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「エレナさん、こちらのお菓子も美味しいですよ」
「は、はい、頂きます。ありがとうございます」
「サム様の腰は心配ですが、エレナさんとお茶ができて嬉しいですわ。サム様やローラさんから、とても働き者で可愛らしい子がメイドとして来てくれたと聞いておりましたから。まさかジェシカさんのルームメイトだったとは、思いませんでしたけれど」
目の前の女性から艶然と笑いかけられ、エレナは胸をドギマギさせる。三十歳半ばくらいだろうか、成熟した大人の美しさが際立つ。
ジェシカ憧れのマリー様と私がお茶してるなんて……! 人生何が起きるかわからないものねぇ。
迎えに来た王女付きの護衛騎士の後を付いていったエレナは、王族の居住空間の手前にある応接間に案内された。
茶色いソファーと低いテーブル、腰の高さほどで横に長い本棚、窓には青いカーテンがかかった落ちついた内装だ。しかし見るものが見れば高級なものばかりだとわかる。
エレナはひざにクロが入ったかごを乗せ、緊張の面持ちで待機していた。すぐにノックが聞こえ、声が裏返らないように返事をする。
そこに現れたのがこの美女、マリーだった。そのままお茶に誘われ、クロは護衛騎士がアイリーンの元へ連れていってくれた。
「総合室の皆さんは優しくて、とてもお世話になっております。私の方こそ、マリー様にずっとお礼を申し上げたくて。ジェシカを助けてくださって、ありがとうございました」
「まあ、私もエレナさんも、王宮で働く職員ですのよ。様は必要ありません。ジェシカさんのことも、もしエレナさんが立ち会ったら同じように声をかけるはずですわ」
「は、はい。マリー、さん」
「うふふ、本当に可愛らしい。一昨日ローラさんが、中庭から時折聞こえる唸り声についての注意喚起でこちらにいらしたときも、エレナさんのお話をされていたのですよ」
はにかむエレナに名前を呼ばれ、マリーは大きなつり目気味の金色の瞳を細くさせる。同時に、彼女の頭の上の猫耳がピクピクと動き、尻尾がゆらゆら揺れた。
マリーは第二王女アイリーン付きの筆頭侍女であり、ボスポラス海国では珍しい獣人と人間のハーフなのだ。
母親が獣人国バーントシェンナの猫獣人、父親がボスポラス海国の貴族で、外見や顔の作りはほぼ人間と同じだが、猫耳と尻尾が母親の特徴を引き継いでいる。肩まで伸びたふわふわの緑色の髪に白い猫耳と細長い尻尾は、背の高い整った美しい容姿にチャーミングな印象を与えた。
既婚者であるマリーの伴侶は、忠臣ボニファシオ伯爵の次男で、海軍の事務方で働いている。
エレナは掃除室の先輩たちから、二人の恋物語を延々と聞かされたことがあった。
何でも、マリーが現在の国王陛下の弟君である王弟殿下の事務官を務めていたときに、用事で海軍本部を訪れたところ、お相手に一目惚れされたそう。仕事に生きるつもりだったマリーをあの手この手で口説き落としたらしい。
まるで恋愛小説さながらの展開に、エレナは目を輝かせたものだ。
マリーと話したのは今回初めてだが、エレナの以前のルームメイトであるジェシカがマリーの大ファンだった。結婚が決まったジェシカは、ある同僚に呼び出されて散々嫌味や罵倒を言われたところを通りがかったマリーに助けてもらったらしい。
話を聞いていたエレナは、大切なルームメイトを救ってくれた恩人にいつか感謝の言葉を伝えたかったのである。
ジェシカに手紙でマリーさんと会ったことを報告しなくちゃ! これはこれですっきりしたけど、ローラさんもサムさんも、私のどんな話をしているんだろう……。気になるけど、自分で聞くわけにもいかないし。ううん、ひとまず別の質問して、場を繋ごう!
にこにこと微笑んだままのマリーに、エレナは自分のことではなく、彼女に会ったときから疑問に思っていたことを聞いてみた。
「あの、マリーさんの目の色って、金色なんですね。以前お見かけしたときには、茶色だったように記憶していたのですが……」
「ああ! これは、満月の影響なのです」
「満月?」
「獣人は満月の日になると瞳が黄金になって力がみなぎり、徹夜でも戦うことができるのですよ。私は半分獣人の血が流れていますから、戦闘力はあまりありませんが、夜でも昼間のように周りがよく見えるようになります」
「そうなのですね」
感情も高ぶるようで、普段は王女付きの侍女という仕事柄、耳や尻尾の反応を理性で止めているが、満月の日は素直になりやすいらしい。
「ただ、その反面翌日はとても疲れやすくなりますので、私は満月の日には力を抑える特別な薬を飲んでいますの。今日はお昼で仕事を切り上げて、後は休みを取って……あっ」
「どうかされました?」
「いえ、ちょっと気付いたことが……あの日も、あの日もそうだったわ。まあ、もしかしたら」
マリーは黄金色の瞳を爛々とさせながら、自分の記憶を探っているようだ。エレナは邪魔をしないように、勧められたお菓子に手を伸ばした。




