同志諸君、共産主義ダンジョンへようこそ!
『同志諸君、撤退時間になりました! 一日の労働に感謝し、喜びを讃えて帰還してくださいねっ♪』
目の前のコボルトを斬り伏せた直後。普段は殺意しか覚えないアナウンスのうち、まだしもマシな部類のものが壁に埋め込まれた伝音器から吐き出された。
俺は溜息を一つだけ漏らし、近くでモンスターを狩っていた他の四人と目くばせをする。
もちろん、撤退だの帰還だのと言っても安全な帰路を保証されているわけじゃない。帰り道に油断して、うっかりゴブリンの群れに生きたまま賽の目切りにされた元同志(現:サイコロステーキ)の噂話には事欠かないのがダンジョンだ。
慎重に慎重を期しつつ、今日の獲得品であるドロップアイテムの詰まったズタ袋を肩に下げて、不十分な灯りの備えられた道を引き返す。ドロップアイテムを持たずに帰還なんてしようものなら、サボタージュと見なされて反革命分子として裁判抜きの銃殺刑待ったナシである。冗談抜きで、このズタ袋は俺たち第七十一ダンジョン労働班の五人にとっての生命線と言えた。
「うう、やっと見えた……」
黙りこくってエンカウントするモンスターを斬り倒しながら進んできた俺たちだったが、入り口の光が見えてきた時、ようやく魔術師のアイズがポツリと漏らした。感極まったような響きだったが、無理もない。どうせこの地獄めいたダンジョンの外に出てもまた別の地獄に逆戻りするだけなのだが、少なくとも多少は、そして一時的には、死の危険から遠ざかれるのだ。
俺を含む他の四人は黙ったままアイズの呟きに同意しながら、俺たちは(もちろん、反乱を防ぐために)ダンジョン労働者の何十倍も質の良い装備で身を固めた検問監査官たちの待つダンジョン正門へ辿り着く。
こうして今日も第七十一ダンジョン労働班の五人は、共産主義ダンジョンの一日を生き延びた。
***
もしも異世界に転生したなら、君は何が欲しいと思うだろうか。
チート? ボーナス? ユニークスキル?
違う、ありえない。というより、あまりにも贅沢すぎる。
そりゃあ欲しいさ、今だって貰えるならチートスキルを貰って無双したい、女の子にモテモテのハーレムを築きたいと思わないわけじゃない。
でも人間は追い込まれた時、ようやく自分が恵まれていたということに気付く生き物なのだ。
チートなんていらない。ハーレムなんて作れなくて良い。
ただ、ただ最低限の、この世界にはなくてかつての世界にあったアレさえあればいい。
要するに。
「民主主義が、欲しい……!」
長机の並べられた労働者食堂。「しらふが正常!」と壁に標語の貼られた労働者の集まる広い部屋でプレートに載った黒パンを口に運びながら、思わず俺は呟いていた。
独り言のつもりだったのだが、目の前に座っていた耳のいい同志には聞こえてしまっていたらしい。
「ヤギってば、また言ってるの? 『ミンシュシュギ』なんてお伽噺、国家保安委員会に聞かれたらどうなっても知らないわよ?」
赤い髪を左右で縛ってツインテールにした魔術師のアイズが呆れたような目を向ける。
ダンジョンを出たばかりの時には息も絶え絶えといった有り様だったが、夕食を前にして少しは元気を取り戻したらしい。もっとも、それは俺や他の三人も同じだったのだが。
「ヤギさんのお話、わたしは嫌いじゃないですよ? 夢があるじゃないですか。誰もが人民評議会じゃなく、自分の考えで生き方とか職業を決められる世界なんて」
「ガハハ! なぁに、どうせこんな世の中だ。頭の中でぐらい、夢を見たってバチは当たるまい。KGBにバレれば即刻銃殺モノではあるだろうがな!」
弓術士のリリニアと、重戦士のゴウルがそうフォローを入れてくれる。リリニアは人種統合前の分類ではエルフと呼ばれていた種族の出身で、身軽だが性格は温和な癒し系だ。ゴウルは筋骨隆々の大男でいかにも重戦士といった風格だが、万年栄養失調の労働者食堂の食事では筋肉が衰えていくといつも世知辛く嘆いている苦労人である。
ちなみにKGBとはキング・ジェノサイド・ブラックメンの略で、国家保安委員会の俗称だ。かつての王国時代に革命を成功させ、王族郎党を一人残らず根絶やしにした暗殺専門の特殊部隊が前身となっている秘密警察である。グランフォリオ社会主義共和国連邦において、大人から子供まで恐怖の対象といえば亡霊やモンスターを遥かに凌ぐダントツの一位に君臨するのがKGBなのだ。
「妄想は、非合理的……。どうせなら……もう少し役に立つことを……考えるべき。……ダンジョン監督官から白パンをくすねる方法とか」
最後に、幼い少女である回復師のノイがブラックなユーモアを交えて厳しい指摘をした。グランフォリオ連邦においてダンジョン労働者は雨後の筍のように生えてくるとばかりに雑に使い捨てられるのがお約束だが、回復師だけは数が少ないため希少な扱いをされている。なお希少な扱いをされているとは、食堂のメニューにデザートがつく代わりに十歳そこそこで危険なダンジョンに放り込まれることを指す。
ちなみにグランフォリオ連邦には民主主義もなければ児童労働の規制もない。
まさに畜生国家。滅びろグランフォリオ(慣用句)。
魔術師のアイズ、弓術士のリリニア、重戦士のゴウル、回復師のノイ、それに戦士の俺を加えての五人が第七十一ダンジョン労働班のフルメンバーだった。平均年齢が総じて低く、女子供が混じっているのはもちろんダンジョン労働者の損耗率が極めて高いためである。
俺、矢木孝次郎がこの異世界に転移してから、およそ半年。
いまだ第七十一労働班の面々が誰一人欠けていないのは、ほとんど奇跡と言って間違いようがなかった。
半年前。平凡なブラック企業の社畜サラリーマンとして汗水垂らして働いていた俺は、気が付くと果てしない平原の真っただ中にいた。今思えば前職はブラック企業どころか純白のホワイトな楽園のようにさえ思えるのだが(なにしろ給料は出るし、食事はコンビニで好きな物を選べるし、なんと命の危険すらも無いのだ!)、ともかく途方に暮れて平原を歩いていた俺を、グランフォリオ連邦の国境警備隊が発見したのが運の尽き。
あれよあれよという間に拉致された末に最下級国民に登録され、ダンジョン労働者として獰猛なモンスターが徘徊するダンジョンへ送り込まれていた。最初のまともに剣の振り方もわからないうちに死ななかったのは、ひとえに第七十一労働班に配属された幸運のお陰だっただろう。
そもそも女子供を実質的に徴兵してまでダンジョンの収入を欲しがるほど人手に飢えているグランフォリオで、まともにバランスの取れたパーティーを組めていること自体が異例なのだ。後でわかったことだが、幼女を戦場に送り出すという鬼畜の所業を平然と行うダンジョン監督官も希少な人材を失うのは惜しいらしい。
つまり回復師であるノイの死亡率を下げるために、経験豊富なリリニアとゴウル、回復師に次いで希少な魔術師のアイズまでが配属されていたのだという。若くて健康な男という適当な理由で戦士として放り込まれた俺は例外として、ほとんどモンスターを殺したいのか労働者を殺したいのかわからない狂った環境のダンジョン労働においては、第七十一班はかなり恵まれた環境であると言えた。
今ではそれなりに戦い方も覚え、仲間の支援もあってそうそうダンジョンで命を落とすような窮地に陥ることは少なくなった。もっとも、命の危険から逃れたら毎日のように聞かされる共産主義万歳の革命的教育やら貧困すぎるダンジョン労働者の待遇やらに頭を悩ませることになるだけだったのだが……。
***
しばらくして。
食事も終わり、三々五々労働者たちがそれぞれの寝室(共同部屋の三段ベッドにすし詰め)に引き上げる時になって、リリニアが急に声を掛けてきた。
「あの、ヤギさん。この後少しお時間をいただけますか? お話したいことがあるんです……二人っきりで」
いつも優しげな表情を浮かべているリリニアが、この時ばかりは恥ずかしそうに頬を染めていた。気のせいか、豊かな金髪の奥から覗くエルフの尖った耳までもが赤くなっているように見える。
これは、まさか……?
はやる心臓を抑え、何も気付いていないかのように俺は平然を装って答える。
「別にいいけど、なんでだ? というか、ここで二人きりになれる場所なんてあるのか?」
当たり前といえば当たり前なことに、連邦が労働者に対して制限する自由の一つに空間がある。つまり個室という概念が、ダンジョン労働者にはほとんど存在しないのだ。
何故かと言えば労働者同士の相互監視を徹底させるためで、元々はダンジョン労働班でパーティーを組む制度もお互いを監視して反逆者を密告させるための仕組みである。ダンジョン内での助け合いなんてものはオマケでしかない。
しかし驚いたことに、リリニアは上級監督者以外には許されていないはずの個室のアテがあると言ってきた。
「ミーティングや革命教育を行うための臨時会合室に申請を出しておいたんですが、それが通っていたんです。一般労働者からの申請はめったに通らないそうなので、運が良かったんですね。……ヤギさん、一緒に来てくれますか?」
潤んだ瞳で上目遣いにこちらを見上げるリリニアは、どこか不安そうに見えた。貴重な会合室の申請を出してまで二人っきりでしたい話……ますます予想を裏付ける証拠が揃ってきた。
ごくり、と喉を鳴らして俺は周囲を見回し、誰にも聞かれていないことを確認してから、ゆっくりと頷いた。
***
臨時会合室はグランフォリオ連邦の内装がどこもそうであるように簡素で最低限の調度品だけが置かれていたが、それでもほとんど雑魚寝に近い共同寝室や刑務所じみた食堂に比べれば居心地の良さは段違いだった。
そして部屋をいちいち眺めている余裕もないほどに、リリニアは積極的だったのだ。否が応にも心臓の鼓動は早まっていく。会合室に入るが早いか、リリニアは俺を壁に押し付けるように近付いてきた。リリアナの萃玉の宝石のような瞳が間近に迫り、頭がクラクラしてくる。
これはやはり、そういうことなのだろう。俺は胸の中で覚悟を決めた。
「ヤギさん……わたし、実はずっと、思っていたことがあったんです」
「お、思っていたこと?」
「はい。そのことで実は今日、お渡ししたい物があって……あれ?」
スカートのポケットから何かを取り出そうとしたリリニアが、焦ったようにポケットの中をまさぐり始める。失くし物でもしたのか慌てた様子のリリニアを、俺はしばらく眺めてからこう言った。
「どうした? 何かあるハズの物でも無くなったのか? ……それとももしかして、これの事かな?」
「えっ……あ!? なっ、何で!?」
懐から取り出したそれを、俺はリリニアの前に掲げてやる。
それは何がしかの液体の入った、切れ目のない小さな包みだった。さらにもう一つ、俺は自分の懐から小さく折りたたまれた紙片を取り出してみせる。
「こいつは昨日、共同寝室のベッドの裏地に縫い付けられてたのを見つけた。中身は手紙、というより指令書だ。揮発性の毒薬をダンジョン監督官に嗅がせて暗殺し、現場が混乱した隙を突いてダンジョン労働者を率いて革命政権を打倒する……見事な反逆計画の概要だな。つまり、そいつが揮発性の毒薬だろう? 偽造した指令書を忍ばせて反逆の証拠を捏造し、こうして色仕掛けで毒薬を渡す。俺が部屋から出たら、あらかじめ密告しておいたKGBがすぐにでも現れて俺は拷問室行き。お前は晴れて反逆者を見つけ出した優秀な同志として出世する。そんなところか?」
「なっ、ぐっ、ううっ……!」
朗々と推測を突き付けられたリリニアは、これまで見せてきた温和な表情とは打って変わって真っ青な顔を歪めていた。偽造指令書を見つけた時点では犯人までは突き止められず、こうして呼び出されても確信はなかった。だがこの反応は何よりの証拠だろう。滅多に通らないはずの臨時会合室の使用申請が通ったのも、反逆者を炙り出すことを口実にしたからだろう。
「フッハハハハハッ!! 爪が甘かったなぁリリニアッ! 俺がお前の誘惑に乗ってノコノコ誘い出された純朴で愚かな獲物だと思ったか? 人を罠に嵌める瞬間こそが一番罠に嵌りやすいんだ。ポケットから大事な証拠をスられているのにも気付かないくらいになッ!」
かつての社畜時代、ブラック企業で生き延びるために社内政治を駆使して新人や同僚、上司までもを陥れてきた謀略サバイバルの経験が活きていた。蛇の道は蛇、ゲスの天敵はより狡猾なゲスである。共産主義社会において最も重要なのは化かし合いだということは、某TRPGでとっくに予習済みだったのだ。
「クックック、さぁどうしてやろうか。このままお前を偽密告罪でKGBに突き出すもよし、あるいは弱味を握ったまま上手く利用してやるもよし……ぐっ、何を!?」
「こ、このままじゃわたしは詰みよ……だからあんたを殺して何もかもなかった事にしてやるぅ!!」
「くそっ、やめろォ!!」
本性を現したリリニアと、本性を現した俺が醜い揉み合いを演じていると、唐突に会合室に備え付けられた伝声器から聴き慣れた声が飛び出した。
『同志諸君、幸福ですね? 夜の革命放送のお時間ですっ! 本日はあの革命的英雄同志ヨシフ・スターニン・ゴルバポフが王政主義の犬、ニコライ一族を粛清し、ダンジョン革命を成し遂げるまでを綴った連載放送、『共産ダンジョン宣言』の第百四十八回を……きゃあっ!? な、なんですかあなたたちっ!?』
夜の革命放送は、グランフォリオ連邦にて圧倒的人気を誇り連邦のほとんどすべての放送事業を担当する革命的偶像、カラシ・F・ニコの支持率120%(人民評議会調べ)の定期放送だった。しかし何やら様子がおかしい。俺とリリニアが揉み合う手を止めて聞き入っていると、銃声と罵倒、何かが壊れるような音の後に尊大な男の声が響いてきた。
『おはよう、グランフォリオの選ばれた優生人種諸君。たった今、連邦放送局は吾輩アドル・ヒートラを党首とする国家社会主義グランフォリオ労働者党が占拠した。諸君、今日こそ、今こそがこの国の夜明けである。これより我々は連邦各地に潜伏していた党支持者たちの手を借り、偽りの権威を打破し真の革命を成し遂げるものとする!!』
伝声器が言い終わるが早いか、いくつもの爆発音が響いてきた。連続してあちこちで火薬の炸裂する音が響き、銃声と雄叫び、荒々しく踏み荒らされる軍靴の音がダンジョン労働者の労働寮に木霊する。さらには会合室のドアが勢いよく開かれ、
「ね、ねぇ大丈夫!? 放送聞いた!? ヤギがどこにいるかって聞いたら会合室にリリニアといるって聞いて……ってぎゃあっ!! 何やってんの二人で!?」
「いいから助けてくれアイズッ! この女は裏切り者だぁっ!」
「信じちゃだめですよアイズちゃん! ヤギさんこそ本当は反体制派のスパイだったんですっ!!」
三者三様に混乱したまま意味不明な状況に陥りかけた臨時会合室に、さらにバタバタと十人以上の軍靴の音が駆け寄ってくる。それが反体制派なのか人民評議会側の兵士なのかもわからないままに銃声が弾け、ほとんど窓を蹴破るようにして俺たちは外へと逃げ出した。
爆音、怒号、銃声。あちこちの窓が割れる音がして、何故かダンジョンから解放されたらしいモンスターの咆哮までもが加わり、夜のグランフォリオ連邦は混沌に飲み込まれていく。逃げて、逃げて、逃げ回り、途中でゴウルがノイを銃弾から庇って殉職したり、ノイが実は反体制派の幹部の娘だったりする一幕に出くわしながら、気付けば俺たち三人は焼け落ちた建物が燻る小高い丘に転がっていた。
もはやお互いに争い合う気力もない中で、やがて焼け跡の壊れかけの伝声器から高々と勝利宣言が響き渡った。
『悪しき旧政府、人民評議会を称するグランフォリオの癌は潰えた! 本日よりグランフォリオ社会主義共和国連邦は国家社会主義グランフォリオ労働者党を第一党とし、同党の一党独裁主義による全体主義体制に移行する! 国民諸君は党支持者として、ふさわしい言動と勤労を心掛けるように! ハイル・ヒートラ!』
全身が疲労困憊した状況で聞くその放送は悪夢の上書きのようで、率直に言えばどうでもいいというような感想さえ抱きそうになり、いやいやそれどころじゃないと思考を立て直そうとするも、余りにも疲れすぎていてやっぱり考えはまとまりそうにない。
たった一つ。人を騙したり陥れたりはもう二度としないし、どんなブラック企業に入れられてもいいからと。心の底からの願いだけが、疲弊しきった頭の中に渦巻いていた。
「――民主主義が、欲しぃぃいいいいいっ!!!」