9 道路事情を心得てみる
《Hey、そこまでにしときなCherryBoy》
「うおっ!?」
邪な感情を胸に、イレーネの寝室へと向かおうとしていたヒロトに甲高い声がかけられる。
自分以外の人間がいるとは思っていなかったヒロトは、驚き無様な声を上げた。
慌てて辺りを見渡すも人っ子一人見当たらない。
いるのは極彩色のでかい鳥だけである。
「……ロバート?」
《クリスチャン三世だぜ、Boy》
「ひぃっ!」
恐る恐る尋ねるヒロトにあっさりと返答するロバート。
驚きのあまり腰を抜かしそうになる。
「と、と、鳥がしゃべっ――」
《やかましいぜ》
「ヘブッ!」
大声を上げそうになるヒロトをロバートが張り倒す。
……余談ではあるが鳥類の筋力というものは人間とは比較にならず、皇帝ペンギンの平手打ちは200キロを超えるとされる……あくまで余談だが。
《夜に騒ぐもんじゃーぜ。Cherry》
「うぐぐぐぐ……」
鳥類に人の常識を説かれるなど初めての経験である。この上もない屈辱だ。
「な、なんで鳥が喋ってるんだよ」
《ああーん? んなもん答えは一つに決まってんだろ?》
「……?」
《根性だよ》
「おかしいだろっ!?」
思わず突っ込むヒロトにロバートはこの世の真理を諭す。
《チッチッチ。これだからBabyFaceは乳くせえ。一に根性、二に根性、三四がなくて、五に根性だ。根性がありゃー、大抵のことはなんとかなる》
「そ、そういうもんか……?」
あっさりと鳥の暴論に感化されるヒロト。さすがの「知力:5」だ。
《ま、ぶっちゃけその『翻訳の指輪』のおかげだがな》
「嘘かよっ!?」
あっさりとネタバレされ再び突っ込まされる。見事に目の前の鳥に翻弄されている。
「……ってことはあれか? これをつけてれば動物の言葉がわかるのか?」
《No。そいつは相手の言葉に込められている意味を、理解できる形に組みなおす指輪だからな。ただの獣じゃ、ダイレクトに感情を形にするだけさ》
「……じゃあ、なんでお前は会話が成り立つんだよ?」
《そりゃー、MeがGreatだからに決まってんだろ?》
…………。凄まじく胡散臭い。しかし実際にこうして会話できている以上信じざるおえない。
「……まぁいいや。とにかく邪魔すんなよ、俺は今からイレーネさんに――」
《回転し突撃するロバートの嘴ッ!》
「よブウゥウウウッ!」
回転しながら突っ込んで来たロバートの嘴が、ヒロトの鳩尾に容赦なく突き刺さる。
今の彼の状態を閲覧板で覗けば、HP:1《瀕死状態》とでも表示されただろう。
《世間知らずのCherryBoyに教えてやるぜ。ここじゃあ、夜這いする奴にはそれなりの強さってーもんが必要なのさ。でねーと……もがれるぜ?》
なにをと口にしなかったのはロバートなりの優しさだったのだろう――。
◇ ◇ ◇
朝目覚めたのは柔らかいベッドではなく冷たい床だった。
「……君は奇妙な場所で寝るのが趣味なのか?」
「ハハハ……」
呆れた顔をするイレーネには、さすがにあなたに夜這いをかけようとしたら、鳥に叩き潰されました、とは言えない。
当のロバートは知らん顔をしているし、黒歴史として闇に葬ることにした。
「とにかく、さっさと食事を済ませたまえ。食べたら出かけるぞ」
「……何処にですか?」
「……君のレベルをなんとかすると言っただろう」
「おおっ!」
思わず身を乗り出すヒロトに彼女は続ける。
「先に言っておくが、外では決して走らないように注意しろ」
「はぁ……」
意味不明な注意に生返事を返す。
「それと……いい加減に敬語は止めろ。気色悪い」
◇ ◇ ◇
「なんだ……これ……?」
目の前の光景にヒロトは開いた口がふさがらなかった。
「なにをしている、さぁ行くぞ」
「いやいやいやいや、なんだよこれはっ!?」
対称的に全く動じていないイレーネに思わず突っ込んでしまう。
「……なにがだ?」
「だからこれだよっ、これ!」
ヒロトが全力で指さす先には、道路の真ん中を走る人々。
文字通り目にも止まらぬ速度で駆け抜ける人々だ。
「許可証持ちの連中だろう。なにを驚くことがある?」
「許可証?」
「走行許可証の事だが?」
常識だとばかりに答えるイレーネに、なんだそれはと突っ込みたいのを懸命に抑える。
道路には昨日よりも多くの人々がいた。それはいい。
問題なのは元の世界であれば車道と言える道路部分を、凄まじい速度で走り去る人々の姿だ。
「……走るなって言ってたのはこれのせいか?」
「ああ、許可証を持たずに走るのは交通法違反だからな」
自動車免許証のようなものらしい。
「……車とかないのか?」
「なんだそれは?」
「あー、人を乗せて運ぶ箱っていうか?」
「ふむ……走った方が速いのではないか?」
そんなわけあるかっ――と叫びたいのだが、眼前の人々を見てしまえば沈黙せざるおえない。
「ああ、大勢がゆっくりと移動したり、荷物が多いときはゴーレムが使われるな」
「……目的地が遠い場所のときは?」
「転移門を使えばいいだろう?」
ワープのようなことが簡単にできるらしい。
考えてみれば異世界から人間を呼び出すようなことができるのだ。
その程度の事であれば、驚くほどの事ではないのかもしれない。
「さぁ、さっさといくぞ。目的地は『モンスター牧場』だ」
「……へーい」
颯爽と髪をなびかせ進む美女の後ろに、死んだ魚の眼をした少年。
はたから見れば何とも奇妙な光景だった。
一言「攻撃力とか素早さとかカンストしたら、走るだけで凶器だろう」