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7.海岸2

 逃げ出そうとする少年に、慌てて落とし物の小袋を渡して経緯を伝える。

 その間に小雨は止み、肌や服についた細かな水滴はあたたかな気候のおかげですぐに乾いた。


 まだおどおどとしているが、少し落ち着いたらしい少年がペコリと頭を下げる。


「す、すみません。ありがとうございました。慌てていたから、この『香り』がないことに全然気付かなかった……」

「『香り』?」

「わわわ、な、なんでもないです!」


 大事そうに半ズボンのポケットに小袋をしまっていた少年が、やけに慌てた様子で首を横に振った。そんな彼の様子を見て、エレナは話を深追いするのをやめる。


「さっきの光景、『雨の森に傘を忘れて海に行こう』の最後のシーンにぴったりでしたね!」

「は、はい……」

「私は生まれも育ちもボスポラス海国ですが、海から遠い隣国との境にある森の地域にずっと住んでいたんですよ。仕事をするために王都へ来て二年と少し経ちましたが、浜辺でにわか雨という光景が新鮮で、思わずはしゃいでしまって。ふふ、いい大人なのに恥ずかしいです」

「そ、そんなこと、ないですよ……。僕も初めて見ました。本当にきれいでした」


 照れ笑い浮かべるエレナに対し、少年がどことなくホッとしたようにぎこちなく笑う。麦わら帽子で彼の口元しか見えていなかったエレナも、ほんの少しの笑顔が見れて心の中で安堵した。


「昨日、職場の人……ドロシーさんという方とその本の話をしたので、ますます読み返したくなりました」


 古書店の店主の言葉から、養育院の手伝いをしているドロシーの名前を出せば、不審に思われずに自分の話を聞いてくれるのではないかと、エレナは一計を講じた。


「ドロシーおねえちゃん?!」

「はい、私の大事なお友達です。申し遅れましたが、私は王宮の総合室でメイドの仕事をしている、エレナと申します。先程、小袋を落とした道沿いの古書店の店長さんから、あなたを養育院で見かけたことがあるかもしれないとお聞きまして」

「あの、僕は、その……」


 ドロシーの名前を聞いた少年は明らかにうろたえている。その様子や声色からは後悔や申し訳無さも滲み出ているようだ。

 エレナが落ち着かせるように少年の背中にそっと手を添える。


「大丈夫、大丈夫ですよ。ただ、あなたがここにいることって、養育院のどなたかご存知なんですか?」

「……いえ、知らないと、思います。僕、ルネって言います。あの、事情があって、養育院でお世話になってます。えっと、今日はお客さんが来ることになってて、養育院の先生たちは心配することないって言ってたけど、色々考えていたら怖くなっちゃって、気が付いたら外に飛び出してました……」

「そうだったんですね」


 ここにいる理由をしっかり伝えられるルネを見て、とても頭の良いしっかりした子だとエレナは感心した。麦わら帽子で顔は見えないが、落ち込んだ声音からいけないことをした自覚があるようにも感じた。

 だからこそ、勝手に養育院から出てきてしまったことが気にかかる。彼を訪ねてくるお客さんとは、いったい誰なんだろう。


 エレナの考え事は、ルネがよろよろと歩き出したことで中断された。


「ルネくん!」

「……エレナ、さん。落とし物を届けてくれて、本当にありがとうございました。僕、養育院へ、戻ります。養育院の先生たちが心配することないって、話してました。先生たちは、僕や他の子供たちのためを思って話さないこともあるけど、嘘は絶対に言わない人たちだから。だから、きっと大丈夫」


 拳をぎゅっと握りしめたルネが、自分に言い聞かせるように呟いた。


「養育院までの道はわかりますか? 良かったら一緒に行きましょうか?」

「いえっ、平気です。道順は、自分の『香り』が残っているのでそれを辿れば……」

「自分の『香り』?」

「え、ええと、その……あっ」

「きゃあ、帽子が! ルネくん、危ないですよ!」


 少し強めに吹いた風がエレナの白い帽子を吹き飛ばし、海へ落ちてしまった。そのまま波にさらわれるかと思いきや、サンダルのままルネが素早く海へ入って拾い上げてくれた。


「大丈夫です、って、うわわ」


 またも強い風が、今度はルネの麦わら帽子を吹き飛ばした。落ちた場所が波打ち際だったのでエレナが拾おうとするが、一足早く波にさらわれてしまう。ルネが拾い上げたときには、帽子はびっしょり濡れてしまっていた。


「ごめんなさい、すぐに取れなくて」

「いえ……」


 両手に二つの帽子を持って砂浜に戻ってきたルネに、エレナは頭を下げた。

 そして彼の素顔を見て、先程の逃げようとしたときのルネの俊敏な動きも含めて、エレナは色々と納得した。


(なるほど。だから『香り』に敏感だったのね)


 素顔のルネは、くりっとした茶色の瞳の可愛らしい顔立ちの少年だった。オレンジ色の髪はふわふわでところどころに黒いメッシュがあり、頭にはしょぼんと倒れた()()()があった。

 この特徴から、彼の両親が虎獣人と人間だということがわかる。獣人によって多少差はあるが、彼らは嗅覚に優れているのだ。


「どうしよう……養育院の先生たちに隠すようにって言われてたのに、これじゃあかぶれない……」


 ルネや養育院の人々が虎獣人の特徴をかたくなに隠していた理由。エレナは心当たりがあった。


(獣人国バーントシェンナで誘拐事件の主犯として捕まったのは虎獣人の貴族。その影響でバーントシェンナ以外の国からも虎獣人を見る目は厳しくなっているって、この前ジョン室長がおっしゃっていたわ。ルネくんの容姿を隠していたのは、悪意から身を守るためなのかもしれない)


 水滴が落ちる麦わら帽子をぎゅっと握りしめて、しょんぼり肩を落とすルネに、エレナが明るく声をかける。


「ルネくん、良ければこれを使ってください! 大きめなので、頭に巻けますよ」

「え、わっ! すみません、ありがとうございます……」


 エレナは肩かけカバンからパイナップル柄のバンダナを取り出し、ルネの頭に巻いた。ボスポラス海国は年中常春の気候なので、日差しよけや汗を拭くのに重宝するバンダナやスカーフが至るところで売られている。エレナも何枚も持っていて、外出するときには必ずカバンに一枚入れていた。

 バンダナを結ぶエレナに背中を向けたルネが呟く。


「……エレナさんは、どうして会ったばかりの僕に良くしてくれるんですか。素性も知らない獣人なのに。しかも、数ヶ月前のバーントシェンナの誘拐事件の犯人である虎獣人の……」

「ルネくん。あなたが、この前起こった誘拐事件を計画したり、実行したのですか?」


 エレナは穏やかな声音を心がけながら、ルネの言葉をやんわりと遮った。普段ならそんな失礼なことはしないのだが、()()()彼の言葉を続けさせていけない気がしたのだ。

 ルネが弾かれたようにエレナに向き直る。


「いいえ! まさか!」

「でしたら、あなたが悪いことなんて何一つありません。誘拐事件の犯人たちはたしかに悪いことをしました。でも、同じ虎獣人だからルネくんが悪いなんて、そんな暴論ありませんわ。それに……」

「それに?」


 こてんと小首を傾げるルネ。その可愛らしい仕草に、エレナはふふっと微笑む。


「ルネくんも、困っていたり大変な思いをしている人がいたら力になりたいって、思いませんか? さっき、私の帽子が海へ飛んでいったのを追いかけたように」

「でも、落とし物を拾ってもらったり、濡れた帽子の代わりのバンダナを貸してもらったり、優しい言葉もたくさん……僕にはエレナさんに返せるものが何もありません……」


 しょんぼり俯くルネの言葉に、エレナは少し考える。

「他人に貸しを作りたくない」という意固地さはルネから感じられなかった。本当に恩を感じているからこその、自分も同じ分だけ返したいのに返せないという、もどかしさと情けなさをエレナはルネの言葉から読み取った。


「ルネくんは本当に優しいのですね。それでしたら、ルネくんにお願いがあります」

「は、はい! 何でもやります!」

「私一人だとここから元の道に戻れるか不安ですし、ドロシーさんにバザーのことで聞きたいことがあるので、養育院まで連れて行ってもらえますか?」

「わかりました。こっちです!」


 ルネはしっかり頷いて、先程下りてきたジャングルの坂道を先導して上った。


「ここから足元が危ないので、気をつけてくださいね」

「わかりまし……きゃあ! あ、ありがとうございます。すみません、重かったでしょう」

「いいいい、いえ、だ、だいじょうぶ、です!」


 ルネから注意を受けている最中に、長い草に足を取られたエレナが転びかけるも、とっさにルネが体を支えてくれたので怪我はなかった。

 子供とはいえ虎獣人のルネには小柄なエレナは軽かったが、その柔らかさと少し甘い匂いに頭がくらくらしてしまい。


 足元に注意がいってるエレナは、少し前を歩くルネの耳が真っ赤になっているとは気付かなかった。



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