*その後*(ジョン視点)
第一章6話直後の話です。ジョン室長視点です。
行方不明だった第二王女がかわいがる白い亀のカメリーンが見つかったので、王女付きの侍女に連絡をつける。カメリーンが気に入っている黒い亀も一緒に、連れて行ってもらうことにした。
俺を含めた総合室の面々は安堵の表情で改めて昼後の休憩に入った。
エレナくんがカートで運んできた飲み物を共用テーブルに並べる。各個人の好みをすぐに覚え、風邪を引き始めたサムにはハーブティーを勧めるあたり、彼女が周囲をよく見ていることがわかる。
食堂の仕事を兼任しているローラが、おやつのパウンド型のパイナップルケーキを切り分けた。これは料理長特製の品で、しっとりしたパウンドケーキ生地にパイナップルの果肉がたっぷり練り込まれている。上にかけられたココナッツのシャキシャキした食感も良く、職員だけでなく王族にも人気のケーキだ。
一通り落ち着き、全員が円形の共用テーブルの席に着いた。俺の右隣からサム、ローラ、ルーカス、エレナくんが座る。全員を見渡し、口を開く。
「休憩に入る前に報告がある。サムのおかげでカメリーンが見つかった。後で、見つけた経緯を記した報告書の提出を頼む。また、他の依頼も解決の見通しがついたので、ローラとルーカスは関係各所に連絡をしておいてほしい。以上だ」
「まあ、他の依頼も解決しそうなのですね。良かったです!」
「……そうだな」
エレナくんの笑顔に、俺はぎこちなく頷いた。今日の朝礼では、どの依頼もまだしばらく時間がかかるという話だったので、彼女が驚くのも無理はない。素直に喜ぶエレナくんは気付いていなかったが、他の同僚たちもどことなく視線を泳がせていた。
彼女はただの白い亀だと思っているカメリーンだが、実のところ海神の精霊の子供なのだ。しかも、親切にしてくれたエレナくんを気に入ったからと、カメリーンが誘拐の経緯を詳細に話してくれたとは、さすがに言えない。そこから、洗濯籠の中に入っていた密告の手紙や他の依頼に関連していることが次々に判明したことも、言えるはずがない。
そもそも海神の精霊は昔話に出てきたり、伝説の存在として扱われている。実在していることは、国家機密なのだ。
「ううむ、久々の報告書か……面倒じゃの」
「ボスポラス王宮の生き字引のサムならお手の物でしょ。面倒なんて言ったら、毎日のように書類作業に追われてるジョンがかわいそうじゃない」
「現役と老体を比べちゃいかんよ」
サムが、あたたかいカモミールティーを飲み、ボソッと呟く。話題を変えてくれるようだ。内容は聞き捨てならないが、こういうさりげなさが自然で、学ぶところは多い。
ローラも心得たもので、ハイビスカスティーをストローでくるくる回しながら軽快に相槌を打った。彼女の勘の良さは昔から衰えることがないように思える。
「ジョンが若い頃、サムに何度も書き直しをさせられていたっけ。しかも笑顔で『陛下にも同じものを出せるかな?』なんて言われちゃあね」
「うわー、僕、報告書書くの苦手なんです! サムさんのお手本にしたいんで、後で見せてくださいねぇ!」
「やれやれ、そう言われたらまともなものを書かねばならんなぁ」
部下のルーカスから尊敬の眼差しで見つめられれば、サムはぼやいているものの、昔を思い出して完璧な報告書を仕上げてくれるだろう。
ルーカスは年上の懐に入るのが本当に上手い。人付き合いが苦手な俺からすると、尊敬の域だ。
「ふふっ、みなさん仲良しですね。それでは、いただきます……ふわぁ、美味しいですー! すごく贅沢な味がしますよー!」
わいわいと盛り上がる三人を見ていたエレナくんは、楽しげに大好物だというパイナップルケーキを頬張る。食堂の料理長が腕によりをかけて作ったそれはまさに絶品だったようで、頬に手を添えてふにゃりと破顔した。
(なんて愛らしいんだ……まさかこんな間近で、ずっと心を寄せていた女性の至福の表情を見られるなんて……)
俺は息をするのも忘れ、左隣の女性の顔を見つめた。想い人の蕩けるような笑みを己の脳裏にしっかり焼き付けるため、紫色の瞳に力を込める。
「まったく、不器用にもほどがあるのぉ」
「周りも自分も見えていないんだから、どうしようもないわ」
「表情だけなら、殺気を感じますよぉ」
「……どういう意味だ」
ボソボソと聞こえる声に、俺は眉をしかめた。自分が今どんな顔をしているのかわかっていないが、彼らの会話から相当険しい顔をしているのだろう。とりあえず落ち着こうと、コーヒーを一気にあおる。
「ジョンは顔がいいんだけど感情に乏しいから、黙って一点を見つめていると、まるで獲物を仕留めるような威圧感があるのよ」
「そう、なのか……」
ローラの率直な言葉に内心大いに落ち込んでいると、左隣から視線を感じる。
いつの間にかパイナップルケーキを食べ終えていたエレナくんが、気のせいでなければ、俺を見ていた。いや、はっきりこちらに顔を向けている。紺色の愛らしいつぶらな瞳で、何やらじっと見つめられている。
(何だ……? 何か俺の顔に付いているのか? ケーキはまだ食べていないが。またコーヒーをこぼしたか……いや大丈夫そうだ。しかし見つめられることがこんなにも気恥ずかしいとは……)
彼女の真剣な表情からは何も読み取れず、結局無難な言葉しか出なかった。
「……エレナくん、どうかしたのか?」
「以前からずっと思っていたのですが、聞いてもよろしいですか?」
「あ、ああ」
一体何を言われるのだろう。俺の背中に冷や汗がダラダラ流れる。他の三人も、固唾を飲んで見守っているのがわかる。
エレナくんが、小首を傾げながら口を開いた。
「室長はどうして、コーヒーを一気に飲めるのですか? お砂糖が入っていないのに、苦くないんですか?」
「…………え?」
「私はもう22歳になりますので、いい大人としてコーヒーをぐいっと飲んでみたいのですが、恥ずかしながらなかなか難しくて。室長は、いつもかっこよく飲み干しているから、聞いてみたかったのです」
『室長は、いつもかっこよく』? エレナくんが俺のことを?
完全に固まる俺と、照れ笑いを浮かべるエレナくんを見て、サムとローラとルーカスが助け舟を出してくれた。
「もう、エレナは本当に可愛いわね。コーヒーが合う合わないは体質もあるから、少しずつ試したほうがいいわ」
「本当じゃの、目に入れても痛くないわ。まず浅煎りのものを飲んでみるとよいじゃろう」
「そこがエレナさんのいいところですね! 今度飲みやすいコーヒー豆を教えますよっ!」
「わあ、ありがとうございます!」
三人の話を聞くエレナくんは、とても嬉しそうだ。
ようやく立ち直った俺は、自分の好きなコーヒーの話をいつしようか考えたり、いつか二人で並んで飲む日が来ることを願っていたので、なかなか会話に混ざれなかった。