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プロローグ:大仕事

 2025年8月13日。浅く夜が入った時間、午後8時頃。うっすら明るく、それでいてうすらと暗い。肌にへばりつくような暑さと湿気、今日は熱帯夜になる見込みだ。東京某所、駅前の繁華街では、仕事終わりの酔客の喧噪が響くが、そこを少し外れ、丘の方へ登っていく狭い道路の方は物静かで、街灯も細々としている。

 

 そんな中を少女が歩いている。明るい色の洋服に膝丈のスカート、肩掛けの鞄を下げ、手には赤本を抱いている。かつ、かつ、とローファーが地面を踏み鳴らす音がただ静かに、遠くの普段より少ない繁華の喧噪を上書きするように響いている。

 真っ暗闇だというのに、彼女はそれを読んでいるかのようにして歩いている。彼女が歩くたびに黒いふさふさの巻き毛が揺れ、時々本から手を放して頭をぐわしぐわしと撫で、大きくため息を吐く。その時、ポケットから着信音がして、彼女はスカートのポケットに手を突っ込んだ。


 現れたるスマートフォン、画面のブルーライトに照らされた瞳が字面を追った。


『のぞみだけど、準備できたよ~』


何のこともない文章。しかし、それは前後の文脈が無ければ慮ることができない文言だ。


 彼女は「り」とだけ文字を打ち、後ろを振り返る。100メートルほど離れた5階建ての雑居ビルを目視する。その屋上に何かがちかちかと、規則正しく光るのを目視した——長く点灯したり、ちかちかと素早く点滅したり。ほんの数秒で光はさっぱり消えた。


 その後、歩き出し、本を鞄にしまった後、スカートのすそを少しめくり、右の太ももに手を這わせた。


 暫くすると、ローファーの音とは別の足音が聞こえてくる。もっと甲高い、ヒールで踏みしめるような音。そして、その音はまるで大股の男の様に素早く聞こえる。今にも少女を追い抜かんとする速さなのに、決して彼女を追いこすことはない。後ろを振り返らない彼女は気が付いているが気にしないフリをしているように見える。


『あー、あー、聞こえますか、隊長?』——今度はスマホではなく鞄の中から声が聞こえた。少女はその発信源を取り出す。手のひらサイズの小さなウォーキートーキーだ。彼女が立ち止まって無線機のトークスイッチをオンにしたとき、全ての足音が止まった。


「こちらオトギリリーダー。聞こえる」まるで演劇をしているような、いや、その迫真は演劇ではないからだ。


『オトギリ・シエラ、目標を確認。ゼロインも済んでいます』


ゼロインとは照準器を銃器にあわせて照準の左右、上下の調整することだ。ゼロインを調整していない光学機器を銃器に載せた所で命中しない。問題はこんな少女が、こんな夜になぜそのような話をしているのかと言うところだが。


『こちらオトギリ2-1、レディー』別の少女の声が聞こえる。


『オトギリ3-1、セイム』また別の少女の声。


 オトギリリーダーの少女は頷くと無線機を鞄に戻した。その直後、彼女は何かに肩をぐわしと掴まれた。


 爪がくっと食い込むのを感じた。あまりに強い握力と冷たさ、首筋に掛かる生暖かい呼気。


 ——「わたし、キレイ?」

 

 少女が振り返ると身の丈六尺はある、真っ赤な服に真っ黒な長髪の女が立っている。切れ長の目に長いまつげ、目の下の泣き黒子。その顔の目下はすっかりと大きなマスクでおおわれている。「ポ......」少女が何かを呟こうとしたところで、大女の目元が尚細くなり、ほくそ笑む様にゆがんだが、彼女は続きを吐いた。


「ポマードポマード言うと思ったかよ馬鹿野郎! あたしの答えを教えてやるよ!」


天を貫く勢いの怒声、そして、その瞬間、少女が太ももに這わせていた手が何かを掴んだ。カイデックスのこすれるプラスチック的なかちゃっという音。次の瞬間、彼女が握りしめていたのは紛れもなく拳銃であった。


「え?」怪異は人間のような気の抜けた声を上げた後、目を丸くした。

 

 ダンダンダン——夜空にマズルフラッシュと共に銃声が鳴り響く。カラカラと薬莢が地面に転がった瞬間に、大女は数歩後ずさりし、少女を睨め付けていた。はらっとマスクの紐が千切れ、女の正体を顕わにした。


 マスクをつけたその目元こそ美女だったが、その下は人とは思えなかった。口周りは赤い。伝承通りの耳の付け根まで肉が裂けた口。真っ白な歯が酷く食いしばっている。口の裂け目は中心に近いほど赤く、耳元へ近づくにつれて赤茶色に、かぺかぺに乾いているように見える。うすらと、生臭い、例えるならば瘡蓋や膿のような臭いが漂っている。


「なんだ、お前、何なんだ⁉」


口裂け女は歯をがちがちと鳴らしながらそう叫んだ。少女は拳銃を向けたまま後ずさりをしつつ叫ぶ。


「とんだマスク美人じゃん、がっかりだわ。あたしを見てみなよ、マスクつけんでもぴちぴち肌の女子高生だし! 羨ましい妬ましいからってガキを襲うなんて浅ましいよ!」言いたい放題いう間、口裂け女は目を丸くして動けないままでいた。


 少女は中空に左手を振り上げた。右手の銃は依然口裂け女を捉えたままだ。


「成仏しなさい。あたしらは仏教じゃないけど、それ以外に言い方知らないから!」


 ――数分前。ビルの上。わたしは真っ暗闇の廊下や階段を上って、鍵のかかっていない屋上にでた。背中に背負っているギターケースを開ける。中には銃が入っている。ロシア製のマークスマンライフル。特徴的な木製のサムホールストックが付いている細長い槍見たいな形のライフル。付属品の、銀色で梨地に鈍く光るスコープをレシーバー左側のドブテイルレールに噛ませて装着する。


 屋上の柵に銃を預け、目標の方へ向ける。女の子——隊長の雫さんが歩いている。その後ろにやけにでかい女が大股で近づいているのが見える。


 この銃、ドラグノフ用のスコープにはレンズの中に簡易の測距計が付いている。170センチメートルを基準に、わたしのスコープは400メートルまでを簡易的に図ることができる。それをでか女にあわせ、上下調節のエレベーションノブを回す。レティクルがカチリカチリというクリック音にあわせて少しずつ高くなる。


 掌くらいある大きさの弾倉を取り出す。7.62×54R弾が10発入る真っ黒で鉄でできた弾倉。しかし、装填されている弾丸には弾頭が無く、そして、薬莢にびっしりと黒い筆文字が書かれている。


 それを銃に差し込み、レシーバー右側に突き出している大きなボルトを引き、手放す。がっちゃんという音と共に、初弾が薬室へ送り込まれた。


 私はスマホを取り出し、メッセージを送る。そして、スコープ越しに雫さんが足を止めたのを確認すると、フラッシュライトを取り出して点滅させる。


——『こちらHQ、対象の2等霊体が空間封鎖予定地域へ侵入したのを確認しました。空間封鎖を実施します。オトギリ隊は行動を開始してください』


鞄の持ち手に括りつけていた無線機から声が聞こえる。その瞬間、辺りがひんやりと冷たくなり、遠くに聞こえていた飲み屋の喧噪が静かにな った。風の音も、時間を間違えて鳴いているセミの声も聞こえなくなる。


 空間封鎖は神祇省が陰陽と科学に基づく技術で、滅却対象を封鎖した空間に誘い込み、街を破壊せず、一般人に被害を出さずにそれを排除するために開発したものらしい。詳しくは知らないけど、とにかくこの中で起きる事は現実に何の影響も及ぼさない。しかし、ここにいるわたしたちが死ねば、現実世界に帰られるのはもちろん死体だけという事は事実だ。


 無線機に準備が整った事を伝える。ほぼ同時に、仲間たちも無線で報告し合う。


 わたしはスコープ越しに隊長と〝2等怪異〟を見続ける。背の高い黒髪の女に見える奴。隊長はそれに発砲し、明らかに動揺する怪異。距離を取っているのが見える。


 そして、隊長が腕を振り上げた。わたしは振り下ろされた瞬間に引き金を引いた。


バン!


 肩にぶつかる巨大な衝撃。ボルトが後退し、薬莢が排出される。マズルフラッシュと共に空気が引き裂かれるのが同時に、スローモーションのように見える。次の瞬間、大女の胸元が突然はじけ、一瞬だけこちらを振り返った後、まるで聖書の中で振り返って塩になってしまうシーンかのように固まり、そして、砂の様に消えていった。


 今回使ったのは弾頭がない空包。わたしたち巫女は二種類の弾薬を使い分ける。まるでテレビゲームのウィッチャーが銀の剣と鋼の剣を使い分けるかのように。空包は実体を持たない幽霊を殺すため、実弾は肉体を持つ妖怪変化、そして人間を殺すために使う。


『こちらオトギリリーダー、消滅を確認。グッドショット』


無線機から声がする。


『こちらHQ、二等霊体の消失を確認。封鎖空間から撤退してください。座標アルファ‐1に脱出地点を設置しています』


わたしはライフルをスリングで下げ、ギターケースを抱えるようにしてビルを飛び出す。大通りに出るが人っ子一人いない。そこでオトギリ隊の面々と合流し、脱出地点の座標へ向かった。


 ――これが日常、これがわたしらの闇バイト。誰にも知られてはいけない、本当にブラックな仕事。好きじゃないし怖い。中高生にしかできない、パパ活よりもやばいバイト。


 合流してすぐにライフルをケースにしまった。そして、気が付くと駅前に戻っていた。喧噪が返ってきていた。


 どうしてこんなバイトに入ったんだろうか。数か月前をわたしは思い出していた。

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