陽炎
少年は今日も公園のブランコに揺られている。今日は、人形を抱いていた。
夏の暑さにかげろうが揺れている。
少年は、うっとりとそれを見つめている。ぼんやりした意識の中に、妹の気配を感じた。
「今日はこの子を連れてきたよ。」
少年は妹に話しかける。
返シテ
形のない声が聞こえる。
アブラゼミのジージーという音が、夏空にこだまする。
公園には、誰もいない。
「ごめんな。怖かったよな。」
少年は妹に話しかける。
どうして、あんな酷いことができるんだろう。人形をきつく抱き締めながら、少年はあの日から何度も沸き上がる怒りと悲しみに取り込まれた。
あんなに小さくて、かよわくて、愛らしい女の子を、どうして殺そうと思えるだろう。
たった一人の、妹だったのに。
許サナイデ
声が聞こえる。
「絶対に許さない。」
見ツケテ
「俺が必ず捕まえるから。」
熱に浮かされたように、少年は繰り返した。
※
妹は、僕が5歳の時に産まれた。
父と母は女の子が産まれてとても喜んでいた。母はお気に入りの人形と同じ服を妹に着せていた。
物心がつくと、妹は母の人形でよくおままごとをしていた。
一人で人形相手に話しかけている。
―――――今日のご飯はオムライスですよ。すぐできるからいい子にしててね。
僕は、妹をかまいたくて、よく人形を取り上げた。妹は泣きながら僕に言った。
―――――返してよぅ、お兄ちゃん。
僕は笑って、妹に人形を返した。
――――-あらあら、お人形さんが二人いるみたいねぇ。
お揃いの服を着て、お揃いの髪型をしている妹と人形を見て、近所のおばさんがにこにこして通り過ぎた。
-----わたし、ママとパパのお人形さんなの。
どこか大人びた表情で、妹が呟いた。
-----ママにとってはきせかえ人形、パパにとっては愛玩用。大人になるまで、わたしは人形。
誰がそんなこと言ったの?
僕は妹に訊ねた。
-----この子が教えてくれたの。
妹は、人形を抱き上げて言った。
-----でも、可愛がってもらえるなら、幸せだよって。
僕は、妹が自分のことをそんな風に言ったことに驚いた。
でも、それよりも、人形と会話している妹に驚いた。
それとも、人形の声は、妹の空想だったんだろうか。
今となっては分からない。
でも僕は、形のない声があることを知っている。
だったら、人形のように形のあるものの声が聞こえることもあるのかもしれない。
※