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4話:残留思念

 渋谷駅。待ち合わせ場所に向かうだけのはずなのに、気持ちはどこか昂っていた。友達に会うわけじゃないからだ。


午後の光がまだ残っているのに、地下から吐き出される風は湿って冷たい。改札を出てから、人の波に押されても、おじさんにぶつかられたり、誰かに足を踏まれても気分が落ち込む何てことはない。


 ハチ公前で会おうと、雫はLINEに送ってきていた。人混みの隙間を縫いながらハチ公口に出た瞬間、音がどっと押し寄せてきた。スピーカーの音楽、路上アーティストの陳腐な歌声、信号から聞こえる通りゃんせ、靴底のこすれる音、多くの雑多に入り混じった人々の声。


 愛らしく、可哀そうな犬の銅像の周りでは人びとが写真を撮っている。また、ハチ公の足の間には毛布でくるまれた猫が眠そうに寝ている。適当な柵に腰かけた時、ふと横断歩道の手前、ガードレールの脇に花束が置かれているのが見えた。


 白い菊に白い百合の花。ビニールの包みは少し曇っていて、花びらは所々枯れかけ、茶色く変色していた。誰か死んだんだろうね。ただそれだけ感じた。――そのすぐそばに、女の子がいた。彼女の死因は自己か自殺かを知る術はなかった。ただ立っているだけだから。


 制服を着た、私と同じくらいの身長。髪は肩で揺れて、リボンがほどけかけている。顔はよく見えない。輪郭だけが薄いガラスみたいに浮いていて、現実の人波の間に、わずかなズレで重なっている。


 横断歩道の信号が赤になり、車両用の信号が青になると、女の子は縞模様に踏み出した。次の瞬間、車の影が来て――ぐしゃり、と、音がした気がした。しかし、車が止まる事はない。何事もなく走り去り、群衆がこの異常に気が付くことはない。女の子の体は回転し、アスファルトに落ちると共にふっと、蝋燭の火が消えるかのように無くなり、そして、何事もなかったみたいに、横断歩道の端に現れ、通りゃんせが止まると共に青に変わる車両用信号機に合わせて歩き出す。


またはねられる。また消える。また現れる。また歩き出す。またはねられる。これを見て私は、彼女は自殺したんだろうと思ってしまう。


 私は足が凍りついた。周りの人たちは誰も見ていない。誰も悲鳴を上げない。スマホを見たまま、コーヒーを飲んだまま、笑いながら流れていく。女の子だけが、何度も同じ場所で、同じ終わり方を繰り返している。


「……のぞみちゃん?」


背後から声がした。振り返ると雫さんがいた。黒髪のポニーテール。目つきは鋭いのに、口元だけが軽い。


「待った? ……なに、その顔」


私は指差すこともできず、ただ花束の方向を見た。雫さんは一瞬だけ、そっちを見て、すぐに視線を戻した。まるで何でもないとでも言うみたいに。


「気にしなくていいよ」


「……あれ、さっきから……車に……」


声が震えてるのが自分で分かった。雫さんは肩をすくめる。


「幽霊じゃないよ。残留思念」


「……ざんりゅう、しねん?」


「うん。もっと言うと――人格がない。自我もない。会話もできない。あれはね、空間に焼き付いた映像みたいなもんだよ」


 雫さんの言い方は残酷に聞こえた。でも、そこでようやく私は気づいた。あの子の目が、私を見ていない。周りも見ていない。信号だけを見て、歩いて、終わって、消えて、また歩く。機械みたいに。


「本体はもう、死んでる。生きてたときの“最後の動作”だけが、強すぎて残る。きっと死ぬって決めた時凄く覚悟したんじゃないかなぁ」


雫さんはまるでそれがどうでもいい事のように答えた。でも私はこの花束があることは、誰かがこの子を悼んだからという事実を考えずにはいられなかった。ここで現実に死んだ人がいて、そしてその“最後”だけが、まだ残っている。


「でも……放っておくの?」


私が言うと、雫さんは少しだけ顔をしかめた。怒ってるんじゃなくて、「それ、言うと思った」みたいな顔。


「放っておく、っていうか。放ってある」


「消せないの?」


「消せないわけじゃない。けど、やらない」


雫さんは別の横断歩道を使って、対岸へ渡りながら続ける。


「空間封鎖って、タダでできないんだよ。実害がないただ死に続ける映画みたいな物は放っておくんだよ。それにね」


雫さんは歩きながら周囲に目配せした。人の手元のスマホ、車のドラレコ、観光客のカメラ、警備員の視線。誰かの有機物、もしくは無機物のあらゆるレンズがいろいろな方向を映している。


「こんな人通りの絶えない場所で、銃なんか撃てるわけないでしょ。撃った瞬間、現実世界でニュースになる。武装JKの都市伝説は本当だったってワイドショーは大賑わいになるよ」


「でも……あの子は、ずっと……」死に続けるのはいささか気の毒だと思ってしまう。


「ずっとじゃない」


雫さんは言い切った。


「残留思念は、薄くなる。時間が経てば、勝手に消える。映像が焼けたフィルムみたいに、だんだん抜けていく。だから“実害がないやつ”は、基本放置。かわいそう、って思うのは分かるけどね」


その言葉に私は息を呑んだ。雫さんが私の次の言葉を吐かせる前に、袖を軽く引いてこの不快で不気味な状況を終了させた。


「行こ、カフェに。すごくいいとこあるんだよね。マスターは不愛想だけど口が堅いし、占いとかできる面白いおっさんなんだよね」彼女は話題を変えたがっている。しかし、私はもう通り過ぎた横断歩道の隅の花束と少女の残留思念から目を逸らせなかった。


「……雫さんは、平気なの?」


「平気だよ」


即答だった。


「もう生きていない他人だからね。そこに魂はないから」


雫さんは笑った。屈託のないひまわりのような明るい微笑みだった。


 車両用信号がまた青になり、少女はまた歩き出して、また消えた。私はその瞬間だけ、目を閉じた。雫さんに引かれるまま、人混みに紛れて歩き出す。背中のほうで、またメロディが鳴る。


 とおりゃんせ とおりゃんせ 


ここはどーこの細道じゃ


 天神様の細道じゃ 


ちっと通してくだしゃんせ


 御用のない者 通しゃせん


こん子の七つのお祝いに お札を納めに参ります 


 メロディしか流れない筈の信号機。しかし、頭の中にふと歌詞が浮かぶ。行きはよいよい帰りは怖い。ああそうか、雫さんも、私も、あの女の子も、初登校の日に出会ったあの幽霊も、皆戻る事のできない場所に行ってしまったんだ。


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