動く死体
少年は、夕闇の公園で意識を取り戻した。ブランコの椅子にうなだれて、地面に膝を着いていた。
沈みゆく真っ赤な夕焼けが遠くに見える。
―――――きれいな夕焼けねぇ。ショウちゃん、明日は晴れるわよ。
少年は、昔病院の帰り道に手を繋いで歩きながら、母が教えてくれたことを思い出す。
公園には昼間より大分涼しい風が吹いていた。
―――――ショウちゃん、ごめんね。
母が自分を抱きしめる記憶。
少年は、自分が幼い頃赤い風船を怖がっていたことを思い出した。
どうして恐れていたのかも。
あの日、庭で水遊びをしていた少年が外へ飛び出して「あの人」に連れていかれたのだ。
どうして、飛び出したんだろう。
少年は目を閉じて記憶を辿ろうとした。
キラキラした水。庭のすみれの香り。
太陽の反射する濡れた草木。
それから、赤い、
「痛」
少年は、こめかみを押さえた。
脳みそが、思い出すのを拒絶している。
少年は考えるのを止めた。
その時、公園のトイレから物音がした。
顔を向けると、誰かがトイレから出てきたところだった。
薄暗くなったので、はっきりとは見えないが、服装やシルエットで、前に熱中症で倒れた少年を介抱してくれたホームレスの男だと分かった。
「こんばんは」
少年は声をかけた。
ゆらゆら、ゆっくりした足取りで、男は歩いていた。怪我でもしているのか、一歩踏み出す度に膝がガクッと不自然に曲がった。グチュッと水気のある音も聞こえる。
少年には気がついていないようだった。
男は少年のいるブランコの前を通りすぎた。
「・・・・・!!」
少年は、男の顔を見つめて息を飲んだ。
男は、左の眼球が無かった。左頬も裂傷で頬骨と赤い筋肉がちらちら見えていた。
大丈夫ですかと声をかけそうになって、少年は思いとどまった。
アノ人、生キテイルノカシラ?
形のない声がささやく。
アノ人、死ンデルンジャナイカシラ?
―――――気をつけて、お兄ちゃん。
「カナ。そこにいるの?」
静カニ、気ヅカレルワ
ソノママ ジットシテ
少年は息を殺した。
ホームレスの男は一瞬立ち止まったが、またゆらゆら歩き出し、ゆっくりと公園から出て行った。
少年は息を吐いた。
「どうして?おじさんは死んじゃったの??」
ソウイエバ ニュース デ
暴行サレタ ホームレス ガ
亡クナッタッテ 言ッテタワ
「そうだっけ?」
多分アノ オジサン ガ
殺サレタノネ
「いい人だったのに。」
少年は切なくなった。
「どうしておじさんはあんな姿でさまよっているの?」
知ラナイ
「・・・・・」
モウ暗クナッタカラ
家ニ 帰ロウ オ兄チャン
「・・君は、誰?」
少年は形のない声に訊ねた。
幾度となく自分に語りかけてきた、声。
ワタシハ アナタノソバニ イル
ズット昔カラ アナタノコトヲ
見テイル
「誰?」
少年は全く記憶に無い声の正体を考えあぐねたが、声の反応が全くなくなってしまったので、諦めて家に帰った。
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