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取り替えっこ

「井戸の底へようこそ、アリィ」


 アリィは、思わず彼女に見惚れてしまいました。

 彼女の一連の所作は、今まで井戸に寄りかかったままほとんど動いたことのないアリィには、とても出来そうにないものだったからです。

「井戸の奥は、ここよりも地面が柔らかくて落ち着くのよ。そこでいろいろと話しましょう」

「うん、わかった」

 ウェルは右足で壁をつき、左足で跳ねながらどんどん奥へ奥へと進んでいきます。アリィも彼女の真似をしようとしましたが、やはり思うように立てません。後ろを振り返ったウェルが尋ねました。

「大丈夫?」

「うん……ウェルってすごいのね。立って歩けるなんて、まるで人みたい」

「私にできるんだから、アリィだってじきにできるわ」

「そうかなあ」

 アリィには、自分がウェルのように美しく歩けるようになるとは思えませんでした。

 眉を落とす彼女に、ウェルが優しく声をかけました。

「ほら、壁のごつごつしたところに指の先を引っかけて。膝で立てたら、指をもっと上の方に引っかけるの。そうして手と足をちょっとずつ動かしていけば、簡単よ」

 アリィは首をかしげながら、ウェルの言う通りにしました。そうすると、さらりと簡単に立つことができたのです。アリィは自分の足元とウェルを交互に見ました。ウェルは、柔らかに笑っていました。

「た……立ってるの、私」

「ええ、立っているわよ」

「このまま跳ねたら、歩けるのかしら」

「そうね。歩き方は立つのとあまり変わらないわ。先に、足を動かす方へ手を出しておくの。今度は指の先じゃなくて、指の横を壁に引っかけるようにすると転びにくいわ」

「うん」

 アリィはまた言われた通り、壁に指を引っかけました。そうして、少しためらった後、思い切ってぴょんと跳ねました。

「わっ、わ、わ」

 跳ねた勢いでそのまま前へ倒れそうになりましたが、壁をつく手がそれを止めてくれました。

「おじょうず」

 ウェルはくすりと笑うと前へ向き直り、ゆっくり跳ね始めました。アリィも、おぼつかない動きでそれについていきます。



 しばらくして、ウェルが歩みを止めました。アリィがそちらを見ると、彼女の横の壁からかすかな光が漏れていることに気づきました。

 やがて、いきなりギィィィという耳障りな音が聞こえたかと思えば、急にその光がわっと広がりました。どうやらウェルが扉か何かを開けたようです。

「こっちよ。いらっしゃい」

 ウェルは光の差す方へ入っていきました。アリィも追いついて中に入ると、そこには別世界が広がっていました。

 まず彼女を迎えたのは、穏やかな青白い光。光が照らしているのは、ベッドや机や本棚。それらが人の使う物であることはアリィも知っていました。かつて路地裏にある家の窓を覗いたときに見たからです。

「すごい。すごい」

 アリィは思わず跳ね回り、やがて転びました。しかし先ほどとは違い、ふわりと優しい感触が彼女を包んでくれました。

「下も柔らかいわ」

「そうでしょう。絨毯が敷いてあるの」

「じゅうたん!」

 アリィは絨毯の上でころころと転がりました。やがて仰向けに寝転がると、天井で青白い光を放つ大きな大きな石を見つけました。

「あの光る石は何?」

「あれはルナフェルという名前の石よ」

「じゃあ、他の石とは違う大事な石なのね」

「そうね。ルナフェルは、周りのマナを集めて、夜になるとひとりでに光る、とても珍しい石……なんだとか。ごめんなさいね、私もおじさんから聞いただけだから、よく知らないの」

「ううん、教えてくれてありがとう」

 ふたつは、互いに笑顔を向け合いました。やがてウェルが、机の側の椅子に腰かけて言いました。

「アリィもそこのベッドに腰かけるといいわ。座ると落ち着いて話がしやすいのよ」

「わかった」

 アリィは言われた通り、ベッドに腰かけました。ところが不思議とうまく座っていられず、右に傾いてしまいます。ベッドを掴もうと慌てた左手は宙をかき、アリィはそのまま倒れてしまいました。

「おかしいわ。どうして座っていられないのかしら。私、ずっと井戸に寄りかかっていたから、座るのは得意なのよ」

「何かに寄りかかるのと、寄りかからないのとじゃ、少し勝手が違うものね。仕方ないわ」

「そうなの? ウェルは何でも知っているのね」

「そんなわけないわ。たぶん私は、ほとんどあなたの知っていることしか知らない。ただあなたよりも少し、立ったり座ったりすることに慣れているだけ」

「そうかなあ」

「そうよ。そうじゃなきゃ、どうして私の身体は欠けているのか、なんて考えたりはしないわ」

 アリィが呟いていた疑問でした。アリィは自分がこの井戸の底へ来た理由を思い出し、なんとか座り直してウェルと向かい合いました。

「そう、そうだわ。どうして私の身体は欠けているのかしら。私、それが知りたくて」

「そうね、考えてみましょう。ひとつでは分からなくても、ふたつで考えれば何か分かるかもしれない」

「ねえ、ウェルはどうしてウェルの身体が欠けているんだと思う?」

「そうね……やっぱり、私の身体を作る人が間違えたんじゃないかしら」

「そっか。私たち人形なんだから、誰かが作ったのよね。でも、誰がつくったのかしら」

「それは、分からないわ。男の人かもしれない、女の人かもしれない、私とアリィをつくったのは同じ人かもしれない、違う人かもしれない。でもこれは考えたってどうしようもないことよ。私たちは井戸の底にいるのだから」

「でも、ウェルはずっと井戸の底にいるんでしょう? じゃあ、ウェルをつくった人も井戸の底にいるんじゃないかしら」

「いいえ、この井戸の底は隅から隅まで知っているけれど、私以外には誰もいないわ」

「でも、この部屋はまるで人が住んでいたみたい」

「確かに……そうね。昔は、いたのかもしれない……。でも、今はいないわ。私たちをつくったのが誰だったとしても、今いない以上、私たちの身体が欠けている理由を確かめることはできないわ」

「ああ、そっか」

 アリィは、いつの間にか考えていることが違ってしまっていたことに気づきました。

「じゃ、誰が私たちをつくったのかは、また今度考えましょうね」

「ええ。あなたがもっと考えたいのなら、付き合うわ」

 ウェルは穏やかに笑って頷きました。

「じゃあ、今度はあなたね。どうしてアリィの身体は、欠けているのだと思う?」

「ううん……どこかで落としたんじゃないかしら」

「どうしてそう思うの?」

「ほら、私が井戸の底に落ちたとき、左腕が取れてしまったでしょ? それに私、あの井戸の側以外の場所へは行ったことないけれど……昔は、違う場所にいた気がするの」

 アリィは、たまに幻を見ることがありました。その幻を見ている間は、不思議なことに路地裏のことなど忘れて、自分がその幻の中にいるのを当たり前のように思っている。

 だというのに、幻が消えるころには、その幻のことをすっかり忘れているのです。どんな場所だったか、何があったかも思い出せず、ただ幻を見たということだけを覚えている。

 そして決まって、その幻を見ると、アリィは懐かしい気持ちになるのでした。

「なるほどね。確かに私たち、誰かがどこかでつくったのは間違いないんだもの。私は、昔のことなんて何も思い出せないけど……でも、私もずっと井戸の底にいたわけじゃないと思う」

 ウェルの言葉にアリィは、はっとしました。あの幻は、もしかしたら自分のつくられた場所で、そこには自分をつくった人もいたのかもしれない。

 アリィは、あの幻のことをなんとか思い出そうとしてみました。でも、やっぱり今はあの路地裏の景色しか出てきません。

「……私たち、どこから来たのかな」

「なぜ私たちは、ここへ来たのかしら」

「誰がここまで連れてきたの?」

「どうして私たちは、ここに来る前のことを思い出せないのかしら」

 新しい疑問は次々と出てきますが、やはりただのひとつも減りません。これでは、ひとつだったときと同じです。ふたつは悩みました。

 そのとき、ウェルがパッと顔を上げました。

「このまま考えても答えが分からないのなら、いっそ考え方を変えてみてはどうかしら」

「どういうこと?」

「たとえば、私たちは今まで『どうして身体が欠けているのか』を考えるとき、どうして身体が欠けたのかを考えていたでしょう?」

「うん」

「そうじゃなくて、身体が欠けている意味を考えてみるのはどうかしら」

「意味……?」

「そう、意味」

 アリィには彼女の言うことがよく分かりませんでしたが、ウェルは得意げな顔をして続けます。

「私、あなたと会えたことをすごく嬉しく思っているのよ」

「? うん、私もそうよ」

「だから、これが私たちの身体が欠けている意味だったんじゃないかって、私は思うの」

「ええと」

「あなたが、『どうして私は欠けているの』と呟かなければ、私たちは出会えなかった。あなたと私がお互い欠けていて、同じことを考えていたから、私たちは出会えた。そうでしょ?」

「そうね」

「きっと私たちがこうして出会うために、私たちの身体は欠けていたのよ」

 アリィは、ようやく彼女の言うことが少し分かったような気がしました。でも同時に、自分の考えたいことは、彼女の言っていることとは違うようにも感じて、アリィは考え込んでしまいました。

「どうしたの? 何かダメだったかしら」

「ダメじゃないわ。とっても素敵な考え方。……でも」

 言いたいことをうまく言える自信はありませんでしたが、アリィは自分の考えたことをそのまま言ってみました。

「私は、私の身体は欠けるためにあったわけじゃないのだと思うの。何かの間違いがあって、欠けてしまった……だから私、欠けた私の身体を見ていると悲しくなるんだと思う」

 アリィは自分に空いた穴の縁をなぞりました。

「ええ、私も何かの間違いで欠けたのだと思うわ。でも、それとこれとは別の話。理由はひとつとは限らないもの。そして、私たちが出会うために身体が欠けたという理由の方が大きな理由だと、私は思うわ」

「けど私たちの出会いのために、私たちの身体が欠けたんだとしたら……私たちの身体が欠けることは元々決まっていたんだとしたら……それはもう、欠けているとは言わないんじゃない?」

「それは違うわ。欠けた理由は分からないけれど、確かに私の身体は元々あって、それを……そう、運命が欠けさせたということが、大切なのよ」

「それは結局、欠けているのが本当の姿だということじゃないの?」

「いいえ、だって人形は人間の形をしているのが本当の姿なのだもの、人間にある部分がないのなら、それは欠けているのだわ」

「でも、腕や足のない人だっているじゃない」

「えっ、そうなの?」

「うん。井戸の外には、そういう人もいたわ」

「……それでも、やっぱりおかしいわ。欠けているから、私たちの身体に穴が空いているのではないの?」

「そうね、私もそう思う。……あれ?」

 アリィは言いたかったことがよく分からなくなってしまいました。

 私とウェルは言いたいことが違っていたはずなのに、どうして今同じことを言っているんだろう? アリィは目を閉じて考え込んでしまいました。

「そうだわ!」

 そんな中でウェルが急に声を上げるので、アリィはびっくりしてまた横に倒れました。

「私たちが欠けているのか欠けていないのか、簡単な確かめ方を思いついたの」

「どうするの?」

「私たちの身体を、取り替えっこするの」

「へ?」

「もし、私たちの身体がどこかで欠けてしまったのだとしたら、身体を付ければまた動くようになるということじゃない? だから、アリィに私の身体を付けて、私にアリィの身体を付けてみるのよ。どうかしら」

 その言葉を飲み込むと、アリィは思わず飛び起きて目を輝かせました。

 これ以上なく効果的な確かめ方だというのはもちろん、自分にこれまで無かった身体を付けるということが、とても素晴らしいことに思えたのです。

「すごいわ! なんて素敵なアイデアなの。ウェルは本当に頭がいいのね」

「よして、そんな。アリィと一緒に話していたから思いついたのよ」

 ウェルはそう言いながら椅子から降り、アリィに近寄りました。

「やるならベッドの上がいいわね。柔らかくて身体に傷がつかないから」

「わかったわ。私はどうすればいい?」

 ウェルはアリィの隣に腰かけ、少し考えるように指で唇を触りました。

「そうね。手足を動かすのは私の方が慣れているようだから……まず、私が私の手とアリィの手を取り替えるわ。だから、アリィは横になっていて」

「うん」

 アリィは言われた通り横になりました。もうすぐ自分に右腕が付くと思うと待ち切れず、目がせわしなく動きました。

「うまく外れるかしら」

 ウェルがアリィの左腕を引っ張ったり叩いたりしていると、すぐに腕は外れました。アリィが驚いて言いました。

「こんな簡単に取れちゃうのね」

「もう少し丁寧につくってほしかったわね」

「いいわ、今はウェルがいるから」

「ふふ、そうね」

 アリィは少しだけ、ウェルが先ほど言いたかったことが分かった気がしました。

「それじゃ、あなたの左腕、付けさせてもらうわね」

 そう言うウェルの声は、ぎこちなく固まっていました。アリィもつられて身体が固まりました。

 ウェルがそっと、左肩の空いた穴に、左腕を当てました。そのまま押し込むと――ポコッ、と小気味のいい音が鳴りました。

「な、なに、どうなったの」

 はやるアリィが尋ねましたが、ウェルは目を見開いたまま動きません。アリィもじっと彼女が動くのを待ちました。

 やがてウェルの目が左腕を見ました。そして彼女は、ゆっくりと、ゆっくりと、左腕から右手を離しました。その時間は、まるで世界から音が消えたようでした。

 そしてふたつは見ました。

 ウェルの身体に付いたアリィの左腕が、確かにぴくりと動くのを。

「あっ!」

 その声は、どちらが上げたとも分かりません。

 ウェルはまず、左腕を前に突き出してみました。次に手を開いたり、閉じたりしました。両手を合わせたり、指を絡ませたり、身体のあちこちを触ったりしました。

 そしてようやくアリィに顔を向け、

「動いたわ!」

「動いた!」

 ふたつは喜び合いました。

「これが左腕なのね、これが、……これなら、自分の左にあるものが手に入る、左の壁を伝って歩くことができる。左腕って、なんて素晴らしいのかしら」

「やっぱり私たちの身体って欠けていたのね! ウェルの右目と左足も、私の左目と左腕と右足も、付ければきっと、また動くんだわ」

「あっ、そうだったわね、アリィに右腕を付けてあげなきゃ」

 ウェルはまだ落ち着かない様子で右腕を外し、アリィにどさりとのしかかりました。やや強い衝撃に、アリィは「ひゃっ」と声を上げました。

「あぁっ、ごめんなさい。もう私ったら、何を慌ててるのかしら」

「ううん、気にしないで」

 突然のことで驚きはしましたが、苦しいわけではありませんでした。むしろアリィは、ウェルの重さを少し心地よいと感じていました。彼女はその心地よさがなんだかおかしくて、笑みをこぼしました。

「さっきと同じね」

「あなたの左腕を付けたときかしら?」

「ええ。なんだか不思議な気分」

「そうね。あのとき、あなたに付けた左腕は、今私が付けていて……そして今度は、私の右腕をあなたに付けようとしてるなんて。ふふ、おかしいわ」

 ポコッ、と音がしました。

「……あ」

 アリィの右腕に、確かに何かが戻ってきた、そんな気がしました。左腕を付けてもらったときと、とても似た感覚です。

 動かさなくても、アリィには動くと分かりました。

「アリィ? どうかしら……もしかして、」

 ウェルは心配そうにアリィの顔を覗き込みました。アリィは、そんな彼女を右腕で抱きしめました。ウェルは先ほどのアリィのように「きゃっ」と声を上げました。

「大丈夫。ほら、ちゃんと動くわ」

「そ、そう、よかったわ。私の上に乗っているのは、私の右腕なのね?」

「うん。ありがとう、ウェル」

「お礼なんていらないわ。私もアリィから左腕を貸してもらったんだもの、ね」

 ウェルは、お返しとでも言いたげに左腕でアリィの髪をなでました。

「私の左腕になでられてるわ」

「私の右腕に抱きしめられているわ」

「おかしいわね」

「おかしいわ」

 ふたつは笑いました。

「こうしてウェルとくっついてるの、好きかもしれない。心地よくて、いつまでもこうしていたいくらい」

「私もそう思うわ。でも、まずは足と目を取り替えてみなくちゃね」

「あっ、そうね。次は私、どうすればいいの?」

「足は、たぶん自分で外した方が簡単だと思うわ。だからアリィは、右足を外して私にちょうだい。私も左足を外してあなたにあげる」

 今度も言われた通りにやってみると、やはりアリィはウェルの左足を動かすことができましたし、ウェルもアリィの右足を動かすことができました。

「これが右足なのね!」

「左足もちゃんと動くわ!」

 アリィもウェルも、腕を取り替えたときと同じくらい喜び合いました。そうして、ふたつ一緒に部屋をしばらく跳ね回りました。手を繋いで、跳ねながらくるくる回ったりもしてみました。

 慣れない身体で慣れないことをするものだから、何度も転びました。でも、そのたびに笑い合いました。

 ひとしきり動いてベッドに戻ったところで、アリィが尋ねました。

「そういえば、目はどうやって外すの? 顔の中に入っているし、取れそうにないわ」

「私も、外したことはないけれど……押せば取れるんじゃないかしら?」

「押すと取れるの? どうして?」

「顔の中って、実は何もないの。だから目を押したら、たぶん瞳が下に転がり落ちて、口から取り出せると思うのだけど」

「なんだか怖いわ、それ」

「そう? どうしてそう思うの?」

「ううん、うまく言えないけど、口から瞳が出てくるのって、なんだか気味が悪くないかしら」

「私は、そうは思わないけれど……それなら、目を取り替えるのはやめておく?」

「いいえ、目もちゃんと確かめておきたいの、欠けてるのか、元々なかったのか。でも……私の目は、ウェルが取ってくれないかしら」

「ええ、構わないわ」

 ウェルが指先をアリィの目に近づけていきました。アリィは、自分の瞳が口から出るのを想像して、思わず目をぎゅっと閉じてしまいました。

「アリィ? 目を閉じてちゃ取れないわ」

「ど、どうにか、取れないかしら」

「分からないけれど、でも危ないわ。まぶたが傷ついてしまうかもしれない」

「そ、そう。じゃあ、開けるわ」

 アリィはゆっくりと目を開けました。するとウェルの指がもう瞳に触れそうなほど近くにあったので、また閉じて、もう一度開きました。

「大丈夫?」

「うん……」

「じゃあ、いくわね」

 ぎゅ、と瞳を押される感覚と共に、アリィは何も見えなくなりました。アリィは怖くなって、すぐ目を閉じました。瞳がコロンと下の方へ転がっていくと、口も堅く結んでしまいました。

「…………」

「あーん、して」

 ウェルに言われて、おそるおそる口を開けます。ウェルはアリィの口の中に指を入れると、中から瞳を取り出しました。

「瞳って、こんな形をしているのね……」

「どんな形なの?」

「きれいな丸よ。ちょっと待ってね、今あなたに右目をあげるから」

 目が見えなくなったアリィには、ウェルが今何をしているのかよく分かりませんでしたが、どうやら左目を付けるのが意外と難しいようでした。

 やがてあのポコッという音が聞こえ、次に瞳の転がる音、ウェルの一息つく声が順に聞こえました。

「お待ちどおさま。付けるのはどうする? アリィが付ける?」

「悪いけれど、また付けてもらっていいかしら。やっぱり少し怖くて」

「ええ、もちろん」

 ウェルがまたアリィの口に指を入れ、今度は右目を彼女に付けました。アリィが目を開けると、再びウェルと青く光る部屋が彼女を迎えてくれたので、アリィはほっとしました。そして、いつもより右寄りの世界に驚き、喜びました。

 こうしてふたつは、互いの身体をすべて取り替えました。

「これが、アリィの身体なのね」

「これがウェルの身体なのね」

「まるで私たち、中身だけ入れ替わっちゃったみたい」

「ね、今のウェルは私そっくり」

「こんにちは、ウェル?」

「こんにちは、アリィ!」

 ふたつはくすくす笑って手を合わせました。とにかく何をしても、おかしくて仕方がありませんでした。

 ひとしきり笑った後、ウェルはベッドに倒れ込みました。アリィも真似をして倒れてみました。

「ああ、楽しい。こんなに楽しいのって初めてよ」

「私も。どうしてかしら、今まで楽しいことなんて一度もなかったのに、ウェルといると何でも楽しい」

「そうね。楽しくなかった私なんて、もう思い出せない。むしろ私たち、ずっと一緒にいたような気がするの」

「これからは、本当にずっと一緒でいましょう、ウェル」

 アリィの言葉に、ウェルは随分と驚いたようでした。開かれた目はやがて細まり、彼女はアリィに頬ずりをしました。

「もちろんよ! あなたからそう言ってくれるなんて、思いもしなかった。すごく嬉しいわ」

「そうかしら? ウェルと一緒だと楽しいし、あたたかいわ。一緒にいない理由がないくらいよ」

「だってあなたは、井戸の外から来たでしょう?」

「うん。それがどうかした?」

「外から来た人は、いずれ外に帰ってしまう。外に世界があると知っているから、らしいけれど。それならきっと、アリィも帰ってしまうんだって思っていた」

「? ウェルだって、外に出たことはなくても、井戸の外があることは知っているでしょう?」

「知らないわ。井戸の外には、本当は何もないのかもしれない。自分で確かめない限り、本当のことは分からない」

「それって、変じゃない? そうだとしたら、私はどこから来たの?」

「私の知らない、外から来たわ」

「じゃあ、井戸の外がないなら、井戸の中はどこで、何だというの?」

「私の世界よ」

「……私には、分からないわ」

「分からなくたっていいのよ。これは、私がウェルである意味そのものなんだから」

「でも私、あなたのことをもっと知りたい」

「そんなに焦ることないわ。これからずっと一緒にいてくれるんでしょう?」

「そうね。そう、だけど」

 まだ納得がいかないアリィのことを、ウェルはそっと抱きしめました。

「ね、しばらくこうしていましょう」

「……うん」

「次に起きたときは、身体を元に戻して、青空を見に行きましょう。そしたら、また井戸の底を歩きましょう。今度は、この部屋より奥まで」

「うん」

「奥から戻ってきたら、明るい内に、変わった石や生き物を探しましょう。私が知っているものは、何でも教えてあげる。ちょっとこの部屋で休んだら、井戸の底から夕空を見ましょう」

「うん」

「そうしたら、部屋に戻って遊びましょう。あ、身体の取り替えっこをまたするのもいいわね。満足するまで遊んだら、井戸の底から夜空を見ましょう」

「うん」

「その後は……今みたいにくっついて、じっと朝を待ちましょう。そうやってずっと、井戸の底にいましょう。それってきっと、とても幸せだわ」

「ウェル」

「なあに?」

「あなたにも、私の知っていることをぜんぶ教えてあげる。ぜんぶ教えてあげたい。だから、いつか井戸の外へ、出てみましょう?」

「……ええ。あなたが望むなら」

 アリィはそれを聞いて、ほっとしました。納得はできなかったけれど、今はこれで十分。そう思ったのでした。

「こういうとき、人だったら、おやすみなさいというのかしら」

「そうね。私たちは、眠るわけではないけれど……おやすみなさい」

 ウェルはアリィの頬に、軽く口をつけました。コン、という音が、アリィの中に響きました。

「それは何?」

「キスよ。特に親しい人への、あいさつ、というのかしら? そういうものよ。おはようと、おやすみを言うときにするの」

「そうなのね。じゃあ、私も。おやすみなさい」

 アリィもウェルの頬にキスをしました。



 ふたつは目を瞑って、動くのをやめました。

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