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 エレナは洗濯室のドアを叩いた。洗い場を使わせてもらおうと顔をのぞかせると、見知った顔を見つける。


「あれ、そんなに急いでどうしましたぁ? それって室長のシャツ?」


 のんびりとした口調でエレナに声をかけたのは、オレンジ色のスカーフを巻いた洗濯室付きのメイドたちと立ち話をしていた柔和な雰囲気の男だった。


「ルーさん、皆さん、お疲れさまです。コーヒーのシミが付いてしまったシャツを洗わせていただきたいのですが」

「わあ、派手にこぼしたなぁ。室長もうっかりが過ぎますよぅ! エレナさんも休憩中なのに大変ですねぇ」


 同情するように眉を下げる彼はルーカスと言い、総合室の職員の一人だ。ふわふわした黄土色の髪と緑の大きな瞳が童顔を更に引き立てる。おだやかな性格から打ち解けるのに時間がかからず、城内の全ての部署に知り合いがいるらしい。エレナより二歳年下の二十歳だが、元々騎士団の見習いから働いていたため、職歴で言えば五年以上先輩だ。


 基本的に書類仕事が多い室長以外の職員は、ほとんど総合室にいない。休憩のときに集まり、軽く進捗を報告する。

 南の中庭の幽霊騒動、第二王女のペットの亀が二回目の脱走、嫌がるメイドに手を出そうとした騎士団員を尋問中、等々。毎回エレナは目を白黒させつつ、律儀に話を聞いていた。


 今もルーカスは、騎士団員を訴えたメイドの同僚たちに世間話がてら事情を聞いているところだった。

 エレナは微笑み、洗濯室のメイドに示された場所でタライに水を張ってシャツを入れ、洗濯板と洗剤を棚から取り出す。


「全てにおいて完璧な方だと思っていたので、そんなところもあるんだなと、何だか親しみを覚えますわ」

「あはっ、エレナさんは本当に優しいですねぇ。僕もそろそろ戻ろうかなぁ。休憩中にお邪魔してすみません、ありがとうございましたぁ!」


 ルーカスは話を聞いていたメイドたちにペコリとお辞儀をし、手を振って走り去った。

 洗濯室にいたほとんどの女性たちが、まるで弟を見ているかのような慈愛に満ちた表情を浮かべている。


 洗剤を付けたシャツを洗濯板にこすりつけながら、エレナは思う。


 ルーさんが、自分の童顔を武器に天真爛漫にふるまって、人の懐に入り込んで密かに情報を収集する切れ者だったら、物語として面白いだろうなぁ……ああ、仕事中に空想しちゃ駄目だわ。


 にやつきそうな口元をきゅっと引き締め、シャツを窓からの陽に透かすと、シミはどこにも見当たらない。二回ほどきれいな水ですすぎ、ぎゅっと固くしぼった。

 どこに干そうかとエレナが思案していると、赤い花のピアスを付けた洗濯室のメイドが現れた。食堂勤務の人以外、小さなネックレスやピアス程度ならアクセサリーも許されている。


「休憩が終わったら、そのシャツも干しておくわよ」

「え? よろしいのですか?」

「他にも洗い終わった服があるし、一枚増えても変わらないわ。ねえ、そのスカーフの色、総合室の人よね。そこに乾いた服とかタオルが入ったかごがあるから、それを持って帰ってくれると助かるんだけど」

「わかりました、ありがとうございます……あの、差し出がましいかもしれませんが、体調は大丈夫ですか? 何だか顔色が優れないような」

「へ、平気よ。じゃあそれ、よろしくね」


 言葉をつまらせた赤い花のピアスのメイドはさっさと立ち去った。

 不思議に思いながらも、タライなどを片付け、洗濯かごを両手に持って部屋を出た。


 今日もいい天気。シャツもすぐに乾きそう。コーヒーのシミ抜きのコツを覚えておいて良かったな。あの頃は、実践する機会が訪れるなんて思いもしなかったけど。


 エレナは下級貴族の生まれで、年老いた両親と年の離れた兄に可愛がられてきた。しかし、幼少の時に病にかかり、完治したのは成人年齢の十八歳になる直前。

 ほとんどをベッドの中で過ごした子供時代、たくさんの本を読んだ。夢中で読んでいる間は、息が苦しくなかったし、笑顔を見せることもあった。喜んだ家族は、童話、小説、雑学の本、辞書、貴族年鑑に至るまで、苦心して用意してくれた。エレナは今でも心から感謝している。


 特に好きだったジャンルが、普段は閑職勤めの生真面目な男が、実は国王直下の優秀な諜報員で、与えられた指令を華麗に解決していく、密偵活劇スパイアクションで。

 昨日読んだものも、とても面白かった。とある国の事務方に暇人集団と揶揄される閑職があり、実は全員一芸に秀でた国王直下の諜報員たちなのだが、その内の一人が拾った子猫を巡って、国内外の刺客たちとやり合い、子猫の正体が聖獣の子供だとわかり、最終的に聖獣に認められた諜報員たちが子猫を世話していく、という内容だ。


 エレナは、総合室異動に決まったとき、内心興奮していた。

 雑務ばかりこなす部署、淡白な上司、曲者揃いの職員。秘密の仕事をしている隠れ蓑には最適ではないか。

 現実にはありえないことだとわかっていても、いつもは夜寝る前にこっそり妄想して楽しんでいる。


あら、いい香りがするわ……って。やだ、私ったらまた考え事してこんなところに来ちゃった。


 いつの間にか、総合室とは正反対の食堂の方に足を運んでしまっていた。

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