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小さな女将の大切な旅館

やっとの第二話。

「兄さん!行ってきます!」

「行ってらっしゃい」

 朝早く、優希は元気に学校に向かう。勇人はそれを見送って、皆の食器を片付ける。昔は父が家事してくれていたのだが病気で手が動かなくなってしまい、それからは勇人が料理をしている。

 食器を洗っていると、二階からドシンという重い音がした。しばらくすると母が二階から降りてくる。父は心配してそれに駆け寄る。

「洗濯物下ろそうとして、一気に全部持ったら転んじゃった」

「お前...昨日もそうだったよな...」

「あははっ、リベンジよ、リベンジ」

 母は父の車椅子を押してダイニングまで来る。そして、キッチンで食器を洗っている勇人の姿を見ると声をかける。

「あ、勇人。お皿洗いなら私がやるから、もう学校に行きなさい」

「いや、母さんやると食器にヒビ入るじゃん。それにもうすぐ終わるから気にしなくていいよ」

「もう前みたいにはならないから!」

 母はそう言うと強引に勇人を退けて皿を洗い始める。すでに洗い終わった物まで、泡を立ててゴシゴシと洗っている。

「それじゃ、お願いね」

「任せて!」

 強く胸を張る母を背に、勇人は重いリュックを背負って玄関を出る。最後に聞こえた、何かの割れる音を気にかけたまま。




 家を出て道なりに進んでいくと、信号前の電柱に寄り掛かる見慣れた人影が目についた。

「お、やっと来たか」

 秋也は勇人に気づくとスマホをしまい、電柱から背を離す。

「いつも通りだろ?」

「そうだないつも通りに遅え。ほら、行くぞ」

 秋也はいつも、この場所で勇人のことを待っている。長い付き合いで勇人の事情は知っており、渋々待ってくれているわけだ。

 軽い挨拶を交わすと、二人はすぐに歩き出す。課題をやったかだの、どこかに遊びに行こうだのと他愛もない会話を交わしながら、遅刻しない程度の歩調で学校に向かう。

 通学路が河原に差し掛かった頃、秋也は途端に昨日のことを思い出して呟く。

「あー、真冬ちゃん可愛かったなー」

 秋也は昨日のうちに次会う約束を取り付けなかったことを悔やむ。一方勇人は向こうの世界でも真冬に会っているから、今の秋也に賛同する気にはならず、適当に受け流す。

「また会えるといいな」

 秋也はつまらなそうに空を見て、また感慨にふける。丁度今渡っている橋が出会いの場所だったななどと思うと、またため息が出る。

 すると突然、二人はいきなり後ろから背中を叩かれた。

「セーンパイ!おはようございます!」

 聞き覚えのある可愛らしい声に二人が振り返ると、そこには愉快そうな笑顔を浮かべた真冬が居た。

「また会えましたね」

「...そうだな」

 ちょっとした恥ずかしさと、なぜここにいるのかという疑問を抱く勇人とは反対に、秋也は今にも抱きつくような勢いで体を翻す。

「また会えたね真冬ちゃん!朝は結構遅いの?」

 秋也の問いに真冬は頬を膨らませてみせる。

「先輩達を待ってたんですよ。また不良に襲われたら怖いじゃないですか」

「そっかぁ。待たせてごめんね、全部勇人のせいなんだ」

「いや、あれは仕方ないことで...」

 必死に弁明しようとする姿に真冬はクスッと笑う。同学年には見ないピュアな笑顔だ。

「さっさと行かないと遅刻しますよ?」

「お、そうだよな。急ぐぞ勇人!」

「いやいや、走らなくてもいいだろ。ギリまにあう程度で歩こう」

「りょーかーい」

 三人は楽しげな歩調で歩き出す。遠くから三人を見つめる、怪しげな視線には気づかないまま。




 勇人と秋也はガラガラと音を立てて教室の引き戸を開ける。勇人の席は窓際で、女子のたまり場に使われていた。

 勇人は背負っていたリュックを机の脇に置く。しかし女子生徒達は勇人が来たのに気づかずに、あるいは故意にか、席を立とうとしない。どこにでもいる自己中心な迷惑女子だ。

(しばらく秋也のとこに避難するか)

 勇人が背を向けて席を離れようとすると、女子グループの中の一人がその仲間たちに声をかける。

「そろそろ先生来ちゃうんじゃない?」

 するとそのグループの女子達は一斉に時計を見あげる。

「あー、そう?じゃ戻ろっか。」

「早希、また後でねー」

 勇人の席から女子が撤収していき、グループの中の一人だけがその場に残る。その少女の名は、勇人の隣席の大村早希。このクラスで秋也が唯一『可愛い』と称する生徒。雰囲気が大人っぽくて、男子と接することを拒まない。黒い噂も流れているが、基本人柄は良い。

 早希は勇人を横目に見て、申し訳なさそうに眉根を垂れた。

「悪かったね」

 勇人は先程まで占領されていた椅子に腰をかけて、一時限目の支度をする。

「おめえが気にすることじゃねえ。ありがとよ」

 ここまで言えれば礼として十分だろう。これ以上は会話しないようにしたい。というのは、先程から飛んでくる秋也の視線が痛いからだ。「早希は渡さない」という威嚇だろう。秋也にとっての本命かどうかは分からない。

 勇人は視線を回避することを兼ね、窓の外に目を向けてぼんやりと風景を眺める。風にそよぐ木や、春めいた空のいろ。もうじき肉まんはコンビニで売られなくなるだろうか。などと様々な事を考える中で、頭の中にはふと真冬のことが浮かんできた。

(真冬ちゃんは何を考えてるんだろう)

 その疑問は、正確には『ミゾレ』に対するものだった。異世界での真冬の行動は、あまりにも計画性に欠けている。なんとなくで魔王を倒したい。しかもパーティはまだ二人きり。いくら勇者候補だとはいえ、魔王を舐めすぎていると思う。そもそも彼女が魔王がどんなものかを知っているかも疑わしい。

(まあ、出会ったのは何かの縁だろうし、気が済むまで振り回されてやろう)

 教室の戸が開いて先生が入ってくる。ほぼ同時にチャイムが鳴り、学級長がすかさず号令をかける。

 立って礼をして着席するという、体の覚えた機械的な仕草の合間に、勇人は異世界の事を頭の奥に押し込める。こっちの世界ではこっちのことだけ考えていればいい。




 勇人が住む所からはるか遠く。風土の違う異国の地で、鼻歌を歌う一人の男がいた。

 上機嫌なその男は、レンガ造りの建物が並んだ街にある、秘晶塔を祀る祭壇に入っていった。

 秘晶塔には、多くの人がパワースポットなどと言って群がっている。どんな衝撃でも破壊できない不思議なその塔に興味本意で触れる人は多く、男が触れることを怪しむ者はいなかった。

「お、人が集まってるねー。やっぱこういうときの方がやりやすいよね。」

 上機嫌なその男は人混みにまぎれて秘晶塔に触れ、何かを念じる。すると、秘晶塔は淡く光り、その後その光を失った。群がっていた人々はその一瞬の出来事に驚き、何事かと騒ぎ出す。そのどさくさに紛れ、男はまた上機嫌な鼻歌を歌って祭壇を出ていった。

「契約解除。早く別の契約者を見つけろよ」

 男は空港に向かう。次の秘晶塔を見つけにいくために。




 四時間の授業が終わると、勇人達は机をくっつけて弁当を広げる。秋也を含めたこの四人組が勇人の普段のグループだ。

 噂と悪戯が好きな海道凪斗が話題を出す。

「噂されてる一年の可愛い子って二組らしいよ。名前は藤堂姫」

 すると秋也がその名に飛びつく。

「二組の姫ちゃんか...リク、写真持ってるか?」

 写真部の木島リクは弁当よりも先にカメラ整備にいそしんでいる。

「持ってるわけ無いだろ。盗撮の趣味は無い」

 すると、凪斗はリクの鞄からデジカメを取り出す。

「オイ!勝手に...」

「何青ざめてんの?壊さないから見せてよ」

 焦るリクを凪斗は楽しそうにからかう。取り返そうと伸ばされた手を軽くかわして、凪斗は勇人にカメラを渡す。

「勇人、確認して」

「オッケー」

 ギャーギャー喚くリクは凪斗に押さえつけられ、秋也と勇人はデータを覗く。そこには、一年棟の写真がたくさん入っていた。それらに共通して写っているはとある一人の少女。髪を二つにゆった可愛い女の子だ。

 勇人はその画像を凪斗に見せる。

「この子が姫ちゃん?」

 凪斗はリクを開放し、写真を確認する。

「特徴が一致しないなぁ。髪の毛の色は明るいって聞いてるよ」

 リクは強引にデジカメを取り返そうとするが、秋也は不敵な笑みを浮かべてその手を遮る。

「おやおや、盗撮の趣味は無いんじゃなかったのかい?」

「それは俺の妹だ。家族写真だから盗撮じゃない」

 リクの発言に勇人と凪斗は身震いする。なぜなら、写真の中のリクの妹はどれもこちらを向いていない。つまり隠し撮りにしか見えないからだ。

 リクは唖然とする秋也からカメラを取り返すと即座にカバンの中へもどす。

「...シスコンか」

「ソラは天使。それだけだ」

 リクはそう言うとまたカメラの手入れを始める。

 若干引き気味の凪斗は怯えた顔で勇人に耳打ちする。

「やばいよアレ」

「...人それぞれだな」




 一方真冬のいる一年三組の教室では、昼休みになると同時におしゃべり女子が掃けていき、教室は一気に静かになる。その代わりに、他クラスの男子達がくたびれた様子でやってくる。

 そんな中、木島ソラは正面席の真冬と机をくっつけ弁当を広げる。

「ボクら以外、女子はみんな今日もどっか行っちゃったね。どこに行ってるのかな?」

 真冬は勉強道具を片付けながらその問に返す。

「多分二組に行ったんだよ。藤堂さんが居るから」

 真冬はそう言って卵焼きを行儀よく食べる。

 何かを疑問に思ったのかソラは小首を傾げ、薄い壁越しにある二組の方をみる。意識せずとも聞こえてくるガヤガヤと騒がしい雑談は、このクラスに避難してきた男子達にため息をつかせる。

 数秒後、ソラは壁から目を離し、止まっていた箸を再度すすめる。

「あー、藤堂さんって、たしか可愛い人だよね。人気者なんだね」

「うん。ほら、さっさとご飯食べよ」

 それから楽しそうにほのぼのと会話する二人を、二組から避難してきた男子達は羨ましそうに見つめる。考えていることは単純で、ほとんどが「守ってあげたい」などといったもの。

 彼らは隣教室から聞こえる節度のないおしゃべりにため息をつくと、口々に愚痴を言う。

「藤堂は確かに可愛いんだけどよ...男への当たりが強すぎんだよなぁ」

「名前の通り、自分をお姫様だと勘違いしてんだよ」

「あの女子会が終わったあと、誰も移動した机とか椅子を元に戻していかねえの。まったく、他の女子も含めて常識がなってねえよ」

 入学当初の「美女と同じクラスだラッキー」などの幸福感は二週間もすれば消え失せて、ただただ不満が募る。その点、誰にでも親切に接する真冬とソラは男子からの評価が高くなっている。

 男子が姫への愚痴や真冬とソラへの賞賛をこっそり会話していると、ガラガラと音を立ててクラスの引き戸が開く。驚いて咄嗟に目を向けると、そこには藤堂姫とその仲間たちの姿があった。

「ちょっと男子!藤堂さんに道を開けなさいよ!」

「机が邪魔!早く退けなさい!」

 その待遇はまさにお姫様。男子達は口応えが無駄であることを察し、女子達の言うとおりに机を退ける。それを確認した女子が廊下に合図を送ると、毅然とした態度の藤堂姫が三組に入ってくる。

「うわっ、俺達のオアシスにまで攻めて来やがった」

「なんのようだよ。迷惑だから早く出てってくれ」

「誰もこの教室をアンタたちのオアシスだなんて認めてないわよ」

「そもそもここは三組でしょうが。アンタらの居場所じゃ無いわ」

「それはお前らもだろう!早く用済ませて出てけよ」

「別にアンタたちに言われるでもなくそのつもりよ」

 顔を見るなり即座に喧嘩が始まってしまった。真冬とソラはこの荒っぽい光景を心配そうに見つめている。

 取り巻きの女子は、口喧嘩が一段落ついたところで姫に声をかける。

「藤堂さん。小汚い男子の言うことなんて聞くことないです。ほら、行きましょう」

「う、うん。」

 廊下に待機していた人混みから、側近らしい女子三人を連れた藤堂姫が姿を現す。明るい色のロングヘアに、透けるような白い肌。ぱっちり二重だが自信なさげに見える目元。可愛いと賞賛を浴びるに分相応な、人形のようなその少女は、護衛を連れたまま真冬とソラのところに歩いてくる。

(あれ、私、藤堂さんに何かしたっけ?)

 真冬は頭をフル回転させて、自分の行動を思い返す。しかし、何も思い当たるフシがない。一方、ソラは何が起きているのか把握しておらず、真冬の動揺を不思議に思う。

 やがて姫は二人の前で止まった。何が起きるのかと男子たちも固唾を呑んで見守る。

(うーん。こういうのって、とにかく謝ったほうが良いのかな?だめだ、何が気に触ったのか分かんない...)

 静まり返った教室は、三者の間に流れる沈黙を際立たせる。姫は緊張しているようで、二人の前で一度深呼吸をする。すると一旦落ち着いらしく強張った自信なさげの表情が少しマシになる。

「あ、あの。榊真冬さん。木島ソラさん。...コンニチハ」

 何故かは分からないが、姫はまだ緊張しているらしい。焦点が二人にあっていない。同じく真冬も焦点が姫にあっていない。このままではまた静寂が訪れる。そう思った矢先、三人の中で唯一緊張感に欠けているソラは、立ち上がって口を開いた。

「こんにちは藤堂さん!ヒメちゃんで呼んでいいかな?」

「ハ、ハイ!」

 姫はソラの勢いに押され、いきなりの「ヒメちゃん」呼びを承諾する。

 しかし会話の流れを不満に思ったのか、側近の三人組がしゃしゃり出てくる。

「ちょっと待った!」

 姫を後ろに隠すように出てきた三人組は、ソラと真冬につっかかる。

「お前ら姫様に馴れ馴れしいぞ!」

「ヒメちゃんだなんて、軽々しく呼んでんじゃねえぞコラァ!」

「そーだそーだぁ」

「ちょ、ちょっと三人とも...」

 姫がなだめようとするも、三人組の興奮は収まらない。ソラは気圧されてちょこんと椅子に座り、真冬に耳打ちする。

「あれ、面倒くさくなっちゃった。ボクのせいかな。そもそも何なのこの人たち?」

「多分、藤堂さんを狂信してる人じゃないかな」

「ヒメちゃん困ってるね」

「その呼び方のせいじゃない?」

 三人組は大分怒っているようで、コソコソと話している真冬達を睨んでいる。

「何の相談をしている!」

「ほら、早く姫様に謝れや!」

「そーだそーだぁ」

 息のあった彼女らに、真冬は思い切って口を出す。

「あなた達は一体なんなんですか?」

 すると、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、三人組は胸を張る。

「マコ!」

「サキ!」

「リノぉ」

「三人合わせて姫様親衛隊!」

 キマッタ。というのが今の三人の心情だろう。静まり返った教室の中に三人の決め台詞が響く。ポカンと口を開けた真冬に反し、隣のソラは楽しげに手を叩いている。

「スゴイ!ねえ真冬!ボクらもやろうよ!」

「恥ずかしいからイヤ」

 真冬が笑顔で放ったその言葉は、親衛隊の脳天に衝撃を走らせた。

「恥ずかしい...」

「イヤ...だと...」

「そうかぁ...」

 自信があった分ショックを受けたのだろう。その場に膝をついて悔しそうに頭を垂れた三人は、プルプルと震えている。そして涙ぐんだ目で真冬を睨みつけると、顔を赤くしたまま教室を飛び出していく。

「クッ!覚えていろ!」

「次はカッコイイと言わせてやんよ!」

「言わせてやんよぉ」

 一体何をしに来たのか。ずっと立ち尽くしていた姫は、捨て台詞を吐いて逃げ出す三人を追いかける。

「えっと、三組の皆さん、ご迷惑をおかけしました!まってよみんなー」

 姫が去ってからピシャリと音を立てて戸が閉まり、嵐のあとの静けさが三組の教室に残る。息を呑んで見守っていた男子達は、強敵を追い返せた事に感動する。

「おっし」

「裏ボスに一矢報いたな!」

「俺達にはまだ希望がある...!」

 勝手に盛り上がる男子達。また騒がしくなる隣の教室。この学年は昼休みに息つくことを許してくれない。

「ヒメちゃん何しに来たんだろうね?」

 ご飯を食べながらそう聞いてきたソラの質問は、真冬の頭にも疑問の影を落とした。

「さぁ...でも、みんなが言うような悪い人じゃない気がするなぁ」

「ごはん美味しー!」

 ソラはもうこちらの話を聞いていない。ソラほど無関心なワケには行かないが、気にしすぎるのも無意味だろう。そう思って、真冬は急いで弁当を平らげた。




 時が訪れて、異世界。ホムラとミゾレはすっかり日の暮れた夜の町の中にいた。この世界において、今日はまだ二人がパーティを組んだ日である。

 ミゾレは仮にも貴族の娘。無断で旅に出れば、追手が来るのは時間の問題だ。二人はタミア家の手が回るよりも早く、一つ北の町へと移動していた。

「先輩、こんばんは」

「ああ」

 世界が切り替わったばかりで、二人は挨拶を交わす。はたから見ると、さっきからずっと一緒にいる二人が何故か唐突に挨拶を交わしたように見えるのだろう。

 ホムラ達はこの町に入ったばかりで、今は宿を探している。ホムラ一人なら夜でも休まず動けるのだが、ミゾレが一緒ではそういうわけにも行かないのだ。体力はホムラほど無いし、着物に下駄という動きにくい格好でもある。町を一つ移動しただけでもかなり疲れる。

 ホムラは町を眺めながら、ミゾレに合わせてゆっくり歩く。この『ウシノメ町』はミゾレのいた『ヒカワ町』に比べると少し田舎だ。隣接する町でどちらも和風の家が並んでいるが、貴族がいる街といない街では発展具合が違って見える。

 少しすると視線の先に町の案内板が見えてくる。ホムラは近寄って建物の場所を確認する。

「近くに旅館があるから、今日はそこに泊まろう」

 ミゾレは下駄を鳴らしてゆっくり歩いてくると、へたれこむように近くのベンチに腰を下ろした。

「先輩。疲れました。もう歩けません。それにしてもこのベンチ、すごく寝心地が良さそうです。ここはどうですか?」

「風邪ひくぞ」

 ホムラが歩き始めると、ミゾレは頬を膨らませてよちよちとついてくる。幸いなことに、旅館の看板はここから見える位置にある。二人はゆっくりとそこへ向かった。

「おんぶしてくれませんかね?」

「目立つから駄目。」

「この着物だけでも十分目だってます」

「...明日、出発前に買い物にでも行こうか」

「はい!」




 ホムラ達が旅館の戸を開けると、そこには隅々まで掃除の行き届いた清潔感のある空間があった。しかし、人の気配もするというのに、正面の受付には人の姿がない。

「人手が足りてないのか?」

「...」

 くたびれたミゾレは生気のない瞳でホムラをみる。

「きっとすぐ来るよ」

 ホムラがそう言うと、タイミング良く遠くから足音が聞こえてくる。大分急ぎ足のようだ。ミゾレは足音の方向を凝視する。

「個室...布団...」

 力なく単語を繰り返すミゾレはゾンビのようだ。

 足音の主は受付の正面まで来ると、慌てて二人にお辞儀した。

「お客様、お待たせしました!赤蓮の宿へようこそ!」

 二人の前に現れたのは、女性というにはあまりにも小柄な身体。帯の締め方もおぼつかず、慣れない作法でおもてなししようとする少女であった。

 この旅館は個人経営なのにも関わらず、案外大きい。大人の従業員がもっといてもいいはずだ。しかし現状、目の前にいるのは幼い少女ただ一人。

 ホムラは取り敢えず、相手が少女であることを極力気にせずに普通の態度を取る。

「一泊したいんですが、部屋は空いてますか?」

 そう聞くと少女は素早く受付の記録を確認する。仕草は所々おぼつかないものの、接客はしっかりしている。

「小部屋が一つ空いております。お二人では少々手狭だと思いますが...どうされますか?」

 少女の返答を聞くと、背後でぐったりしていたミゾレが生気を取り戻す。

「先輩、野宿がんばってくださいね」

「建前でも譲る気は無いのな。女将さん、代金は払うので風呂だけでも入れてくれませんか?」

「部屋不足で申し訳ありません。お風呂は自由に入っていただいて結構ですよ」

 少女はホムラに軽く頭を下げると、ミゾレを部屋に案内する。ホムラは一度『赤蓮の宿』を出て、野宿する場所を探す。

 ホムラは路地裏の寂れたところに入っていき、人目を凌げる所に荷物を下ろす。

(全く、面倒くさい旅になった)

 野宿は慣れているのだが、面倒なのはミゾレの面倒を見ることだ。町の移動は遅くなるし、追手も警戒しなくてはいけない。

 このまま翌朝に一人で町を出てしまってもいいのだが、別世界で真冬との関係が崩れてしまうのは勿体無い。別世界については、ホムラとしてではなく勇人としての意思を尊重したい。

(そもそも俺が勇者候補じゃなければ、こんなことにもならなかったのにな)

 ホムラは心の内で文句を言いつつ、自分の荷物を整理する。

 早く風呂に入ってくつろごうと、ホムラは腰を上げるとまた赤蓮の宿に向かった。

 旅館に着くと、入り口付近でオロオロしているあの小さな女将が目に留まった。女将はホムラを見つけるや否や、小走りに寄ってくる。

「お客様!本当に申し訳ございませんでした!」

「別に気にしていませんよ。野宿は珍しくないですし。満室なのですから仕方ありませんよ」

「いえ、実際はいくつかの部屋は空いているのです」

 女将は抱えている毛布をホムラに差し出す。ホムラはそれを受け取って、どういうことかを聞こうとする。

「空き部屋あるんですか?それじゃあなんで...」

「浴場まで案内します。その間にお話ししますから」

 ホムラは少女の先導に従って旅館の浴場までついていく。

 少女はホムラを振り返ることなく、小さな歩幅で淡々と歩を進める。

「赤蓮の宿の本当の女将は、私の母なんです」

 少女は先程までと特段変化のない声色で語りだした。

「父は昔に他界して、ここの従業員は母と私だけなんです。」

「こんなに広い旅館なのに、たった二人ですか?」

 少女は背中越しに「はい」と答えて、話を続ける。

「母は精霊魔法が使えるんです。世界でもかなり珍しい魔法なんですよ。だから、精霊達を従業員として働かせていたんです」

 精霊魔法は確かに世界有数の魔法だ。遺伝しにくく、精霊との相性が悪いと発動さえままならず、無能力と等しくなる。修行して身につくわけでもなく、生まれながらに備わる先天的な魔法だ。精霊を従業員として小間使いするという事は、それほどに相性のいい精霊を使役しているのだろう。

「その女将さんは?」

「...帰ってきてないんです。一週間前から」

 声色は至って平常。しかしどことなく力の抜けた言葉尻には、先程までの大人びたしっかり者とは違い、少女がまだ子供であることを思い出させる。

 心なしか小さくなった少女の歩幅は、浴場までの道を遠ざける。

「父の命日だと言って毎年通り洞窟に出かけて、それきり...その洞窟には盗賊が住み着いてるから近づくなって、町の人たちも言ってたのに...思い出の場所だからって、私を置いて出かけちゃって...」

 一週間。不安を押さえ込んで頑張ってきたのだろう。人手不足にも関わらず、できる限りで部屋を提供してきたのだろう。

 それから二人は無言で歩いた。浴場に着くまでに少女の小さな肩の震えがおさまるように、ゆっくりと。

 男湯と書かれたのれんの前で、少女はくるりと回ってホムラの方を見た。そこには、背筋を正した頼もしい女将の姿があった。

 女将は風呂桶を手渡す際にホムラに頭を下げた。

「私がもっとしっかりしていれば、お部屋の一つくらいすぐにご用意できたのですが...お客様の中に、すこし厄介な方がいらっしゃいまして、提供できないんです」

「そうでしたか。ところで、話してくれた洞窟っていうのはどこに?」

「...言えません」

 少女はすぐに勘付いた。ホムラが女将を助けようと考えている事に。

 もし女将が盗賊に囚われていたら、ホムラは間違いなく盗賊に関与しなくてはいけない。危険に晒すことになる。それに、その洞窟に女将が生きているという確証だってどこにもないのだ。

「分かりました。では聞きません。お風呂、いただきますね。毛布も寝るときに使わせてもらいます。ありがとうございます」

 ホムラが簡単に引き下がったことに、少女は安堵しているらしい。だがさり際に見せた横顔は、少し残念そうに見えた。




『警告。ウシノメ町から西にある深麗洞窟にて盗賊団の目撃情報有り。その一団はあの有名な旅骨たびほねの一派だという。事実として被害報告も出ているため、安全確認が取れるまでくれぐれも近づかないように』

 と、町の中央にある掲示板に書いてある。

 旅骨は最近国内で様々な騒ぎを起こしている盗賊集団だ。盗みは勿論、殺人や誘拐も犯し、国王の娘をさらおうとしたこともある。国に雇われた実力行使主義の警備軍『カラス』にも目をつけられているが、未だに頭の正体は掴めていない。

(一週間も経ってるのにカラスが動かないのはおかしいな...。いや、今は旅骨よりも魔王軍に手を焼いているのか。この町に貴族がいないからって、対策は後回しかよ)

 ホムラは国の方針に苛立ちを覚え、そのあしで西へと向かった。




 夜が更けて、ミゾレは寝付けなくて目をさました。

(午前二時...。だめだ、この貴族肌は羽布団じゃないと満足できない...)

 なんとなく部屋を出て、旅館を見て回る。この時間だと、来たときは感じれた人の気配を感じない。

(あの女将さんはどうしてるかな?)

 もし起きてたら話し相手になってもらおう。などと勝手なことを考えていると、上の階から物音が聞こえてきた。どうやら誰か起きているらしい。

 ミゾレは単なる興味本意から、階段を軽い足取りで上っていった。

(何やってるのかな〜。楽しそう!)

 音の聞こえた付近の部屋の壁に片っ端から耳を当て、人の気配を探る。人目のない夜だからできる事だ。とはいえ、明らかに貴族のすることではない。一般人さえしない。

(どの部屋かな?...あ、ここだ)

 ミゾレは目的の部屋を探り当てて、懸命に聞き耳を立てる。

 どうやら中には二人居るようだ。部屋は大部屋のようだが、二人しか居ないのはどうも不思議だ。

 部屋の中から声が聞こえてくる。

「ほらお嬢ちゃん。世話してくれよ」

「いえ、そういうのは...」

「貴族に逆らうのかい?この旅館、ここ一週間で随分客足が引いたっていうじゃないか。このままじゃ女将が帰ってくる前に潰れちまうかもなぁ」

「...」

「お嬢ちゃんが言う事聞いてくれれば助けてやってもいいんだぜ。大切な旅館なんだろう?」

「はい...」

 軽いノリで話を聞いていたミゾレは、うっすら聞こえる会話の内容に嫌悪感を抱いた。

 貴族を名乗る男性ともう一人の少女の会話は普通のものじゃない。男が少女を脅しているようにしか思えない。

(貴族の権力に甘えて脅しって...最悪。あれ?この女の子の声ってもしかして...)

 ミゾレは嫌な予感がして、さらに良く会話を聞く。

「本当に、この旅館を助けてくれるんですね?」

「勿論だとも。さ、早く準備して。それとも手伝おうか?」

「...服を脱ぐくらい一人でできます」

 ヤバイ。とてもヤバイ。この少女は間違いなくあの小さな女将だ。

 ミゾレはどうするべきなのか頭の整理が追いつかず、取り敢えず様子を窺うように音を聞き続ける。

「...んっ...ひぁ...やめてください」

「やめてしまっていいのかい?旅館を救うんだろう?」

「あぁ...もっと好きにしてください...!」

「おじさんもう我慢できないよ!」

 我慢の限界だ。胸糞が悪い。勝手に他人に干渉するのは良くない。しかし、これはどうにも放っておけない。

 ミゾレは自分の指輪にはまった水色の宝石に目を落とす。

 この勇者の証は人のためにある。今まで貴族として豪遊してきて、ほぼ自己満足のためだけに振るってきた能力だけれど、今この瞬間は少女のために使いたい。そう思った。

 ミゾレはドアに手を伸ばし魔力を放出する。

【アイスエッジ】

 人の腕より二周り程大きい氷の刃が射出され、鍵のかかったドアを突き破る。

 それに驚いた男は、立ち上がってミゾレの前に裸の姿を現す。

「何者だ!俺が誰だか分かっているのか!」

 ミゾレは男の顔をまじまじと見る。部屋の中は暗く、廊下は明るいため、男からはドア側に立っているミゾレが逆光でよく見えない。

「ええ、よく知っていますよ。ワーブル家の方ですよね」

 この男の顔は貴族のパーティーで見かけたことがある。いつも側近に少女を連れて歩いていたロリコンだ。ミゾレが小さい頃はよく絡んできた覚えがある。

 男は相手がわからないまま、怯えて姿を隠す。

「その指輪...勇者候補かよクソがっ!邪魔される前にやれるとこまでやってやる!」

「いやぁ!」

 男は一糸纏わぬ小さな女将を抱き寄せると、乱暴に身体を触りだす。

 ミゾレはその現場に駆けつけると、下劣極まりない光景に息を呑む。

(あんなに密着されてると大技出せないな...)

 ミゾレは畳に手をついて凍らせる。しかし、少女の足まで凍ってしまうため男の周りは凍らせられない。

「馬鹿め!これで思うように攻めれないだろう!」

(どうしよう...)

 少女が人質に取られてしまった以上、ミゾレは上手く動けない。強い力があっても、人を守るには使い方を考えないといけない。

(一か八かだけど...やろう)

「ワーブルさん、私です。ミゾレです」

 そういうと、ミゾレは部屋の照明をつける。すると、男は驚いた顔でミゾレをじっと見る。

「ああ!タミアさん家の!こんなところで何をしてるんだ!それに、貴族同士で闘おうだなんて!」

 ミゾレは屈辱を覚えながらも、可能な限りの演技を試みる。

「ワーブルおじさんに逢いたくて、来ちゃいました。だってワーブル家まで遊びに行ったのに、執事さんはおじさんがウシノメに出かけてるって言ってたので」

 そんな都合のいい話があるわけ無いだろうと心の内で自覚しながら、ミゾレはエヘッと笑ってみせる。

 しかし、性欲に忠実なこの男には、今の演技で十分だったらしい。

「...そうだったのか。そういえば、ミゾレちゃんももう十六歳か。ときの流れは早いねえ」

「あの...おじさん。おじさんが今一緒に居る女の子みたいな、ちっちゃい子が好きなのは知ってるよ?でも、今日は...私だけを見てほしいな」

 いっそ死んでしまいたい。ここまでの芝居を、裸の少女は困惑した表情で見ている。出来れば、ミゾレが別のホムラと一緒に来た事を言わないでいてくれると助かる。

 男は不気味に笑うと、少女を抱えたまま布団に座り込む。

「ミゾレちゃん。どうだい?三人で一緒に遊ぼうよ。人数が多いほうが、きっと楽しい」

「えー...おじさんがいうなら、良いよ」

 ミゾレは男に近づいて、同じように布団に座る。

(あと...あとひと押し)

「おじさん...キスしてもいい?」

 ミゾレは照れた顔を作って、男を誘う。男は不気味にも思える気持ちの悪い笑顔を見せる。

「ああ、いいよ。でもその前に、指輪を外してもらえるかな?」

 変なところで用心深い男だ。ミゾレは内心舌打ちしながら、また無邪気に笑ってみせる。

「おじさんったら変ね。こんなに近づいてて何もしないんだから、警戒しなくてもいいのに。やっぱり、部屋に入ってくるとき乱暴だったから?」

「...そうだね。さあ、早くキスしよっか」

 少女が無言で見守る中、男が近づけてきた唇を、ミゾレは妖艶に奪う。

【フリーズキス】

 簡単なものだ。ここまで持ち込めれば一撃必殺に近い。ミゾレは男の口から体内に氷の魔力を流し、身体を内側から凍らせた。

 男は最後の最後まで少女を手放さなかった。魔力の加減が下手なミゾレでは、男を氷漬けにしようとすると少女まで凍らせてしまう。腕力では男性に敵うわけもなかったため、内側から凍らせたのだ。

 男は大分冷たくなったが、少女は凍りついていない。ミゾレは一瞬感じた男の唇の感触に虫唾が走り、布団に吐いている。

「もっと器用に戦えればこんなに苦労しなかったのに...」

 そんな反省をこぼしつつ、ミゾレは少女に向き直る。

「女将さん、大丈夫だった?」

 少女はようやく脳内の整理が追いついて、ミゾレに問いかける。

「もしかして...このお客様はもう...」

「殺したよ」

 小さな女将は必死に男の腕から抜けて、脱いだ服を着る。少女はミゾレに背を向けてプルプルと肩を震わせている。

「...この男のこと、やっぱり怖かった?」

「...はい。でも一番怖いのはこれからです。」

 小さな女将はミゾレをキッと睨みつけた。

「私が我慢すれば、この旅館を守れたかもしれない。お母さんやお父さんとの思い出も守れたかもしれない!それなのに...それなのに...!あなたが邪魔したせいで全部なくなっちゃう!」

 ショックだった。ミゾレは、このいたいけな少女を守ったつもりでいた。自分が初めて他人のために能力を使えたのだと、本気で誇らしげに思っていた。しかし、それはただ単に自分の勝手な思い込みで、結局は自分のために動いていたのだった。かわいそうな少女を見ていたくないという、ただの自分勝手。

 部屋周辺にドアを壊した物音で目をさました人々が集まってくる。貴族の殺害は瞬く間に知れ渡り、この旅館は恨みを買われてすぐにでも壊されてしまうだろう。

 勇者候補であるミゾレは、みんなを救える勇者にはなれなかったようだ。




 深麗洞窟に辿り着いたホムラはあたりを見回す。どうやら見張りは居ないようだ。そこで、取り敢えず入り口に張られた警報トラップを踏みつけてみる。

 洞窟の奥から人の気配がする。ホムラはその場に座り込んで、誰か来るまでじっと待つ。

 しかし、数分しても人は来ない。ホムラは警報トラップをもう一度踏む。もしかしたら上手く反応してないかも知れないので、もう何回か強めに踏みつける。

 それから数十秒後、五人程の小隊を組んだ旅骨の団員が暗い洞窟から姿を現す。そのリーダーらしい目の下に縦の傷を持った金髪のゴツい男が、ホムラに声をかける。

「あのぉ、警報をインターホン代わりに使わないでくれませんかぁ?あとぉ、奥の方で構えてたのになんでいらっしゃらないんですかぁ?」

 イカツイ態度とは反対に敬語を使うリーダーに、小隊員は小声で告げる。

「リーダー!侵入者には敬語使わなくていいんすよ!」

「しかし、まだ侵入してきてないし...敵じゃないかもしれないじゃん?」

 洞窟の中に入ってあげたほうがいいのだろうか。ホムラは腰を上げて、洞窟の中に入ってみる。

「あ、ほらリーダー!侵入してきました!敵です!」

 隊員にそう言われて、リーダーはホムラをキリッと睨みつける。そして、口を開いた。

「申し訳ありませぇん!ここは盗賊団旅骨のアジトとなっておりますぅ!すぐさま退去いただけない場合、暴力的な措置を取らせていただきますがぁ!よろしいですかぁ!?」

(こいつおもしろいな)

 ホムラはリーダーに対して会釈する。

「夜分遅くにご迷惑おかけします。自分は勇者候補のホムラ・キダイです。この洞窟に入ってから戻ってきていない、赤蓮の宿の女将さんを迎えに参りました」

「はいぃ?...ああ、これはどうもご丁寧に。旅館の女将ですね?ちょっとボスに聞いてきます」

 このリーダーは、姿勢の低い相手に気を使うタイプだ。

 隊員達は頭を抱えている。

「リーダー、旅館の女将は人質だってボスに言われてたじゃないですか。そうやすやすと開放しちゃいけません」

「だってこの侵入者、こんなにも礼儀正しいんだぞ!俺達も礼儀を尽くすべきだろう!」

「警報トラップをインターホン代わりに使うやつのどこが礼儀正しいんですか!?おかげで俺達全員起こされたんすよ!?」

 兎にも角にも、女将は人質として生かされているらしい。精霊使いは国にとって貴重だから、良い交渉材料になると踏んだのだろう。

 ホムラは小隊員に対して質問する。

「旅骨のボスはここに居るんですか?」

「気安く話しかけてくんじゃねえ!誰が教えるかよ!」

「それは失礼しました。では、奥まで行って確認させてもらいますね」

 そう言うと、ホムラは小隊を容易くくぐり抜けて洞窟の奥へと走っていった。

 目を点にした旅骨小隊は、数秒後にリーダーを含めて全員が現状を理解する。

「はぁ!侵入された!!」

「何やってんすかリーダー!」




 洞窟の奥は所々にランプが取り付けられていて案外明るい。後方で待機していた団員達は走ってくるホムラを見て驚く。

「おい!先にいったサイトラ隊はどうした!?」

「まさかサイトラさんが負けたのか?」

「落ち着け!ひるむな!ここで仕留めるんだ。サイトラさんの死を無駄にするな!」

 勝手に死んだ事にされてるサイトラさんとは恐らくあのリーダーなんだろうな等と考えつつ、ホムラはいよいよ戦闘態勢に入る。

 ホムラは勇者の証と自身の魔力を共鳴させる。

【ニトロエンジン】

 背面の魔力を炎に変換し、爆発的な加速を得る。一直線上の通路に、右と左の分かれ道。そこを死守しようとする十人ほどの敵は、どちらかというと左の通路を警戒している。

(よし、左行こう)

 高速で突進してくる侵入者に対して、各々武器を取った旅骨団員は抵抗を試みる。最も手強いのは、腕に自身があるようで最前線にいるマッチョ。

「行かせねえぜ坊主!」

【砕鉄拳】

 今のホムラは高速で方向転換が出来ないと踏んで、そのマッチョは魔力を込めた拳で迎え撃つ。

 ホムラは出来るだけ体力を消耗したくないので、上に跳んでマッチョを越える。

 しかしそれを待ち構えていた二人の男が、空中のホムラに切りかかる。

【ニトロエンジン】

 上半身からは前方に、下半身からは後方に炎を噴射して回転し体勢を変え、横薙ぎの二本の刃をなんとかかわす。

(いい連携するな...まだ他の七人も構えているし、ここでの戦闘は避けれないか)

 ホムラが地面に着地するのとタイミングを同じくして、マッチョが振り返って拳をこちらへと向けてくる。勢い良く突き出された拳は、的確にホムラを狙っている。

(このマッチョ、ただのでくの坊じゃない。これは回避より受け流すほうが魔力消費が少なく済むな)

 ホムラは拳を横から蹴って軌道を逸らす。マッチョの拳は地面を砕き、さらに亀裂を入れる。ただの溜めパンチだが凄い威力だ。ホムラに当たれば旅骨は大分優勢に立てただろう。

 正直、結構みくびっていた。自分が勇者候補というのもあるが、何よりも腕っぷしは強い方だ。そのホムラが、たかが盗賊団の下っ端に遅れを取るとは。

(カラスが手こずるのも納得だな)

 ホムラは一度息を吐き出す。その隙を逃すほど相手は甘くなく、当然かかってくる。あるものは槍、あるものは斧で。しかし次の瞬間、圧倒的に数の優位を取っているはずの旅骨は戦慄した。目の前に据えていた筈のホムラの姿が、急に別人に見えるのだ。

 変わったのは姿ではなく、雰囲気。先程までと違って、明らかに好戦的な目をしている。これはアイアンブルを倒したときにも発動した、ホムラのイメチェン。

 ホムラは張り詰めた空気の中で、ただ一言呟いた。

「燃えちぎれ」

【ファイアボール】

 直径2m程の火の玉が三つ、ホムラを囲うように出現した。

 戦意喪失と言うべきだろう。その場の十人など容易く焼き尽くしそうなその火の玉を除去する方法が、彼らには思いつかない。しかしそれでも、盗賊団の意地として立ち向かわないわけにはいかない。

 旅骨団員十人は、雄叫びを上げて立ち向かった。そしてホムラはそれを、愉快そうに容易く焼き払った。


 と、思われた。


【水竜弾】

 突如、分かれ道の左奥から伸びてきた水の竜は、十人の団員を飲み込んで洞窟の奥へと、戻っていった。

 ホムラはその方向に目を向ける。じっと目を凝らしていると、白髪で眼鏡をかけたインテリ系の男性がこちらに向かってきているのが分かった。

 そのインテリは、ホムラの前まで来るとその場に膝をついた。

「どうもこんばんわ。私は旅骨の幹部、ユバルと言います」

 ホムラは火の玉を後方に寄せると、ユバルを見下ろす。

「何をしに来た?命乞いか?」 

「その通りにございます」

 ユバルは随分呆気なくそれを認めた。

「我々旅骨は、カラスとの交戦で随分戦力を落としました。主力が欠けたわけでは無いのですが人数は半分以上減り、残る人数は百弱。この洞窟には約七十人の人員が集まっています。貴方様は勇者候補だとお見受けします。ここで戦闘すれば、間違いなく五十人は命を落とすことになるでしょう。正直、私の水魔法でも一対一で勝てるとは思いません」

「...それで?」

「貴方様の要望をお聞きします。その代わり、これ以上戦闘は交えないと約束していただきたいのです」

 ホムラとしては、目的さえ果たせればそれでいい。殺戮は目的ではない。

 ホムラは三つの火の玉を消し、ユバルを立ち上がらせた。

「約束するのは、こっちの要望がかなってからだ。単刀直入に言う。赤蓮の宿の女将を開放しろ」

「...赤蓮の宿の女将ですね。ボスと面会していただきます。そこで直接お話していただきたいです」

「まさか、条件を飲めないか?」

「私も所詮は幹部。ボスの意向なしには決められないこともあるのです」

 ホムラはユバルに連れられて、更に奥の部屋へと進んだ。

 奥の部屋には先程の十人と他の控えていた人員が居たが、皆膝をついてホムラに頭を下げていた。

(盗賊のプライドにかけて命さえ捨てようとした連中だ。屈辱的なことだろう)

 十数分歩いて、二人は最奥の部屋についた。だだっ広い空洞に大量の袋がおいてあり、奥の壁際のソファにボスが座っているだけだ。

 ボスはユバルを見ると愉快そうな笑い声を上げた。

「なんだよユバルその面は。お前らしくもねえ塩らしい顔しやがって!」

「今はそんなこと言ってる場合じゃありませんよ。勇者候補の方をお連れしました」

 ホムラは豪勢な椅子に座らされ、ボスと面と向かって話し合う。右目に眼帯をしている大柄の男だ。

 侵入者の前だというのに、ボスは気楽そうに酒をグイッと飲む。

「ぷはぁぁ!ユバル!この酒美味えぞ!また買ってこい!」

「今はそれどころじゃないでしょう...」

 ユバルは呆れている。

 旅骨のボスは酒を置くと、ホムラにちゃんと目を合わせる。

「おい坊主。おめえはここに何をしに来た?」

「人質を取り返しに来たんだが、駄目か?それより、まずは名乗ればどうだ?」

 ひるまない様子のホムラを見て、旅骨のボスは楽しそうに笑う。

「俺はグライダル・ウェナ・イーだ。グレイと呼んでくれて構わない。お前は?」

「ホムラ・キダイだ」

「そうか。で、ホムラはどの人質を開放してほしいんだ?」

「赤蓮の宿の女将」

 そのワードを出すと、グライの顔のニヤつきが消えた。どうやら人質の開放というより、女将の開放が問題らしい。

「...あー、サチさんのことか。ちょっとついてこい」

 グライはそう言うと、ホムラをいくつか前の部屋に案内した。そこから別の道を進んでいく。

 やがて二人がついたのは、地下水のある広い間だった。そこにランプは無かったが、天井に見える淡く光る石が明かりの代わりとなっていた。その幻想的な空間の中央には一つの石碑と、静かに佇む女性が一人。汚れているけれどキチッと整った着物姿は、旅館の女将の風格を漂わせていた。

「...ホムラ。あれが女将、サチさんだ」

「人質にしては扱いが雑ですね。足カセも何もない」

「...」

 サチはこちらの気配に気づき、振り返る。髪は乱れており、もう何日も手入れされていないように見える。

 サチは最初にグライを見て、それからホムラに視線をうつした。その後、何故かガッカリする。まるでホムラが嫌われているような反応だ。

「グライさん。おはようございます。...あの人は来ないんですか?」

 サチの言葉にグライは困ったような表情をつくる。

「こんばんわサチさん。夜明けはまだ遠いですよ。ええ、アイツは来ません」

「そうですか...」

 サチはそれだけ言うと二人に背を向けて、石碑の方を向く。

 グライはホムラを呼んで少し後退するとこっそり耳打ちする。

「サチさんはな、自分の意思でここに居るんだ。俺も、もうどうしたらいいか分からないんだ」

 確かに女将の様子はグライに怯えてるようではない。動けないではなく、動かない。ホムラにはその理由がわからない。

「グライさん。知ってる限りの事を教えてくれませんか?」

「...サチさんに直接聞いてくれ」

 そこでホムラはサチに近寄り、声をかける。

「女将さん。自分はホムラという者です。なかなか帰ってこないあなたを迎えに来ました」

 女将はホムラには見向きもせずに、背中越しに答える

「そうですか。申し訳ありませんが、お引き取り願います。まだやることがありますので」

「それは、なんですか?」

「ひとさまには関係のない事ですよ」

 どうやらホムラに心を開く気はないらしい。しかしこの程度で諦めるほど、ホムラの往生際は良ろしくない。

「娘さんが待っています」

「これは、あの子のためにもなることです。関わらないでください」

「何よりあなたは旅館の女将です。あなたにしかできない仕事があるんです」

「たかが一日二日、旅館がお休みを頂いてもいいでしょう?」

「一日二日?それどころかもう一週間です。それにその間、旅館は一日も閉鎖していませんよ」

「え?」

 一週間。その間女将不在で無休。それらの言葉に、サチの心はようやく動いた。サチはようやくホムラの方を向いた。その顔は、不安と困惑でいっぱいだった。

「無休って...だって、え?深麗洞窟に入ったのもついこの前で...」

 どうやら、本当に時間感覚が狂ってしまっているらしい。ホムラは続ける。

「娘さんは一週間、貴方を待ちながら赤蓮の宿の小さな女将として働いています」

 サチはやはり困惑している。自分のしてしまった事に罪悪感を覚えている。他でもない自分の娘に重荷を背負わせてしまったのだから。

 しかし、悩んだ末にサチが選んだのは変わらない選択だった。

「...それでも私は、ここを離れるわけにはいかないんです。そんな事をしてしまったなら、なおさら」

 やはり彼女は頑なにこの場所を離れない。もしかしたら、娘に顔向けするのが怖いのかもしれない。自分を母親失格だと思っているのかもしれない。それについて、ホムラの知る由はない。


「まだここにいたんですか」


 背後から聞こえてきたのは、どこかで聞いたことのある声。とても優しそうな、けれどどこか困ったような声。振り返った先に居たのは、あの入り口にいた小隊のリーダー、サイトラだった。

「ショウさん!」

 サイトラを見た途端、サチの表情は明るくなって、サイトラにかけよっていった。

「ずっと、ずっと待っておりました。ショウさん」

 抱きつくサチにサイトラは困った顔を見せ、サチを優しく自身から引き剥がした。

「...僕はショウではありません。サイトラです」

 状況についていけないホムラだったが、頭の中で少しずつ整理がついてきた。

(何となく、事情はわかってきた。サチが待っていたのはサイトラで、サイトラはサチの知る誰かによく似ていた。ということだろう。先程、娘のためにもなると言っていたため、推測されるのは...)

 サチはサイトラに続けて言った。

「いいえ、あなたはショウさんです。妻である私が見間違えるはずがありません」

(サイトラさんは、サチさんの夫に酷似しているんだ)

 グライは大きなため息をつくと、仕方なさそうにホムラに教える。

「サイトラはな。七年前、こっからずーっと北の地区を放浪しているところを俺達に保護されたんだよ。聞けば、コイツは記憶喪失だった。それから俺達は仲間としてサイトラを迎え入れ、旅骨として活動してきたんだ。名前も俺達で適当につけた。で、このサチさんは、七年前に夫を亡くしてるんだよ。友人達と山登りに行ったら行方不明になったって。そのあと死亡扱いになったと。しかもその山ってのが、こっからそこそこ北にあるんだよ。偶然では納得行かねえよな」

 事情は分かった。確かにここまでくれば、もうほぼ同一人物と言えるだろう。しかし。

 サイトラは表情をクシャっと崩して、すがるサチに言った。

「もし僕がショウだったとしても、それは昔の話です。僕は今、旅骨のサイトラで、あなたのことは何も知らない。覚えていない」

 ショウは、もう死んだのだ。肉体が同じだけで、すでに彼はサイトラになってしまったのだ。




 均衡した話し合いに決着がついて、サチは帰る決心をした。

 旅骨はホムラとサチを洞窟の外まで見送ってくれた。勿論そこにはサイトラも居たけれど、サチとサイトラは、それぞれ他人として別れの挨拶を告げた。

 帰り道で、サチはホムラに昔の話を聞かせてくれた。

ーーーーーーーーー

 昔ね、幼馴染の男の子に、ガタイが良くてぶっきらぼうな男の子がいたの。彼、敬語が苦手で、いっつもお母さんに注意されてたわ。

 私と彼とは友達同士として、同じウシノメ町に暮らしてた。でも二十歳になったときにね、私の誕生日に、彼がある場所に私を呼び出したの。それがこの深麗洞窟だったのよ。

 深麗洞窟には昔、花が咲いていたのよ。あの地下水脈、見たでしょ?あそこの水辺に、とても綺麗な花が咲いてたのよ。彼がそれを見つけて、誕生日にあの場所で私にくれたの。それで「プロポーズだ!受け取れ!」なんて言って...嬉しかったわ。

 彼と私は、その日から交際を初めて、次の年の私の誕生日に結婚したの。でもね、その後が大変だったのよ。私は旅館を開いて、彼と経営を始めたの。でも彼は敬語が相変わらず苦手で、新しいお客さんによく笑われてたわ。

 私に赤ちゃんができて、動けなくなったときに、動けるのは彼だけになったわ。精霊魔法も、体に負担がかかるから駄目ってお医者様に言われちゃったのよ。

 それから十ヶ月、彼は敬語を勉強しながら、必死に旅館を経営してくれた。失敗も沢山したし、お客様に怒られることもあったわ。それでも、「この旅館は家族だけのものだから、バイトなど雇っちゃいかん!」って言って、ひたむきに頑張ってくれた。

 あの子が生まれる頃までには、完璧な仕事ができるようになってたわ。

 でもね、それから二年。彼は友達と山遊び行くっていって出かけたっきり帰ってこなかった。

 友人の人達を責めたいわけじゃないの。彼は無茶なことする人だったから、仕方なかったとも思った。ただ、あの子がもっと大きくなるまで見届けてほしかった...。

 私と精霊とあの子で経営できるようになったのは、ちょっと前のことよ。あの子ももう九歳。本当に可愛く育ったわ。これ以上望むことは無いと思ってたのにね...。

 やっぱり欲張っちゃったのよね。彼が戻ってくるんじゃないかって思って。だって、お墓参りに行ったら、背後からソックリさんが現れるんですもの。欲張っちゃうわよ。

 ...え?花の名前が知りたいって?ちょっと考えればすぐ分かるわよ。

ーーーーーーーーー




 ホムラ達が宿についたのは午前ニ時過ぎ。疲弊しきったサチはひどく疲れた顔をしていた。

「早くあの子に謝らないと...」

 ホムラはサチに肩を貸し、旅館の入り口までやってきた。

 すると、旅館内の電気がポツリ、ポツリと付き始め、少し騒がしくなる。

「何かあったのかしら。ホムラさん、急ぎましょう」

 二人は急いで旅館の中に入った。どうやら騒ぎは二階で起きているようだ。二人は階段に群がる人をかき分けて、急いで二階に上がった。

 そこにあった光景は、壊れた扉と、そこの部屋に群がるギャラリー。

「嫌な予感がします。...!サチさん、お疲れでしょうし、あまり無理しないでください。あそこまで運びます」

「...ありがとうございます」

 ホムラはサチをおぶると、ギャラリーをつっきって部屋に飛び込む。

 すると、部屋の中には泣きじゃくる少女と、愕然とうなだれるミゾレの姿があった。

「...ホムラさん。下ろしてください。おぶられたままじゃ、格好つかないので」

 ホムラは頷くと、サチを静かに床へ下ろした。




 嫌だ、もう嫌だ。壊してしまった。守れなかった。思い出の場所を失くしてしまう。どうすればいいの。わからない、わからない、わからない。助けて。誰か助けて。...お母さん。

「今帰りましたよ」

 善意から自分を助けてくれたであろうミゾレに文句を言い終わってから、泣いていた少女は聞き覚えのある声に顔を上げる。目の前には、汚れた服装の凛々しい母がいた。

「お母さん...お母さん!!」

 自分が女将を演じる必要はもう無い。今はただの子供として、母にすがりたい。

「お母さん!お母さん!お母さん!」

「こらこら、お母さんじゃなくて女将さんでしょう?」

 サチは涙を堪えながら、抱きついてくる我が子を撫でる。

「よく頑張ったねえ。偉いよ。偉いよ」

 この二人が冷静になって話し合うのはしばらく後になるだろう。ホムラは二人の邪魔をしないように部屋の中に入り、俯いているミゾレに声をかける。

「真冬ちゃん。...この凍った死体は?何があったの?」

「...ああ、先輩。野宿お疲れ様です。ちょっと、外でお話したいです」

 ミゾレに言われるがままに、ホムラは階段を降り、玄関から外に出た。

 外に出るとすぐミゾレは周りに誰も居ない事を確認する。

「それで、一体どうしたんだ?アレ、お前がやったんだろ?」

「...先輩。なでなでしてください」

「は?」

「なでなでしてください」

「...」

 ホムラは小動物を撫でるときの容量でミゾレの頭を撫でる。

「...先輩。聞いてください」

「おう」

 それからミゾレは、自分が何をしたのかをこと細やかに説明した。少女を助けようとした事。自分の思う正義のために動いたこと。それが余計なお世話だったこと。

 一通り話し終わって泣いたあと、ミゾレはホムラに謝った。

「すいませんでした。私、こんなんじゃ勇者になんかなれっこないです。魔王退治とかは勇者の仕事ですし、諦めます」

「...え?なんで?」

「だから、自分のためにしか行動できなかったから...」

 そこまで言ったミゾレの頭を、ホムラはバスッと叩いた。

「なんで叩くんですか!?」

「まず、他人の部屋に聞き耳を立てたのは良くなかったな。だが一番の問題はその後だ。お前があの子が襲われてるのに気づいたときに、もしも助けなかったら。その時、お前は自分が勇者だったと言えるか?」

「...でも、結果的には...」

「結果的にはなんだった?女将さんが帰ってきて、あの子も無事で、ハッピーエンドじゃないか」

「そうじゃなくて、旅館が...」

「あってもなくても大差ないだろ。女児を強姦する貴族の泊まった旅館が思い出の場所になるのか?」

「...なんかもう分かんないです」

 考えるのが面倒くさくなったミゾレは言葉を探すのを諦める。ホムラはミゾレの頭をワシャワシャと撫でてやると、こう付け足した。

「それにな、結果を見て行動できるのは未来予知能力者だけだ。失敗と成功は行動した後についてくる。失敗を恐れて行動しなけりゃ成功もやって来ない」

 ホムラはあくびをして伸びをすると、「おやすみ」と言って路地裏に隠れた。ミゾレは崩れた髪を直し、ホムラを見送ってから旅館に戻った。




 翌朝、結局事情聴取で眠れなかったミゾレは、目の下にクマを作って自分の泊まった部屋をあとにした。

「あ、おはようございます!」

 後ろから声をかけられてビクッと肩を震わせる。声をかけてくれたのは、他でもないあの少女だ。

「お、おはよう」

 ぎこちない挨拶に、少女は申し訳なさそうに微笑んで返す。よく見ると、少女の目の下にもクマができている。

「昨晩は、すいませんでした。それと、ありがとうございました。母も無事に帰ってきて、私の、その...『初めて』も無事で、本当に良かったです」

「ふ、ふーん。無事でよかったね。でも、明らかに無事じゃなさそうな声をあげてた気がしたなー」

 そこまで言うと少女は顔を真っ赤にして否定した。

「いえいえ!違いますよ!本当に!触られていただけですから!」

「...なんの話?」

 一連の会話を聞いていたホムラは、怪訝そうに眉根を寄せてこちらを見ている。

 朝風呂のあとなのだろう。手には脱いだあとの服を携えていて、首にはタオルをかけている。

 ホムラに聞かれていたことを知ると、少女はますます顔を赤くする。

「何でもないです!本当に何でもないんです!」

 ホムラは少女に近づいて、よく観察する。

「それにしても、本当にキャラ変わったね。口調とか佇まいとか、小さな女将さんのときとは大違いだ」

「...変ですか?」

 またも恥ずかしそうに目をそらす少女に、ホムラは微笑んで見せる。

「ううん。可愛いよ。」

 意気消沈。少女は顔を赤くしたままどこかに走っていってしまった。

 その流れを見せつけられたミゾレは、心底つまらなそうな目でホムラを見ている。

「...何?」

「先輩ってロリコンですよね。いや、ハイジコンプレックスってやつですか?」

「違うし。断じて。」

 ミゾレは受付で自分のチェックアウトの手続きを済ませる。その間、ホムラは廊下を行き来して働く精霊達をまじまじと観察している。

「精霊魔法、そんなに気に入っていただけましたか?」

 受付のサチは精霊魔法に食いつくホムラを笑っている。

「はい。面白いです。希少な魔法なので、しっかりとこの目に焼き付けておきたくって」

「そうですか...ところでホムラさん、年齢は?」

「?十六です。もう時期十七ですが」

 そういうと、サチは少し考えたあとに手を叩いた。

「たった八歳差なら、うちの可愛い娘を譲ってやってもいいですよ」

「...追い追いかんがえますね」

 少々悩むホムラを見て、女将はまた笑う。

 少し不機嫌なミゾレはチェックアウトを済ませると、さっさと下駄を履く。

「女将さん、泊めてくれてありがとあございました。いつかまた来ますね。シングルの部屋に先輩と。さ、行きますよ先輩」

「ちょっと待って、今なんて言った?泊まんないよ」

 スタスタと先に行ってしまうミゾレを追って、ホムラも外に出る。その二人を追って、サチと少女も見送りに来る。

「ホムラさん!ミゾレさん!」

 帰り際、少女がタタタッと走り寄ってきた。

「貴族の人の件ですが、あの人はワーブル家でも大分問題視されてた人みたいで、私達のお咎めはそんなに大きくありませんでした。ちょっと客足は引いちゃうかもですが。それにしても申し訳ないのは、タミア家がワーブル家に危害を加えたって事です。」

 そう言って少女は二人に頭を下げ、次にホムラにしゃがむように頼んだ。

「どうしたの?」

「あの、母を助けてくれてありがとうございました。母から色々聞きました。殆どは謝罪でしたが...。ミゾレさんは知らないんですよね?」

「ああ、俺だけで行ったって言えば、『仲間はずれにした』って怒るだろうしな」

「ミゾレさんらしいです。...あと、これはお礼です」

 少女は少し躊躇った末に、ホムラの頬に口づけをした。

 少女は動揺するホムラから離れると、恥ずかしそうに頬を染めた。そして、爽やかな別れの挨拶をした。

「それでは、またいつか!」

「あ、待って!」

 ホムラは最後に一つ聞き忘れたことがあるのを思い出し、走り去ろうとした少女の足を止める。

「...名前、なんていうの?」

 今まで『あの子』や『娘さん』で呼んでたから、全く知る機会が無かった。これからも知る必要はないのかもしれないが、何となく知っておきたい。

 疑問が解ける時というのは案外呆気ないもので、少女は簡単に答えた。

「レンゲです!次会うときも覚えていて下さいね!」

 レンゲはそう言うと、駆け足で旅館の中に入っていった。

 ホムラは何となく、旅館を眺めて考える。

(女将さんの思い出の花...赤蓮の宿...ああ、『赤い蓮華の花』か)

 何となく心のモヤが晴れた気がして、ホムラは旅館をあとにした。しばらく何も言わずに待ってくれていたミゾレは、急かすように手招きをしている。

予定してたシナリオはあるけれど、時間が経つに連れて色々改変したいと思っているうちに三ヶ月。なんてこった

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