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短編、雨×海

 ジトジトとした湿気のせいで肌に張り付く服がとても不快だった。


 とりわけ理由も無く自宅から少しだけ距離のある海に来た事を少しだけ後悔していると、雨雲の切れ間があることに気づく。


 光が差し込む一部分、まるで天使でも降臨しているようだった。


 都市伝説に過ぎないが実際にそう言った状況では天使が舞い降りていると噂されている。

 まあ、そんな戯言を信じている訳ではないが……。


 そんな神々しさを感じさせる風景をボーっと眺めていると、雨の中を歩く人が横から歩いてくる。

 傘も差さず、雨に打たれるままに。


 遠巻きに見えるその人は特に急ぐ様子も無く雨の中を優雅に歩いていた。

 いや、むしろ楽しげにしている。


 徐々に近づいて来る人影、その人物は、およそ人とは呼べない異形の者だった。


 第一に肌の色が緑、そして手と足にヒレが付いている。無論それだけでは無く、頭部、頭の天辺に丸い皿が付いているではないか。


 直感した、これは河童だと。


 良くもまあここまでお伽話に出てくるような容姿をしているものだと感心すら覚えてしまう。


 呆気に取られている間に河童は目の前に差し掛かっていた。

 ギョロリとした大きな目をこちらに向けて。


 気味の悪い事に体は動かず、呼吸をする事すら出来ない。

 昔話の中では確か、河童に捕まると尻子玉を取られてしまうはず。恐怖を感じながら、尻子玉ってなんだろうか? 取られても生きていられるのだろうか? などと悠長に考えている自分に驚きを隠せなかった。


 普通ならばもっと動転してもいい筈なのだけど……。


 河童はゆっくりと大きな口を開けると聞き取れないような高音を放つ。


「ーーーーーーー」


 何かを伝えようとしているのか、それともただ鳴いているだけなのかは定かではなかったが、体が硬直しているせいで身振り手振りすら出来ない。


 河童は少し首を傾げると、反応出来ないのだと気づいたのか顔の前で両手を叩いた。


 パンッ! と力強い音が響くと硬直していた体が弛緩した。

 空気を大きく吸い込み、息を整えて河童に目をやると、嬉しいそうに笑っていた。


 何が面白いのだろうか? そんな疑問を抱くと河童は隣に腰を下ろした。


 驚きを通り越してもはや逃げる気も起きなかった。

 本来なら一目散に逃げ出す筈なのに……。


 小さくため息を吐いて隣の河童に目をやると、子供のように足をブラブラさせて、楽しげに降りしきる雨を見ている、右へ左へ、ゆらゆらと体を揺らしながら。


 こちらの視線に気づいた河童はまた口を開けて音を発する。相変わらず言語とは程遠いのだが敵意がない事だけはハッキリと分かった。


「あの、何か伝えたい事でも?」

「ーーーーーーーーーーーー」


 ダメだ、サッパリ分からない。

 雨はドンドン強くなるし、少し寒気がするし散々な一日だ。

 そう思い大きくため息を吐くと、河童は甲羅の中に手を突っ込んで何かを取り出した。

 それはボロボロの布切れだった。不思議と薄汚いと思わなかったのだが明らかにボロボロの布切れ。

 河童はそれを差し出してくる。


「ーーーーーー」

「受け取れってことですか?」

「ーーーーーーーーーーーー」


 少しだけ迷ったけど、結局そのボロを受け取る事にした。


 肩口から羽織うと穴だらけのクセに暖かった。


「ありがとうございます」


 感謝の言葉を述べると河童はニンマリと笑った。



 河童は海の方を向いてまた足をブラブラさせ始める。

 私もつられて視線を海に向けると雲の切れ間は無くなっていて、光の筋も消えていた。


 少しだけ残念な気持ちになっていると、雨は更に強く降りしきる。


「今日は帰れないかもしれないですね」


 些か不安ではあったけど、河童から借りたボロが暖かいせいか、別に一晩くらいならいいかな、と思う自分がいた。


 視線を感じて河童に目をやると、ニンマリと笑ったまま河童は右手で自分の左手を持った。


「ーーーーーー」


 良く見ててね、そう言われた気がした。


 小さく頷くと、河童は自分の左手をゆっくりと引っぱり始めた。

 左腕はドンドン長くなり、代わりに右腕がドンドン短くなって行った。


「凄いですね」


 唖然としてそう呟くと、河童は地団駄を踏みながら笑っていた。

 どうやら最初から驚かす事が目的だったらしい。


「ーーーーーーーーーーーー」

「引っ張れって事ですか?」


 短くなった右腕を差し出して河童は鳴き声を上げる。

 少し触るのは怖かったけど、差し出された右手を握りゆっくりと力を入れる。


 ズリュリュリュ、そんな擬音と共に河童の右腕と左腕が抜け落ちてしまった。


「ご、ごめんなさい」


 サァァァァ、と血の気が引く音が聞こえて来そうな程、焦ってしまう。

 河童は更に大きな地団駄を踏んでケタケタと笑っていた。


 ホッとして河童の腕を元に戻す。


「悪戯が好きなんですか?」

「ーーーーーー」


 大きく首を縦に振る。肯定のようだ。


 お茶目な河童に、思わず私も笑ってしまうと河童は目を見開いたかと思うと、すぐにニンマリと笑った。



 いつの間にか雨は小雨程度になっている事に気づくと河童は勢いよく立ち上がった。


「ーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

「もう行くんですか?」


 小さく頷き、肯定する。

 借りていたボロを返そうと手を掛けると、河童は手を目の前に出して動きを静止する。


「くれるんですか?」


 コクリと頷く。


「ーーーーーー」


 少しだけ考えて、私は答える。


「ありがとうございます」


 河童は今日一番の笑みを浮かべて小雨の中を軽く跳ぶように去って行った。



「…………うん、今日は来て良かったです」


 嫌な事があった、とっても嫌なことが。

 明日なんか見たくなくて、今日を生きていく事が辛くて、現実なんか見たくないって、そう思った。


「でも、だからなんでしょうか?」


 妖怪に出会った、それも飛びっきりの。

 現実とはかけ離れた異形の者、優しくて、悪戯好きな緑の妖怪。


 非現実に直面してしまったら、私の悩みなんて大した事では無いように思えてしまうから不思議だ。



 私は河童……いや、河童さんに貰ったボロを強く握り締めて晴れ渡る道を歩き出す。

 河童さんとは反対の方向、自宅へ。


「あ、虹だ」


 遠くの海には大きな虹が出ていて、少しだけ嬉しくなった。



end



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