?」
「お前初日から剣持ってきてんの?」
「逆にお前持ってきてないの?」
「えっ」
「え?」
「……」
「……」
「ご機嫌よう新入生諸君!」
「そしてようこそ!皇立魔術学園、ジニシスへ!」
ーー登校初日に校門を潜っただけで異世界トリップイベントを発生させるのは止めて欲しい。
この、一心である。