始まりの丘
日が昇り始めたばかりで、薄く霧がたちこめる中複数の影が丘を登っていた。
太陽の光が差し込んできたとはいえ、まだまだ薄暗い中を躊躇なく進んでいる。
先頭を歩く人影が不意に足を止め、右手をゆっくりと肩まで上げると、その後ろに付き従っていた影もその動きを止めた。
人影はゆっくりと頭に手を添えると兜を外す。その金属の下から出てきた顔は、少年と青年の間の年齢で黄金に輝く瞳と髪の毛をしていた。
その目立ついでたちの彼は、アーサーという名の下級貴族の嫡男でこれが初陣だった。
アーサーの後ろにいる兵は鎧を着ていたが、上半身だけで手には自分の身長ほどの槍を持っていた。
兵たちの共通点はそれだけで鎧の種類も形もバラバラで、皮でできた鎧を着てはいたが、それが何の皮でできているかは全く分からない。
それは、複数の動物の皮を継接ぎのように組み合わせ、表面に油を塗って無理やり柔らかくした物を着ているため。
2種類、3種類の組み合わされている物から。1種類の皮のみで組み合わせた鎧が存在し、どのような動物からできているかは全く判別できない。
その中でも彼の脇を固める様に歩き出した、2人だけは全身を金属でできた鎧で覆って、まるで城に並べられている甲冑のようだ。
これだけでも、2人以外の後ろの兵は錬度が低く募集されたばかりの民兵であると容易に想像がつく。
「主よ、あまり出すぎた真似はまずくないですか。」
少したしなめるような重く静かな声で口を開いたのは、アーサーの脇にいる2人の内の1人だった、そのあと続けるように。
「いやいや、戦場を見るのはいい事さ。」
今度は軽い感じで、少し不真面目な声が響く。
その声は先ほどとは反対側から聞こえてくる、2人は対照的な声と対照的な意見を話していた。
そう、脇を固める2人は彼の家に仕えている人間だった。
アーサーは2人の声に耳を傾けながらも、これから行われる戦いに想いを馳せていた。
自分はこれから人を殺し、部下たちには殺せと命じ、自分の命令ひとつで兵を死なせることになり。
故郷で無事を祈っている、家族や友人にそのことを伝える事で、悲しまや恨みをかう。
それは自分だけではなく、相手にも同じことが言える。
そんな立場に立っていること、その罪を背負うことになるこの戦いに想いを馳せていたのだ。
彼は自らその道に入った、違う道もあったのかもしれない、文官や領主として事務や書類の整理をし、近くの町との交流など行い、平和に生きていく方法が。
その気になれば、自らが血を流し罪を背負う戦いを避けて通ることができた。
いや、ただ見ないふりをして人生を終えることもできるのかもしれない。
しかし、彼はこの道を選んだ、自分がこの場に立たなければ、他の誰かがその役割を押し付けられていただろう。
もしかしたら、自分の隣で言い争っている2人だったかもしれない。
自分の知らない誰かもしれない、しかし、確実に言える事は誰かがこの場にいなければいけない。
彼は偽善者のつもりはない、正義を語り敵は悪だと論じるわけでもない。
敵にも家族や友人がいて、1日でも早い帰りを祈りながら待っている。
だからこそ、家に引きこもり現実を否定し続けることはできない。
この血濡れた道を歩くためにも、最初の一歩になるこの場を見る必要があった。
彼は丘の上からゆっくりと辺りを見渡し、その風景を黄金の目に焼き付ける。
そのため人目を盗むように野営地を抜け、誰にも見つからない様に丘を目指し。
頂上にたどり着くことで、その風景を記憶し魂にも刻み込む。
そして彼は一度目をつぶると、一瞬頬を撫でる様に強い風が吹きぬけた。
風は力強くはあったが、嵐のような荒々しさではなく、まるで春風のように優しく暖かく。
彼らを祝福しているかのように、風は霧を晴らしていった。
彼は丘の上に吹く風を全身に浴びながら、再び目を閉じ息を深く吸い深呼吸をし。
そのまま踵を返すと、自分たちが昇ってきた方に手を振り下ろしゆっくりと登って来た道を引き返す。
彼らはほかの部隊に気が付かれる前に、陣に戻る必要があったからだ。
それなら2人だけを連れて行けばここまで苦労する必要がなかった、彼はなぜか他の兵を連れて行ったのか。
それは、彼なりの覚悟の現れであり、兵たちの重さを知るためだった。
歩き出した彼を見て、2人は安どのため息をついていた。
軽い声の彼も心中は焦っていた、もしも自分がいないことが司令官にばれれば、反逆罪や敵前逃亡に問われ処刑される可能性が高かった。
運よく命を助けられても、臆病者の烙印と財産の没収をされ、2度と表舞台に立つことはかなわないだろう。
彼はその視線を背中に浴びながら、丘を下り続ける。
この道これから待ち受けるであろう、彼の長く困難の始まりにしかなかった。
もしその道の先を彼が知っていたら、踏み出せたのか。
否、たとえどんなことが待ち受けていても、彼は何度でも踏み出していただろう。
その先にある未来と思いがあるのだから。
彼らが丘を下りるにつれて、霧は再び濃くなり彼の姿を隠す。
霧がたちこめる中、野営地にたどり着いた彼らを咎める者はいなかった。
それは暗いうちに出た事と、濃い霧が充満していたために他の人には気づかれてなかった。
野営地から入り口に一番近く、5~6人が入れるほどの高さ2メートルほどのテントがあった、アーサーは入り口をくぐる様にして入っいく。
テントや天幕は階級が高いものほど中央にあり大きくなる、下級貴族のアーサーに割り振られたテントは、その中で一番小さいものだった。
中にあったのは、布が敷かれ布を紐で丸めた枕のような物と、一番奥に小さな椅子が置かれていた。
まるで彼が帰ってくるのを待っていたかのように、安堵のため息をついたと同時に外から話し声が聞こえ、自分を呼ぶ声が聞こえた。
「アーサー殿伝令です。今回の戦いの作戦を決めるために、至急司令官の天幕に来るように。」
「了解した、主にはすぐに伝えるため。司令官にはすぐ向かうと伝えてくれ。」
「了解です、失礼します。」
その言葉を最後に、足音が段々と遠ざかって行った。
彼は再び息を吐くと、鎧に汚れが付いていないか、手でゴミを払い落とす仕草をしテントから出た。
テントを出た彼の両脇には先ほど共にいた、甲冑を着た2人の兵がいた。
2人はテントの外で警備していて、先ほどの会話も彼らと伝令の話し声で、不審者などからアーサーの護衛をするのが彼らの仕事だった。
「こんな、早くに会議とは司令官はずいぶん急ぐね。」
笑いを含んだ少し軽い口調だった、もともと軽い性格の彼だがその発言が他の兵に聞かれたら、彼だけではなくアーサーも司令官に目を付けられて、後々面倒なことになりかねなかった。
「あまり不用意な発言をするな、お前だけではなく主の立場を悪くするぞ。」
その事を危惧したもう一人の兵が、強い口調だが静かな声でがたしなめる。
2人のやり取りを聞きながら、彼は歩みを早め司令官のもと急いだ。
入り口には槍を持った警備の兵が2人立っていて、お互いの槍をクロスさせるようにして、アーサー達の前を遮った。
「アーサー卿です、司令官に呼ばれてまいりました。」
兵達は顔を見合わせると、頬を上げてアーサーを見下すように笑っていた。相変わらず見下すような視線だったが、警備の兵はわざとらしく槍を戻すと、軽く一礼をして道を開けた。
司令官の天幕を守る兵達は、大貴族の息子たちであり、嫡男ではないがそれ相応の教育をされ、甘やかされ育ってきた者達である。
その者達からすれば、下級貴族のアーサーは下賤なものであり自分達より格下だと認識しており。
馬鹿にすることが当たり前であり、そのうえ嫡男であるアーサーが憎かった。
自分たちは、嫡男ではないという事で家を継ぐことが出来ず、指揮官として部隊を引きつれることが出来ない。
だから嫡男であるアーサーに対して、嫉妬を隠すことが出来ず、誤魔化すためにアーサーを馬鹿にしている。
しかし、アーサーは不快な感情を顔に出さずに、何事もなかったように中に入っていく。
中に入ると中央に長めのテーブルが置かれており、奥には黄金で全体的に派手な装飾が施され実戦向きではない鎧を着た。
見た目16歳前後の少年が椅子に座り、その両脇には屈強で50歳前後の男が立っていた。
その光景は自分がここでは王様だと言わんばかりの、傲慢さを惜しみなくあたりに撒き散らせている。
対照的に両脇に立っている老兵からは何も感じなかった、気配その物を隠す様に。
アーサーは自然に両脇に立つ、老兵に視線を向ける様に観察する。
1人は長い顎鬚で複数の大きな鉄の板を組み合わせたような、真っ黒なプレートアーマーを着て、鋭い視線をこちらに向けていた。
もう1人は、先ほどの男より1周り大きく、あまり手入れをされていないのか粗暴な印象も持たせる、口髭をして額に大きな切り口の傷が印象的だった。
これだけで2人は歴戦の兵で、その兵に守られている人物の立場がわかるようだった。
アーサーはすぐに深く礼をしてから、入り口の一番近くで隅の椅子に座った。
テーブルの上には地図があり、盗み見るように横目で見ると、丸い印が書き込まれていて、それが朝見た場所だとすぐわかった。
彼が座ってから10分もしないうちに2~3人が入ってきた、皆身なりがよく鎧は新品で傷一つなく、所々に装飾が施されていた。
彼らも初陣であるがアーサーと違って、身分が高い貴族の子息だとはすぐに分かる。
彼らが入ってくるとき、司令官の隣にいる鋭い目つきの男が、入ってくる人を見定めるために値踏みをするような視線を送っていた。
椅子がすべて埋まったころ、徐に口髭の男が話しを切り出す。
重く深い声だったが不快感は全くなく、逆に心地よいほどだった。
「このたびは我らが王の後継者であり、時期国王になられる王子の初陣に参加しいただき感謝をする。」
後継者と王子を強調するように言うと、軽く頭を下げこう続けた。
「この戦いで初陣を飾るものが多く、ほとんどの者が若輩者に見える。その点我々は今まで国王陛下のために数多の戦場を駆けてきた。」
一回区切り周りを見渡し、一人一人に睨みをきかせてから。
「この戦いは、絶対に負けるわけにはいかない。その事を理解したうえで会議に参加してほしい、そして今回の作戦は我々2人と王子で決めたことだ。」
それは明らかに威嚇であり、場を完全に支配するには容易な言葉だった。
辺りが沈黙して、大抵の人が下を向き目を合わせないようにしていた。
それを見て満足したのか、もう1人の男が現状を説明しはじめた。
「今回の戦いは我が軍は2500。それに対して、相手はこの地域に住んでいる部族で、戦闘ができる数は300にもみたない。」
そう話を区切ると、椅子に座っていた兵たちは安どし、緊張感のない事を口ぐちに話した。
「今回は偵察部隊が敵の位置をつかんでおり、今のまま進めばこの地図の場所で当たる可能性が高い、そのため会議が終わり次第向かおうと思う。異論はあるか。」
そう話す顎鬚の男に意見するものはなく、皆ただただ頷くだけだった。
「作戦自体は陣営を3陣に分けてだ1陣をランス卿、メディガ卿合わせて1000、内歩兵600、弓350、騎馬50。」
そう言うと、彼の横に座っている青年とその前に座っている青年が立ち上がり、背筋を伸ばし。
「はっ。」と軽く礼をして座った。
「次に第2陣はバザール卿、ガイド卿、サーレー卿、アーサー卿の4人で兵は1000、その内歩兵800騎馬200。」
言葉が終わると同時にアーサーと他3人が立ち上がり、同じように返事をし軽く礼をし再び座った。
「次に3陣は本隊で我ら2人と王子で500全て騎馬である。今回は戦力は明らかである、とにかく1陣目は目の前の敵を殺しつくせ。異論はあるか、ないならすぐに出陣しろ。」
そう怒鳴ると、こちらの言葉も聞かずテントを追い出された、外に出ると先ほどの会議でガイド卿と呼ばれた兵が話しかけてきた。
「同じ2陣同士仲良くしような。」
彼も他の人と同じくまだ青年で初陣だった、しかし今の話を聞いて安心したのか、笑顔を浮かびながら話しかけてきた。
「こちらもよろしく、足を引っ張らないように力を尽くそう。」
そう返すとガイドは軽く笑った、アーサーは少しだけ顔をしかめると。
「すまない、すまない、馬鹿にしたんじゃなくてな。」
そう言うと、こちらの方に手招きをし、困惑した表情をしたアーサーを呼び寄せ。
ガイド卿は肩を抱くようにして、アーサーの耳元で呟きながらある方に指をさした。
「あれはサーレー卿だやつも初陣らしくてな、あの話を聞いても青い顔をして俯いてやがる。家は金持ちの貴族のボンボンなのに、親に1回は戦場に立たないと他の家に合わす顔がないって言われて、無理やり参加させれらたらしい。」
アーサーは彼の指の先の人物を見ると、先ほどの兵たちの中でも特に豪華な、金の装飾をした鎧を着た若い兵が、本当に青い顔をして俯いて手を口元にあてながら、背中を丸めてとぼとぼ歩いていた。
「まぁ、お互い出番はないと思うが、もしもの時はよろしくな。」
そういうと彼はアーサーの肩を叩き護衛の兵とともに歩き出していた。
「主よ軽い御仁でしたね。」
アーサーの護衛が静かな声で話しかけていた。
「あぁ、あまりにも緊張感がない、いや全体的に緊張感がなさすぎる。」
顎に手を当てて少し考えるしぐさをしたあと。
「もしもの時に対応できる者が少なすぎる、もしかしたら大変なことが起きるかもしれない、その時は覚悟してくれ。」
そういうと護衛の2人を見た、2人は間をあけずに。
「了解。」
「こんなところで死にたくないし、生きるためには何でもやるさ。」
その言葉を聞いたアーサーは一度目を閉じ、深呼吸をして。
「行くぞ、戦場に。」
そう言うと静かに歩き出した。
そうこの時は誰もこの先にあるものは想像できなかった。
アーサーは歩きながら、昔誰かが戦は生き物だと言ったことを思い出していた、彼はこの後その事を知ることになった。
彼らが戦う戦場は平原が続き味方の方には丘があり、相手が来るであろう方には茂みがあった。
王子らの本陣は丘の上に陣を張っていた、第1陣と2陣は縦に並べて歩兵が前衛で相手の攻撃を抑えながら、後ろの弓兵が射って左右から騎馬兵で相手を削っていく。
それが今回の作戦だった。
アーサーらが配置に着くころには、太陽が真上を指していた。
今が一番熱い時間帯で、兵の中には兜を脱ぎ涼みながら、隣の兵と談笑していた。
アーサーは2陣の真ん中後方の辺りで、白い馬に乗り、その全身を覆う様にして、金属板で構成された白金の鎧を着ている。
両脇を固めるように立つ護衛の2人も同じような鎧だが、色だけは異なっておりくすんだ銀色に光り、黒い馬に跨っていた。
いち早く丘の上を取り、戦場全体を広く見渡す事ができるようになり。
作戦の第一目標が成功し有利な立場にたった事で、王子や将軍は終始笑顔だった。
彼らの戦闘の準備が整ってから20~30分した頃、茂みの中から熊の様な生き物が飛び出してきた。
しかしそれは毛皮そのものを加工して、作ったハイドアーマーと呼ばれる毛皮の鎧を着た敵部族だった。
それを確認したとき、緊張が走り全体が息をのんだ。
しかし、敵の兵が無秩序にバラバラと出てくるのをみて緊張が一気に引いていった。
それは本陣でも同じだった、王子は大いに笑い手に持った杯を一気に飲み干した。
「勝ちましたな、あれほど無秩序とは兵とは思えませんな。」
そう言いながら顎鬚の将軍は自分の髭を撫でていた。
「確かにあれではいい的だ、100も倒せば戦線が崩壊して、逃げ惑うだろう。」
口髭の将軍も笑いながら王子に話しかけていた、王子は目をつぶりある思いを巡らしていた。
今回の戦いで勝利して、抵抗を続けた部族を滅ぼして。そのまま他の部族降伏させれば、自分が国王になった時その地位は盤石だと考えていた。
そんな時、周りが騒がしくなってきた。
彼はいい気分に浸っていたのに、邪魔をされ少し気分を害していた。
目を開けた彼は後ろに立つ2人の将軍に。
「うるさい少し、静かにさせろ。」
そう振り返ると、そこには将軍が立ち尽くしていた。
顎鬚を撫でていた将軍はその途中で手が止まり、もう1人は口を開けたまま呆然と立っていた。
王子は将軍たちの視線のを追うように顔を動かす、その光景を見た彼は手から杯を落とす。
茂みの中から出てきた兵は1500を超えてもまだ、出る勢いが弱まっていなかった。
1500、1600、2000と増えていく光景にただ呆然とする。
それは、前線に立つ兵たちも同じだった500、600と増えているときは、予想より多いなと楽観視していたが、1000を超えたあたりから笑顔が消えていた。
誰もがその光景に見入っている中、3つの騎馬兵が陣形を無視して走り出してる。
普通ならば誰かに咎められるはずの行動だが、誰も彼らを止めようとせず。
その光景を見ながら立ち尽くしている事しかできなかった、彼らは目の前の状況に頭が付いてこず。
一種の金縛りにあったように、動く事も考える事も出来なかった。
騎馬兵の先頭を走っているのは、白金の鎧を着て白馬に跨るアーサーだった。
アーサーは込み上げてくる嗚咽を喉の奥に押し込み、震える手を誤魔化すために手綱に力を込め。
全身を駆け巡る寒気を押し殺す様にして、馬の腹を力いっぱい蹴ると丘を駆け上がる。