第20話 恨みを買ったようです
「随分寂れた所ですね…… こんな場所に温泉場があるんですか?」
私達が歩いているのは、温泉町の中心から外れた人気の少ない道。
「当たり前だよ! 大通りの温泉場には銀貨1枚じゃ入れないから!」
「そうそう。今から行くのはラップルで1番安い温泉場なのよ」
「ああ! 1時間銀貨1枚で済むんだもんな!」
1番安くて入浴料が1時間で銀貨1枚? この国の物価が全然理解できません。
夕食を取った食堂では、ボリュームたっぷりの猪肉に山菜料理、締めの温泉タマゴ付きで、1人あたり大銅貨3枚でした。前世の感覚では3千円以上の価値はある料理のように思えたけど、それじゃあ温泉の入浴料って5千円以上ってこと!?
それって『高過ぎ』だと思うんだけど、誰も不満に思っていないということは、温泉には『それだけの価値がある』っていうことだよね!
否応無しに高まる期待!
そして到着したのは―― 年期の入った結構くたびれた温泉宿…… 本当に期待しても大丈夫?
・・・・・・
「マセル! そっちは女風呂だぞ!」
あっ! 前世の癖で無意識に女風呂に向かってしまった私……
「マセル、スゲェな。あんなに堂々と女風呂を覗きにいく奴、初めて見たぞ!」
「ち、違います。ちょっと間違えただけですよ……」
「ちょっと間違えた? 普通間違えないだろ」
うっ…… 前世が女だったから―― なんて言い訳が通用する筈ないですよね。
「マセル! 女風呂に入りたいなら入ってもいいんだよ」
エミリさんとディアナさんが、女風呂の方から手招きしてるけど?
「マセルはまだ8歳のお子様だから、どっちに入っても構わないのさ」
そうか。小さい子供はどっちに入ってもいいんだね。
私としては、女風呂の方が慣れているだけにそっちに行きたいんだけど、やっぱり男風呂に入ることにします。
お風呂の習慣のないこの世界に転生してから、私は1度も他人の裸を見たことがない。特に男性の裸は、前世でも父と弟以外は見たことがなかったのよ。
別に他の男性の裸が見たい訳じゃないけど、今後のことを考えると男性の裸に慣れておく必要があると思うのよ。
「僕、男風呂にします」
そう言って男風呂の方に行きました。
中に入ると番台があって、お婆さんが座っています。お婆さんに料金を払うと、桶を貸してくれました。
私、銭湯って前世では1度も利用したことがなかったけど、似たシステムだよね。不思議な懐しさを感じましたよ。
脱衣場で服を脱いで…… って、あれっ?
リックくん、服のまま浴槽に行きますよ?
「リックくん、服を脱がないと!」
私がそう言うと、リックくんはキョトンとした目で私を見て
「服を脱ぐのは浴槽に入る前だろ」
えっ? 服を脱ぐのは浴槽に入る前?
リックくんの言ってることが理解できません。
リックくんに続いて浴槽に行くと、先客が1人いました。その光景に絶句する私。
ない! 有り得ないでしょ!?
「ど、どうして温泉で服を洗ってるんですか!?」
紫髪のおじさんが、服にお湯をかけて洗濯していますよ!?
こんなこと日本でしたら、絶対に追い出されるよ!
「マセル、何を言ってるんだよ? 温泉で服を洗うのは常識だろ。お湯なら服の汚れもよく落ちるし」
『汚れがよく落ちる』って……
確かに洗剤も石鹸もないこの世界で服の汚れを落とすには、お湯が効果的なのはわかります。でも、その後どうするんですか?
リックくんも私も着替えを持ってきてませんよね。濡れた服を着て野宿するのは嫌ですよ!
「着替えがない? 何言ってんだよ。ちゃんとあそこに魔道士がいるだろ」
魔道士? 浴場の端にローブを着た2人の魔道士らしき人達がいるけど、彼らはいったい?
「そうか、マセルは温泉に来るのが初めてだったんだな。緑のローブの魔道士は【乾かし屋】なんだ」
乾かし屋―― 風系統の上級基礎魔法の【乾燥】を使って、びしょ濡れの服でも5分程で乾かしてくれるのだとか。その料金は入浴料に含まれているそうです。
「じゃあ、茶色のローブの人は何をするんです?」
「そっちは【ほぐし屋】だよ。乾かし屋に服を乾かしてもらってる間、身体をほぐしてくれるんだ」
ほぐし屋―― マッサージ師ですね。土系統の上級基礎魔法【ダウジング】を使って、凝りを見つけてほぐしてくれるんだとか。その料金も入浴料に含まれているそうです。
前世の常識では図れないことが、いろいろとあるんですね。私の知らないことだらけです。もしかして、私って『常識の無い人』って思われているかも……
「マセルの分からないことは、僕に聞けばいいぞ。マセルはまだお子様だから、常識が無いもんな!」
がーん!
やっぱり常識無いって思われているんだ……
「その代わり―― マセル! 風魔法で俺をあの壁の上まで飛ばしてくれ!」
あの壁…… 男湯と女湯を隔てている壁のことですよね?
まさかリックくん…… 本当に女風呂を覗くつもりなの!?
そうですか…… リックくんは【女性の敵】になりたいんだね……
いいでしょう!
お望み通り、風魔法で壁より高く吹っ飛ばして差し上げますよ!
私は目を閉じてゆっくりと詠唱を始めました。最近ベンプス先生の授業で教わった戦闘系初級風魔法――
「旋風!」
「えっ?」
リックくんの足元から旋風が発生する。
うわあああぁぁぁ!!!
風に巻き込まれ、グルグル回転しながら舞い上がるリックくんの悲鳴が響き渡る。
そして!
横にいたおじさんの頭が!? 風に飲み込まれて舞ってしまいました……
ごめんなさい!!
・・・・・・
「いやぁ、凄かったな! 折角壁より高く舞い上がれたのに、女風呂覗く余裕がなかったわ!」
リックくん…… そこまで来ると、呆れを通り越して感心してしまうよ。
でもね、犯罪者にはならないでくださいよ。
それよりも気になるのは、あのおじさん―― カツラが飛んだというのに、おじさんは特に怒ることもなく、カツラを拾い上げてニコニコしながら無言で温泉から出ていきました。
絶対に怒られると思ったのに、優しいおじさんで助かったよ。
あまりの出来事に、私は呆然としてしまって、謝ることもできませんでしたけど、今度見掛けたらしっかり謝罪しなきゃ…… 本当にごめんなさい!
アクシデントはあったけど、天気も良くて満天の星空を眺めながら浸かる温泉は最高でした!
最初は1時間で銀貨1枚は高いと思っていたけど、しっかりと堪能できました!
洗った服を乾かしてもらって、マッサージまでしてもらい、疲れも完全に取れました。洗い立ての服の着心地も思った以上に良くて、大満足の1時間でした!
私とリックくんが温泉を出ると、ちょうどエミリさんとディアナさんも出てきました。
「男風呂、ものすごく賑やかだったけど、何かあったの?」
「誰かの悲鳴が聞こえてたけど、どうかしたのかい?」
「な、何でもないですよ。あははは……」
流石にばつが悪いので、笑ってごまかしました。
「もうすぐ閉門の時間だし、急いで野宿の場所に戻るぞ!」
私達は足早に温泉場を後にしました。
その時の私は気付いていませんでした……
物陰から私を睨んでいる人物のことに……
◇ ◇ ◇
「よくもこの私に恥を掻かせてくれやがって! 絶対に許さん!」
それはあの温泉にいた男の姿だった。
カツラを持つ手が怒りに震えている。
「折角の温泉だし、今はまだ大人しくしておいてやろうと思っていたが―― あの小僧だけは許せん! 私の可愛いペットを使ってズタズタにしてくれる!」
男の目は不気味に光っていた!
へ、へくしょん!
男の服は濡れたままだった……




