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エピソード・a 《消息不明》

「――――なんだと?」

 女は愕然とした面持ちで呟くと、

「クソッ……たれ、め」

 その場に崩れ落ちた。

 彼女は暗転しゆく狭まる視界に映った空を見やりながら、

「まさか……“奇跡/どんでん返し”に殺されるとは、な」

 あるいはいっそ清々しい微笑をふっと浮かべ、

「…………ちくしょう」

 か細い声の悪態を吐き捨てる。

 それを最後に、彼女の“視界/意識”は暗闇にのまれた。


 なにが起きたのか理解が追いつかず、男はただ崩れゆくデッサンのモデルを眺め――

「…………」

 次第に追いつき始めた理解から、無言のまま己が額に右手をやる。

 ねっとりとヌメリ気のある何がしかが指先に触れ、あるいは確信にも似た予感から、彼はゆっくりとした慎重な動きで右手を眼前にやり――

 ただの脂汗であった。

 太陽の熱光によってか。

 熱狂するがごとくデッサンしていたがゆえか。

 どちらにせよ、それは己から噴出した汁であった。

「――――ふぅ」

 男は安堵に胸を撫で下ろす。

 すると遅れて、

「怖かった……」

 ともすれば、いまの一瞬で“すべて”が終わっていたかもしれない。

 そんな恐怖が生々しく足元から這い上がってきた。

 呼吸が乱れ、奥歯がガチガチと鳴る。

 男はまるで自らを抱きしめるがごとく、粗末なスケッチブックを胸の前で抱きしめ――

 むしょうに、いま自分が本当に生きてココに居るのか確証が欲しくなり、ほっぺたを渾身の力でツネってみた。

 痛かった。

 とても痛かった。

 でも、その痛さが嬉しかった。

 しばらく男は痛みを実感してから、一つ大きく深呼吸。

 気持ちを切り替え――

「よし」

 ――服の下に隠れるよう背腰に横向きで留めてあるホルスターから、男は半自動拳銃を右手で引き抜く。左手でスライドを軽く引き、排莢口から薬室を覗いて銃弾が装填されていることを確認。銃の左側面、グリップを握る右手親指の上部にある“安全装置/セーフティー”を解除する。すでに“撃鉄/ハンマー”はおきているので、この銃はこれで即射撃可能な状態になった。

 男は右足を半歩後に引いた姿勢で、グリップを握る右手に左手をそえるようにして両手で銃を構え、銃口の狙いを“自分を殺そうとした者”に固定。慎重な足どりで相手へと近づき、速やかにその手からリヴォルバーを奪い取って武装解除する。

 そして男は、

「…………」

 無力化した相手に、

「…………」

 銃口を向けたまま、

「…………」

 しばし考え、

「…………」

 引き金を――


          *  *  *


 ほのかな暖かさを感じ、次いで淡い光を感じた。

 これが“あの世”か。

 ――と、女は全ての感覚が曖昧な中で思う。

「希望を見せて、奈落に落とす、まったく悪趣味だな」

 死したなら、いっそのこと“世界を統べる超然たる存在”に拳を一発くれてやると決めていた女である。手始めに嫌みの一つでも言ってやろうと、うるさいくらいの大声を発した――

 つもりであったが、しかし実際に口から出たのは、虫の吐息みたいな弱々しくか細い声であった。

 まさかの事態に女は当惑するが、声が出ないのなら拳で語ってやろう――と、すぐに考えを切り替える。

 が、それもまた戸惑う要因の一つになってしまう。

 身体が動かなかった。

 感覚はあるのだが、全身が地面に引っぱられて拘束されているような、重たい、強烈な疲労感とでも言おうか、意識とは関係なく、身体の各部位が動こうとしないのだ。

「――っだ、クソ」

 彼女は言うことを聞かない自らの身体に苛立ち、同時に得体の知れない恐れとも似た焦燥感に駆られた。

 焦り、

 足掻き、

 もがき、

 女の意識は、徐々に現実へ溶け合ってゆき――


 ――すすけた臭いが鼻腔を燻し、煙の味が喉の奥にまとわりつく。それだけなら不快でしかないのだが、パチパチと爆ぜる樹木を燃やした時の音と、淡い光の柔らかい暖かさが合わさると、なぜだか気持ちが安らぎ心地好い。

 ――が、身体は固くて冷たくゴツゴツとした地べたに寝そべっているような不満を感じ、

「……ぅん」

 寝心地の悪さから、彼女の意識は覚醒した。

 不服そうに眉根を寄せて、薄く目を開く。

 ぼやけた視界に、煌めく星々の輝きが映る。

 ただそこに在るだけの夜空は、ともすれば吸い込まれているような錯覚すら覚える“魅力/美しさ”でもってその圧倒的な存在感を示してきた。

 お前はひどく矮小な存在である、と宣告するかのように。

 そんな悲観的な考え方をしてしまったのも、衰弱しているがゆえだろうか。

 悔しいような悲しいような寂しいような羨ましいような――それらをひっくるめて、どうしてだか女はとても腹立たしい気分になる。

「ちくしょう」

 口から出たのは、しかし覇気のない弱々しい――声にすらなりきれていない空気が漏れるような音でしかなかった。

 それが苛立ちに拍車をかける――のだが、

「目、覚めた?」

 不意にかけられた言葉によって、苛立ちは当惑に変わる。

 女は探るように、鋭利な刃物がごとき眼光を放つ眼球をギョロリギョロリと動かし――

 そして、こちらを見ている者の姿を捉える。

 ――自分が殺そうとしたヤツが、そこに居た。


 女が目覚めたことを確認すると、男はあらかじめ“たき火”にかけて沸かしておいた熱湯を、粉末状の栄養剤が入れられたステンレス製のカップに注ぎ、それをスプーンで数回かき混ぜてから、次いで耳を削ぎ落とした黒糖パンを投入し、これまたパンがぐずぐずになって溶けるまでスプーンでよくかき混ぜる。

 そんなこんなで出来上がったのは、即席の“おかゆ”――のようなモノ。

 男はボコボコに凹んだカップを片手に、訝しげな眼差しを投げてくる女の側らへ移動すると、彼女の半身を起こし、その背を“平原に一本の樹木”にあずけ、食べた物が逆流して喉に詰まったり気管に入ってしまったりしないようにしてから、

「いきなり食べて胃腸がビックリしないように」

 そう言い、スプーンに一口分の“おかゆ”をすくい取って見せる。

 そして熱くないように「ふぅーふぅー」と息を吹きかけてほどよく冷ましてから、それを女の口元に運ぶ。

 ――が、

「べつに毒は入れてないよ」

 女の口は頑として開かず、鋭い眼光の懐疑的な眼差しで“おかゆ”を凝視している。

 仕方ないので、男はその一口を食べて見せ、

「毒は入ってない……けど、美味しくもない」

 残念な感じに眉根を寄せて、

「どちらかと言えば――すごく、不味い」

 正直に、味の感想を述べた。

 お湯に栄養剤とパンを溶かしただけなのだから、味が残念なのは、まあ当然の結果である。

「不味いけれど、なにか栄養摂らないと身が持たないよ?」

 男は“おかゆ”をスプーンにすくい、「ふぅーふぅー」と息を吹きかけてほどよく冷ましてから、再度それを女の口元に運んだ。

 果たして――

 毒は入っていないようだと納得したからなのか。

 空腹が限界を突破しているがゆえにそれが理性をも制したのか。

 女は“おかゆ”を口に含み、それをゆっくりと時間をかけて咀嚼してから飲み下した。

 そこからは、スプーンを口元に運べば食べる動作をする自動人形がごとく。飲み下す力がよわっているのか、むせてしまうことも何度かあったが、彼女は遅々とだが確実にカップの中身を減らしてゆき、

「ッゴ、ゲホッ」

 最後の一口もむせてしまったが、即席の“おかゆ”――完食である。

 女はどこか満足したように口の端を薄く吊り上げて、

「ゲロみたいなメシだ……」

 即席“おかゆ”の感想と思しき悪態を吐く。それはか細い音声であったが、しかし言の葉には力強さが甦っていた。

「…………けど、美味しい」

 彼女の目尻から零れた一粒の滴が、頬を伝って落ちたのは――

 きっと、むせたからだろう。


          *  *  *


「お前は、頭に鉄板でも仕込んでるのか?」

 女が男を撃ち、男が女に撃たれてから、三日目の夜。自分の力で食事ができるまでに回復した女は、件の“おかゆ”を不味そうに喰らいながら、たき火をはさんだ対面へと疑問を投げた。

「そんな奇抜な事をした記憶はないけど……」

 粗末なスケッチブックに木炭で“食事をする女の風景”を描いていた男は、

「……どうして?」

 質問の意図がわからない、というような表情で訊き返す。

「どうしてって、私に頭撃たれたのを忘れたのか?」

 女は驚いたような――というよりは気持ち悪いモノを見るような眼をして、

「ひょっとして、いま私は亡霊と会話していて、あげくメシまで食わせてもらってる――とか、もはや笑うしかないような、非常におもしろい状況に居たりするのか、もしかして」

 しかしどこか楽しんでいるような、奇妙な笑みを浮かべる。

「二つの意味で、殺さないで欲しい――」

 男は苦笑しつつ、

「――まあ、空包じゃ誰も死なないけどね」

 まるで手品のネタばらしをするかのように言う。

「んっ? なんだ、空包って」

 いきなり男が何を言い出したのか理解しかね、女は訝しげに顔をしかめる。

 そんな反応が予想外だったのか、

「なんだ、って……」

 男は戸惑ったふうに、

「あのとき、キミが撃ったのは空包だった……?」

 どこか知ることを恐れているような慎重さで訊ねた。

「いまどき、そんな音しか出ない無意味な物を、わざわざ銃に装填してるヤツが居ると思うのか?」

 女は「けっ」とツバを吐き捨てるがごとき素っ気なさで言い返す。

「えっ、でも、だって……えぇ?」

 混乱した男は、ひとしきり頭をかきむしってから、

「撃ったのは実弾だと?」

 確認するように訊き返し、

「それ以外、なにがある」

 女は“おかゆ”を「クチャクチャ」咀嚼しながら簡潔に答えた。

「実弾撃たれて、どうして無事なんだ……」

 今度は頭を――額と後頭部を撫で回しながら悩む男に、

「だから訊いたんだ、“頭に鉄板でも仕込んでるのか?”って」

 女は問題点を指摘するように言って、右手にあるスプーンの先っちょをビシッと突きつける。「納得のいく回答をよこしやがれ」と脅迫するがごとき凄みをきかせて。

「だから、そんな奇抜な事はしてないって――」

 男は言って、

「――あっ」

 なにか気づいたそぶりを見せる。

「なんだ、なにか思い当たったのか」

 女は目を輝かせ、興味津々と前のめりに身を乗り出す。

 ――が、

「じつは、天才的なまでに射撃が下手でしょ」

 男の“もうこれ以外に正解はない”という、根拠の無い自信に満ち溢れた言葉に、

「ふざけるなっ!」

 女は反射的に、手にあったスプーンをぶん投げた。

「あたっ」

 ものすごく地味な音を発し、男の額に見事クリティカルヒットする。

「私はな、これでもサーカスで“曲撃ち”やってたんだ。下手どころか、むしろ百発百中の腕前だっ、この野郎っ」

 女は憤然とした面持ちで、しかしまだ完全回復していないのか、少しよろめきながら立ち上がると、

「論より証拠だ」

 腰に締めたベルトから右股の辺りに吊っているホルスターへ右手をやり――

「――あれ?」

 そこに常ならある自らの愛銃が無いことに気づく。

 落っこちてるわけないだろうに、辺りをキョロキョロ見回して愛銃を探す彼女に、

「探してるのは、コレ?」

 男は脇に停めてあるリアカーの荷台から取り出した一丁のリヴォルバーを示す。

「ん? ああ、そうだ」

 言いつつ歩み寄って、女は愛銃を手に取ろうとするが、

「――っ!」

 彼女の手が届くすんでのところで、男はそれをヒョイと頭上へ逃がした。

「この野郎ぉ、お前はガキかっ!」

 二人の間にはけっこうな身長差があるので、女が腕をいっぱいに伸ばしたところで男の頭上にあるリヴォルバーには手は届かないのだが、それでも罵詈雑言を唸りながら愛銃を取ろうとする彼女に、

「いや、いやいやいや」

 男は困ったような苦笑を浮かべて、

「さすがに、“自分を撃った人”に“自分を撃った銃”を返すのはどうかと」

 当然だが奇妙でもあるセリフを言う。

 それを聞いた女は、「なんだそんなこと」という気さくさで、

「安心しろ、いまの私にお前を殺る理由はない」

 まったく安心できる要素を感じさせない即答をする。

「“零/無”が“壱/有”になった時点で、もうそれは次が起こる可能性があるわけで。二度ある事は三度あるって言うけれど、実際は一度ある事は二度三度どころか百にも二百にもなりえるわけで――」

 と、男が言うのをさえぎって、

「長ったらしい言い回しだな、もっと端的に言えないのか? 聞くのが面倒臭い」

 ずいぶんバッサリな要求をしてくる女に、しかし彼はそれをのんで端的に問う。

「――キミの言葉を、どうしたら信じられる?」

「知るか」

 男が言い終わるのとほぼ同時に、女は一言で答えた。

「知るか、って……そんな」

「当然だろう」

 女は言う。

「信じるも信じないも、それはお前の頭の中の問題だ。私がどんなに“ホントウ”の言葉を言い連ねたところで、そもそも疑心があっては疑わしくしか聞こえないだろ」

「んー、まぁ、そうだね」

「逆に訊くが、どうしたら私の言葉を信じる?」

 そんな女の問いは、しかし“自分を銃で撃った者”を信じろという究極的なむちゃぶりでしかなく、

「…………」

 男は、

「…………」

 しばし、

「…………」

 考えを、

「…………」

 巡らせてから、

「……わかった」

 リヴォルバーを持ち主たる女の手に戻した。

 そんな彼の行動に、

「なんだ」

 自分が“なに”を言ったのか、それとなく自覚のある女は、

「信じる気になったのか?」

 ちょっと驚いたふうを見せる。

「いや」

 男は惑うように視線を落とし、

「そういうわけじゃない」

 重大な決意をするがごとく目蓋を閉じ、

「――けど」

 と開けた眼差しを女へ向け、

「疑ってたらきりがない」

 そこにある彼女の“眼/瞳”を見据えながら言った。

 それをまるで面白いモノでも見るような表情で聴いていた女は、

「いまどき、稀有なヤツだな」

 耳に届かない声でボソリと呟く。

「ん、なにか言った?」

「いや――」

 女は薄い笑みを浮かべて首を横に振りつつ、受け取った愛銃の“撃鉄/ハンマー”を起こして即射撃可能な状態にしてからそれをホルスターに納める。

 そして、リヴォルバーのグリップに右手をそっとそえ、

「目ぇ見開いておけよ」

 口の片端を薄く吊り上げて、どこか得意げな態度で宣言し――

 左手にあったカップを空へ向かってぶん投げた。

 次瞬、神速の早抜きでリヴォルバーを構えて引き金を引く。

 カチッ――という気の抜ける“撃鉄/ハンマー”の駆動音だけがして、

「――っ!」

 驚き顔の女は、しかし素早い動作で“撃鉄/ハンマー”を起こすと再び引き金を引く。

 カチッ――またも“撃鉄/ハンマー”の駆動音だけ。

 それでも女は動作を繰り返し――

 カチッ。

 繰り返し。

 カチッ。

 繰り返し。

 カチッ。

 繰り返し。

 カチッ――結局、一発も銃弾が発射されることはなく。

 ステンレス製のカップが地面に落ちた、軽るーくて残念な音が、一連の事柄の終止符となった。

「…………」

 眉間にシワを刻み、険しい表情で固まった女に、

「……サーカス流の、すかしの笑い?」

 男は遠慮がちだがケンカを売ってるとしか思えないことを言う。

 が、そんな彼なぞ無視して、

「…………」

 女はリヴォルバーの“シリンダー/輪胴弾倉”を振り出し、あえて確認するまでもないことをあえて確認する。

 一発も銃弾が装填されていない、ということを。

 たっぷり数秒をかけて、女は“そのこと”を認識すると、

「……へっ」

 いっそ愉快そうな、

「なにが“すかしの笑い”だ」

 不敵かつ不気味な笑みをこぼし、

「弾抜きやがったな」

 コノヤロウ――と喰い殺すがごとき眼光を男に向ける。

 男は、女のぶん投げたカップを左手で拾い上げ、

「“大事なカップ”に――」

 右手の人差し指で側頭部を軽く叩いて示し、

「――風穴、空けられたくなかったから」

 いちおう保険は――。

 と、当然と言うまでもなく当然なことを述べてから、

「でも、“銃”は返したでしょ?」

 服の袖口でカップに付着した汚れをふきつつ、しれっと言った。

「“銃”――は、な」

 女はどこか面白がっているような雰囲気をにじませつつ憤ったふうに「――は」の部分を強調して言い、そして脅迫するような目付きで、

「“弾”――も、返せ」

 砂糖菓子をねだる幼子のように手を突き出す。

 それに対して男は、

「とりあえずの妥協点が、欲しかったんだ」

 リアカーの荷台から“錆びかけた空き缶”と“一発の銃弾”を取り出しながら言った。

「……とりあえずの妥協点?」

 女は片眉を吊り上げて難しい顔をする。

 男は“錆びかけた空き缶”を彼女の掌に載せ、

「ここにある“命”は自分のモノだけれど、ここにいる“生”は自分だけのモノじゃない。自分の判断で自分の“命”を落とすリスクは負えるけれど、自分の判断で生かされてここにいる“生”をなくすわけにはいかないから、それに対して自分の中で限りなく正当に近い“理由/言い訳”を付ける必要があった……」

 生かされてここにいる“生”に対する責務と、生かされてここにいるがゆえに自分を自分たらしめる衝動にしたがいたい義務と、拮抗する双方を、それでも果たすための綱渡り。

「――だから、妥協点」

 言い終わると同時に“一発の銃弾”を空き缶の中へと――

「銃を取り戻した私が、真っ先に銃口を“どこ”へ向けるか試したのか」

「うん」

 ――落とし入れた。

 一連の流れを凝視していた女は、空き缶の中の銃弾に視線を固定したまま、一度さして面白くもなさそうに鼻で笑い、

「生かされてここにいる“生”……か」

 理解ある人の顔で、ささやくように呟いた。

「ん、なにか言った?」

 うまく聞き取れなかったらしい男の問いかけに、女は首を横に振ることで答えつつ、リヴォルバーに銃弾を装填し、“撃鉄/ハンマー”を起こしてからホルスターに納め、

「これはお前が投げろ」

 そう言って突きつけるように空き缶を男へ手渡し、そのまま彼に背を向けて大股で五歩前進。そこで早抜きの構えをとる。

 投げろ、と言われてもなかなかどうしてタイミングを計りかねる男は、空き缶と女の背中を交互に見やってから――

 不意に、ふわりと頬を撫でたそよ風を合図に、渾身の力でもってそれをぶん投げた。

 空き缶は女の頭上を頂点にキレイな放物線を描いて飛翔し、あとは重力という世の理に従って着地するのみ。それが当然のことであったが、しかしその空き缶は道理に反して空中でバウンドして見せた。

 一瞬の遅れをもって発砲音が轟く。

 尾を引く残響は、地平の果てへと広がりを聞かせる。

「一発必中」

 女はどこか誇らしげで得意げな表情で言ってから、ガンマンよろしくリヴォルバーをクルクル回転させてホルスターへ戻す。

 ――と、ほぼ同時に、常より長い滞空時間を味わった空き缶が地に落ちた。


          *  *  *


 一発必中を決めて少々ふんぞり返っていた女は、

「なあ、どうしてお前は、私を生かしたんだ?」

 ふと真顔に戻って訊ねた。

 軽く不意打ちな問いかけに、男はしばし逡巡してから、

「……理由がないと、ダメ?」

 幼子に“どうしたら子が産まれるのか”と問われた親のような顔で、そう返すが、

「ああ、ダメだな」

 あっさりバッサリ女に斬られてしまう。

「いまどき、下心のない博愛精神の持ち主なんて居やしない。誰かしら何かしらの“欲”を内に秘めて、それを柱に、それを満たすことに注力して、一生懸命――いまを延命してるんだ。ましてや、私はお前を殺したハズだったんだぞ? そんなリスキーな相手を手放しで救うヤツがどこに居る? 信じた者しか救わない“ある書物の登場人物”のほうがよっぽど生々しいじゃないか。それともなにか、お前は聖人気取りの変態野郎か?」

 ともすれば“何様だ”と怒りすら覚えてしまう物言いをする女だが、しかしそれは彼女の内で密やかに這い回る恐怖心の裏返しでもあった。

 生存することが根幹に根ざす動物であり、様々な色合いの感情を有するのがヒトである。自分が自分の為に“殺したハズの相手”が、恨み言も報復の暴力もなく、懐いてしかるべき憎しみに対する賠償を要求することもなく、逆に困難な状況に陥った自らへ救いの手を差し伸べてくるなんて。そんな人間味に欠ける、少なくとも女が知る限りにおいて思い描く人間像には存在し得ない彼の行動は、“得体の知れない/何を相手にしているのかわからない”不気味なモノに感じられ、それが錯乱とも混乱とも拒絶とも似た恐怖を胸の内で這い回らせるのだ。静かに。密やかに。しかし息苦しいほどの存在感をもって。

「……下心なら、あるよ」

 珍妙なことをカムアウトしている人のような、恥じらいと真剣さの混在した複雑な表情で男は言った。

 なんでもない場面で同じことを言ったら、ほぼ確実に大切なモノを失いそうだが、この場に限っては“ある意味で救いの言葉”だった。

「ほぉー、どんな?」

 欲しかった玩具を買ってもらえた子どものような、求めの叶った嬉しさを隠し切れない様相で女は先を急かした。

「…………」

 しかし男は言いよどんだ。

「なんだ?」

 女は“いじめ”を面白がる“いじめっ子”みたいな薄ら笑みを浮かべて言った。

「言うのがためらわれるほど、卑猥でイヤラシイ――“すけべえ”なことなのか?」

 ――と、男の眼が少し泳いだ。

 それを見逃さなかった女は、なにかイタズラを思いついたように、

「私の隠し切れない女の色香でムラムラしちゃったのか?」

 誘惑する娼婦のような声色で言った。

「…………えっ?」

 男はハトが豆鉄砲食らったような顔で、

「女だったのっ!」

 驚きを表した。

「…………」

 少々遅れて、

「なんだとうっ?」

 女の理解は現状に追いつき、

「お前この野郎、いままで私をなんだと思ってやがったんだ」

 とても重要なモノを傷つけられた人の口調で抗議した。

「いや、その、いままであんまり他人を性別で見てこなかったから……。キミのことは、ただ描きたい対象としか意識してなくて……」

 質の悪い言い訳にしか聞こえないが、しかしこれは男の本心――“ホントウ”の言葉である。

「他人を性別で見ない……ずいぶんとまぁ、あっさりスゴイことを言うヤツだな」

 どこか満悦しているようなふうで、女は自分にも聞こえない呟きを口内でもらしてから、

「そういえば、お前ずっと絵を描いてるな――しかも私の」

 気になっていたことを訊ねてみた。

「どうしてだ? 私に惚れでもしたか?」

 自意識過剰と言えなくもない。

 というか、完全に自信過剰だ。

 ――が、

「ん、うん。まぁ」

 意外と、真をついていたらしい。

「正確に言うと、キミの“眼/瞳”と雰囲気に」

 男は的確なようで漠然としたことを述べる。

「すごく、すごく“描きたい”って思ったんだ。心身から衝動に駆られるってこういうことを言うんだ、って実感するくらい」

 そして男は熱狂する人の顔になって、

「畏ろしいほど純粋な“色”をキミに見たんだ」

 うまく言語化できない感覚的なことを語ろうと試みた。

 ――のだが、

「ようするに」

 と、結論を急くような女の声にさえぎられてしまう。

「それがお前の下心か?」

 彼女はあえて素っ気ない態度で問うた。

「下心と言えば下心……だから」

 男は慎重に口を動かし、

「キミには生存してもらわないと“描けなくなっちゃう”から困る――」

 自らの内にある意を述べた。

 一瞬で“すべて”が終わるかもしれないリスクを背負ってでも、心身からの衝動には抗えないのだと。

 それを注意深く聞いていた女は、

「――だから私を生かした、と」

 湧き起こる可笑しさを堪えきれないようすで、

「すごいよっ! お前は“本物”だっ!」

 いま出せうる最高のドデカイ声で男を称賛した。


          *  *  *


 淹れたお茶を手渡すついでに、男はひとつ問いを彼女に投げかけた。

 木陰の岩に腰を落ち着けて、女は受け取った茶を一口すすってから、

「そんなの――」

 と、じつに単純で明快な返答をする。

「究極的に腹が減って、ヤバイ死ぬかもってときに、“フレッシュな肉/奇跡/絵を描く男”が“おまけ/リアカーの荷台にある品々”を持参して現れたら――狩るだろ、ふつー」

 悪びれたようすもなく、どうやら本心から“ふつー”だと思っているらしい。

「なにより、まだうしなうわけにはいかないからな」

「なにを?」

 訊かれた女は、

「生かされてここにいる“生”を、だ」

 真摯な態度で答えた。

 そんな彼女の“ふつー”によって危うく“狩られる/殺される”ところだった男は、

「交渉するっていう選択肢はなかったの?」

 憤るとか抗議したいとかを通り越して、もはや単純な疑問である。

「――ん?」

 女は意表を突かれたような表情で、

「…………そういえば」

 あいづちを打った。

 いまのいままで考えもしなかったらしい。

「あのときは本当に余裕がなかったからな、“視野/思考”が狭くなっていたんだと思う」

 ――でも、と彼女は話をつなぎ、

「交渉という考えが頭の隅にあったとしても、私は確実に、いまに至るのと同じ行動をしていた」

 断言する口調で言った。

「そもそも――」

 と、女は指摘する。

「――交渉するためには、お互いが“手札/交渉材料/欲しいモノ”を持っている必要があるだろ?」

「そうだね」

「しかし、だ。私にはコレといった所持品がない。つまり交渉するために必要な手札を持っていない――となれば、取るべく手段は“なにもしない/諦める”か“行動する/諦めない”か。どちらを選ぶって」

 女は鼻で笑うように言って、

「そんなの愚問だろ?」

 同意を求めるような眼差しを投げた。

 男は理解を示しつつ、

「“女のカラダ”っていう武器を使おうとは思わない?」

 なんでもないことのように訊いた。

「はあ?」

 予想外な不意打ちに、女は眼をすがめつつも、

「……私にだってプライドはある。媚びへつらってまで延命しようとは思わない」

 明確な意思にもとづいて返答した。

「もしプライドを捨てて延命したとしても、それ以後に存在するのは――私と同じ脳で、私と同じ心臓で、私と同じ血液で、私と同じ声で、私と同じ顔で、私と同じ四肢で、二足歩行している別の生き物だ。生かされてここにいる“生 = 私”は死んでいる。それでは意味がない」

 ――というか、と女は根本的なことを訊きかえす。

「なんで、そんなこと訊くんだ」

「いや――」

 男は謝るような口調で説明した。

「――キミに出逢うまえにね、“女のカラダ”を手札に交渉を持ちかけてきたヒトが居たから、“同じ性別のヒト”として、キミの“考え/意”を聴いてみたいと思って」

「ふーん」

 頬杖をついて、半ば興味なさげな女は、

「……で、ちなみにそれはどんな内容の交渉だったんだ?」

 あくびを噛み殺しつつ訊いた。

「男性としての欲望を満たしてあげるから“私を永久の一瞬に封じ込めて”って」

 それを聞いた女は、その意を正しく理解した上で、こみ上げてくる笑いを堪えつつ、

「それで、お前はどうしたんだ?」

 好奇心を隠し切れていない声色で訊いた。

 男は“当然のこと”を断言するように、

「もちろん」

 と力強く首肯をまじえ、

「断ったよ」

 告白する口調で言った。

「無理です、ごめんなさいって」

「くっぷぁはははは」

 女は堤防が決壊したような勢いでふきだし、

「おま、お前は、レディに対する敬意を学ぶべきだ」

 息苦しそうに笑いを制しながら指摘した。

 男はそれを、なんとも言えない表情で受け止める。

「とびっきり残念な見てくれだったのか? そいつは」

 笑いのよいんが尾を引く顔面筋の緩んだ顔で女は訊いた。

 男は虚空を上目がちに眺めて思い出すことに努め、

「いや、むしろとびっきり美麗な見てくれだったよ」

 言って、一口お茶をすする。そして――

 ひと息の間を置いてから、なんの感慨もない声色で、

「でも、“それだけ”だった」


          *  *  *


「結局――」

 と、女は思い出したように、

「――どうして、お前は生きてるんだ?」

 握った左手を顎に当て、

「いまだ銃弾は消息不明だし」

 深刻な難問に、眉根を寄せて小首を傾げる。

「……どうしてだろうね」

 生存していることが不自然だと言われているようで、あまり居心地のよろしくない気分であるが、しかしそれは男も気になっていることではあった。

 女の射撃センスが優れている――ということは、とりあえずではあるが実証されている。ゆえに、射撃が天才的にド下手で狙いを外したという可能性は否定されており、

「お前、やっぱり頭に鉄っぱ――」

「――仕込んでないよ」

 どうしてだか彼女は、男が“頭に鉄板を仕込んでいる”という奇抜な可能性を捨てきれないようだが、

「せめて最後まで言わせろよぉ……」

 男の即否定が示すように、当然だか彼の頭は――皮膚と血肉と頭蓋骨とその他諸々の中身からなる新鮮で瑞々しい“ナマモノ”である。

 女が撃ったのは空包だった。

 という話であったなら、すべては円く納まる――のだが、そうであったなら、そもそも“頭に鉄板”云々などと彼女が言うこともなく、「いまどき、そんな音しか出ない無意味な物を、わざわざ銃に装填してるヤツが居ると思うのか?」とツバを吐き捨てるようにおっしゃる彼女からして、撃たれたのが空包であった可能性は薄い。

 では、銃弾はいずこへ?

「じゃあ、お前じつは亡霊だろ」

 考えるのが面倒になってきたのか、女の思考はファンタジックな方向へ逃避を始めた。

「じゃあ、って……」

 ずいぶんとなげやりに超常現象な存在へとカテゴライズされてしまった男は、もはや苦笑である。

「絵を描くことに熱狂しちゃって自分が死んだことに気づけないとは……ある意味うらやましいが、しかしこちらの精神衛生的にはヒジョーによろしくない。だから、とっとと成仏してくれ。なむなむ」

 と、ぶっきらぼうに合掌を向ける女に、

「…………」

 男は返す言葉を知らず、さらに深い苦笑――

 ――を浮かべていたら、ふとあることを思い出し、

「もしかしたら」

 と発言した。女も「なむなむ」をやめて耳を傾ける。

「ものすごく珍しい不発弾だった、のかも」

 至極真面目に男は言った。

 ――のだが、

「不発って……」

 女は露骨にガッカリしたようすで異を唱える。

「弾は発射されていたぞ。ちゃんと発砲音は轟いていたし、“リコイル/発射時の反動”を私の手が腕が身体が体感しているんだからな」

 銃弾の不発が起きる原因の多くは、雷管自体の不良によるものである。その場合、薬莢内の“発射薬/火薬”が燃焼しないため“弾丸/弾頭”が発射されることはない。つまり、引き金を引いても銃が「ズドンッ!」と吼えることはない。

 ――が、女の愛銃たるリヴォルバーは高らかに吼えていた。

 そのことからして、雷管自体の不良である可能性はない。同じく、発砲音がちゃんと轟いていることから“発射薬/火薬”の不燃焼でもない。雷管を叩く“撃鉄/ハンマー”の撃発力不足によって不発になる可能性もあるが、しかし女が一発必中の腕前を披露したとき問題なく射撃していたことから、銃自体の不具合である可能性もない。

 プロセスだけで言えば、ほぼ間違いなく“弾丸/弾頭”は発射されている。

「うん。だから、たぶん弾は発射されていたと思う」

「はあっ?」

 女は片眉を吊り上げて、

「お前、いまさっき言ったことを、もう変えやがるのかっ? 言うならせめてもう少し自分の発言に責任を持ちやがれっ!」

 言ってしかるべき抗議を述べた。

 そんな彼女の威圧的な眼光に、

「いや――」

 男は少々気圧されつつも、

「なにも変えてないよ」

 自らの意を説明する。

「不発弾が発射されてしまう、ものすごく珍しいタイプの不発弾だったのかもしれない――って言いたいんだ」

 それを聞かされた女は、

「私にぁ、お前がなに言ってんだか――さっぱりっ! わからん」

 いっそ清々しく「さっぱり」の部分を強調して言い、諦めた人の顔になっておおぎょうに肩をすくめた。

「弾を発射する部分は正常だった――けれど、発射される“弾丸/弾頭”自体に問題があったんじゃないかなって」

「“弾丸/弾頭”に問題?」

「うん。ものすごくめったにないことだけど、“弾丸/弾頭”の鉛が腐っていたのかもしれない」

「…………そんなこと、あるのか?」

 女は納得しきれない懐疑の眼差しを向ける。

「まだ“国/政府”が健在だった頃の話だけど――」

 と前置きして、男は語り始めた。

「ある商店に強盗が入って、女性店員に拳銃を突きつけて現金を要求した。けれど勇敢にもその女性店員は要求に応じず、それどころか手当たり次第に物を投げて反撃したんだ。相手が女性だからと油断していたのか、強盗は想定外のことに動揺して恐慌状態に陥り、ついに拳銃の引き金を引いてしまった。至近距離から撃たれた銃弾は女性店員の額目掛けて飛翔し、そして――」

「――消息不明になった?」

「そう。外すわけない距離から撃ったにもかかわらず、まったく無傷で、しかもまた反撃してくる女性店員に、強盗は腰を抜かして、手持ちの銃を構えるどころか逃げることさえできず、結局そのまま逮捕された。以後の調査でわかったことは、強盗の使っていた拳銃の弾は“ソフトポイント弾/弾頭部分の鉛がむき出しになっている種類の銃弾”で、しかも危ないことにちょっと錆びていて、どうやら発射された“弾丸/弾頭”の鉛は腐食していて中身がスカスカのまったく殺傷能力を持たないものになっていたようだってこと」

 言って男は、

「でも“弾丸/弾頭”の鉛が腐ってるなんて、奇跡的に引き運がないか、よっぽど劣悪な環境にその銃弾を長時間放置しないかぎり、ほぼ起こりえないことだけどね」

 荒唐無稽な実話に、語っておいて自分でも信じ切れていないと苦い笑みをこぼした。

 しかし状況的にはとても類似していた。銃弾の消息不明もそうだが、女の使用していた銃弾も“ソフトポイント弾/弾頭部分の鉛がむき出しになっている種類の銃弾”だったのである。

「…………」

 女は吟味するように、

「よっぽど劣悪な環境に長時間放置……か」

 難しい顔をしていたが、

「――あ」

 なにか思い当たることがあったらしい。

「そーいえば、干乾びてバラバラになってた道端の屍体から何発か“いただいた”ことがあったな」

「そんな危ないこと……」

 男はあきれつつ注意するように言った。

 屍体から“まだ使えそうなモノ”を“いただく”ことそれ自体は、さして珍しいことではない。得られるモノを得て、使えるモノを使って、サバイブしてアライブするのはあたりまえのことである。

 しかし、こと銃器や銃弾や爆発物に関しては“暗黙の常識”があった。

 銃器や銃弾や爆発物を身からぴっぺがし“いただいて”いいのは、相手がフレッシュなご屍体であった場合にかぎる――というものである。

 その理由は、非常に危険だから。

 至極当然と言わずとも当然なことである。

 銃器だけに関しては、自ら“修理/手入れ/メンテナンス”できればその例外となることもあるが。銃弾や爆発物などの“常時不安定な物/火薬/爆薬”が、屍体が干乾びちゃうほど長い時間あまりよろしいとは言えない環境にさらされたら、それはいつ致命的な“不具合/アクシデント”をひき起こしてもおかしくなく、よほど差し迫った事情でもないかぎり、そんなリスキーな物とわざわざ旅を御一緒したがる者は居ない。

 ゆえに、“常時不安定な物/火薬/爆薬”が“不具合/アクシデント”を起こしてしまうほど長い時間は放置されていないだろうと判断できる“死にたての屍体”にかぎる――という“暗黙の常識”が存在するのだ。

 ――が、

「危ないのは百も承知だ……けど、丸腰で歩いてるほうがリスキーだろ?」

 弾切れで他に選択肢がなかった、と女は言い、

「それに“不具合/アクシデント”が起こったから、お前はそこに居られるんだ。必ずしも悪いことばかりじゃないさ」

 結果オーライとばかりに親指をグッと立てて、楽観力全開で開き直った。

 モノは言いようである。

「それよりも――」

 えてして移ろいやすいのが女心らしく、

「――どうして、お前“そんな話”知ってたんだ?」

 なにゆえ男が“残念な強盗の話”を語れたのか――それに関心があるらしい。

「訓練所でね、教訓話として教えられたんだ。銃と弾のコンディションチェックとメンテナンスの重要性を説く話としてね」

 男は懐かしむように答えた。

「訓練所って……なんの?」

「もちろん軍隊の」

「ふーん……て、兵士だったのかっ! お前がっ?」

 女は失礼なまでの驚嘆ぷりを見せる。

 それに対して男は、

「“むかし/過去”、ね」

 どうしてだか顔面筋をゆるゆるにして言った。

「なにニヤニヤしてやがるんだ気色悪い」

「いや、いやね」

 男は顔面筋をゆるませたまま、

「なまくら――“なまくら刀”って呼ばれてたのを思い出して」

 楽しく懐かしむように、悲しく懐かしむように、“むかし/過去”の色を“眼/瞳”に滲ませる。

「“なまくら刀”……?」

 その意を正しくくみ取れなかったらしい女は、あまり面白くなさそうな疑問顔で訊いた。

「見た目は本物っぽいのに実戦じゃまるで使い物にならない――って意味でね」

 それが自分の“コードネーム/暗号名/呼び名/愛称”だったんだ、と笑みすら浮かべて答える男に、

「それは、ぜんぜんまったく褒めてないよな?」

 なんでニヤニヤしているのか理解できない、と女は首を傾げる。

「たしかにそうだけど、でも――」

 男はふきだしそうになる思い出し笑いをこらえつつ、

「――“なまくら刀”にするか“尻キッス”にするかって理不尽な二択を迫られたら、もう断然“なまくら刀”のほうがカッコイイでしょ?」

 ついには思い出し笑いをふきだす。

「け、けつ、“尻キッス”って」

 どうやら女にも笑いは伝染したようで、

「その“コードネーム/暗号名/呼び名/愛称”考えたヤツのハイセンスさに脱帽だよ」

 誰とも知らない彼の名付け親を称賛するように、高らかな笑い声を上げる。

「いつも“ヒト/仲間/戦友”の尻に引っ付いて回る“どんけつ”にはぴったりの名前だ――って隊長が言ってね、危うく“尻キッス”に決まりそうだったんだけど、“仲間/戦友/親友”が『無線に向かってケツケツ連呼したくありませんっ! 死する覚悟は決めていますが、最後の言葉がまさかの“尻キッス”になってしまっては残念すぎますっ!』って異議を訴えて、隊長も『それは俺も断固拒否したいな』ってことで、『よし。これはお前の名前だ、お前に決めさせてやる。“尻キッス”か“なまくら刀”か、好きなほうを選べっ!』っていう流れで理不尽な二択になって、他に選びようが無いから、めでたく“なまくら刀”になったんだ。けど中途半端に文字数多くて言いづらいから、結局“なまくら”って呼ばれてた」

 という男の補足説明を聞き、

「尊敬の念すら懐き始めたよ――」

 女はよじれんばかりの腹を抱えて、

「――最高だなっ!」

 彼の“仲間/戦友/親友”達を絶賛する響きを込めて大いに笑った。

「最高でしょっ!」

 男も“むかし/過去”の“仲間/戦友/親友”達を称えるように大いに笑った。

 また会って話したいな、と懐かしく思った。

 でも、もう二度と会うことはできないと知っていたから、寂しくなって胸の内がしくしくうずいた。


          *  *  *


「落としどころとしては――」

 思考することを放棄したようなテキトウさで、女は言った。

「――“弾丸/弾頭”の鉛が腐ってたってのが、いちばん“それっぽい”のか……」

「いちおう、それなりの“リアリティー/本当っぽさ”はあるし……少なくとも“頭に鉄板”よりは現実的だよ」

 男の顔には思い出したような苦笑いが浮かぶ。

 そもそもどうしたら“頭に鉄板”なんて発想ができるのだろう?

 あるいは、彼女はとてつもない“脳みそ”の持ち主なのかもしれない。

 ――と、そんな感じで。

 どうでもいいことに端を発する、“ちょっとすごいものを見やるような眼差し/ある種、尊敬の眼差し”を男が向けている、なんて知るよしもなく。というか、そもそも知る気などないだろう女は、

「……なんか、三文小説みたいだな」

 たいそう残念そうにぼやいた。

「まあ、検証しようもないし……銃弾消息不明の理由としては、このあたりが妥協点ってやつか」

「そうだね」

 いたって平静に、努めて素っ気なく、男は同意を示した。状況を忠実に再現して検証しよう――と言い出されなかったことに、意図せずして安堵の吐息が漏れる。

「ところで」

 女は一転、とても重要な話を真面目にするがごとく険しい表情になって言った。

「んっ!」

 ビクッと反射的に、

「な、なに?」

 男は背筋を正す。

「他に食べる物はないのか? いいかげん、あのゲロみたいなメシはあきた。ぜんぜん腹はふくれないし、もっとこう、喰いごたえのあるやつが喰いたい」

 ついさっきまで件の“おかゆ”を食べていたにも関わらず、どうやら彼女はお腹がすいたらしい。

 食欲があるというのは元気のある証拠なので、とても歓迎すべきことではある。

「え、ああ、うん」

 もっと困ったことを言われるかと思っていた男は、逆に意表を突かれたようすで、

「何の肉なのかわからない“肉の缶詰”ならあるよ」

 食欲というのは、なによりもどんな疑問よりも勝るモノだ――としみじみ実感しつつ、リアカーの荷台から女の腹を満たすべく品々を取り出す。

 そして用意された食事を見た女は、

「フルコースだなっ!」

 とても満足げな嬉々としたようすで腹を満たし始めた。

 メインディッシュの“肉の缶詰”に“黒糖パン”、付け合せのスープに“栄養剤を溶かし入れた白湯”、デザートには“角砂糖”まである。食後にお茶を飲みつつ角砂糖を、とはなんたる贅沢か。


          *  *  *


「提案があるんだけど……」

 男が言った。

「ん?」

 食後のよいんにひたりつつ、

「なんだ?」

 女は返した。

「これから一緒に行動してほしいな、と」

 男は根気強く説得する人の顔で言った。

「旅は道連れって?」

 女は鼻で笑い、

「それで私になんの得がある?」

 否定的な回答を示す。

「とりあえず、明日の食事には困らな――」

「――よし、いいだろう」

 男が言い切るまえに、女は即答した。食糧事情は、非常に重要な命題である。

「でも、だとして、お前はなにを得る?」

 素朴な疑問を女は問うた。

「色々なキミを描ける」

 端的だが至極真面目に、男は答えた。

「…………訊かなきゃよかった」

 女は額に手をやり、うつむきかげんで、

「なんかちょっと、こっ恥ずい……」

 ほんのりほっぺを赤らめる。


          *  *  *


「描きたいと思えるモノが世界からうしなわれたら、お前はどうする?」

 女が訊いた。

「“死”を選ぶと思う」

 男は迷うことなく答えた。

「重ねてきた“兵士としての記憶/悪の記憶”が、お前を殺す?」

「…………“いま”生かされている理由をうしなったら、それしか残らないからね」

「悪党にはなりたくないって?」

「ずっと、“いま/現在”も“むかし/過去”も悪党だよ。世界を壊すことに加担した。“仲間/戦友/親友”達が殺されて死んでゆくのを黙って見てた。でも、まだ生き続けている」

 男は木炭で粗末なスケッチブックに“たき火に照らされながら話しかけてくる女”を描きながら言った。

「だから、そこから降りたら――」

 と、それをさえぎって、

「――死ぬしかない?」

 女は踏み込むように言った。

「“怪物/ビースト”になれ果てるまえに、ヒトとして」

 男は懇願するように告白した。

 それを聞いた女は、

「絵を描くことにおいては“怪物/アーティスト”のくせに、それ以外はまるっきり凡人だな、お前」

 首を横に振って落胆の色を示す。

 男は困ったふうな笑みを浮かべてそれを受け止め、そして――

 女の背後に、はっきりと自らの“むかし/過去”を見た。

 まるでイリュージョンがごとく“そこ”にはっきり見えて聞こえる――鬨の声、弾の切れた銃を握り締めてわけのわからないことを叫びながら勇敢に突撃して敵の銃弾に切り裂かれてバラバラになった仲間、榴弾砲と迫撃砲の弾がどしゃぶりの雨のように降り注いだ三日間、ずっとこっちを見ている殺したはずの敵兵、ヘッドギアをかすめた仲間の誤射弾、制圧を完了した地区に住む住民たちの抗議、それらをなぎ倒す軽装甲車の12・7ミリ重機関銃、それに抗議する住民たちの報復、投げられる火炎瓶、火に包まれ焼かれる仲間、その焼屍体、それを執拗にいためつける銃を持たない人々、それらをなぎ倒す軽装甲車の12・7ミリ重機関銃、掃討作戦、とばっちりを喰らう住民、それに関する抗議、武装する住民、突然の狙撃、爆発する自動車爆弾、鮮血にまみれて助けを求める人々、呆然と立ち尽くす人、見えないところからの狙撃、錯乱した仲間がデタラメに撃ちまくる軽装甲車の12・7ミリ重機関銃、なぎ倒される住民、報復、掃討、抗議、12・7ミリ重機関銃、報復、掃討、抗議、12・7ミリ重機関銃、繰り返し、繰り返し……。

 女の背後にはっきりと自らの“過去”を見ながら、

「いまは――」

 男は言った。


「――キミが長生きしてくれることを願うよ」


          *  *  *


 ――翌朝。

「最高の天気だなっ!」

 野良猫のようなしなやかさで背伸びをしながら、空を見上げて女が言った。

「昨日がダメ過ぎたのかもね」

 朝のお茶を準備しつつ、男も上機嫌に同意を示す。

「いい曇り空だ」

 女は噛みしめるように言い、

「いい曇り空だね」

 しみじみと味わうように男も言った。

 本日の天気は、素晴らしき曇天。

 ほぼ常に殺意むんむんの太陽は、地平の果てまで続く分厚い雨雲にさえぎられて、その姿を見ることはない。

 たったそれだけのことではあるが、晴天の時と比べたら、そのすごしやすさたるや雲泥の差である。

「それで、めでたくお前の道連れになったわけだが」

 わざとらしく難しい顔を作って女は問う。

「お前、なにか“目的/目指す場所”はあるのか?」

「いや、これといって」

 男は首を横に振りつつ、

「――でも、一生の内にいろんなモノをたくさん描けたらなぁとは思う」

 漠然とした方向性を示す。

「ふーん……これといって急くような“目的/目指す場所”があるわけじゃないのか」

 私もこれといってないしなぁ、と女はつまらなそうにぼやく。

「まあ“目的/目指す場所”はないけど、できるだけ早いうちに立ち寄るべき場所はあるよ」

 言って男はリアカーの荷台から“古い地図”を取り出し、

「ここから北西へ約五十キロ進んだ位置に“オアシス/飲み水のある場所/人々の集う場所”がある――ことになってるから、そこで必要な物を補給しておきたい」

 首からペンダントのように吊り下げていた“方位磁石”を“古い地図”に添えて、立ち寄るべき場所の位置を女に見せる。

 それを女はチラリとテキトウに流し見て、

「じゃあ、まあ、とりあえず“そっち”に向かって行くか」

 ザックリ同意を示す――が、

「――いや」

 一転、深刻そうな顔つきになって言った。

「もっと急いで立ち寄らねばならない場所があったな」

「……どこ?」

 男は見当がつかないと首を傾げる。

 女はうんざりしたようすで曇天の空を見上げて、

「空気のよめない太陽さんがいけしゃあしゃあと顔出す前に、次の日陰がある場所へ、だ」

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