織姫と彦星にはなりません
恋愛成就、即日対応。
七月七日、晴れ。
今年も例によって、うちの神社は地獄のように忙しい。
あたし――織原ほのかは、この神社の娘である。
恋愛成就でそこそこ有名な、地元密着型のこじんまりとしている小さな神社。
普段は近所のおばあちゃんと野良猫が散歩がてらに立ち寄るくらいだけど、七夕だけは別。
「インスタ映え」と「縁結び」の魔法ワードに釣られて、まるでテーマパークみたいに人が押し寄せてくる。
「……恋愛成就の神様がいるくせに、なんでその神社の娘であるあたしには恋愛運がまったくないわけ?」
笹にぐるぐると巻きつけられた短冊の山を前に、あたしは深くため息をついた。
いや、もうこれ、圧がすごい。
笹じゃなくて、願望で葉がしなってるんじゃないかってくらいに重たい。
「もしかして、あたしの縁……全部お客さんに吸い取られてるのかも」
神様も忙しくて、身内は後回し、とか思ってるのかな。
少しくらい身内びいきしてくれてもいいのに。
……こっちは、三日前に彼氏と別れたばかりなんだから。
ため息をひとつついた、そのとき。
ふわりと風が吹いて、近くの笹から短冊が数枚はらりと落ちる。
それを拾い集めて、視線を落とすと……案の定、書かれていたのはすべて恋愛案件だった。
「○○くんと付き合えますように」とか。
「○○ちゃんとお近づきになれますように」とか。
中には「恋が実りました、ありがとうございました」と語尾にハートまでつけて、ご丁寧にお礼を添えた短冊もあって、しかもそれが連名で来てるあたり。
正直、もう耐えられない。
幸せそうだなー、よかったねー、と心から思う……わけもなく。
あたしはその短冊を、じっとりとした目つきで眺めた。
とはいえ、心の中でいくらぼやいていても、手は止められない。
今日は、年に一度の七夕奉納まつり。
うちの神社が一年でいちばん稼ぐ日……いや、恋愛難民たちの願いが最も炸裂する日だ。
境内では、カップルやらグループやらがきゃっきゃと盛り上がって、お守りやお札を爆買いしていく。
こんなのを一日中見てろって、拷問かな。
ねえ神様、恋愛成就が無理なら、ボーナスくらい払ってくれてもいいんだよ。
「すみませーん、短冊がもうなくなっちゃったんですけど」
その声に、振り返る。
笹の下に置いたテーブルの短冊が、いつの間にか消えていた。
あれだけ大量に用意したのに。
一人一枚って書いてあるのに。
みんな、願いごと多すぎじゃない?
神様もそろそろ過労で倒れると思うんだけど。
「あー、はーい、ただいまお持ちしまーす」
気の抜けた声で返事をしながら、くるりと振り返る。
そのときだった。
ふいに視界をふさがれたような感覚がして、思わず立ち止まる。
目の前には――見慣れた袴姿の、見慣れない男子が、短冊を束ねて静かに立っていた。
物音ひとつ立てずに現れた彼は、落ち着いた声で言う。
「こちらをお使いください」
その声も、仕草も、風のようにさらりとしていて。
机の上に、短冊の束をいくつかどさりと並べる。
その瞬間、どこに潜んでいたのか、短冊を求めた人たちがわらわらと集まってきた。
そして何食わぬ顔で、己の願望を連ね始める。
怖すぎ。願いのバーゲンセールか。
あたしはため息をひとつ吐いて、ぽつりと呟いた。
「……久しぶり。今年も来たのね」
その声に、彼はゆっくりとこちらを振り向く。
黒髪で色白、線の細い体型に、中性的な顔立ち。
白衣と紺の袴を着て、静かに佇んでいる姿は、いつ見ても妙に神社映えする。
――長谷川流星。
今年で5回目になる、七夕限定の助っ人バイトだ。
「おじさんに頼まれたら、そりゃ来るだろ」
「この日のためだけに、ホント律儀ねー」
流星は、うちの神主――つまり、あたしのお父さんの遠縁らしい。
電車とバスを乗り継いで、まあまあ遠くに住んでいるのに、七夕になると必ず顔を出す。
無言でさらっと、なにも変わらず、当然のように……毎年ここに来る。
初めて出会ったのは、高校一年の七夕。
同い年だとわかって、「じゃあ連絡先くらい交換しとく?」みたいな軽いノリで交換したのが始まり。
それで、その日から、なんだかんだでメッセージのやり取りが続いている。
話す内容と言えば、全然たいしたことじゃない。
恋愛相談から始まり、くだらない話とか、意味のないぼやきとか、試験前のうなり声とか。
最近だと「このスイーツ食べた? めちゃ当たり」とかのどうでもいいレビューも送ったりして。
会うのは、年に一度だけ。
でも、なんでも話せる相手。
あたしにとっては、ちょっと不思議な“友だち以上恋人未満の謎ポジション男子”ってやつだ。
「見て、流星。また今年も人が増えてる。そんなにみんな恋愛したいわけ? 暇なの? 他にやることないのかな」
必死に短冊を書く人たちを見渡して、毒を吐く。
すると、隣から声が返ってきた。
「なんだ、言葉がとげとげしいな。また彼氏と喧嘩したんだろ」
「はあ? またってなによ。喧嘩なんてしてないし!」
「してないのか」
「してないわよ! ……ただ、別れただけで」
横目でこっちを見てきた流星の視線が、やっぱり「またか」って言ってる気がする。
なにかと報告してきたつもりだったけど、今回の別れについては、まだ言ってなかった。
わざわざ言わなくてもいいやって思ってたくらいだ。
だって……どうせ、呆れられると思ったから。
「言っとくけど、あたしからフッてやったんだからね!」
強気な口調で、言い訳にならない言い訳を言った。
あたしの恋愛になんて絶対興味ないだろうに、それでも流星はちゃんと返事をしてくれる。
「付き合ってまだ二ヶ月くらいだったよな。そんなに馬が合わなかったのか」
「そういうんじゃなくて。……あいつ、浮気してたのよ。最低でしょ。そんなやつ、いらないし。こっちから願い下げだから」
ふん、と鼻を鳴らす。
流星は、目を細めてあたしをじいっと見据えてきた。
……なによ、その目は。
「ほのか……おまえ、恋愛運、なさすぎないか? というか、男を見る目がないのか。恋愛成就の神様がいる神社の娘なのに」
その言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。
もう、図星すぎて腹立つ。
……そんなの、自分がいちばんわかってるし。
あたしは、頬を膨らませる。
「恋愛成就はしてるの。ちゃんと付き合えてはいるんだから。……長続きしないだけ」
「それを恋愛運がないって言うんだろ。他人の恋愛を応援してる場合かよ」
むっとして、流星を見上げる。
「なによ。彼女がずっといないあんたよりマシでしょ。出会ってから一度だって彼女がいたことないよね。あんたのことなら、なんでも知ってるんだから。強がってるけど、ホントは彼女が欲しいんでしょ? だったら短冊に『彼女が欲しい』って願いごとでも書いたら? きっと叶うわよ。うちの神社、それが売りだし」
なかなかひどい言葉を投げつけてしまった。
言ったあとに、ちょっとだけ……言い過ぎたかも、って思った。
――だけど。
流星は、全然動じない。
いつもとおんなじ表情で、いつもとおんなじ声のトーンで。
怒るでも、拗ねるでもなく、ただ無表情で一言。
「そうだな、そうしておく」
……いや、そういうところなのよ。
当然のように真顔でうなずかれると……言い返せなくなるじゃん。
ぷりぷり怒ってるあたしだけが、なんだか子どもみたいに思えてきて。
これ以上はなにも言う気になれず、くちびるをとがらせて、ふいとそっぽ向いた。
* * *
昼間はひたすら忙しくて、あれこれ手が回らず、目だけが回っていたけれど。
社務所を閉めて一息ついた夕方には、参拝客もすっかり落ち着いていた。
ふと見れば、境内の端に短冊が1枚、風に吹かれて落ちていた。
あたしはそれを拾い上げて、軽く埃を払う。
そこにあったのは、恋愛成就のお礼の言葉。
この神社のおかげです、神様ありがとう、って書いてあった。
どこかの誰かが、祈っていた恋をちゃんと叶えたんだ。
「……本当に神様って、いるのかな」
ぽつりと漏らすと、隣にいた流星がすぐに返してくる。
「いるんだろ。みんなそう信じてここに来てるんだから」
そうなのかなあ。
首をかしげて、空を見上げる。
夕焼けはすっかり終わって、空にはもう星がぽつぽつと浮かんでいた。
「……それならあたしも、お願いごと、書いてみよっかな」
笹の下に置いた机に向かって、ペンを取る。
どんなふうに書こうかと考えてたら、視線を感じた。
顔を上げると、流星があたしをまじまじと見つめていた。
「なにを書くんだ。……次の彼氏が欲しいって?」
そんなことをわりとまじめに聞いてくるのがちょっとおもしろくて、ふっと笑いそうになる。
ううん、と首を振って、紙に静かに書き始めた。
書き終わった短冊を、ぴらっと流星の前に差し出す。
「『ずっと一緒にいられる人がほしい』……かな」
空を見上げると、星がさっきより増えてた。
七夕の夜っぽさ、出てきたなあって思う。
きらきらして、すごく綺麗。
ここからの星空が、小さい頃からずっと好きだった。
「たぶん、あたしって、すごく寂しがりなんだと思う」
ひとりごとみたいに呟く。
「彼氏が欲しいわけじゃないの。ずっと……誰かと一緒にいたくてさ。楽しいときも、苦しいときも、お互いの気持ちをちゃんと分かり合って、思いを半分こしあって。もちろん、そこに『大好き』って気持ちがあれば、最高だけど。……そういう人がいてくれたら、あたしは、すごく幸せだって思えるんだ」
自分で言いながら、少しだけ恥ずかしくなる。
でも、これが本音。
流星はしばらく黙ったまま、あたしの顔をじっと見ていた。
そして、空に輝く星みたいに、静かに言う。
「――それ、俺でよくない?」
え、と小さく声が漏れた。
顔を上げて、流星を見る。
相変わらず、いつもとおんなじ無表情。
……だけど、その目はちゃんと、まっすぐあたしを見つめていて。
「楽しいときも、苦しいときも、お互いの気持ちをわかりあって、思いを半分こしあう。……それ、俺がいつもやってることじゃん」
……あれ。
そう言われてみれば……確かに?
思い返せば、大事なタイミングには、いつも流星がいた。
くだらないメッセージも、深夜の泣き言も、いつだって流星はスルーせずに、全部にちゃんと返してくれた。
あたしにとっては、どこか特別な人だった。
……年に一度しか会ってないはずなのに。
高校一年で出会って、七月七日はいつも一緒で。
嫌なところは、たぶん本当にひとつもない。
見た目も――正直、好きなタイプだし。
そう考えると。
「……アリかも?」
ぽつりと出た言葉に、流星は深くうなずいた。
「交渉成立。恋愛成就」
……って、え?
それって、つまりは……。
「じゃあ、あたしたち、……付き合うってこと?」
「だな」
……本気で言ってる?
流星の目が、じっとあたしを見つめている。
恥ずかしいのに――なぜか、そらせなくて。
だからあたしは、逃げるみたいに言い訳をする。
「で、でも、あたし、付き合ったらめんどくさいよ。連絡は毎日とりたいし、返事が遅いと不安になるし、どうでもいいことで拗ねたりするし、変な夢見たってだけで朝から文句言うかもしれないし……たぶん、束縛だってすると思う。ていうか、絶対する。
それに――会えるのが年に1回じゃ、嫌だ」
流星は、静かにまばたきをひとつ。
「大丈夫。それは、俺も同じ」
そう……なの?
流星は、いつもあたしに合わせてくれる。
絶対に否定しないし、それでいいよって言ってくれる。
昔から、ずっとそうだった。
……でも、本当にいいのかなって思う。
こんなの――あたしに無理やり付き合わせるみたいで。
「……流星は、それでいいの? ……あたしなんかで」
自分で言って、ちょっと泣きたくなるような質問。
地面に視線を落とす。
だけど、流星は迷わずに言った。
「ほのかがいいんだよ」
その言葉に、心臓がとくんと跳ねた。
思わず顔を上げる。
流星は、ふいに1枚の短冊を取り出して、あたしに見せる。
そこには、丁寧な字でこう書かれていた。
『織原ほのかが欲しい 長谷川流星』
目を丸くする。
あたしが昼間に「彼女が欲しいって短冊に書けば?」って言ったのを、そのまんま実行してくるあたり。
冗談がうまいのか、冗談が通じないのか、ホントに謎だ。
……だけど、不思議と嫌いじゃない。
「……バカ。ド直球すぎるでしょ」
声が震えるのを誤魔化すように、笑ってみせた。
こんな願いごとには、神様だって、たぶん二度見する。
「直球に言わないと気づかないだろ、ほのかは」
「……どういう意味?」
「ほら、やっぱり気づいてない。本当に鈍感だよな。なんでわかんないんだ?」
流星は呆れたようにため息をつく。
「ずっと前から好きだったんだけど、俺」
は、と呼吸が止まった。
同時に、時も止まる。
息を吸うのも忘れて、ぽかんと見上げてしまう。
……好き?
流星が?
あたしのことを?
思考がフリーズしたまま、かろうじて声を出す。
「……なにそれ、いつから?」
「初めて会った日から。一目惚れだった。普通にタイプすぎる。ずるいくらい、めちゃくちゃかわいい。笑った顔も、俺を呼ぶ声も、話すテンポも。飾らないところとか、無駄に強がるところとか、優しいのに素直になれないところとか。そういう全部が愛おしくて、最初から――ずっと本気で好きだった」
……いやいやいや。
ちょっと待ってよ。
こんなの、一世一代の大告白だ。
平然とした顔で、こんな恥ずかしいことをよくもまあつらつらと言える。
心臓の音がうるさすぎて、自分の声がかき消されそうになる。
あまりの恥ずかしさに耐えきれず、ふいと顔をそらした。
今が夜で本当によかった。
……じゃなきゃ、耳まで真っ赤になってるの、絶対バレてたもん。
「さ、最初からって……全然知らなかった」
「言わなかったからな」
「どうしてよ。……そういうの、早く言いなさいよね」
「言えるわけないだろ。言ったって、ほのかは俺に興味なんてないんだから。毎回、彼氏ができた、別れた、って報告してきてさ。デートにはどんな服装がいいとか、どこに行けばいいとか、どういうことをしたらいいとか……好きな人から恋愛相談される俺の身にもなれっての。普通に地獄だから」
それは、まあ、確かに……。
迷惑だったかも。
というか、めちゃくちゃ最低だった。
だけど、でも、流星があたしをどう思っているかなんて、本当に知らなかったし。
年に1回だけしか会わない相手に、本気で恋愛感情向けられてるなんて……誰も考えないじゃん。
……でも。
「……ごめん。流星のこと、ずっと傷つけてた」
「ん、いいよ。全部チャラ。俺の願い、ようやく叶ったし」
ふ、と流星が笑う。
普段笑わないくせに、こういうときにばっかり微笑んだりして。
……なんだか、ずるい。
胸の奥がきゅんと高鳴る。
あれ。
やばい。
もう好きかも。
ちょっと待ってよ、あたし。
展開が早すぎるし、流されすぎだし、チョロすぎでしょ、自分。
でも、言い訳させてほしい。
流星ってば、真面目で、優しくて、ちゃんと話を聞いてくれて、しかも今日なんか……ド直球に愛の告白までしてきてさ。
そんなの……誰でも惚れるに決まってる。
年に1回しか会わないのに、恋してる。
これって、あたしたち、完全に織姫と彦星じゃん。
「それにしても、すごいな。まだ笹に飾ってないのに、願いが叶った。この神社、本当にご利益あるんだな」
「で、でしょ? 口コミに★5で書いておいてよね。“恋愛成就、即日対応”って」
いつもの軽口で、ごまかすように笑う。
笹の葉に短冊を飾る流星を横目で見ながら、ついぽつりと言葉がこぼれた。
「……ていうか、あたしが欲しいなんてそんな爆弾ワード、よく堂々と書けるよね。ここ、うちの神社なんだけど」
「本心を書いただけだろ」
「いやいや……だってそれ、お父さんに見られたらどうするつもり?」
問いかけると、流星は目を丸くしたあとに、ほんの少し顔をしかめた。
「おじさんに見られるのはちょっとまずい」とかなんとか言いながら、自分が書いた短冊をじっと見つめる。
後のことはなにも考えてなかったらしい。
思わず笑う。
「あたしの名前も流星の名前も、しっかりフルネームで書いてるからね。誰から見ても、あたしたちのことだってまるわかりだよ」
「あー、まあ、そのときはそのときだ。最悪、『神様のお告げです』って言っとけばセーフだろ」
「……それで乗り切れると思ってるの、流星だけだから」
二人で顔を見合わせ、ふっと笑みがこぼれる。
瞬間、ほんの少しだけ風が吹いて、笹と短冊がさらさらと音を立てて揺れた。
照れくさいけど。
……このままでもいっか。
――とりあえず。
次に流星を呼ぶときは、「神社の手伝いナシで、あたしに会いに来て」って胸を張って言えるように。
まずは、今週末、あたしからデートに誘ってみようと思う。