第89話 第40階層のボス
いったいこの迷宮は、どこまで続くのだ?
バール将軍は困惑していた。
『ムセリット最大の迷宮』
今自分達のいる場所が、そう呼ばれていることは、バール将軍も当然知っていたが、これほど深い迷宮だとは想像できていなかった。
探索開始から既に6日目──
第40階層に達しても尚続く迷宮に、バール将軍に焦りが生まれていた。
初日は第10階層のボス部屋も難なく突破し、第14階層まで達することができた。
2日目もペースは落ちず、行く手に現れる邪魔な魔物を討伐しながら最短コースを進み、第25階層のボス部屋の前に到達したのだった。
圧倒的な銃火器の威力の前では、迷宮のボスも敵ではない── バール将軍は、そう信じ切っており、第25階層のボスに対しても、第10階層のボス部屋の時と同様の対応を行った。
扉を開けると同時に、部屋の中に手榴弾を投擲し、銃による1分間の一斉掃射。
部屋の中に入ると、中は砂地になっていたが、手榴弾の爆発で砂は窪地になり、2m級の蠍の魔物が4匹倒れていた。
更に部屋の中央には、6m程もある巨大な蠍の魔物が、全身から血を吹き出して倒れているのが見えた。
今回も予定通り、無傷でボス部屋を通過できる── その筈であったが、
ドバッ!?
部屋の隅の砂が盛り上がった、と同時に小型の蠍の魔物が飛び出し、部屋を通っていた後方の部隊が襲われた。
魔物はすぐに退治されたが、荷車が1台壊され、数人の負傷者が出てしまったのだった。
迷宮探索のエキスパートなら、絶対にしないミス── ボス部屋を通過するときは、細心の注意を払うのが当然であるが、バール将軍の部隊は迷宮探索に慣れていなかった。
マチョリカ公国には迷宮が3つしかないため、迷宮探索を専門にする部隊がない。しかも、ここまで順調に来すぎていたこともあり、心の隙が生じてしまったのだ。
荷物の積み直しに、負傷者の治療。
その後の進行速度は、大幅に遅くなった。
・・・・・・
バール将軍は、迷宮探索の命を受けたとき、可能な限りの情報収集を行った。
レムス王国では、5年前に60人規模の調査隊を送り、20日間に及ぶ迷宮探索を行っており、第38階層に到達していることがわかった。
その情報から、バール将軍は第38階層を迷宮の最奥だと思っていたのだが、レムス王国の最新の探索は2年前に行われている。
100人規模の調査隊での30日間の大探索―― その結果、第48階層までの地図を完成させることができたのだが、多くの犠牲を出していた。最も多くの犠牲を出したのが第40階層のボス部屋だった。
・・・・・・
用意していた食料は殆ど底をつき、迷宮の魔物を食料の足しにすることになった。
部隊の足取りが重いことは、誰の目にも明らかだった。
階層が進むに連れ、魔物が強くなってきたこと以上に、いつまでもゴールの見えない探索と食べ慣れない魔物の肉が、全員の体力と気力を奪っていた。
そんな時、目の前に再びボス部屋と思われる扉が現れた。
「またボス部屋か……」
バール将軍は小さく呟いた。
この部屋の先に、今度こそ目的の物があってくれ。
「ズラーマン、目的の物はこの扉の先にあると思うか?」
一縷の望みを持ってズラーマンに尋ねるも、ズラーマンはあっさりと首を横に振った。
「いいえ…… 残念ながら、それはまだまだ奥の階層にあると思われますね」
ズラーマンは妖気の濃さで『目的の物』を追跡している。この階層に漂う妖気は、まだそれ程強くはなかった。
「ここのボスを倒しても、まだ迷宮は続くのか……」
今回の探索は失敗だ……
バール将軍は、ここで探索を諦め引き返すことに決めようとした。
・・・・・・
ズラーマンは、あまりの迷宮の深さに困惑していた。
魔王様はこの迷宮で何らかの儀式を行い、自身に不測の事態が起きたときの対策を用意された── それは魔王軍六将軍だけが見ることを許された【魔王記】と呼ばれる記録書に残されている。
魔王記には、魔王が1人で迷宮に潜り、5日後に戻ってきたことが書かれていた。
そのため、ズラーマンは『魔王復活の鍵』は迷宮のそれ程深くない階層にある、と思っていた。
如何に魔王様といえど、こんな深い階層まで1人で来るのは大変な筈── 何か、目的の場所へ行くための手段があったのかもしれない。
そういえば、魔王記にそのような事が載っていた気がする。
ズラーマンは、魔王記の内容を必死に思い起こす。
そうだ! 石碑だ!
魔王様は迷宮内にいくつかの石碑を設置し、そこに探索の手掛かりを残されたという。石碑が設置された階層は、確か…… 13、41、69、97だった。
ここから1番近いのは41階層だ。41階層に行けば、石碑が見つかる筈だ!
「バール将軍。私の記憶では、次の階層には『我らの求める場所』の手掛かりが記された石碑がある筈です」
「ズラーマン、それは真か!?」
「ええ、間違いございません」
ズラーマンの自信に満ちた返事に、バール将軍の目に力が戻る。
探索を打ち切ろうと思っていたバール将軍だったが、その考えは打ち消すことにした。
「我らの目的の場所はすぐそこだ! 皆の力で、このボス部屋を突破するぞ!」
部隊全員に檄を飛ばした。
・・・・・・
ここでも基本的な戦法は同じ。
扉を開けると同時に、部屋の中に手榴弾を投擲し、銃による一斉掃射を行った。
攻撃終了後―― 部屋の中央付近から煙が立ち込めていて、中の様子がはっきりと見えない。
ボスは退治できたのだろうか?
バール将軍は、3人の部下に部屋の中を調べるように命じた。
部下達が慎重に煙に近付いていく姿を、入り口付近で見守っていると
「うがっ!?」
3人は呻き声を上げると、突然地面に倒れこんだ。
「どうした!? しっかりしろ!?」
バール将軍が3人に駆け寄ろうとするところを、誰かが肩を押さえて止めた。
「バール将軍、お止めなさい。残念ですが手遅れです。あれは毒の煙です」
「どういうことだ、ズラーマン!? あの煙が毒だと!?」
「そうです。あそこをよく見てください。この部屋のボスがいますぞ」
バール将軍が煙の方を凝視していると、まるで煙が何かに吸い込まれるように消えていく。
そして、そこに現れたのは――
「驚きましたな…… あれは【毒スライム】ですぞ」
巨大アメーバ状の魔物であるスライムは、ムセリットでは魔族領にしか生息していない珍しい魔物であった。
「毒スライムだか何だか知らんが、部下の仇だ! 射撃用意! あの魔物を攻撃しろ!」
銃撃により、毒スライムの身体が粉々に吹き飛んでいく。
「バール将軍、無駄ですから攻撃をお止めください」
「何が無駄だ! ヤツはバラバラになっただろうが!」
毒スライムのいた場所には、また煙が立ち込めていた。
そして、その煙が消えていくと
「ば、馬鹿な……」
再び毒スライムがそこに存在した。しかも、2匹に増えている。
「スライムは、魔力の込められた攻撃で核を潰さない限り、何度でも再生するのです。しかも核が分裂すると、あのように数が増える厄介な魔物なのです」
銃火器の威力を過信するあまり、今回の探索に攻撃魔法を使える人員を用意していなかった。
「こうなったら、私自らヤツに接近し、魔法剣で斬り殺すしかあるまい!」
バール将軍は腰の剣を抜こうとしたが、
「それも無理です。奴の周囲には毒の霧が立ち込めております。近付けば、毒の餌食ですぞ。ここは一旦引いて、作戦を立て直しましょう」
「くっ……」
ここに留まっても埒が明かないことを悟ったバール将軍は、一旦部屋を後にすることにしたのだった。