まさかの異常事態
最前線に到着してから十日が経過した。
はっきり言って戦況は芳しくない。日に日に、前線を下げる状況を強いられている。一日遅れでやって来た総騎士団長がいなければ瓦解していたかもしれない。
帝国の数のごり押しと、所々で用いられる奇抜な戦術に苦戦している最中、王都の方で政変が発生し、国王が暗殺された。
国が侵略を受けている最中に政変を引き起こしたのは、キャンベル家派閥でも、国王の兄弟でもない。キャンベル家と敵対していた派閥のトップ、サドラー侯爵家。サドラー侯爵家は第二王妃の実家で、暗殺実行犯は第二王妃だった。
恐ろしい事に帝国は、第二王妃の実家も唆していたのだ。
王都で起きた政変と国王暗殺の知らせを受けた夜。作戦指令室で重鎮達は頭を抱えていた。
王太子がいれば、即位となり指揮を執って貰える。だが、この国で王太子が正式に決まるのは、候補者が二十歳になってから。過去に何度も起きた婚約破棄と廃嫡騒動で制定された法律が足枷となった瞬間だった。帝国の事だから、第三王妃にも接触している可能性は十分にあり、第三王子も頼れない。
宰相が代理摂政として指揮を執っているが、そう長くは持たない。いかに手際良く第二王妃とサドラー侯爵家を拘束し、大臣達を纏め上げて事に当たっていたとしても、彼は『宰相』で在って、『王』ではない。
この事実を公表すれば、兵の士気は下がる。敵前逃亡するものが出る可能性すらある。故に公表は出来ないが、帝国の事だから何かしらの方法を用いて知っている筈。あちらから公表されてしまった場合、こちらは瓦解する。だが、こちらからは公表は出来ない。出来るとしても『政変が起きた事を認め王の暗殺を否定する』程度。この公表の仕方でも、士気に影響が出る。
どう足掻いても、悪い方向にしか向かわない。
辺境伯領の後ろには、万が一を考えて二つの伯爵領が存在する。が、正直に言って軍事力は期待出来ない。
軍議に意味は無い。これ以上の戦闘も意味は無い。だが、ここからの撤退は出来ない。
八方塞がりの状態のまま、十一日目を迎えた。
この日は連日の戦闘が嘘のように、戦闘が行われなかった。ただ、日が落ちてからの夜襲を考えて警戒態勢は解かれないままだった。
負傷者の手当てはその日の内に全て終わらせている。終わり次第、他の手伝いも行っている。
仕事の全てが終わった夜、重鎮一同に呼び出された。
「失礼しま、す?」
入室した作戦指令室は、葬儀の如き、重い空気で満たされていた。重鎮の誰かが戦死したと言う報告は聞いていないし、全員揃っている。
『何が起きたんだ?』と首を傾げていると、副官の一人が二通の手紙を差し出して来た。
手紙に目を通す。
片方は、コンスタンス帝国からの『降伏勧告』の書状。
こちらの健闘を称え、降伏するのならこれ以上の戦闘は行なわないと、書かれて在る。帝国の捕虜の扱いはこれまた微妙な上に、約束を守らない事で有名な帝国が書状で約束しているとは言え、守るかどうかは分からない。その証拠と言う訳ではないが、夜明けと同時に再度攻め込むと書かれて在った。
降伏するのなら戦闘を行わないと言う事は、今回の侵略はセレスト王国の戦力を削るのが目的だったのか。裏読みは何度経験しても分からないので重鎮達に丸投げする。
もう片方は、手紙と言うよりも王都の政変にまつわる報告書だった。そしてこっちの方が問題だった。
「……」
文面を追い、思わず絶句する。二度三度と読み直しても内容は変わらない。
何の冗談かと思いたいが、重鎮達の重苦しい空気から判るようにこれは真実なのだろう。
宰相がサドラー侯爵の無理心中に巻き込まれて死亡。
近衛騎士でも裏切り者が多数発生し、城に残っていた大臣は全員死亡。王女もまた殺害された。
身の潔白が証明された第三王妃と第三王子は、護衛に当たっていた近衛騎士に斬殺された。
止めに、母親が売国計画を立てていた事を知った第二王子が、第二王妃を殺害して自害した。
王族(エリオットは王籍から外されているので王族に含めないものとする)全てが死に絶え、宰相以下国家の上層部までもが死亡。
指揮系統の混乱は避けられない。何より、これでは国としての体裁が保てないだろう。
セレスト王国が空中分解するまでに残された時間は少ない。そして、帝国はこの情報を持っているから降伏勧告を出したのか。
考えても埒が明かない。
重鎮達に意見を求めたいが、彼らも頭を悩ませている。
解決策が何一つ浮かばず、投げやりに一つの事が決まった。
「兵に全てを明かす。降伏しようが処罰しないと明言した上で、各々に判断をさせる」
兵士たち一人一人に決断を丸投げした形だ。王都の状況を鑑みるに、救援は有り得ないし、政治的判断を含めた指示を仰ごうにも判断出来る人間もいない。
指令室内は、『八方塞がりの中でも、まともに見える案が出せただけでも良いじゃないか』と言う雰囲気になっている。
若干、いや、かなり投げやりな空気の中、全ての兵が一か所に集められた。
警備兵や見張り番までもが集められ、誰も彼もが『何事?』と言った顔をしている。
そんな中、即席壇上に重鎮代表として総騎士団長が立ち『王都で起きた政変』から始まった、王都の異常事態について語り始めた。
国王の暗殺、宰相と大臣の死、近衛騎士の裏切り、第三王妃と第三王子と王女の殺害、最後に責任を感じた第二王子が第二王妃を殺害してから自害した事を語る。多くの兵が、王都の文官と近衛騎士に対する馬鹿な行動に怒り、帝国から降伏勧告が来ている事を教えられ、怒りは更に強まった。
「これからの防衛戦は無意味となりかねん。国を守るのではなく、己の誇りに殉じるか否かの戦いとなる。死を恐れるのなら、夜明けまでに去れ。降伏しようが処罰はせん。己が心に従って動け」
総騎士団長は最後にそう締め括り、壇上から降りた。
――己が心に従って動け、か。
総騎士団長の言葉を反芻する。
死兵となって最後まで戦うか、己の命を優先してここから去るか。どちらを選ぶか、己の意思で決めろ。
ただの負け戦で終わるのは何だか癪だな。いや、形振り構わず全力を出せば戦況はひっくり返せるかもしれないが、やらない方が良いだろう。でも、ちょっとやらかしても良いよね。遅かれ早かれ、この世界から去る予定だったし。
そうと決まれば、総騎士団長の許に向かい情報収集を行う。総騎士団長は初めは怪訝そうな顔をしたが、話を進め、最後には悪戯小僧のような笑みを浮かべた。
「アメリア嬢。それは単身で行うつもりか?」
「ええ。そのつもりです。数が少ない方が成功率は高いでしょうし」
「そうか。どうせなら混ざりたいが、俺は総騎士団長だからな」
羨ましいと言わんばかりの顔をしている。でも、行くと言わない当たり『戦場で散るが騎士の誉れ』と言う事なのだろう。
「では、行きます」
「おう、行け」
借りたものを手に、頭を下げてから去る。
多くを言わず、総騎士団長は送り出してくれた。
さて、どうせやるのなら今夜中に終わらせてしまおう。
最前線から転移魔法を使って移動する。移動先は、コンスタンス帝国の首都の帝城だ。