11話 帰宅時、ホワイトボードと兄
すっかり日は暮れて、夕日が完全に沈むまで小一時間といったところか。ぽつりぽつりと灯りが漏れる近隣住宅、人通りは少なく、何処からか犬の遠吠えが届いてくる。周りの景色は朝方とはガラリと風貌を変えたように見えた。
あの後、全員がアンケート用紙に書き込むまで校内に拘束され、楽しそうに、俺を含むクラスメイトの恥辱に満ちた表情を堪能した春日井先生に対する処遇案を三十分ほど話し合った為、遅い帰宅になってしまった。大部分は春日井先生に原因はあるのだが。
そして現在、俺は歩を止めて一軒家を見上げている。向かって左側の塀には『間宮』と刻まれた表札が、備え付けのライトによって照らしだされている。薄暗くなってきた為、外観ははっきりと確認しづらいが、間違いなく我が家である。
本来ならば確認する事無く我が家の玄関を開け、中へと入るところなのだが、ある一つの異常がその決断を阻止していたのだ。
「ライトの故障か?」
先程から玄関の中、要は靴を脱ぐ所の照明が点いたり消えたりしているのだ。それも一定の間隔でだ。単純に電球が切れかかっているのならば、変則的になる筈である。だが、その電球は一昨日の夜に変えたばかりだ。
空き巣、とも浮かんだがあからさまに怪しい行動をする泥棒なぞ、ただの変質者にしか過ぎない。なにより、我が家を含めた近隣住宅街にはそういった事に並々ならぬ正義感を持ってして阻止、または壊滅させる人が居るので空き巣は無いと断言できる。
「とすると、かなめか」
結局、考えが行き着いた先は我が妹の仕業。毎回、思い付きの言動に振り回される俺とした事が、見落としていた。
かなめの部屋の灯りが点いている事を確認し、玄関のノブを捻る。
「ただいまー」
出迎えてくれたのは、『お帰りなさい』と達筆に記された一枚のホワイトボードを片手に立つかなめの姿ではなく、非常に酷似した外見の一人の女性の姿。肩で切り揃えられた黒髪を一つに括って、黒のスーツに似つかわしくないフリルのエプロンを掛けた女性は、今だに照明の電源のON、OFFを繰り替えしていた。
「何してんの、母さん」
「面白いかな、と」
無表情に全てを台無しにしてしまった母、間宮 色羽に呆れた視線を投げると、ぴたりと一連の動作を止めた。
何か、思うところでもあったのかホワイトボードに何やら書き始める。
『やっぱり、ベタな方がお好み?』
眉を、少々寄せて真剣に聞いてくる母を素直に殴りたいと衝動的に思う。
大体、ベタな方とは『お帰りなさい、先に晩ご飯にする?お風呂にする?それとも』、的な事を考えているのだろうか。実行する方には勿論、される方にも相当な羞恥心を捨てなければ実行できないベタベタなセリフを?
「それ、本気で書いてるのか?」
「ええ」
自信たっぷりに答えてくる母の表情を見る限りでは本気だったようだ。
というか、ホワイトボード使え、とツッコミを入れたくなったが収拾がつかなくなりそうなので止めておく事にする。
俺の呆れを通り越し、哀れみを多分に含めた視線と表情に耐え切れなくなったのか、何やら掲げていたホワイトボードに書き込み始める母の姿。
ふと、思い出す。確か母は出張に行っていたのではなかったか?出掛ける前日に駄々を捏ねていた母の姿を明確に思い出した。子供のように口を尖らせ、ソファから頑として動かない母を説得したのだ。
一週間ぐらいになるんじゃなかったか?
「要」
母の声に我に帰る。目の前には突き出されたホワイトボード。
『お帰りなさい、先に晩ご飯にする?お風呂にする?そ・れ・と・も・ワ・タ・シ?』
最後まで読み、ちらりと母の顔を見ると得意げに胸を張っている。そして俺は理解した。付き合うのが時間の無駄だったのだ。
俺は掲げられたホワイトボードを奪い取り、目の前の障害を張り倒して我が家へと歩を進めるのであった。
同じ失敗を再度繰り返した作者に批判、お待ちしてます。 さて、要sの母、色羽が登場しました。妹と似た思想の持ち主です。兄の苦労が増える一方だなぁ。 それでわ、また次回で