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昼後の仕事が一段落する休憩時間に、総合室の面々が戻ってきた。
窓際に置かれた愛用のロッキングチェアに揺られながら、サムが手元の新聞に目を止める。
「ほう、獣人国バーントシェンナ内で頻発していた誘拐事件、やっと黒幕が捕まったか。虎獣人の伯爵か、なかなかの大物じゃの」
「平民だけじゃなくて貴族まで行方不明者が出て、でも身代金は要求されなかったんだっけ? たしか、狼獣人が多く拐われていたから、余計にうちの国でも話題になっていたわね。何が目的だったのかしら」
会議用テーブルの上のクッキーをつまんでいたローラが顔をしかめた。その隣で紅茶のカップを持ち上げながら、エレナは以前読んだ世界地図を思い出す。
獣人国バーントシェンナは、ここボスポラス海国と海を挟んだ向かいにある島国だ。代々ライオンの獣人が国を治めており、個々の身体能力の高さから、傭兵を派遣することで外貨を稼いでいる。特に狼の獣人は頭の良さと優れた戦闘力を兼ね備えていて、獣人最強と恐れられていた。
「これから犯行動機が証されるだろうが、バーントシェンナの魔女が関わっていたとの情報があるようじゃ」
「魔女は横の繋がりが強い。我が国の魔女にも話を聞くことになるはずだ。そのときには総合室に仕事が回ってくるので、心しておくように」
エレナの向かい側に座るジョンは、総合室内にいる面々を見渡した。
魔女とは、プラシア大陸の国々にだいたい一人ずつ住んでいる、不思議な力を使う女性のことだ。
自らを名乗るときは、住んでいる国に「魔女」と付けるだけなので、本当の名前は誰も知らない。素性はほとんど謎に包まれ、知られているのは、彼女たちの力でこの世界の生活様式が格段に豊かになった、ということくらいだ。
魔女様にお会いできるのは、代替わりのご挨拶をなさる新しい国王陛下やジブラルタル家の当主など、ごく限られた人たちだけのはず。本当に、ただの監査機関なのかしら……。
戸惑うエレナに気付いたローラが苦笑いを浮かべた。
「ああ、エレナはまだ知らないわよね。以前、総合室が請け負った案件で偶然魔女との繋がりを得たのよ。面倒な……いえ、気まぐれな女性だから、特定の人としか会おうとしないの。うちではジョンが一番気に入られているかしら?」
「不本意ながらな」
「まあ、さすがジョン室長ですわ! ボスポラスの魔女様といえば、とてもお美しい方なのですよね」
「確かに、客観的に見て非常に見目麗しい容姿をしている。俺としては、その……エレナくんの方が、断然かわ……」
「わっ、ちょっと!」
カツーン! カラン、カラン。
悲鳴と同時に、何か固いものが木の床に落ちる音が聞こえた。
エレナは椅子から立ち上がり、慌てるルーカスがいる出窓にすぐさま向かった。耳を赤くしたまま俯くジョンに、サムとローラが同情めいた視線を送る。
「どうしました、ルーさん」
「お皿から餌を取ろうと目を離した隙に、クロが突然走り出して、出窓から落ちてしまって……よいしょっとぉ。甲羅は割れていないし、怪我はないみたいです。はあ、良かったぁ」
「クロにもしものことがあったら、カメリーンが黙っていないじゃろう。安心したわい」
「クロってお行儀がいいから今までここから落ちたことなかったのにぃ。こんな俊敏な亀、見たことないですよぅ!」
ルーカスがクロを持ち上げ、再び出窓に乗せると、その場で忙しげに短い手足をばたつかせる。
エレナはルーカスからフォークを受け取る。
「代わりますわ。クロさんは、毎日部屋中歩き回ったり、サムさんのお散歩に付いていっていますから、体力がついたのでしょうね」
「好き嫌いもないようね」
「はい、特に鶏肉をゆでたものはペロリと食べてしまいます」
「クロとカメリーンの食事は、あたしが用意してるのよ? よーく感謝してよね」
食堂と掛け持ち勤務のローラが、立派な胸をぐんっと張ってクロに近付く。少し落ち着いたのか、黒い亀は彼女に視線を合わせ、ゆっくりと頭を下げた。そしてまた、フォークから鶏肉をはむはむと食べ始める。
その様子を見ていたルーカスはテーブルに戻り、ジョンの隣に座った。氷を入れた冷たい紅茶をこくりと飲んで、上司だけに聞こえる声で呟く。
「クロは、カメリーンと同じ精霊的な存在なのかもしれませんねぇ」
「そうだな」
「さっきは何に反応したんだろう。獣人国の話でしょうか」
「そうだな」
「……クロは特にエレナさんになついているみたい。エレナさんって、危機回避能力っていいながら、何だか色々なものに好かれやすいっていうか、引き寄せていますよねぇ」
「そうだな」
「室長も含めてって意味ですよ」
部下から脇腹をつつかれ、満面の笑顔で亀に鶏肉を食べさせる想い人を凝視していたジョンは、はっと我に返った。昼食時の幸福な時間をつい思い返し、上の空で返事をしていたことに気付く。
「……すまん」
「休憩中ですから、別にいいですけどぉ。あれ、何だかクロが僕を見て、申し訳なさそうに目線を下げているような……暴れてごめんってことかなぁ」
「俺には、得意気な顔で見下しているように感じるんだが……確かに、あんな近い距離にエレナくんがいるのは羨ましすぎる」
「室長……」
ギリッと奥歯を噛み締めて亀に嫉妬する上司を見て、ルーカスは思わず肩をポンポンと慰めるように叩いた。




