第104話 不安でいっぱいです……
「マセル? 何ボーッとしてるんだよ?」
私に心配そうに声を掛けてくれたのはリックくんです。
私は今日も、午前の基礎教養の授業が終わった後、食堂でいつもの3人── リックくん・エミリさん・ディアナさん達と昼食を取っている。
「また、『遠征』の事を思い出してるのかい?」
私は、ディアナさんの問いに軽く頷きました。
あの、悪夢のような『遠征』の日から、もうすぐ1ヶ月が過ぎようとしている。
あの時私は、1人だけで第99階層まで戻り、その後も倒れている人達を見捨てる形で上の階層に逃げたのでした……
何処をどう彷徨っていたのかも良く覚えていないけど、途中の階層で神官長達に会ったことだけは覚えています。
後から聞いた話では、その時の私は相当取り乱していたみたいで、神官長達は私を心配して、すぐに【迷宮脱出の巻物】を使ってくれたそうです。
そのお陰で、私は無事に第二学院に帰ってこれたのですが、その巻物はとても貴重なものだったらしく、私は知らない内に『ベンプス先生の給金の1年分』という、大きな借金を抱えることになっていたのでした……
「でも、よくあの迷宮から戻ってこれたよね。マセルの運の良さは、絶対に冒険者向きだよ」
ディアナさんはそう言ったけど、私の運は寧ろ『最悪』だと思う。運が良いなら、1人だけ迷宮の奥に飛ばされることもなかったし、魔王に出会うこともなかった筈です。
あの日のことは、まるで夢の中の出来事だったような気がするけど、全て現実だ。
あの後、迷宮に残っていた人達がどうなったのか? その事を考えると、自分だけが逃げ帰って無事でいることに、強い罪悪感を感じる日々が続いています。
・・・・・・
昼食後、私は戦闘魔法技能科の教室へ行く途中の廊下で、普段そこにはいない人物の姿を見つけました。
神官長ともう1人―― 以前マチョリカ公国へ行ったときに一緒にいた謎の男性です。彼のことは【ジェロス】という名前以外は、私は何も知りません。
「マセル、いいところにいました」
「神官長様、僕に何かご用でしょうか?」
神官長は私を探していたみたいです。正直、悪い予感しかしません……
「漸く準備が整いました」
準備が整った? あまりに唐突すぎて、神官長の言葉の意味が理解できません。
「準備── って、何の準備でしょうか?」
「勿論『迷宮』へ行く準備です。あなたも、明日迷宮へ向かう準備をしておきなさい」
迷宮!? それって、もしかして……
「また、あの巨大迷宮に行くということですか?」
神官長は『当然です』と言わんばかりに頷きます。
「僕も行く必要があるのですか?」
「あなたには、迷宮の最奥までの道案内をしてもらわなくてはいけません。そして、【魔王復活】の事実を確認するのが、今回の私達の任務です」
第二学院に戻った後、私は【魔王復活】のことを神官長に伝えました。それを確認するために、迷宮の最奥の『王の間』まで行こうとしているようです。
流石にもう魔王は『王の間』にはいないと思うけど、私が逃げた後のことが気になっていたのも事実です。
正直、『王の間』へもう1度行くのは怖いけど、私には確認する義務があるような気がします。
「わかりました。僕も行きます」
私は同行することを承諾しました。
「それで、どれくらいの人数で向かうのですか?」
「私達3人だけです」
へ? ベンプス先生やゴランド先生やマチルダ先生は?
「ベンプス先生達は行かないのですか?」
「先生方には授業があります。生徒達の授業を放っておくわけにはいけませんから」
私の授業は『ほったらかし』ですけど……
それに、いくらなんでも、3人だけで100階層もある迷宮に挑むなんて無謀だよ!?
深い階層には、魔獣級の魔物がうようよいることはわかってますよね? 私なんて、絶対に戦力にならないよ……
私は同行を承諾したことを後悔しました。
◇ ◇ ◇
そして、翌日──
私達はジェロスさんの転移魔法で、迷宮の入り口前までやってきました。
「いったいこれは!?」
「そんなバカな……」
私達が目にした光景は、信じられないものだった……
「迷宮の入り口が失くなっている……」
迷宮の入り口が完全に崩壊して、中に入ることができなくなっていたのです。
いったい、ここで何があったの?
これじゃあ、『王の間』まで行くどころではないです。中に入ることすらできないよ。
「ジェロス。ここで何が起こったのか、見当が付きますか?」
「いえ…… 迷宮の入り口が崩れて失くなる、などという現象は、私の知る限り1度も聞いたことがありません」
この辺りで大地震でも起きたのかも?
いいえ、それではこの周囲に全く被害がない説明が付きません。
これって恐らく、あの【魔王】が関係している気がする。
私が脱出した後すぐに迷宮が崩壊したのだとすれば、迷宮の中にいた調査隊の人達は全員助からなかったかも……
私にとっては全く面識もない赤の他人だけど、それでも結果的に見殺しにしてしまったことに違いありません。
「これでは、魔王のことを調べるどころではなくなりました」
「そうですね、グレシア様。それに、【謎の調査隊】のことも調べられそうにありません」
謎の調査隊?
「あの……【謎の調査隊】って何ですか?」
「マセルが迷宮で会ったという調査隊のことです」
神官長が仰るには、私達の遠征と同時期にレムス王国で『調査隊が派遣された』という事実がなかったそうです。
それじゃあ、私が迷宮で会った『あの人達』はいったい何者だったの!?
「他国からの侵入者と考えるのが妥当です。何処の国の者なのか? 連中の目的が何だったのか? ということも調べるつもりでしたが、これではお手上げです」
ジェロスさんは残念がっていますが、今の彼の言葉で、私は少しだけ気持ちが軽くなりました。
そうか! あの人達は、他国のスパイだったんだ!
他国のスパイだからといって、あの人達が犠牲になっていい、というわけじゃないけど、彼らがレムス王国の敵対国の人だったと考えれば、少しだけ罪悪感が薄れます。
でも、あの仮面の人達もスパイだったのかな?
・・・・・・
「魔王が復活したことが事実だとすれば、その内魔族が人族の領域に攻めてくるでしょうね」
「その時の為に、我々は戦の準備を整える必要がありますが問題は…… グレシア様は、今の人族が魔族に勝てるとお思いでしょうか?」
結局私達は何も手掛かりを得ることなく、第二学院まで戻ってきました。
そして今の私は、神官長の執務室の中で、神官長とジェロスさんが話し合っているのを黙って見ています。
「今は人族の多くの国がいがみ合っている状態です。このまま魔族との戦争になれば、幾つかの国は簡単に滅ぼされるかもしれません」
「グレシア様もそうお考えですか…… 人族全体が協力する必要があるというのに、今のままでは魔族共の思う壺です」
私はムセリットに転生してから、この世界にどれだけの国があるのかも、世界情勢がどうなっているのかも殆ど知りません。でも、2人の会話を聞いている限り、国家間の争いは多いみたいですね。
「レムス王国としては、ジャガル帝国と講和条約を結べたことは良かったのですが、問題はマチョリカ公国の方なのです」
ジャガル帝国とはちょっと前まで戦争状態だったけど、マチョリカ公国とは同盟関係の筈です。それなのに、どうしてマチョリカ公国が問題なんですか?
「ジェロス、マチョリカ公国に何かあったのですか?」
「実は2ヶ月前に、マチョリカ公国が【アドミナル皇国】を攻撃したのです」
「アドミナル皇国を攻撃した!? 攻撃『された』ではないのですか?」
アドミナル皇国―― それは、私でも名前を知っている【五大国家】の一つで、その領土はレムス王国以上と聞いています。
「攻撃『した』のです…… しかも、僅か数日でアドミナル皇国側が敗戦を認め、皇国領にある迷宮のいくつかが、マチョリカ公国の支配下に置かれたそうなのです」
「アドミナル皇国が負けたのですか…… あの時見たマチョリカ公国の武器の威力なら、それも不思議ではないですが、目的は『迷宮』だったのですか?」
「わかりません。しかし、マチョリカ公国の目的が迷宮なら、レムス王国を攻めてくる可能性も考えられます」
2人の会話を聞いていると、不安でいっぱいになってきます。
魔王復活にマチョリカ公国の脅威…… 1つだけでも大変なのに、これから『この世界』はどうなるんだろう?