飾らないって素敵だね
「……」
魔術師はその光景に、いつもの歓迎の台詞を言うのも忘れた。少女と間違えて肉を召喚したのかと思った。そういえば、前回の少女の時に異世界へ行ってから、少し風邪をひいてしまったし……。
「……どこ? ここ」
現実逃避の考えはすぐ打ち砕かれた。肉が喋った。いや肉ではない、少女だ。とにかく対応せねば。
「よっ、ようこそ……花嫁様」
声が裏返るなどという経験は初めてだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……」
ルセは絶句した。肉が歩いてる。いや肉ではない、巨漢の少女だ。百キロはあるのではないかと思われる少女だ。用意しておいた適当なお世辞の言葉も、余りの衝撃で全てが吹き飛んだ。言葉こそ出ないが、目は正直だった。見たこともないスーパーサイズに悪いと分かっていても凝視がやめられない。
「よっ、ようこそなのだ」
これまで数人と接してきたプライドで歓迎するが、白々しいのは丸分かりだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「……」
夜会の場は沈黙した。召喚少女に趣味嗜好や容姿の差異があることはルセの教育により王から庶民まで周知されたが、今回の少女は規格外すぎた。
驚きが落ち着くと、隅の方から行儀の悪い人間達の囁きが始まる。
――――道理で歓迎の宴が遅いと思った――――
――――合うドレスが無かったんだろあれ――――
少女は走ってその場から逃げた。その様子が馬車を走らせたかのように音を立てていたものだから、忍び笑いがそこかしこで起こった。それもまた少女を傷つけた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「落ち着くのだ、ええと高倉か花村か手塚……?」
「吉岡礼子です!」
動転の余り名前を忘れ、苗字すらうろ覚えのルセが扉越しになだめようとして逆効果となっている。あの後、夜会から逃亡した礼子が、自室に引きこもって出てこようとしないのだ。扉の前に巨体でうずくまられたら、並みの兵士では開けられまい。仕方なく口での説得を試みる。
「よし礼子、今日は失敗したかもしれんが、なあに数日すれば事態も変わる」
「私、失敗だったんだ、今日」
「え? ……ああ! 失敗してない! 今日はむしろこちらのミスが……」
「言うことコロコロ変えて何なのよ! 信用できない!」
「悪かった、お前を侮辱したあいつらにはきつく言っておくから」
「どうせ、それで私が性格まで嫌な女だって言われるんでしょう……」
「……じゃあどうすればいいんだ? 落ち着くまで待つか?」
「勝手に呼んでおいて何もしてくれないの!? 最低!」
めんどくせえ女だな、とルセは思った。はっきりいって容姿に難有りのくせに、性格まで卑屈とか始末に終えない。恵まれない境遇の少女が召喚条件だというが、確かに当てはまっているだろう。元の世界でも相当生きにくかったのではと腹立ち紛れに邪推する。
しかしいくら苦手でも、子供を産んでもらうのが最低条件なのだから死なれては困る。怒りを押し留めて、必死に機嫌を取る。
「悪かった、ごめんなのだ礼子」
「そればっかり……。何が悪いのか分かってない妖精ってサイテー」
額に青筋を立ててるのが見えなくて助かったと思いつつ、なおも話しかける。じゃあどうすれば納得すんだてめえはちくしょう。
「これだけは分かってくれ。決して辱めるために召喚したのではない。世界を救ってもらうためなのだ。礼子、どうか怒りを静めてくれ」
「何よ人が怒りっぽいみたいに……で、具体的に何すればいいの? あんたずっと私を凝視するばかりで何も話してくれなかったわよね」
経験不足から対応が後手後手に回ったことを少し恥じる。しかし今度こそ黙っていられない。
「この世界の適当な男を婚姻してくれ!」
「それって……あいつらの中の誰かと……?」
あ、このタイミングで言うべきじゃなかったかな、とルセは思ったが、遅かった。夜会に出席していた人間から笑いものになった直後はまずかったか。
「……」
「あ、あの礼子……」
「向こう行って。今は誰とも話したくない」
下手に話してもまた怒られるのは目に見えてるから、大人しく退散するルセ。
一方、礼子は部屋で沈み込んでいた。
「…………知ってた。絵本の中のお姫様は、みんな痩せてるもの。私みたいなのが異世界行ったところで……」
初日にベッドが抜けたので、特注の寝台が運び込まれた部屋。それ以外は本棚と空のクローゼットくらいしかない。花嫁の部屋にしては余りにも簡素な光景。……合う机や椅子や服がないのだ。
異世界行ってまでこんな現実見なくちゃいけないなんて。太っているくらいで……。
ぐう。
いくら傷ついていても、三十分に一回は何かを食べていた腹は正直だった。夜会では羞恥のあまり飛び出して、何も食べていなかった。もう一時間も何も食べていないんだわ……。
こそっと扉を開けるが、誰もいないし何も用意されていない。気配りがなってないと心の中でルセを罵る。
鼻をくんくんさせる。少し離れたところから、美味しそうな匂いがした。食べ物のにおいに関しては自信があるのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
城の厨房では夕食の準備に追われていた。花嫁の召喚で安定した気候が続いて、城の人間も増えつつある。ここの忙しさは年々酷くなるばかりだ。男達が料理をし、女達が盛り付けをして所定の場所に運ぶ決まりとなっている。
その時、盛り付け係の一人が、皿から材料が減っているのに気づいた。
新人かしら? たまにあるのだ。ルールのよく分かっていない田舎者が勝手に取っていくことが。案の定、物陰にうごめく気配。ちくりと言ってやって、そいつの身分を確かめそいつの食事は減らさないといけない。消費期限の問題などから、今日使う食材の分などはきちんと決まっているだから。
「こら!?」
語尾が変な風になった。どこの田舎者かと思って叱責したら、なんと花嫁の礼子様だった。まずい。まさかそんな人がつまみぐいをすると思わなかったから、人目なんか全然気にしなかった。盛り付けの給女の声で、全員がこっちを向いた。
「……」
「……」
「……ぷっ」
「……クスクス」
「なにあれ……」
何気につまみぐいに苦労させられていた女性達は辛辣だった。どうしたものかとおろおろするばかりの男性陣と違い、数の力で礼子を嘲笑する。
来た時と違い、礼子は音を立てて飛び出した。「やだあ馬みたい」「やめてよね、厨房に埃が立っちゃう」 格下認定した給女達は去っていく背にさらに追い討ちをかける。無条件で好待遇がなされている花嫁への嫉妬でもあった。そして、先に悪いことをしたのは花嫁側なのだから、これくらい許されるだろうと考えてのことでもある。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
事情を聞いたルセの胃は縮み上がった。今回の花嫁は勝手なことばかりだ。啜り泣きが部屋の中から聞こえるが、自業自得だろと思う。
「あー、礼子……」
「……」
「……俺、無神経みたいだしな。消えるわ」
今度という今度はそうそう部屋から出まい。それより今は、花嫁への不満を何とかせねば。常態化したら今後にも影響が出る。挨拶もそこそこに礼子の部屋から去る。もちろん、夕食などは用意していない。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ひとしきり泣いたあと、扉をそっと開けたが、やはり何も無い。礼子はルセを気の利かないやつだと思う。その時、廊下の奥から誰かが歩いてくる音が聞こえた。慌てて扉を閉める。やがて足音は、礼子の部屋の前でピタリと止まった。
「礼子様はいらっしゃいますか?」
「いますけど……」
若い男性の声だった。今最も評判の悪いであろう私に何の用なのか。
「先ほどは給女達が失礼をしました。全員解雇したので、どうぞご安心を」
「えっ」
自分が言うのもなんだけど、悪いのは私のほうなんじゃ? そもそもそんなことが出来るこの人は一体。
「部下の失態は上司であり給仕頭でもある私の責任です。本来なら私の首も飛ぶべきなのでしょうが、今は人手が足りないとのことで……申し訳ありません」
「それは、別に……」
「せめてものお詫びに、夕食をご用意致しました。ルセ様から体調が優れないと伺いましたので、消化にいい物を」
夕食との言葉に、そっと扉を開けて確認する。お粥とスープの乗ったお盆を持った男の人……。
「今日からは私が貴女の担当になります。よろしくお願いします」
自分を見たにも関わらず、平然とそう言ったその人に、礼子は恋に落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
突如解雇を言い渡された元給女は苛々していた。
「何よなんで私が悪いことになってんの? つまみぐいやらかしたのは花嫁のほうじゃない」
あの日――――と言っても三ヶ月前だが。つまみぐいする礼子を発見したばかりに、解雇を言い渡され、同僚からはお前のせいで巻き込まれたと言われ。一月ほど実家に引きこもっていたが、怒りは収まらない、どころか日に日に募っていく。
「いくら絶対の存在だからって何なの。私はまだよかったけど、解雇された人の中には病気の親に仕送りしてた子だっていたのに……。あんな無神経女、いないほうが世界のためだわ。死んだって新しいの呼べばいいじゃない」
元給女は、礼子の暗殺を狙っていた。
城を出る時に来ていた給仕服を身にまとい、厨房から台車をくすね堂々と城の中を歩く。むしろびくびくしていたら怪しまれる。目指すは花嫁の自室。何の妨害もなく、そこまでは辿り着く。部屋からはルセ様とあの女の声が聞こえた。
「……しかし給仕頭のオットーが嘆いていたぞ。余り食べてないと」
「ごめんなさい。でもそんな気分になれなくて。オットーさんのことを思うだけで胸がいっぱいなんだもの」
「ふむ……まあ納得の結果だな。そうかオットーか……」
若くして給仕頭に上り詰めたオットーは、給女達の憧れの的だった。あいつ、オットー狙ってるわけ? 厚かましい! しかし怒りをこらえてノックをし、声をかける。
「失礼致します。オットー様のご命令で、軽食をお持ち致しました」
「は? オットーが?」
さすがは花嫁の世話役をやっているルセだ。真っ先に反応し、「そんな在庫あったか?」 と疑問を口にする。
「差し入れがあり、質のいい果物が手に入ったと聞いております」
「何してるの? オットーさんからなら絶対受け取らなくちゃ!」
礼子と思われる人物が扉を開ける音がする。開いた瞬間、隠し持っていたナイフを振り上げる。
「覚悟……!?」
扉を開けた人物は、礼子ではなかった。中から出てきたのは、むしろ痩せ気味といっていいくらいの体型の少女。しかも可愛い。……まさか、部屋を間違えた? しかし今さら引けない。少女を捕らえてナイフを突きつけ問いただす。人質はルセ様対策だ。
「答えろ! 礼子はどこだ!」
「あ、あなた誰? どうしてこんな」
少女は動揺しつつも冷静に動機を聞いてくる。ルセ様は唇を噛みしめて先手を取られたことを悔やんでいるが、下手に動けないでいる。
「あいつが悪いくせに、責任を全部下っ端に押し付けてタダで済むと思ってるのなら大間違いだ!」
「あなた、あの時の」
「関係者か? 礼子はどこ!」
「ごめんなさい! 職を失って苦労しないはずがない……ねえルセ、全員戻してあげて」
少女はまるで花嫁のように気安くルセ様に声をかけている。何者だ? どっちにしろ、礼子には近しい人間だろう。
「気安く喋るな! 礼子の居所だけを言え!」
「……ここにいますけど……」
「は?」
「あの、私が吉岡礼子です」
驚きで力が抜けた一瞬をルセ様は見逃さなかった。近づいてナイフを叩き落す。人体の急所を的確について転倒させ、逆にナイフを突きつけてしまえば、もう私に出来る事は無い。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ルセは一連の出来事を美談に仕立て上げた。異世界を脚色し、向こうの世界で呪われていた少女が愛の力で美しくなり、心も入れ替えたという絵本は、容姿に自信のない女性に飛ぶように売れた。
あとはオットーとの結婚式を待つばかりと思っていたが、ここで問題が発生した。
「……考えてみれば、一介の給仕頭が花嫁様に気安すぎましたね。今度からはルセ様付きの者に食事を運ばせます」
礼子が痩せた姿を見せにオットーに会いに行ったら、冷たくそう言われた。あの夜会で笑いものにした連中が手の平を返すなか、オットーだけが逆の反応を見せた。
「ルセ、なんで、どうして? 私、またなんかやっちゃった……?」
「い、いや。さすがに今度は何もしてない、はずだ」
これにはルセも意味が分からない。オットーはてっきり礼子が好きなのだと思っていたのに。そもそも首にならなかったのだって、オットーが「お願いします! 私を花嫁様付きに!」 と言ったからなのに。
「でもまあ、今の礼子ならオットーでなくても、なあ?」
「……!」
礼子の部屋でひたすら彼女を慰めるが、お茶の時間に来た人間がオットーではないのを見た礼子は豹変した。
「お茶だけなの? お菓子は? おやつは? 足りないわよ!」
振られたと思った礼子は再び暴食に走った。一週間で元の体型まで戻った。人は再び礼子を嘲笑った。
うんざりしたルセは、ついに矛先をオットーに向けた。礼子に引かず丁寧に対応し、外に出させダイエットまで成功させたオットーの功績から、今まで非難はし辛かったが、さすがに怒りの限度を越えた。城を出て行こうとするオットーを捕まえ前置きも何もなく愚痴る。
「付き合うなら最後まで付き合ったらどうなんだ! 礼子のやつ見事なリバウンドだぞ!」
「それは誠でございますか!?」
オットーは再び礼子付きとなった。この流れに、ルセに中で疑問が生じる。オットーが一人になった時、それを聞いてみる。
「お前、過去に体型が元で死んだ人間でも身内にいたの? そうとしか思えない献身ぶりなんだよな」
「え」
「あ?」
「……そうですね。ルセ様は魔術師様の使い魔とのことですし、人間の事情は分かりにくいのかもしれません。ルセ様、女性の脂肪には全ての美が集約されているのですよ」
ちょっと意味が分からなかったので、聞いたことをそのまま礼子に伝えてみた。
「……そういうことだったんだ……。ルセ、私もうダイエットしない……!」
何だかよく分からないまま、待望だった礼子とオットーの結婚式が上げられた。念願だった事態なのに、この釈然としなさは何だ。
「ルセ、ありがとう! この世界に来てから私、幸せよ! これからも私のような少女を救ってあげてね!」
晴れやかな笑顔で言う花嫁(推定百キロ)になんともいえない気持ちが込み上げる。
「それで……いいのか?」
「どうしてそんなこと聞くの? 誰だって自然体で愛されたいじゃない」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今回な、少しだけ、人間を尊敬したくなったよ……」
「明日は槍でも降るのか?」
その日の魔術師の館では、珍しく謙虚なルセに魔術師が驚くという珍しい光景があった。




