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#移住者交流会

作者: やねつき

「僕」は2011年3月11に起きた東日本大震災の時に起こった原発事故をきっかけに2014年に妻子共々東京から岡山に逃げました。それがどういう事なのか実は「僕」にもよくわかっていませんし誰もいまだに説明してくれません。ただ子を守るために必至だという事だけは確かだということです。

 あ、そうか。じゃあなたは前向きになれるんですね。僕は原発事故の時これはえらいことだなと、まさか起こらないだろうなと思っていた事がほんとに起こっちゃって途方に暮れたというか、これからいったいどうなるんだろうと、まったくうちの娘はえらい時に生まれてきたなと、テレビでもくもく煙をあげている原発をみながら空想と現実の間を絶望的にいったり来たりしてたんです。だからってうわけじゃないんだけど、とてもじゃないがいまだに前向きにはね、なかなかなれないんです。いまだに途方に暮れてると言っても、それたぶんそんなに間違いじゃないです。まあ僕は弱いからそんなふうになっちゃうんだけど、でもですね、おんなじようにあの時感じた人でも前向きになれる人はいるわけです。ま、それはそうなんですけどね。それを強いと言ってしまってはほんとはいけなくて、それはね、絶望ばっかりしていたら子どもはどうなっちゃうんですかと、とにかく守ってやりたいとただそれだけでね、強いとか弱いとかそういう問題じゃないんだけど、そういうお母さんたちの姿見るとですね、男の僕なんかはつい強いって言いそうになっちゃう。 だけどそうかあなたの前向きはそれとも違うんですね。悲観はしたかもしれないけど絶望とかそこまでしてたわけじゃないっていうかね。悲観てのはもしかしたら絶望に比べればまだどうにかしてやろうっていうかね、なんとかしないといけないみたいな気持ちがあって、いやあるんですよ、絶望にも。絶望にもあるんだけど絶望までしないけど結構悲観的になったくらいだったら比べればね、比べれば長期的にも建設的にももしかしたら楽観的にもなれんのかもしれないというか、そういう精神を崩さなくて済む。そうかもしれないな。だけど一回絶望しちゃうとね、それが簡単でなくなるんじゃないですかね。僕はたぶん絶望したと思うんですけど、だからそう簡単には前向きにはなれないっていうかですね、一瞬でも絶望感じちゃうと残っちゃうんですよね、なんかこの辺ていうか全体に。そうするとですね、これがなかなかタフさを要求されるわけです。っていうかね、残っちゃう悲観を絶望っていうのかもしれないですけどね。


 ビルの4階の窓の外は晴れている。よく晴れた空はまったく見慣れてはいるんだけどすぐそこに見慣れない山裾が視界に入ってきてしまう。山裾を視界からはずして見慣れ慣れた風景に重ねようと無理をしたら、目と首がくたびれた。なにをしてんのかね。目の前に座っているのはなんとまあ偶然にも世田谷から来た人だし、隣の人は埼玉みたいで、そっちの人は茨城でこっちの人はやっぱり東京だったかな。で、窓の外は岡山。絶望でもないし悲観もしてないけれど、今は多少途方に暮れている。っていう感じかな。

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