6 犯罪者を眺めてみる
ふらふらと濁った眼差しで歩くヒロトの真横を、凄まじい速度でなにかが通過した。
向かいの建物の壁に激突し、止まったそのなにかの大きさは人間サイズ――というか人間そのものだった。
30代くらいの中年男性で、不健康に太った体型をしている。
そしてその体は……全身をなにか鈍器のようなもので殴られたかのように変形させ、真っ赤な血で染め上げられている。
挙げ句の果てに首はねじ曲がり、曲がってはいけない方向へ曲がっていた。
……誰がどう見ても死体である。
「……ひっ、ひぃいいいイイイイイィィィッッ!?」
ヒロトは元の世界で異世界に憧れていた。ネット小説の中の人を殺す登場人物たちも知っている。
しかし、現代日本の一般的高校生でしかなかった彼には、当然ながら死体と接した経験など皆無である。
故に無理からぬことであるが、実際にそんな場面に遭遇したとき、彼に出来たことは無様に悲鳴を上げることだけであった。
そんなヒロトの脇を少女が一人通り過ぎる。
ヒロトとさほど年の変わらない少女で、燃えるような赤髪を括った勝ち気な眼差しをした美少女だ。
こちらの世界に来た当初のヒロトであれば、ハーレム要員発見! などといった戯言をほざいたであろう美しい少女だ――握りしめられた右拳から滴り落ちる、どす黒い血から目を背けられれば……だが。
(ひ、人殺しっ!? け、警察、警察はいるのか!?)
もちろん異世界なのでいるはずもない。
混乱したまま動けないヒロトの目の前で、少女は掌サイズの黒い板を取り出すと、それに向かってなにやら呟く。
そして、黒い板をしまうとハンカチで右手の血を拭い、ぼんやりと空を眺める。
そこには殺人を隠蔽しようなどという意図は感じられない。
むしろどことなく面倒臭げな様子だ。
ヒロトがなにもできないままで遠巻きに眺めていると、何処からか制服に身を包んだ小柄な女性が姿を現した。
女性の傍らには自販機くらいの大きさで、素材不明の箱型のなにかが控えている。
「はいはーい。通報したのはあなたですかー?」
「はい。『探査』お願いできますか?」
「もちろんですー。それじゃあ屈んでもらえますかー?」
女性の要請を受けた少女は膝をつき、額をさし出す。
「では、はじめますねー」
少女の額に手を当てた女性は目を瞑る。そのまましばらくして――
「はい、結構でーす。それじゃあ死体の方も確かめますねー」
そう言い、死体に怯む様子もなく同じ動作を行う。
「はい、問題なしでーす。それじゃあ後日、局の方でもう一度他の局員が『探査』を行いますけど、お時間大丈夫ですかー?」
「はい、大丈夫です」
「それじゃあ、手続しておきますので三日以内に来てくださーい」
「はい。失礼します」
少女は女性に一礼すると、何事もなかったかのように去っていく。
残った女性は黒い板を取り出し、なんらかの操作を行い始めた。
その傍では、女性とともにやって来た箱型の物体が、死体を片付け道の洗浄を始める。
あまりにも理解不能な状況に、ようやっとヒロトの脳が活動を再開する。
「ち、ちょっとすいませんっ!」
「んー?」
ヒロトの声に振り向いた女性は、小柄な慎重にみあった童顔で、ウェーブがかったふわふわとした蜂蜜色の長髪をしていた。
間延びした口調が妙にマッチしている。
……ただしその幼い容姿には不釣り合いに、胸部が強烈に自己主張しているが。
普段であればまずそこに目が行くヒロトだが、さすがに先程目の当たりにした光景が脳裏に焼き付き、それどころではない。
「あ、あの人は放っておいていいんですか!?」
「……あの人ってさっきの女の子ー?」
「そう、そうです!」
ヒロトから見ればどう見ても人殺しである。
なぜ捕まえないのか理解できない。
「あの娘はいいんだよー。調べたけど被害者だったからー」
「ひ、被害者?」
「そーそー。そこのおっさんが真昼間から酒に酔った挙句、セクハラしたんだよねー」
既に箱型の物体に収容された死体に軽蔑の眼差しを送りながら、だから問題なしと言い切る女性。
「いやでも、さっきの娘が嘘ついてるかもしれないし、それくらいで殺さなくても……」
「……んー? 『探査士』の事は知らないのかなー? それに犯罪者は死んで当然でしょー?」
あっさりと言い切る女性にもはや言葉を返せない。
「悪いけどさー、お姉さんも仕事があるから。知りたいことは自分で資料館で調べてねー」
そう言い残すと彼女は箱を引き連れ去っていった……。
◇ ◇ ◇
「まじかよ……」
公園のベンチに戻りヒロトは頭を抱えていた。
あの後、資料館に直行し職員に土下座して謝り倒し、犯罪に関して調べてみたのだ。
そしてヒロトが知ったのは恐ろしい事実であった……。
この世界では、基本的に犯罪の加害者の人権などどいうものは存在しない。
被害者は加害者を殺害したとしても罪には問われない。
これだけでは冤罪が多発しそうであるが、『探査士』の存在がそういった事態を防ぐ。
彼らは精神系魔法の専門家であり、対象の記憶を完全に調べることができるのだ。
もちろん、『探査士』自身が不正を行う場合もあるので、『探査』は複数名で行うのが通例である。
稀に高レベルの人物が低レベルの人物を害したり、人の目につかない犯罪行為といった場合もあるが、その場合は速やかに冒険者ギルドに通報される。
この場合、犯罪者は討伐の対象となり中毒者どもに四六時中狙われ続けることになるのだ。
もちろん、『探査士』や『再現士』による綿密な調査が行われるので冤罪もない。
この制度が確立されているため、犯罪の発生件数は元の世界よりも圧倒的に少ないらしい。
……ある意味で素晴らしく人道的である。
加害者の人権に配慮がされ過ぎて、被害者の人権が蔑ろにされるような社会に比べれば遥かにましと言えるだろう――。
…………。
夢も希望もないとはこのことである。
万が一犯罪者を犯そうものなら、先程のおっさんと同じ末路を辿るだろう。
ステータスの低いヒロトではまず逃げられない。
……見れば随分と日が落ちてきた。
今日は此処で野宿して、明日からはなんとかしてレベルを上げる方法を考えよう――そう思いながらベンチに横になる。
皮肉ではあるが、犯罪者への扱いを考えれば襲われたりはしないだろう、と空きっ腹を堪えつつヒロトは眠りに落ちるのだった……。
一言「異世界の法律や常識が元の世界と同じだとは限らない」