プロローグ・b 《撃った女》
恐らく太陽は、愚かしい行為に及んだ人類を等しく焼き殺すつもりなのだろう。
そう思わずにはいられないほど、雲一つない空は清々しさを通り越してウンザリするほど晴れ渡っていた。
転じて大地に視線をやってみても、老人のハゲ頭みたいな平原が続くだけで、これといった変化はない。
と思われたところに、砂埃や皮脂やらで自由奔放に乱れ汚れた髪の毛のあいだから憎々しげに太陽を睨みつける女が独り、この平原においては救いたりうる樹木が作る木陰にある、腰掛けるのにちょうどいい形をした岩に座っていた。
彼女は、果たしてどれほど飲まず喰わずでいたのか、悲愴なまでに頬は痩せこけていたが、しかし生まれながらの可憐さはその容貌に健在しており、あるいは幼いともとれる年齢不詳な美しさを持っていた。
誕生するべき時代が違っていたなら、異性の視線を独占し色恋に花を咲かせたり、同性からは可愛いとマスコット的な扱いを受けたり、それはそれで“楽しい”と呼べる人生を歩んでいたかもしれない。
――しかし残念ながら、現実は“そう/ if ‐ もしも”ではない。
「いまさら、生まれの不幸は呪えない――のが呪わしいよ、クソッたれめ」
透明で涼やかな声質も台無しな悪態を苛立たしげに吐き、女はまるで“そこ”に呪うべく相手が居るかのごとく、快晴の空へ向かって射殺さんばかりの眼光を放つ。
――が、それも長く続くことはなく。
彼女は深い深い深淵へと到りそうな溜め息を漏らすと、
「私の悪運も……ここまで、か」
そう呟き、腰に締めたベルトから右股の辺りに吊っているホルスターから一丁のリヴォルバーを右手で引き抜く。そして“シリンダー/輪胴弾倉”を“スイングアウト/銃の左側に振り出し”、そこに計六発装弾された銃弾のうち一発を左手で抜き出す。
「干乾びる前に、いっそ自分で終わるのも潔い――」
自らの人生に終止符を打つには事足りる“一発の銃弾”を見つめながら、
「――あるいは、足掻いて、もがいて、次の瞬間に起こるかもしれない“奇跡/どんでん返し”を待つか……」
女は考える――
時流に殺されるか。
自分で終わらせるか。
奇跡に生かされるか。
――答えようもない難問を。
思考の海で溺れていたが為か、女は初め“その存在”に気づいていなかった。
だが不意に頬を撫でたそよ風によって、意識が一瞬、思考の海から現実に引き戻されると、その聴覚は極小音だが耳障りな音が身近にあることを捉える。
なにかと見やった女の“眼/瞳”は、そこに――
男の姿をした“奇跡/どんでん返し”を映す。
次瞬、心がほくそ笑んだ。
彼女は自身の悪運を称賛しつつ、その“眼/瞳”に宿った“ある色”をよりいっそう強くし、そして慎重を期する為に、男の姿をした“奇跡/どんでん返し”を観察する。
その男は、なにやら木炭でスケッチブックのようなモノに描き込んでいた。
狂おしいほど一心不乱に。
その姿は、ある境地へと到ったアーティストのようであった。
しかし同時に、描くことに取り憑かれた怪物のようでもあった。
それほどまでに、いったい何を描いているのか?
女は男の手元を注視し、そして彼が自身のことを描いているのだと知る。
彼女は、なぜ自分が描かれているのかわからず、
「夜のオカズにでもするつもりか?」
疑問と一緒に口から出だのは、そんな言葉だった。
男は声をかけられたことに、そしてその言葉の意味合いを理解しかねた様子で、一瞬キョトンとするが、
「ヒトを食べる趣味はないよ」
描く手は止めることなく、困ったふうな薄い苦笑いを浮かべて答える。
「そういう意味ではないのだがな」
女はそう返しつつ、頭の片隅で“惜しいな”と思った。
アーティストのように、怪物のように、絵を描く彼の姿を目の当たりにして興味が湧いた、とでも言おうか。
彼女は思う――自分がこんな現状でなかったなら、こんな出会いかたでなかったらなら、もっと語らいたい、もっと彼の事を知りたい、と。
彼は果たして“アーティスト”なのか“怪物”なのか。
あるいは“両方/本物”なのか。
それを見極めたい。
そもそも真を見抜ける観察眼が自身に備わっているのか、女にはわからなかったが、しかし語らい相手を知れば、真に近づくことはできる。
なればこそ、彼女は現状での出会いかたに後悔とも似た気持ちを懐いていた。
――だが、そんな心根とは裏腹に、その“眼/瞳”に宿った貪欲な色は失せることなく。
それはどこか、ほくそ笑んでいるようですらあった。
* * *
内に秘めた矛盾ゆえか、
「ゲームをしよう」
女の口からその提案がなされたのは、男のデッサンが終わる頃合いであった。
「……え?」
男は意図が理解できないようすで呆け顔を彼女に向ける。
――が、彼の視線が捉えたのは女の顔ではなく、彼女が自分に対して狙いを定めているリヴォルバーの銃口だった。
「簡単なゲームさ。昔から運を試すときにおこなわれている」
女はリヴォルバーの狙いを男の額に固定したまま、語り聞かせる。
しかし語る口とは違い、頭の中には疑念があった。
どうして自分はこんなにも回りくどい真似をしているのだろうか、と。
「これの装弾数は六発、そこから一発抜いてある」
それでも彼女の身体は動き、先ほど抜いた一発の銃弾を男に示す。
「引き金を引くのは一回、“アタリ”の確率は“六分の一”」
それは、男が“六分の一”で生き残り、女が“六分の一”で終わる確率である。
あまりにも飢餓状態が長かった為か、事ここに到って女の意識はもうろうとしており、もし“万が一”もとい“六分の一”の確率で“アタリ”になってしまったら、もはや彼女に次弾を撃つことは不可能であると言えた。
たとえ意識がまだあり身体が動かせる状態だったとしても、“気力/精神”が限界なのである。引き金を引き、それが“アタリ”であったなら、その事実だけで事切れてしまうだろう。
自分の生命が懸かっているのに、自ら“チャンス/延命の機”を失する要因を作るなんて……。
これも“惜しい”と思ったがゆえだろうか。
わざわざ彼が生きる可能性を残すなんて――
ともすれば愚かしい真似をしたのは。
あるいはそんな愚行すら人生をおもしろく豊かにする余興であるがごとく、彼女は“楽しんでいるような/自嘲しているような”色を“眼/瞳”に燦々と輝かせながら、左腕を擦りつけるようにしてリヴォルバーの“シリンダー/輪胴弾倉”を回転させ、“アタリ”と“ハズレ”をシャッフルし、
「どうだ? 簡単なゲームだろう?」
と、ジョークを言うような気楽さで肩をすくめる。
生か――
――死か。
そんな重要な事柄を、こんなにも単純な方法で決しようと言うのだから、もはや冗談としか言いようがない。
あるいは、女は疲れていたのかもしれない。
生きることに。
こんなにも苦しくて辛い思いをしてまで、他者を犠牲にしてまで、自分が生ける意味があるのだろうか、と。
だから彼女は、運を試すと証して自身の価値を計ろうとしていたのかもしれない。こんな、ほぼ勝ちの決まったゲームで負けるなら、あるいは自分はそこまでなのだろう……そう納得して終われるやも、と。
ゆえに、
「試すほどの“運”は持ってないんだけど……。拒否権は?」
ほぼ確実に“死ね”――と宣告された男の、あまりにも平静とした態度に、
「ない」
乾いた発砲音が、遮る物のない平原の果てを目指して轟き――
恐れとも似た感覚に身体の筋が強張り、引き金を絞っていた。
残響と硝煙の臭いがその場に残留し、“運試し”の結果を物語る。
その女は、とても運が――




