業の深さに巻き込まれる
「あれが貴方のお父様ですよ」
初めは獣が檻にいるのかと思った。着ている物は衣服と認識できないくらいだったし、とても人間の臭いとはいえない悪臭をはなっていたから。侍女の手前、どうしていいのか分からなくてもじもじしていると、妖精のルセが「とにかく近づいてみろ」 と言った。
「翠! 翠……違う。誰だお前は」
それは一瞬だけ瞳に正気を宿して僕に近づいたが、また夢の世界に戻っていった。世の中の汚い物を見ずに育っていた僕には全てが衝撃的で、僕は思わず飛び出した。広い庭の中でうずくまっていると、そうと知らない臣下の連中が付近で立ち話を始めた。
「まったく、前例がないことですよ。王子が養子だなんて」
「所詮、異界の花嫁でもってる王家ですからね。仕方ないのでしょうが」
「傍系からよこすとか相応しい素養のものを認めるとか、そういうのでないからまずいのです。花嫁は貞節の淑女とか言われていますが、私から見れば自分の要求認めさせるために自害した過激派ですよ。父親をそれを間近で見て狂ってしまったし……そんな血筋で大丈夫なんですかねえ」
僕という存在は、何なんだろう。母も父も、自分も否定されて。
この身は一体何のためにあるんだろう。そう思った、五歳の時だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「花村志保か。よろしくなのだ」
「はい! よろしくです!」
元気に挨拶する少女を前に、ルセはほっとしていた。
先代で少しごたついたこの世界。次の少女を呼ぶのに十年近く時間がかかってしまった。まあ、魔術師も子孫もそこそこ魔力を有するようになったから、世界はそう混乱しなかったが。
「さっそくお前をお披露目するとしようか。さあ、このドレスを着るがいい」
「!!! え、え、なんか宝石っぽいのいっぱいついてるし。本物? それにすごく軽くてふわふわ……こんなお姫様みたいなドレス……」
「もちろん、お前のものなのだ」
「本当に? ……すごーい……」
志保は普通の少女そのもので、豪華なものや綺麗なものに素直に見惚れている。
その様子をじっと見ながら、ルセはやはり数十年しか生きられない人間なんてこんなものだ、と暗い考えに取り付かれる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
豪華なドレスを身にまとって、鏡の前でターンする。揺れるフリルが蝶のようだ。
「とてもお綺麗ですわ。志保様は見事に着こなしていらっしゃいます」
侍女にも褒められる。すごい、私、あの妖精さんの言ったとおり、この世界でお姫様なんだ……。
私の価値は、ここにあったんだ。
元の世界で私は、家族を事故でいっぺんに亡くし、伯母の家に厄介になっていた。
『今年の家族旅行はどうする?』
『今年からは志保ちゃんがいるから』
『ダメなのか? うちの子は楽しみにしてるのに』
『仕方ないじゃない、志保ちゃんの高校受験費用だってあるんだし……』
夜中にそんな話し声を聞いてしまった。私は大事にはされてるけど、心からじゃない。けれどそれを望める立場でもない。いっそ自分から出て行こうかと言い出したら、なんやかんやで止められた。世間体ってやつらしい。自分の存在が、自分で重荷だった。
私は何のために生きてるの? どうして生まれたの?
ふらふらと歩いていたら、急に足元が抜けたようになって――――ここにいた。
『ようこそ、花嫁様』
咄嗟に、もしかして両親はここにいるんじゃと思ったけど、そんなことはなかった。必要なのは、私くらいの女の子だけだって。両親に囲まれた生活は、異世界に行っても私には無理だったみたい。
でも、ここなら歓迎されるんだ。邪魔になることがない世界なんだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜会という名の舞踏会ではまさに逆ハーレムだった。イケメンというイケメンが私に跪いてちやほやするんだもの。私、この世界のヒロイン!
「好きな男を選べよ」
ルセくんが人の悪い笑みでそう言った。……花婿選びかあ。それが一番の問題になりそう。贅沢な悩みとはこのことね。
とりあえず色んな人と朝まで踊り明かす。数えるのをやめた頃に気づいた。
「この世界、王子様っていないの?」
「……望みなら呼ぶが」
王様や貴族や軍人と色んな人と踊ったけど、王子様って肩書きの人とは踊ってないのよね。せっかくなら踊ってみたい! けど、ルセくんの様子が微妙だったような。なんかまずかった? ともやもやしている間に、目的の人物は間を置かず現れた。
「僕をお呼びとか」
ルセくんが飛びながら先導して私の元に王子を連れてきてくれた。正直言うと、最初は王子だと分からなかった。いや、王子と言われれば納得するけど、余りにもこう、内気そうというか、気難しそうな感じで。顔は綺麗だけどね。
「レイフといいます。初めまして、志保殿」
「初めまして。あの……」
「踊りませんよ。こういうの好きじゃないから」
気難しそうじゃない、本当に気難しい人だった。いきなり何ですか、挨拶もそこそこでそれなの?
「レイフ! 花嫁はお前をお望みなのだから……」
「何十人と踊った後に呼ばれて、はいそうですかと納得できたら凄いですね。ルセ、この花嫁は希美タイプなの? それとも母みたいに我を通す人?」
「レイフ!」
希美って誰。レイフさんの母って私と同じ異世界人……なのかな? 二人の話が読めないんだけど。それにしても、確かに私のやったことって、遊んでるって思われても仕方ない、よね。指摘されて急激に羞恥心が湧き上がる。
「あ、その、時間も時間ですし、今日は挨拶だけで」
居た堪れない。この華やかな場にいる全員が、私のことを尻軽と思ってるんじゃないかと思うと今すぐ逃げ出したい。
「挨拶ね。本当ならそれすら拒否したかったね。僕は異界の花嫁が大嫌いなんだ」
ずっと楽団が弾いていた音楽すらも止まった。場が完全に凍りついた。この反応で私とレイフさんどっちがKYなのかうっすら理解できたけど、でも過去の異世界人は何をやったのか気になる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「初代は普通、二代目は子供を産んですぐ死亡。三代目は晩婚で、四代目は……行方不明? 五代目は……え、何この系図。色んな人から線でてるけど、これ婚姻相手ってこと? 六代目は、子供を産んで数年後、死亡」
この異世界トリップ、結構破格な条件で行われてると思うんだけど、どういうわけが大抵の人が幸せになってないっぽい。『歴代花嫁系図』 という本を閉じて、次に王家の家系図最新版を手に取る。
「……」
『レイフ――――翠の息子。翠が賊に追われて転落死し、現場に居合わせた夫も発狂。その血筋からおいそれとよそにやるわけにもいかず、王家に養子として迎え入れられる』
彼も、両親を失っていた。そのことにシンパシーを感じる。でも、だからってあんな態度で大丈夫なのかな。結構なところで世話してもらってるのに。私だって庶民だけど気をつかったけどなあ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「レイフくんが風邪?」
「ああ、でも志保が心配することじゃないからな」
ルセくんが部下とそんな話をしているのを聞いてしまった。教えてくれてもいいと思うんだけど。
「……ここだけの話、余りにも態度が悪くて、そのうち廃嫡になると思うぞ。まあ、お前には無礼なことばっかりだったし、これはこれで胸がすく話か?」
妖精さんだから色々と概念が違うのかもしれないけど、その言い方、普通に引くんだけど。境遇を考えればちょっとはぐれるの仕方ないように思うんだけど、私がおかしいの?
「お見舞いしたいんだけど」
「は? いや、うつるといけないし」
「行きたいな、ねえ」
何となくムキになって、私はレイフくんのところへ向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
王子の部屋というには、殺風景すぎる部屋だった。日本にいたころの自分の部屋を思い出す。遠慮して、ほとんどものを買わずにいた。そのうち、何もないのに慣れてしまった。
「従僕達が言っていたな、片づけが簡単だと」
……困らせる部屋とか、したくても出来なかったな。良い子じゃないといけないんだっていつも思って……。咳をするレイフくんの側に寄って、額の氷嚢を取り替える。
「お前……」
「少しは頼りなよ」
彼に言っているというよりは、過去の自分に向かって言った言葉だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「五歳の時、初めて父を見たんだ」
弱っている時の人間は、普段言わないようなことを喋ってくれる。私なんかに言うくらい、参ってるんだろうな。私は黙って聞くことにした。
「病院の隔離された一室で。あれは……もう人間じゃない。動物だった」
「……」
「母もいない。父もまともじゃない。お情けで養子に出されて王族なんて。僕には合ってないんだよ……」
「そんなこと……」
「じゃあ誰が、誰が僕を必要としてくれるんだ?」
氷を貰いに料理場に行く。今日一日はこれで潰れるな……でも、離れがたいと思う。誰かに必要とされたい気持ちは、痛いほど分かるから。
氷を貰って部屋に戻る途中、貴族と思しき人達が歩いているのが見えた。あ、どうしよう。ルセくんもいないし、今王子と噂になって矛先が行くのも……いいや、隠れちゃえ。適当な像の後ろにささっと身を隠す。
「さっさと死ねばいいのに」
彼らが言っていたのは、心臓が凍りつくような言葉だった。
「花嫁のご機嫌伺いは世界のための義務なのを分かってないな。致命的だ」
「母も母で、父はあんなんだ。最初から選択ミスだったとしか言えんな。高貴な血筋だからといって……適当に孤児院に行かせればよかったんだ。せめて貴族にさせるとか」
「王子だからって何なんだろうな。花嫁は代えがきかないが、王子ならいくらでも代えがきく。死んだって問題ないのにな」
「そもそもろくな後見もないくせに偉そうで、前から苦手だったんだ」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
呼吸が落ち着いてきた。その様子を見て思わず嬉しくなる。
「何で……嬉しそうなんだ?」
「嬉しいよ。レイフくんが元気になるの」
「……」
レイフくんは眩しそうにこっちを見ている。熱で狂った三半規管には、部屋の明かりが眩しいのかもしれない。
「明かり、消しとくね」
「ああ……」
静かにランプを消して、部屋の入り口まで歩く。最後に振り返って、横になっているレイフくんに言葉を紡ぐ。
「ねえ、体調が回復したら、遊びに行こうよ」
「……花嫁様の命令か?」
「そうかも。ねえ、行こうよ」
「俺じゃなくても……」
「レイフくんがいいんだよ」
具合が悪い時、亡くなったお母さんはそう言って、楽しい予定を立てることで気分だけでも良くしようとしてくれた。そんな、私のことを思ってくれる様子が、大好きだった。
「ね、約束だよ? 絶対ね」
そう言って、背中を向けた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
約束。それは、人間がそこにいるという証。それもある程度大切であろう人間が。
約束。それは、少しは信頼されているという証。
約束。それは、どうでもいい人間にはできない。
約束。必要とされている、証。
その言葉で、僕は父と同じになった。やはり僕は、獣の子供だったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「どうして……レイフは志保を殺した?」
魔術師の館では深刻な顔つきのルセと魔術師が語り合っていた。内容は、先日王城を揺るがした、王子の花嫁殺しについて。
「魔術師、俺にも、俺にもよく分からんのだ。ただレイフが言う事には……出ていく志保を引きずりこんで、乱暴して……でも志保は許してくれたらしいと」
「なら、何故」
「両想いになって、かえって怖くなったと。心変わりがこわい、誰かに無理矢理取られるかもしれない、死に別れもこわい……。永遠に自分だけのものにしておく方法を考えて……気がついたら殺していたと」
額を押さえて項垂れる魔術師。どうしてこうも上手くいかないのか、そう感じているようだった。
「とりあえず、ルセ。監視不足だ。カウントはしない」
「……だろうな」
人が二人死んでも、浮世離れしたこの一人と一匹は、最後にはこの話題になるのだった。




