第六話 絶望足音、希望想起
「なにもあんな言い方することなかったじゃない!」
二人となった広間で鈴香は卯唯にまくし立てる。
到着した際は綺麗に纏まっていた金色の髪が今は激しく乱れ、表情に現れた怒りを隠すように顔にかかっている。
対して、矛先を向けられた卯唯は落ち着いたもので言葉尻を乱すこともなく応じる。
「なら言わない方がよかった?あのまま取り繕ったように彼を護っていればすずは満足なのかい?」
「そんなつもりじゃ……」
「ずっと自分がいれば何かできたと暗示をかけ続けながら後悔を背負って生きていくことが彼にとって一番の幸せだと思ってるのかい」
次第に俯く鈴香の頭を優しく撫でながら語りかける。
「あのね、すず。本当の意味で何が最前だったかなんて全てが終わった後にも、本人でさえわからないものだ。他の選択肢を選んだ結果との比較なんてできないからね。じゃあどうするか。何ができるのかは分かるね」
「その時自分が最善だって信じたことに全力で向き合う……でしょ」
噛み締めるように呟く鈴香をそれ以上は何も言うことなく両腕で抱きしめる。
「あぁもう!苦しい!胸でかい!腹立つ!!」
「はははっ!すずはこれからだろう、心配いらないよ」
「うるさい!心配してるわけじゃないもん!じゃあ……私もう行くから」
「あいよ、今夜は少し肌寒いらしい。あったかくして行っておいで」
卯唯はそう言って明るく送り出す。
「彼を、そして何よりも自分自身を信じてあげるんだよ」
迷いない足取りで駆けていった鈴香には最後の言葉は届いてはいないだろう。
だが、それでよかった。
一人残された卯唯は持て余す大きな背もたれにどっかと体重を預けて天井を見上げた。
「しっかし、よりにもよってあの少年が佐久間君だとはねぇ。これはちょっと一悶着は避けられそうにないなぁ」
そんな台詞とは裏腹にその声はどこか楽しげだった。
大きく息を吸い込む。目一杯空気を取り込み膨らんだ肺が、双丘を持ち上げる。
「あ〜あ!私も青春したいなぁ!!!」
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一度きりの人生で思い通りにいくことが何度あるだろうか。
夢はいくつ叶えることができるのだろうか。
そういったものには『自分自身が頑張りさえすれば成し遂げることができるもの』と、他人の干渉を避けては通れないものの二種類があると思うのだ。
ただその全てに共通することは、己が努力なくしては一つとして成すことができないということだ。
さっきからずっと頭の中を考えるでもなくそんなことが巡っている。
神社に長くいたせいで、いつの間にか夜になっていた。
普段から人通りが少ないのか人の姿は見えない。
しかし、そんなことは今の僕にはどうでもよかった。
「ごめんなさい、志帆さん。あなたを殺したのは僕だ。あんなに一緒にいて、あんなにあなたに憧れておいて、僕は何もできませんでした。僕はヒーローになりたかった。あなたの笑顔をずっと護っていけるような……そんな強い男に。ですが所詮は口だけ。言うだけなら誰にだってできるんです。ごめんなさい、ごめんなさい……」
彼女に届くように、そして自分を戒めるように何度も何度も何度も何度も懺悔の言葉を繰り返す。
そんな時だ。
突如、抗いようのない吐き気が襲った。
手足の感覚がほとんどなく涙に濡れて視界がぼやけている状況にありながら、その胸を貫く痛みは鮮明に僕の内部を打ち付けた。
「がぁっ……!うっ……あああああああ!!」
時間にすれば五秒、不快感に押し出されるカタチで僕は墨にも似た真っ黒なソレを吐き出した。
流れ出る量に反比例するように胸の痛みは消えていった。
全てを吐き出し前を向いた僕は初めてソレを認識した。
一見すると大きな狼のようだ。
高さ約五メートル、全長は十メートルを優に超える。
地面を突っ張る四本の脚はそれぞれが電柱を三本纏めたように太い。
真紅の瞳がこちらを見据えている。
狼は胸部に蓄えた毛を震わせながらこちらへゆっくりと近づいてきた。
抑えきれない怒りをぶちまけるように力強く一歩、また一歩。
自らの欲を満たすためならば他の犠牲は一切厭わないとでも言いたげな足取りだ。
地を揺らしながら確実に近づいてくるのだが、不思議と恐怖は抱かなかった。
むしろ……。
「ダレダ……ダレガ……カナラズ…………コロス」
「お前は僕……なのか」
顎門から唾液と共に漏れ出る憎悪には、親しみすら覚える。
直感が告げている。
コレは紛れもなく僕が抱いた感情なのであると。
生暖かく荒々しい鼻息が顔を覆う。
今や視界の八割は狼の顔で埋め尽くされていた。
未練はない。
川に命を投げ棄てようとした僕だ。
溺れ死ぬことが私怨に喰われ死ぬことに変わるだけだ。
この世にはもう。
静かに目を閉じ、覚悟を決めた時だ。
幾人かの人影が瞼の裏に現れた。
走馬灯というものか、見知った人々が僕を囲むように輪になっている。
志帆さんの笑顔は瞼の裏でも昔と変わらず輝いている。
鈴香、助けてくれてありがとう。せっかく救ってくれたのにごめん。
父さん、母さん、何も返せず先に逝く親不幸な僕をどうか許してください。
そして、えっと君は……誰だい?
輪を抜け目の前まで駆けてきた少年が澄んだ瞳で僕を見上げている。
こちらの質問に対し、返答はない。
おもちゃの剣を大切そうに抱えたその子は、眼差し同様希望に満ち溢れた声で言った。
「僕ね、強くなっていつか志帆ねぇみたいになる!やっぱりやめた。志帆ねぇより強くなる!そしたら今度は僕が護ってあげられるから!!」
目を背けたくなるほどに眩しかった。
あぁ、目の前の狼とは似ても似つかないが、これも僕なのだ。
……諦めたはずだ。自分の無力さに絶望して、無理だと理解したはずだ。
それでも、どれだけ遠ざけたつもりでもずっと側にあった。
今もだ。
「やっぱり死にたくない」
妄想かもしれない、僕が護ることができる笑顔があるなんて。
杞憂かもしれない、僕がいなくなると泣いてくれる人がいるなんて。
それでもほんの少し、まだ可能性があるなら……僕はまだ諦めたくはない!!
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