第五話 外在来心と内在湧心
お久しぶりです。待って下さっていた方、本当に申し訳ない。しっかりと投稿して楽しんで頂けるように頑張ります。
僕はただひたすらに体を引きずりながら歩いた。
歩いている感覚は正直あまりない。
まっすぐ立つことができているのかも疑わしい。
身体に歩けとだけ命令しあてもなくただ進む。
あの場所から少しでも離れるために。
過去も未来も振り払いたくて……僕はまた逃げ出したんだ。
「本題に入る前に予備知識を授けよう」
一頻り笑い終えた卯唯さんは、腹を抱えたままそう言った。
「少し聞きたいんだが、心ってどこにあると思う?」
「心……ですか。こことか?」
突拍子もない問いに狼狽ながらも、左胸に手を当て答える。
「ふむ。どうしてそう思う?」
「明確な理由も確信もあるわけではないです。ただ心臓は心の臓器って書くぐらいですし、緊張した時には鼓動が早くなったりして……もし心があるとするのならここかなって」
「いい答えだ。まさに心はここにある。もっとも全く同じ位置にあっても心臓自体がそれではないがね」
頷きながら聞いてくれていた卯唯さん、自身も左胸(立派な丘の片方)に手を添えて言った。
「では、もう少し深く掘り下げよう。この場所にあって感情の塊である心だが、大きく分けると二つから構成されている。一つは事象に対しての第一感情、外在来心。もう一つは、その外在来心を我義と呼ばれるフィルターを通して自分の感情として落とし込んだモノ、内在湧心だ」
「あの……」
我慢できずに手を挙げる。
「なんだ。かなり難しい話をしていると思う。何でも遠慮なく聞いてくれ」
「内容についても質問したいんですが、その前に……『大きく分けると』のあたりから顎のところでしているそのピースはなんなんですか、話に集中できないんですが」
「『二つ』の二だが」
「いつまでそうしてるのかって言ってるんです!」
「フッ……そんなことか。知ってるかい?顎に被せるようにピースすると顔の輪郭が隠せることによる小顔効果が見込めるんだ」
「答えになってませんし。はぁ、写真を撮るとき以外でその効果は必要ないのでは」
本題ではないところで疲れてきた。
そんな僕をよそに卯唯さんはキメ顔で言った。
「私も女だ。当然よく写りたいという願望があるんだよ。『君の瞳』というレンズにね!!」
「……」
卯唯さんには申し訳ないが、何も返したくない。
この人にはもうツッコまないようにしよう。
僕がそんな決意を固めている間、横で鈴香に『一体いくつだ』などと叱られた卯唯が帰ってきた。
『歳を重ねても子供の頃の気持ちを忘れない大人も素晴らしいじゃないか』と呟いているがここは下手なフォローはやめて、そっとしておこう。
「話を戻そう。えっと、私の悪ふざけのせいで理解しづらかったと思うから身近な話題へ当てはめて話すとしよう。そうだな……君がニュース番組で殺人があったという報道を観たとしよう。まず何を思う?」
「そうですね……なんて酷いことをって思いますかね」
「君ならそうだろうな。ならその続きは?」
「続きなどは特に。殺人なんてこの世からなくなれ、とか」
「本当にそれかい?」
「……どういう意味ですか」
「いやね。君なら最終的には、つまり内在湧心はそんな平和的結論に落ち着くのかもしれない。けれど今聞きたいのは外在来心。それ以前に感じる理性や正義感を無視した君の本性についてだ」
卯唯さんはずっと笑顔を絶やしてはいない。だが、その質は僕の目から見ても明らかに先ほどとは異なっていた。
合わせたままでいると自由を奪われてしまいそうな漆黒の瞳に、思考全てを見透かされている気がした。
「無意識を、自分の知らない自分を意識してごらん。君はこう思ったんじゃないかな」
耳元で囁かれているように卯唯さんの言葉だけが頭の中を反響している。
「こんな事件の犯人なんて死んでしまえ」
「ッ……!?」
「何も恥じることはない。行動に移すかは別にして、人も一種の動物であり利己的な生き物さ。君は今まで他人の顔色を伺って生きてきたのだろう。誰かを悲しませない為に自分を殺し、他人の幸せの為に犠牲になる。立派な内在湧心を生成してきている。だからこそ耐えられなかったんだ」
視界の端で何かが動いた。
鈴香だ。
卯唯さんに駆け寄っていく。
必死に腕を伸ばし、次の言葉を言わせまいとしている。
僕はそれでも、卯唯さんの口から目を離せなかった。
「朝露志帆が殺されたと聞いた時、彼女の父親を殺したいという想いにも、そんな感情を抱いてしまった自分自身にも」
聴き終えたとき、泥水を頭から被ったような不快感と心臓を握りつぶされてしまいそうな圧迫感が同時に僕を襲った。
動悸が激しくなる。
認識するより早く穴を掘って心の奥底にしまい込んだはずの秘密をあっさりと掘り出し目の前に突きつけられた。
さっきまでは耳元で聞こえていた卯唯さんの声が今は随分と遠くの方で聞こえる。
「君は自分がその場にいれば何かできたと思い、責めているようだけど、安心するといい。君がいても何もできなかったよ。寧ろ死体が一つ増えただけ……むがっ」
乱暴に鈴香が卯唯さんの口を塞ぐ。
僕はいつのまにか床に膝をついていた。
地面を踏みしめる感覚もままならないまま立ち上がるとゆっくりと後方の階段へとむかう。
呼び止める声が聞こえた気がしたが、振り返ることなく進む。
しばらく階段を登った頃には、耳に響くのは僕自身の足音だけとなった。
ここまで読んで頂きありがとうございます!