15話 困る兄と本を読む副担任
困った。非常に困った。
目の前のドアは押しても引いても開かない。勿論、引き戸では無いことも重々承知している。
何故ならば、ここは校内に存在する『資料室』と呼ばれる場所で、授業で使用する品々を取りに行かされる事が多々ある為だ。
『資料室』と名してあるだけに中は雑然としている。並べられた書庫には本がぎっしりと詰められ、整理する事を断念したのか通路を占領している本の山々。地球儀、黒板大のスクリーンや人体模型の頭部などといった小道具類がインテリアと化し、異質な空間を形成しているというのもある。頭部だけ置いてあるのはなんでだ。
「困りましたね」
背後から声。振り返った先には、山積みにされた本に腰掛け、ブックカバーが掛けてある本を読んでいる春日井先生の姿。言葉の割に、表情が何時も通りの微笑みなのと、優雅に本を読んでいるのが非常に引っ掛かるが、なにより言わなければならない事があった。
「誰の所為だと思ってるんですか」
やや険を込めて言い放つ。しかし、俺の言葉に春日井先生の表情が申し訳ないソレに変化する気配はなく、数瞬だけこちらに視線を移し、再び本に目を通し始めた。
模型投げるぞ、コラ。
そう、『資料室』に俺が居る理由。否、閉じ込められた原因となったのは目の前で読書を行っている春日井先生にある。
放課後、部活に入っていない俺は終の挨拶を済ませ、早々に帰宅しようと教室を出る間際に腕を掴まれたのだ。振り向いた先には楽しそうに微笑む春日井先生の姿、嫌な予感を感じながらも用件を聞くと、今日中に探さなければならない資料があるから手伝ってほしい、というモノ。
直ぐに済むだろうと思い込み、付いていった先は『資料室』なのだ。
そして、資料の山を掻き分けながら捜し回る内、気が付けばドアが開かなくなっていたという訳である。
大方、教師か警備員の方が鍵を閉めたのだろうが、中を確認してから閉めていってほしい。
後の祭りなのは分かってるけど。
「はぁ」
つい、漏れるため息。下手をしたら翌日まで出られないかも知れないのだ。頭を抱え視線だけ春日井先生へとやると、今だに読書中の様。先生の座高より高め本の山に腰掛けている為、浮いた足を左右に揺らしている。
よく、この状況で本なんか読めるな。
「さっきから熱心に読んでますけど、何の本なんですか?」
春日井先生が読んでいる本はブックカバーが掛けてある為、こちらからタイトルなどを読み取る事ができない。それだけならまだしも、妙に面白そうな表情で読んでいる春日井先生の姿が合わさって、好奇心を抑えきれなかった。
「気になりますか?」
問いに愉快そうに細められた瞳がこちらに向けられる。口元は本で隠れている為、窺い知る事は出来ないのが引っ掛かるが、聞いてしまったので致し方ない。
首を縦に振り先を促すと、より目が細くなったので不安を感じてしまう。
やがて、春日井先生は焦らすように咳払いをして、
「タツヤはリョーコの乳房をまさむぐっ」
「有難う先生、もう結構ですので黙って本を閉じてください」
音読し始めたのを素早く近付き、口を抑えることで阻止した。不満そうに眉を寄せる変態ドS教師から本を奪い取り、適当に放り投げる。投げた本は一つの本の山に当たった様で、小規模の雪崩の音が聞こえてきたが構っていられない。
「よりによって、官能小説を選びますか?」
犬歯をむき出しながら、春日井先生に問いただすと同時に抑えていた手を離す。俺の反応が予想通りだったのか、不満そうな表情を何時もの微笑みに一変させる春日井先生。
本気で訴えるぞ。
「ちょうど目についたモノですから」
さらりと宣う春日井先生だが、浮かべている笑みが、口角を強くあげる小馬鹿にしたような笑みなのを見る限りでは確信犯だろう。間違いなく、中身を知っていたのだ。恥じらいといった可愛らしいモノなど持っていない目の前の人ならば可能だろう。
「失礼な事を考えてるんだったら、さっきよりハードな官能小説を朝のHRで朗読させますよ」
「社会的に死ねって事ですか」
女性のカンは憎らしいほどに素晴らしいと痛感させられ、些細な抵抗も虚しいモノとなってしまう。それに伴い、押し黙る俺を見てか、春日井先生は満足そうに一つ頷くと普段通りの微笑みを浮かべ、本の椅子から降り立った。
ふと、壁に掛けられた時計を見ると短針は五時を指している。その事に何か大事な事を忘れているような気がして、頭を回転させるが先程のやりとりが尾を引いていて思い出せない。
「あら、もうこんな時間。そろそろ帰りましょうか?」
その声に春日井先生へと意識を戻すと、腕時計に目をやり、何処から取り出したか鍵を左手の中で弄んでいる姿がある。
鍵。鍵。鍵?
「先生、それ」
「鍵ですよ」
腰に右手を添え、至極真面目に返される。差し出された手の中にある物は正しく鍵で、『資料室』と書かれたラベルが貼ってあった。
うん、鍵だよな。
妙に腑に落ちない俺を置いて、唯一の出入口であるドアへと向かう春日井先生の後ろ姿。歩くたびに揺れる黒髪を眺めながら考えるもどうにも答えに行き着かない。
「ボーッとしてないで、早く出てください。学校に泊まりたいなら構いませんけどね」
慌てて、意識を戻すと開け放たれたドアの向こうで微笑む春日井先生の姿。タイミング良く夕日がバックになっている為、女神の様に見えた事を異次元に葬り、足早に部屋を出る。
女神にしては性格は極悪だしな。
少々、耳障りな音と共にドアが施錠される。完全に鍵が掛かった事を確認した様子の春日井先生がこちらに振り返る。何処となく頬が赤い気がするが、夕日の所為だろう。
「今日は有難う。今度お礼にお茶でもご馳走してあげるから、その時は言ってくださいね。」
何時もの企んだような笑みとは違う、見惚れてしまった恥ずかしげな微笑みを浮かべ、春日井先生は職員室の方へと去っていった。
な、なんなんだ。一体。
ちなみに帰宅直後、疑問が解決し疲れがどっと押し寄せてきたのは言うまでもない。
執筆ペースが日増しに遅くなっていく作者です。字数も減ったり増えたり。最低だなぁ。 さて、15話。女神なのか悪魔なのか副担任と勢いに弱い兄との一コマでした。如何だったでしょうか? それでわ、また次回。