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歌姫  作者: イリ―
2/8

大原璃子と少女

 大原璃子(おおはらりこ)には少女の姿が見えていた。


 自分にしか見えていない少女。

 少女の服装はデニムのオーバーオールに黄色と白のボーダーの長袖、そして黄色いスニーカー。

 少し茶色かかった髪を左右で三つ編みにしている。とてもかわいらしい上品な印象のある少女だ。

 年齢は十歳といったところである。


 少女が見えるようになったのは小学生の頃だった。

 彼女は何をしてくるでもなく、ただ立って璃子を見ている。常に見えているわけではないが、それでもふと気が付くとそこにいる。


 授業中、帰り道、部活中、デート、どんな瞬間であっても視界にその姿が映りこんでくる。

 近付こうとしてみても、瞬きのほんの一瞬で距離を置いた場所へと移っている。目を離さないようにしていても、ある瞬間にその姿は消えている。

 人間の知覚は現実とコンマ五秒のタイムラグがあるというが、その一瞬の隙間に移動しているのかも知れない。

 どうやっても璃子は少女に近づくことが出来なかった。


 少女の存在はあまりにも異質だった。だが、璃子は少女を毛嫌いすることは無かった。

 一般的に考えたなら、その正体が幽霊や(もの)()、または幻覚や勘違いであったとしても嫌だと感じる者の方が多いだろう。不安に思うだろう。

 例えばその姿が愛らしいぬいぐるみのようなものであったとしても、心持ち次第では、時に()まわしく思う瞬間もあるだろう。


 しかし、璃子はどんな時でもその少女を邪険にすることは無かった。

 

 特別何か異変が起こるということもない。

 ただ見えている。

 それだけなら然程の問題ではないのではないか。

 色々と考えた結果、その結論に至ったのだ。


 ある時、大学の同級生に少女の話をしまったことがあった。


 何か悪いことの予兆なのではないか?


 口元に手を当て、周囲を気にしながら時田(ときた)香夏子(かなこ)は大きな声にならないよう慎重にしながら、その実、好奇心に火が付いただけの素振りを隠しつつ、(にじ)ませながら言った。


 つい口を滑らせてしまったことを璃子は少し後悔した。

 大学のカフェスペースでのことだった。


 神妙な顔を近づけてきた香夏子は、自分の叔父が新居のマンションで見知らぬ少年を見るようになり、不安になって実家に戻ったところ、そのマンションでボヤ騒ぎが起きた、という話をした。

 きっと悪いことを知らせているのよ、と香夏子は言った。


 それは単なる偶然じゃないのかと璃子は思った。

 少女が見えている立場上、その叔父が見たという少年のことを否定する気はないのだが、それとボヤ騒ぎはあまりにこじつけの感が否めない。だが、疑問を呈したとて確証がある訳でもなく話が無駄に長引きそうなのでやめた。


 そもそも、少女の姿が見えるようになってもう十年だ。

 何か起こるというならとっくに起きていてもおかしくないだけの時間が過ぎている。

 これからだと言われたところでそれは一体何年後の話だ?

 そのスパンでお告げだ宣託だと言われたところで何をどう対処すべきかも分からないし、そうなると最早、日々繰り返されている通常生活に(ひそ)む危険への対処と何が違うのか分からなかった。


 すると香夏子は流行りの霊媒師(れいばいし)の話をし始めた。

 何でも彼女の友人が視てもらったところ、まぁ色々と内容が当たるのだそうだ。

 家族構成やら体の悪いところ、最近の恋愛事情まで多岐にわたり、結局今付き合っている男とは相性が良くないと告げられ、その友人はそれを理由に別れたのだという。


 占いが理由というより元々不満が募っていただけではないだろうか、何かに背中を押してもらいたい瞬間というのはあるのだろう。それをしたのが霊媒師だったというだけのことだろう。

 除霊なのか占いなのかはっきりして欲しいものだ、と呆れたところに三人の女子生徒が近づいてきた。


 ミスキャンパスの呼び声も高い高瀬(たかせ)早知(さち)を筆頭に、取り巻きの森下(もりした)河野(こうの)である。


 璃子はこの同級生が得意ではなかった。


 高瀬早知の人当たりは悪くない、むしろ良い方だろうと思う。

 逆に言えば誰にでもいい顔をしている。

 綺麗ごとや正論を振りかざし、自分は正しいという自信に満ちている。

 だからこそ、高瀬は己の意見を曲げることがない。他者に寄り添うことがないように見える。


 人には誰しも得手不得手がある。それは本人もしくは親しいものにしか解り得ない要素だ。

 人生はそれぞれ違う。当然過ごしてきた時間や内容が異なる。

 だから誰にだって違いがあって当然なのだ。

 自分にできることが誰かにはできなくて、誰かのできることが自分にはできない。

 大なり小なりそういうものはいくらでもあるものだ。

 だからこそ、自分のできないことのできる他者、つまり己以外の全ての人には必ずその可能性があり得る。

 それ故に他者には常に敬意を払うべきだと璃子は考えている。


 だが高瀬の考え方はそうではないのだろう。

 物事を自分の価値観を尺度にしてものを言う。

 器用なのだろう。様々な技術や知識もあるのだろう。それだけならば素晴らしいことだ。

 しかしそれを尺度にし、できない者を努力不足、実力不足と断じる。

 そして他者を見下し己のプライドを保つ。

 こんなことも知らないのね? そんなことも出来ないのね? 

 私は努力してきたのだから、あなた達もやればいいだけのことでしょう。

 そうやって悦に入る。


 その態度が誰にでもというのであればまだいい。一貫性がある。

 だが彼女は人を選ぶ。相手が己よりも格上だと判断すれば媚びる。

 その様はあまりに露骨で気づいていない者はいないのではないだろうか。

 たまに誰かを褒めた時でさえ、褒めている自分は素晴らしいでしょうとでも言わんばかりだ。

 口にするのが褒めている当人の前では無いことがそれを証明している。

 褒めるならばその本人を褒めればいい。何もほかの誰かに言う必要もない。

 当人にそのまま伝えてやればさぞ喜ぶことだろう。だがそれはしない。

 第三者への自己アピールに過ぎないのだ。


 高瀬早知のそういうところが璃子は苦手だった。

 その時も腰巾着の森下と河野を連れていた。

 森下が耳ざとく香夏子の言葉に反応して、知ってる、この霊能者でしょうとSNSの画面を向けてきた。西國(にしくに)阿璃椰(ありや)というらしい。

 もっと豪奢(ごうしゃ)巫女姿(みこすがた)のようなものとか、修験者(しゅげんじゃ)のようなものを想像していたが、多少は水晶か何かのアクセサリーを付けてはいるものの案外とさっぱりしたベージュのスーツ姿の女性だった。年齢もそれほど上のようには見えない。


 私も知ってると河野も同調すると、満を持して高瀬早知の出番である。


 高瀬は占いなどバーナム効果によるものだ、だから当てになど出来ないという前置きをした上で聞いてもいない占いの仕組みを話し出した。


 バーナム効果とは、誰にでも当てはまる曖昧(あいまい)かつ一般的な内容を自分のことだと感じてしまう心理作用のことである。

 占いの文面を見れば大抵のものはそういう風にできている。

 あなたには短所があるがそれを克服しようとしている、や、あなたは規律正しく自制的だが時々不安になったり心配したりすることがある、などだ。

 誰にでも思い当たるようなものだが、そこに自分のことだと感じさせる要素が加わると人は当たったと錯覚(さっかく)しやすくなる。


 例えば血液型であったり、星座のようなものだ。

 そして少しでも当たっていると感じた時、そこには確証(かくしょう)バイアスが生まれる。

 確証バイアスとは自分に都合の良い情報だけを取り入れる偏った見方のことを言う。

 つまりは決めつけだ。そうなってしまうと、この占いは当たると信じ込んでしまう。


 誰にでも当てはまる内容を、まるで対象にのみ向けたもののように錯覚させ、当たったのだと信じ込ませる。それが占いというものの仕組みだ。

 それでも救われる人もいるのだから構わないけれど、と高瀬は結んだ。


 多少でも心理学をかじれば知れる内容を、延々(えんえん)と語られ腕時計を見た。

 確証バイアスまで語るのであれば、もっと自身を分析すべきじゃないだろうかと璃子は思った。


 香夏子は、そうなんだ、すごーいと感心していた。璃子などより社交性は余程高い。

 そもそも璃子はコミュ障なのだ。他者との関わり合いなど億劫(おっくう)で避けているのだから。


 大塚さんは大人しいから、そういうのは気を付けないといつか(だま)されるわよ、と高瀬が言って(わら)った。


 ただ一言、えぇ、と答えた璃子は、高瀬の後方に立つ少女の姿しか見ていなかった。


 璃子は普段、地味な服装を選びがちだ。元々裕福な家の生まれでもないから、自分の服はお下がりや貰い物が多かった。璃子自身もデザインなどより機能性を重視するところがあったから、バイトなどである程度自由にできるお金があったとしても、そういうものには手を出さず、本当に欲しいものだけ手に入れるところがあった。


 この時も黒縁の眼鏡で無彩色なトレーナーとジーンズ。

 飾りっ気もなく、男受けもしない。存在感が薄いと言われるタイプの人種であることを璃子自身も自覚している。だが、それは自分がそうしたいからしているのであって出来ないというのとは違う。


 自分の意見を言わないでいると間違っていることまで本当になってしまって、流されるままになってしまうから、もっと自分を出していくべきよ。大塚さんもお化粧とかオシャレしたらきっと可愛いよ。私がメイク教えましょうか。お肌も綺麗なんだしもったいないわ。私の服あげようか、着ないのも沢山あるから。要らないっていうのにパパとか知り合いがくれるの、捨てるのももったいないし、きっと大塚さんに似合うわよ。


 嬉々として高瀬はそう言ったが、言葉通りでないことくらい誰にだってわかる。


 後ろから高瀬を呼ぶ男子学生の声がした。高瀬はその声の方に手を挙げると、それじゃあまたと取り巻きを連れて立ち去った。


 璃子は小さく溜息をついた。

 高瀬の後方に立っていた少女はそのままの姿で璃子を見ている。その姿を見て小さく微笑んだ。


 もし高瀬にも少女の姿が見えていたなら、それを一体どう説明するのか見ものだと思った。


 少女は大抵の場合、璃子が苦しい時、辛い時、悩んでいる時、気分が落ち込んだ時などに現れることが多かった。

 その姿を見ることで気分が和らいだ。どんな嫌な気分になっても少女のお陰で立ち直ることが出来た。だから、香夏子の言うように除霊などする気は微塵もない。


 高瀬のつまらない言葉で(にご)りかけた気持ちが少しだけ和らいだ。


 今の璃子にとって少女の存在は癒しであり、無くてはならないものになっていたのだ。

 


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