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病弱少女と夢

 白い部屋で、若い少女が母親とお喋りをしていた。


「……それでね、昨日は創立三十周年の記念に、校庭に桜の苗を植えられたの! 苗って言ってももうそこそこ育ってるのだったから、来年には咲いてるの見られそう。楽しみだなあ」


 少女の楽しそうなその言葉に、母親は一瞬びくりと体を震わせた。しかし、すぐに何事もなかったかのように落ち着き払って母親は言う。


「そう……ね。来年が……楽しみね。ああ、お母さんちょっとお父さんに電話してくるね」


 母親のその言葉に、何も気づいていないかのように少女は振る舞った。それが一番傷つけないだろうと思ったから。


「はーいお父さんによろしくねー」

「ええ……」


 部屋のドアは静かに閉められた。少女はそれを確認して、ポツリと呟いた。


「そっか……私、寿命一年もないんだ」


 少女がそう言ったと同時に、部屋のドアが開いて一人の若い看護士が入ってくる。


相原藤(あいはらふじ)さん、検温の時間です」

「はい……」


 少女――――相原藤は、生まれつき難病を抱えていた。それでもそこそこの年くらいは生きられる、自分ではそう思っていたのだが、さっきの母親の反応で全てが分かってしまった。そして戻ってきた母親は、赤い目をしていた。それでも何事も無かったかのように母親は振る舞うから、藤もまた明るく務めて振る舞った。

 でも母親が自宅へ帰ってしまえば、あとには途方もない空虚な思いだけが残る。



 死ぬことは怖くない。ただ、これまで優しくしてくれた母親をまた悲しませるのはつらい。……でも、これで解放されるのかもしれない。父親もいないのに、母は私と弟達を死に物狂いで働いて育ててきた。特に私にはおじいちゃん達に頭を下げて治療費を……。大好きなお母さんが、自分のせいで苦しむのを見るのは悲しかった。これでやっと肩の荷が下りる、という訳にもいかないのかな。私が死ぬのを見たら、やっぱりお母さんはまた泣くのかな。でも私がいくら生きたくても、世界で数例しかない病気はいまだ治療法は見つかっていない。


 ……神様、もしいるのなら……。



「ようこそ、花嫁様」



 せめて母にこれ以上負担をかけないように、私を今すぐ消してほしい。


◇◇◇


「子供を産む? 私が?」


 外出を許可され、近くの本屋まで歩いていた時、トラックが藤をめがけて突っ込んできた。死ぬ――――そう思った時にはもうここにいた。

 何でもこの世界は、私を生き神として崇める事で救われるらしい。といっても当然偉そうにふんぞり返っているだけじゃなくて、子供を産んでもらうことが必須らしいけど。でも。


「無理なんじゃないでしょうか。私はその、身体がちょっと……」

「さすがに寿命は変えられませんが、身体を一時的に変えることは可能です。死ぬまでの一年間、私は貴方に健康な身体を提供しましょう」

「健康に、なれるの?」


 魔術師と名乗る人は――――多分人間じゃないんだろうな。どうしてだか分からないけど、そんな空気を纏っているように感じる。とにかくそう言って、私をここに滞在するように説得した。私は……。


「分かりました。残ります」

「いいのですね?」

「お母さんに別れを言えないのは悲しいし親不孝だなって思うけど……言ったところで、私の病気が治るわけでもないし。それに、これは私の我侭なんですけど、これ以上母が嘆くのを見ていたくない。黙って消えたなら、死んでるのかも分からないから、いつまでも希望を持っていられる、かなあなんて」


 藤の話を黙って聞いていた魔術師は、唐突に思い出した。かつて愛奈に聞いたパンドラの壺という神話は、最後に残っていたのは希望だったというオチだった。それがあるから人間は生きていられるのだとされているが、違う解釈もあり、それがあるから人間は死ねないでいるのだ、希望もまた劇薬だったという話。

 果たして藤は親思いなのか、自分勝手なだけなのか。――いやこの際それはどうでもいい。残って魔力を世界にもたらすことを第一に考えなくてはならないのだから。とにかく言質をとった後は、世話係のルセに全てを任せ魔力を回復させなければ。この少女が成功すれば、あと二人。


◇◇◇


 召喚された時は朝だった。休むにも早いだろうということで、藤はルセに連れられて中庭に出た。その美しさに息を呑んだ後、しばらくはいつものように極力動かず体力を使わないようにしていたが、魔術師が健康な身体にしたと言ったのを思い出す。あれは本当なのだろうかと世話役の妖精ルセに聞いてみる。ルセは笑って答えてくれた。


「あいつの魔法の腕に狂いはない。動いてみたらどうだ?」

「う、うん……」


 藤はなにせ魔法が存在しなかった世界から来たから、信じきれず少しばかり不安になる。ルセはその気持ちを汲んで優しくフォローする。決して、疑ってるのか、いいから言うとおりにしろと昔みたいなことはもう言わない。


「不安か? まあ確かに、ここにはお前の世界のように看護士とか専用の薬とかは無いからな。無理はしなくていいぞ」

「う、ううん。残るって決めたんだもの。藤、行きます!」


 しばらく使わなかった筋肉を、全力で動かした。広い中庭を、無我夢中で駆け出した。



――軽い――


 左右に色とりどりの花が咲いていて、虹の中を走っているみたいだった。少し動けば息切れと発作がすぐやってきて、普通とは言いがたい生活。死ぬまでそうだと思っていたのに……。


 藤はしばらく走っていたが、そのうち足がもつれて転んだ。慌ててルセが飛び寄る。


「大丈夫か!? 怪我は?」

「ふふ……あはは!」


 心配するルセをよそに、藤は地面に寝そべりながらおかしくてたまらないというかのように笑っていた。


「すごい! 動けるよ! 走れるよ! 走ってるときの風景、とっても綺麗だった!」


 藤の日本とやらでの生活が偲ばれて、ルセはその言葉に曖昧に笑って返した。うかつな事を言うと、興奮に水を差すことになったり、傷つけてしまうかもしれなかった。自分は病気になる人間の身体のことなんて分からないのだから。そしてその葛藤を藤は見抜いたらしく、すぐ真顔に戻り上半身を起こして言った。


「ごめんなさい。こういうのは、仮にも偉い立場にいる人のすることじゃないよね。さて健康な身体のことは充分解ったし、そろそろ部屋に戻る?」

「あ、ああ」

「明日からはここの世界のお勉強? 楽しみだなあ。私ね、元の世界じゃろく学校へも行ってなかったの」


 それまでの人生の大半を病室で過ごし、普通の少女らしい時間を取り戻そうとするかのように、藤はよく喋った。そんな藤だから、陰鬱としたこの世界の歴史と、深く感応してしまったのかもしれない。


◇◇◇


 その夜、藤は夢を見た。


――あれ、何だろう――


 夢の中なのに、これが夢だと知っている。そんな不思議な感覚の中、夢は壮大な歴史を映し出していた。


――この前、テレビで見た地球46億年の歴史のドキュメンタリー番組みたい。高速で一つの場所の風景が変わっていくの、面白かったなあ。だからこうして夢に見るのかな? でも……ここ地球じゃないみたい――


 藤の見たどの国とも違う景色、人々。地球では有り得ないような髪の色が地毛だったり、火口が平地にあったり、海ではなく陸地が星の大半を占めていたり。


――あ、今日来た異世界? でも何でまた。まあ面白いからいいけど―――


 深く考えずに、藤は世界が変わっていくのを見ていた。途中から進化した人間が魔法を駆使し、地球の先進国より便利な暮らしをしているさまは、見ていて溜息が出た。しかしそれも一瞬で終わる。


 森を焼き払えば自然が怒り狂うように、魔力という生命の源を枯渇寸前まで消費した人間達に、この世界の大地も復讐をした。自然災害が頻発し、人間はなすすべなく翻弄された。

 人間の暮らしはどんどん退化し、地球の中世くらいのレベルまで一気に落ち込んだ。人々は祈った。


「神様、どうか私たちに再び光を……」


 なんか身勝手だなあと藤は思った。反省するより先に神頼み? そんな暇があったら少しでも魔力を使わないように節約するなり機械を発明するなりすればいいのに。とはいえ、そう思うのは安全なところにいる第三者だからだと、心のどこかで思わなくも無い。どうせ夢だからとその辺りは考えないようにしていたが、このあと人間達が取った行動に藤の中で懐疑心が生まれた。


「神様、村で生まれた魔力の強い生娘です。どうかこれで怒りをお静め下さい」


 平地にある火口の前で、少女を中心に大人達が集まっていた。自分が何をされるのかわからずきょとんとする四、五歳くらいの少女。そのはるか後方では母親らしき人が泣き叫んで「娘を返して」 と暴れている。

 やがて少女は火口に投げ込まれ、母親の絶叫が響いた。同時に、今まで曇っていた空が晴れ渡る。残酷なまでに生贄の効果は出てしまった。やがて、母親は自分の気持ちに折り合いをつけたのか、目を血走らせて言う。「私の娘を生贄にしたんだ、お前らの誰が次の生贄でも、絶対に従え。次は私が投げ込んでやる」 と。一同に微妙な空気が流れたところを見計らったかのように、彼が現れた。


「その必要は無い」

――ルセくん!? え、何やってるの!?――


 声に出さずに居られなかった。今日会ったばかりだけど、それでも妖精のインパクトは強烈だった。だから見間違うはずがない。しかしルセ? は藤に気づかず集まった人々に語りかける。


「女、不幸だったな。しかし俺がこれで最後にしてやろう。何もこの世界で犠牲を払う必要はない。よその世界から連れてくればいい、そうだろう?」


 人々の間から、「そうだ」 「俺達が死ななくていいなら」 「それで万事解決じゃないか」 との囁きが漏れる。


――ちょっと何言ってるの、なんで自分達の尻拭いを他人にさせるの、そんなのおかしいよ!――


 藤のツッコミは誰の耳にも入らない。こうして文句はどこからも出ず、次回からは異世界召喚した少女を生贄にすることが決まった。


 最初の少女は、ルセと数人の男達で殺した。


「世界を救う? 私が?」

「そうです。さあこちらへ」


 疑いをもったまま、少女は火口近くを訪れる。この時、男達の一人が「いつ投げ込むんですか?」 と考えなく口にしたことで、少女は真相に気づいて激しく抵抗した。死に物狂いの抵抗だから容易に近寄れず、やむなく一時放置することにした。山へ逃げ込む少女を前に、心配する男達をよそにルセは冷静だった。


「不作続きのこの大地で、身なりのいい少女が生きられるものか」


 その言葉通り、少女は餓死寸前のころにようやく再捕獲された。

 大地に投げ込まれる寸前、少女は最後の力を振り絞ってルセに一矢報いようと爪を伸ばす。


「つっ……!」

「こいつ!」


 ルセの顔に軽い引っかき傷だけを残して、少女は火口に投げ込まれた。藤はもはやツッコミをいれる気力もなく、呆然と事態を見ていた。


「つまらない身分の女が、世界の礎になっただけでも感謝してほしいくらいなのにな。良く分かった。五体満足だとだめだ」


 次の瞬間には、新しい少女が呼ばれていた。少女は不安げにルセに尋ねている。


「どうやったら、帰れるのですか?」

「代償を払えばあるいは。例えばあなたの手足とかね」

「そんな……」


 初めは抵抗していた少女だったが、食べるものも住む場所も着る物も限られた世界から逃げたい一心で、自ら足を切り落とした。


「これで……元の世界に帰れるのなら……帰れば足なんか無くたってやっていけるもの……」

「これで殺しやすくなった。感謝するぞ、お前の軽い頭にな」


 ルセの狙い通り、少女は抵抗無く火口に投げ込まれた。ただ最後にうつろな目でこう口にした。


「いつか、生贄にされた少女達の誰かが、ルセ、貴方に復讐をするでしょう」


 前回異世界人に傷つけられたことを根に持っているルセにとっては、負け惜しみにしか聞こえなかった。今回は傷一つつけられず死んでいったのだから。魔力の使い方も知らぬ小娘が何か言っている。そうせせら笑って、ルセは少女が火口に落ちていく様を見ていた。


「ひどい……」


 神聖な生贄の儀式の手伝いをする男達――司祭の一人が急にそう言った。若い青年で、ぶるぶる震えながら、こともあろうにルセを糾弾した。


「少女が、少女が何をしたんです? 私達は自分達が死なない代わりに、他の誰かを殺してるっていうんですか? 生贄って、てっきり家畜のことだと思っていたのに!」


 ああ、代が変わって変なのが紛れ込んだな、とルセは思った。生きるのに必死な時は周りを省みなくなるけど、少し余裕が出てくるとたちまちこういうのを非難するんだ、人間は。ルセは他の男達に静かに命令する。


「そこの発狂した男を殺せ。罪状は……この際でっち上げでいい。あと家族も追放しておけ。大事の前の小事だ」


 その言葉に顔を曇らせた男達が数名いた。……これだから人間は。お前らのためを思ってやっているのに。上手く殺すこつは大体判ったし、次からは一人でやるか……。



 そして、最後の少女が現れる。


「蓮華……形代蓮華(かたしろれんげ)です……」


 ルセと会った時にはもう隻眼となっていた少女だった。一時的に魔力を抑えて、カニバリズムをして生き延びている人間達の地域に最初に落としたらしい。片目だけで済んだのはかなり運が良かったとしかいえない。


 異質な風貌に、訳有りな顔の傷は世界のどこへ行っても嫌われていた。蓮華が「いっそ死にたい」 と思うのは必然だった。

 ただ、例外が一人だけ。


「俺は、ルドルフ。……よろしくな」


 山越えの最中に蓮華はルセとともに一人の男に出会った。


――このルドルフって人、あの時殺された司祭の人にちょっと似てる……子孫かな?――


 藤はぼんやりそう思った。あと他に誰かに似てる気がするけど……だめだ思い出せない。藤が頭を捻っている間に、夢はどんどん進む。自暴自棄になりつつある蓮華を不器用ながら支えるルドルフの姿に、藤はピンときた。


――あ、この人もしかして蓮華さん好きなんじゃ? 蓮華さん! 気づいて!――


 しかし声は届くはずもなく、また少女が一人死んだ。

 成功に高笑いするルセに、現実でルセに合っても引かないようにしないと、と藤は思った。まだ、これを夢だと信じていた。それでもルセにむかむかが溜まっていたところに、あのルドルフがルセを攻撃した。少女を殺している最中は魔力が薄れるのだろうか? ルセは思いのほかあっさり死んだ。


――酷いことばっかするからだよ――


 藤はルセの死骸を前にそうつぶやく。そしてルドルフを見やる。沈痛な顔で、火口を見つめていたルドルフは、やがてどこかへ走り去った。


――とりあえず、よかった……これでもう殺されるために少女が召喚されることはないよね。あれ? でもそうすると魔力の補充は――――


 そこで、藤ははっと目が覚めた。朝の光と鳥のさえずりに違和感を覚えるほど、最初は現実だと思えなかった。リアルな夢だった。


「おはよう藤、朝食が出来ているぞ」

「!! お、おはよう、ルセくん……」


 あれは夢だ、夢なんだ。夢で悪人だったからって現実で嫌うなんて馬鹿みたいだ。平静を装って、藤はルセに話しかける。


「私寝坊したかな?」

「いや大丈夫だ。仮に寝坊でも昨日の今日で責められないぞ。さあ、着替えを持ってきた。俺は出て行くから」

「うん……」


 普通にいい妖精だ。やっぱり、夢だよね。


◇◇◇


 好きな人はあっさり見つかり、とんとん拍子で結婚した藤。一年の期限の中で、健康だったらやりたかったことを片っ端から挑戦して、生を謳歌した。特に子供を産むなんて絶対無理だと思ってたから、我が子の顔を見た時は、感無量だった。


「生まれてきてくれてありがとう……育てられなくてごめんね……」


 妊娠にちょっと手間取って、魔術師さんの魔力をもってしても生まれるまでが限界だそうだ。意識がどんどん遠のいていく。


「藤、もうちょっと、もうちょっと頑張ってみないか? なあ……」


 遠くからルセくんの声が聞こえる。たった一年の付き合いだけど、彼はとても親身になってくれた。今わの際までこうして説得してくれるんだから、彼の召喚少女への忠誠は本物なのだろう。

 あの夢は今でも気になるけれど、でも私としては、現実の付き合いを尊重して、ルセくんにも幸せになってほしいな。


「ルセくん……ありがとうね」


 藤の死に顔は、まるで笑っているようだった。



◇◇◇


 魔術師は、魔力が徐々に薄れていくのを感じていた。次の召喚を前に魔力の残量を測るが、最初と比べると、それは確実にゆっくりと落ちていっている。理由は自分で分かっている。だがそれでも。


「まだ……彼女が、蓮華が来るまでは」 

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