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「失礼致します。戻りました」
エレナとサムが総合室へ戻ると、出窓に座ったままだったジョンが駆け寄ってきた。
「手間を取らせて、本当にすまなかった」
「いえいえ。すぐにきれいになりましたから」
「ありがとう。休憩は多目に取ってくれ」
無表情の中にも若干眉が下がっていて、申し訳なく思っていることが窺えた。ジョンはかなり身分の高い貴族のはずだが、メイドであるエレナや下働きの平民たちにも、身分に関係なく謝罪や謝意をしっかり述べる。
「恐れ入ります。私こそ、先程は失礼致しました。お話があるというのは、何用でございますか?」
「……ええと、そうだな、エレナくんがここで働きだして一週間が経つが、何か困っていたり、問題はないか?」
ただのメイドである自分に、ここまで気遣いをしてくれるなんて。エレナは感動した。
噂好きな人々は、彼のことを「陰気」「気難しい」「融通がきかない」などと陰口を叩くが、実際に接したエレナにとって、それらは根も葉もないものだと知っている。
落ち着いていて、確固たる信念があって、ただ感情表現が苦手なだけ。こうして部下の働き具合を気にしてくれる、とても素晴らしい上司だ。
なので、笑みを深めて答える。
「特にありませんわ。室長や皆さんに優しくしていただいてますし、仕事も慣れてきましたし。室長こそ、私にもっとこうしてほしいなど、ご要望はございませんか?」
「……エレナくんに、してほしいこと……」
急に黙りこむジョンに、大きく頷く。
「ええ、何なりとお申し付けください」
「……それは例えば、私と、デー……」
「はっくしょい」
ジョンが艶めかしい目付きでエレナに詰め寄ろうとした瞬間、窓際から気の抜けるくしゃみが飛び出した。
「……サム」
音の主は、亀二匹と共にロッキングチェアに座って、鼻をすする。ジョンは低く唸り、ゆっくり振り向いた。エレナは彼の背中しか見えず、おろおろとするしかなかった。
「すまんすまん、儂のことはいないものとして扱ってくれ……へっくしゅ」
「サムさん、大丈夫ですか? 亀さんたちは、こちらへ。風が吹いていましたし、花粉や塵などが鼻に入ったかもしれませんね」
「うむ、そうかもしれんの……ひっぷし」
くしゃみを繰り返す長老の前に、衣服を取り出してタオルを引いた洗濯かごを渡し、亀たちの仮の宿とした。エレナを見上げる亀たちの姿はとても可愛らしい。
「そろそろローラさんがケーキを持ってこちらへいらっしゃるので、お飲み物を入れてきますわ。サムさんは鼻とのどに効くハーブティーでよろしいですか? 室長も、新しいコーヒーをご用意しますね」
「ありがたいのぅ」
「……よろしく頼む」
「かしこまりました」
そして仕事が早いメイドは、パタパタと再びドアから姿を消した。
取り残されたジョンは、今度は絶望感あふれる声音で、自分の元上司の名を呼んだ。
「……サム」
「本当に悪かったって。そんな殺気だった目で年寄りを見るんじゃない。言わせてもらえば、儂が一緒に戻ったことに気付かなかったお前もお前じゃ」
謝りながらも苦言を呈するサムは、ふんっと鼻息を荒くした。目付きを鋭くしたジョンが更に口を開こうとすると、
「ただいま戻りましたぁ、あーおなかすいたー」
「入るわよ。そこでエレナに会ったから、お皿とフォークもお願いしたわ。あの子が戻ったら、みんなでこのケーキを食べましょう」
ルーカスとローラが連れ立って現れた。
ローラはコック服からシャツと灰色のスラックスという、総合室を含めた事務官の制服に着替えていた。エレナのスカーフと同様、スラックスの色でどの部署に勤務しているかわかる仕組みだ。
にらみ合う二人を見て、ルーカスが首をかしげる。
「険悪な雰囲気ですねぇ。サムさん、そのかごなんですか……って、白と黒の亀? まさか、カメリーン?」
「すごいじゃない。サムが見つけたの? それで、依頼が解決したのに室長はどうして怒っているわけ?」
「儂にもカメリーンにも気付かないで、場を読まずにエレナちゃんをデートに誘おうとしたら失敗して、その八つ当たりをされとる」
ルーカスとローラは呆れた顔を自分達の上司に向ける。ジョンはさっと目をそらした。
「室長ぉ……」
「デートも何も、まずはもっとエレナと親しくならないとでしょ。室長は、あの子の好きな食べ物とか趣味とか知ってるの?」
「いや……」
「ほら、私のほうがよっぽどエレナのことを知ってるわ。ルーに聞いたわよ、自分の仕事に支障をきたさないから黙っていたけど、休憩中にあの子の仕事を増やしてどうすんの。いくら遅い初恋とはいえ、三十二歳にもなるんだからもう少し上手く立ち回りなさい」
「ぐっ……」
ローラにかかっては、さすがのジョンも子供扱いだ。勤務中はちゃんと室長として立ててくれるが、休憩に入るとズバズバと切り込んでくる。しかも全て正論だ。